第36話 新人冒険者、色々大変です

「うぅ~、頭痛い……」


 寝台の上で目覚めた時、ミアは自分が何故そこにいるのかすぐには理解できなかった。すっぽり抜け落ちた記憶を呼び起こそうとして――頭痛を感じ、何があったのか否応なしに思い出すことになった。

 飲んだ酒はほとんど吐き出してきたため、もう気持ち悪さは残っていなかったが、かわりにひどく喉が渇いてしまっていた。軽い脱水状態なのか、頭の芯から抜けきらないような鈍い頭痛がする。

 おかげで、まだ真夜中だというのに寝苦しくて起きてしまったのだ。


「当たり前よ。何度も潰れるほど飲むなんて、もうそろそろ加減を覚えなさい」


 隣の寝台で寝ていたセーラも、ミアの呻き声を聞いて目を覚ましていた。

 今は、頭痛に苦しむミアのそばで、彼女の介抱と説教を行っている。

 ラルフがミアをおぶってやってきた時、早寝の習慣があるセーラはすでに部屋で就寝の準備をしていた。ラルフの突然の来訪には驚いたものの、背中にいるミアの姿を見て納得するとともに、彼にはその場で軽い不満を口にした。

 その不満に応えるためにラルフはセーラと短いやり取りを交わしたが、その後すぐに帰っていった。


「挙句、また宿まで運んでもらうなんて……ラルフさんへの迷惑も考えなさいな」

「ハイ、反省してます……セーラ、お水ちょうだい」


 いまいち反省の色が見えないミアの態度に溜息を吐きつつも、セーラはテーブルに置かれた鉄瓶から陶器のカップに水を注ぐ。水の入ったカップを、寝台に座ったままのミアに手渡す。

 ミアはカップの中身を口に含みながら、何だかんだ言いつつも介抱してくれる友人に心から感謝した。


「またラルフさんに失礼なことを言ったりしてないでしょうね?」

「……言ってないヨ?」

「なら、目を逸らさずにこっちを見て答えなさい」


 とぼけた様子を見せるミアを、セーラは非難の色をこめて見下ろした。


「ごめんて、頭痛いんだからあんま怒んないでよ―」


 これ以上怒られるのは嫌だとばかりに、ミアは頭を抱えて枕に突っ伏する。

 そんなミアを見下ろしながら、セーラは諦めたようにもう一度溜息をついた。


「もういいわ。せっかく起きたんだから、きちんと夜着に着替えてから寝るように――ねえ、明日は朝から冒険者の酒場に行く日だけど、忘れてないわよね?」

「あー、そうだったねぇ……うん、ちゃんと起きるヨ」

「言ったわね? 私、起こさないから」


 セーラは無慈悲にそう告げると、自分の寝台へと戻っていく。

 就寝前の女神への祈りをもう一度済ませてから、まだわずかに温もりが残っている寝具の中に潜り込んだ。


「明日からはしっかりするからー」


 ミアは少しだけ申し訳なさそうな声で、隣の寝台に向かって声をかけた。

 セーラは気の置けない友人だが、冒険者としては対等な仲間だ。お互いのためにも、冒険者活動にまで迷惑をかけるつもりはなかった。

 水を飲んだら、少しだけ気分が良くなってきた気がする。

 中身が空になったカップをテーブルに置く。今のうちに夜着に着替えてしまおうと、ミアは今日一日着ていたお気に入りの服を脱ぎ捨てて、一度下着姿になった。

 ふと、自分の胸を見下ろした時に、つい先ほどまで抱きついていた大きな背中を思い出した。今頃になって、羞恥のためか顔が火照ってくるのを感じる。


「あー、やっぱ私、おじさんのこと好きかもしれないわー……」


 隣で寝ている友人に聞こえるくらいの声で、ポツリと呟いた。

 口にしてしまった後で、できれば聞いてほしくないからもう完全に寝ていてくれないかなと、ミアは勝手な考えを巡らせた。


「あら、まだそんな感じ? 私は好きよ。『かもしれない』じゃなくて、大好き」

「えっ? ちょっと、セーラさん?」

「おやすみなさい、ミアさん」


 再び無慈悲に告げると、セーラは壁のほうに寝返りを打って視線を逸らした。そして、もう話は終わったとばかりに眠りにつこうとする。

 一方、聞き捨てならない台詞を残されたミアとしては黙っていられない。完全に目が冴えてしまった。もはや寝るどころではない。

 詳しく話を聞かせてもらおうかと、下着姿のままセーラの寝台へと突撃した。


 ※ ※ ※


「そうか、そんな感じになってるのか」

「ええ、表面上の雰囲気はそれほど悪くないんっすけど、内心不満は溜まってるみたいで……」


 時刻はまだ夜明け頃。

 さすがにまだ朝早すぎるため、冒険者の酒場にも人の姿はほとんどない。そんな店内の片隅で、二人の男がテーブルを囲み、小声でひそひそと話し合っていた。

 一人はラルフ。もう一人はチップ――以前にラルフが引率していた新人冒険者パーティの斥候だ。次の冒険に出る前に、どうしてもラルフに相談したいことがあるとチップには頼まれていたのだ。

