完成したトリオ

 ビルエヴァンストリオ『Beautiful love』



 綾香がこれまでにどんな思いで音楽をしてきたのかわからない。自分がここまで深く一つのジャンルを愛する気持ちが綾香には完璧にわからないように、私だって綾香の音楽への向き合い方も完璧には理解できない。でも、それでいい。全員が同じ目標を共有するのは大事なことだけど、同じ感情を共有するのは気持ち悪い。


 全員の音がぶつかりあって、一つの曲になる。


 はじける私のピアノと、それを支えるドラム。そしてアクセントになるベース。綾香の音は、華やかにリズムを刻む。ベースは落ち着いた音のはずなのに、綾香が演奏すると華がある。確かに言葉を選ばなければ下手くそなんだろうけども、それでも聞いていたいと思わせられるくらいの力がある。それはきっと私のピアノにはなくて、それがずっと私がピアノのコンクールで負け続けていた理由な気もする。


 いや、今は考えない様にしよう。今はひたすらにピアノを弾こう。


 音が重なる。音が混ざり合う。ピアノの音とベースの音とドラムの音が絡み合って、一つの音になる。


 そして、その曲は完成した。


 演奏が終わっても、しばらく誰も声を出さなかった。ただ、それぞれが自分の感情を整理しているような時間だった。誰も、自分の中にある言葉を全て説明できはしない。それでも、私は言葉を出さなくてはいけなかった。そして、それを受け止めなければいけないと思った。


 だから口を開いた。


 昔から音楽は一人でするものだと思ってきた。ピアノを習っていた時にはヴァイオリンの伴奏をすることもあった。それは確かに伴奏を褒められたんだけどもなんとなくそれは寂しくて、一人の演奏では褒められないのに伴奏だけはいつも評価が高くて、そのギャップがずっと嫌だった。


 でも、今日は一人じゃなかった。


 みんなで演奏しているのに自分の音も出せた。だから。


「ありがとう、楽しかった」


 私は精一杯の笑顔で、綾香とつむぎにそう伝えた。綾香は笑顔で頷く。


「え、辞めるの?」


「は、なんでそうなるの?」


 つむぎのあまりにも場違いな言葉に、私は思わずそう返す。綾香はそれを聞いて腹を抱えて笑っていた。しかし、つむぎはそれをわかっていないらしい。


「私はずっとやるつもりなんだけど」


 さらに続けたつむぎの言葉に私と綾香は驚いた。

 先ほどまで笑っていた綾香もぽかんとしている。


「ずっとってずっと?」


「え、うん。とりあえずで入ってみるって話だったでしょ。でも、今の演奏を聞いてみて変わったの。あなたたちとやるのは楽しい。だからやりたい。いいでしょ」


「もちろん!」


 喜びのあまり、また綾香がつむぎに抱き着いた。もはやこれは癖なのだろうかと思うほどに彼女はパーソナルスペースが広い。つむぎは嫌がりながら両手で綾香の身体を押し返しているけれども顔は嫌がっていない。むしろ嬉しそうだった。


 なんだかそれがひどく楽しそうに見えて、私もその輪に加わるために飛び掛かった。


「もう、放してよ!」


「そんなこと言って、嬉しいくせに」


「あはははは」


 三人の突き抜けるような笑い声は、十二時の、つまりは開店を知らせる時計の音が鳴るまで響いていた。


「「「あ」」」


 全員があまりに良い演奏ができたことで喜びのあまりに店長さんとの約束をすっぱり忘れていた。しかし、カウンターの裏にいつの間にかいた店長さんは笑いながらコーヒー豆を挽いている。そう思っていると、最初のお客さんが入ってきた。もう、今からではオーディションなんて無理だ。


「あの、店長さん?」


 代表して綾香が声をかける。しかし、店長は思いの外、笑顔だった。


「ん? どうしたの? 好きに演奏してくれて構わないよ?」


「でも、演奏を一度も魅せていないですよね?」


 しかし、店長は笑顔で手は豆を挽きながら首だけ動かして否定した。


「いやいや、あんなに良い演奏なら僕が何かを言うべきじゃないよ。これから好きな時でいいからここに来て演奏してくれ。それでいいかな」


 店長さんの言葉に、おそらく開店前から並んでいて外に漏れていた音を聴いたお客さんたちも頷いている。


 それを見た私たちは、もう一度同じように抱き合って喜びあった。


※※※


「あれ? あの人ってお姉ちゃんのバンドのボーカルじゃ?」


 厳かな喫茶店『銀崎』の前を通りかかった少女には、そんなお店の中で抱き合ってはしゃいでいる三人の少女。いや、おそらく自分と同級生か年上の相手に少女と思うのは不自然だけれども、ともかくそんな子たちがぴょんぴょんと飛び跳ねているのは不思議な光景に映った。しかも、その隣にあるのは見たことのない形のピアノとドラムとなんだろう、よくわからないけれども大きな楽器。少なくともお姉ちゃんのバンドのボーカルが弾いていたベースらしきものは見当たらなかった。


 まあ、バンドの解散はいっぱいあるらしいけどお姉ちゃんは少なくとも店内ではしゃぐあの人のことを本気で好きだったのに一体何があったんだろう。


「ま、考えても仕方ないか」


 その少女は、今日はどこで練習をサボって帰ろうかということに思考を戻らせた。

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