 しかし、互いに忙しくてなかなか都合がつかず、空いている時間に合わせたらこんな明け方近くになってしまった。


「とにかく、不満の声を上げるのはドマが多いんっすよ。ダニエルのやつがやたらと危険な魔物退治にばかり行きたがるのが、特に気に入らないみたいっすね。ドマはもっとこう――隊商キャラバンの護衛みたいな、なるべく安全で報酬額が大きい依頼を受けたいってボヤいてます」

「それに関しては、もっと実戦経験を積めと焚きつけた俺にも責任があるな……すまん、迷惑をかけたな」

「いやいや、それは旦那が謝ることじゃないですって! ……大体、選り好みできるほど受けられる依頼は多くありませんし」


 声が大きくなりすぎたため、チップは慌てて後半の声量を抑えた。

 こうした内密の相談をするのには、人が少ないこの時間帯を選んだのはかえって正解だったなと密かに安堵する。


「この件は、仲間内ではどこまで共有しているんだ?」

「ミアには一度話しました。あいつはこういうのにすぐに気づいてくれるんで――でも、ミアは完全にダニエル派っすね。あいつも魔物退治みたいな、戦うことが予め分かっている依頼をもっと受けたいって言われました」


 チップは少し顔をしかめると、頭をかきながら言葉を続ける。


「セーラも、ダニエルとミアに同調することが多いっすね。ミアと同じく正義感が強いっすから……結果、いつもドマだけが孤立しちまうんで、俺はなるべくドマの意見に合わせるようにしてます」

「なるほどな、そのやり方は賢い。しかし、その多数決を続けていたら結果はいつも同じだ。根本的な意識が変わらない限りはその場しのぎにしかならないな」


 ラルフはチップの対応を褒めながらも、問題の先送りにしかなっていない現状について指摘する。

 パーティ内で誰かを孤立させるのは一番良くない。自分の味方が一人もいない状態が続けば、仲間を信頼するどころの話ではなくなる。だから言葉だけであったとしても、なるべく意見に同意することは大切だ。表面的であれ連帯感を意識させることができれば、その冒険の間だけでも共に乗り越えようという前向きな姿勢に繋がる。

 しかし、それで済むのはあくまで一時的にパーティを組む場合に限った話だ。固定でパーティを組み続けるのなら、表面的な連帯感では先々が不安すぎる。

 ラルフは考え込むように腕組みをして酒場の天井を見上げた。そして、自分ならこの件にどう対処するか思案を巡らせる。


「当たり障りがないところで言うと、依頼選びは交代制にすべきだな。ダニエルが受けたい依頼とドマが受けたい依頼を交互に受ける状態になれば理想的だ」

「……やっぱそうっすよね。一度、それをあいつらに提案してみます」


 チップは、一応は納得したように頷いた。

 その案は、実は自分も考えていた。

 しかし、我の強いあの仲間たちが素直にこの提案を受け入れるかは、正直疑わしいと思っている。チップは意見を言うのは得意だが、人を説得するのは苦手だった。


「できれば、ラルフの旦那にもう一度同行して欲しいくらいなんっすけど……」

「それこそ、その場しのぎにしかならないからな。俺がいる間は、ダニエルとドマは大人しくしているかもしれないが、俺がいなくなったらまた五人で抱えないといけない問題だぞ」

「……ですよねぇ」


 最初から無理だとは思っていたが、やはりこの提案は却下されてしまった。

 チップも分かっていた。自分たちの問題は自分たちで対処しないと本当の解決にはならない。分かってはいるのだが、疲れることには違いない。

 チップは小さく息を吐いた。


「チップも、あまり一人で抱え込むな。ミアにはもっと相談しろ。あいつはちゃんと説明すれば分かってくれるはずだ」

「えぇ、そうします……旦那、色々と無理なこと言ってすんませんでした」

「別に謝るようなことではない。前にも言ったろ、だから俺みたいなのがいるんだ」


 ラルフは首を横に振り、そんなことは気にするなという風に答える。

 当面の方針も決まったことだし、今日のところはひとまずこれで良いだろうと、テーブルに手を付いて立ち上がった。


「この件は、しばらく様子見だな。さっきの対策で上手くいくようならそれでよし。上手くいかないようなら、その時はまたなるべく早めに報せろ。時間のことは気にするな、どうにかして都合をつける」

「はい、そんときはまたよろしくお願いします」

「あと、どうにもダニエルが言うことを聞かないようなら言え。そっちは別件として俺から話をつける。安心しろ、お前から言われたということは伏せておくから」

「ははは、分かったっす」


 チップは乾いた笑い声を上げた。

 正直なところ扱いに困っているのは、確かにドマよりもダニエルのほうだ。

 ダニエルは自分の意見をほとんど言わないが、一つ何か言えばなかなか折れようとしない。ひとえに頑固者だ。

 結果、物分かりが良いドマのほうがいつも割りを食ってしまう。問題の根幹はそこであり、ラルフもそれを理解してくれていることにチップは安堵した。

 同時に、そうした仲間の性格の問題までラルフに解決してもらうのは、さすがに違うんじゃないかとも思っている。

 今日はこの後、仲間たちと此処で待ち合わせる予定の日だ。

 説得は苦手なのでどこまで上手くいくかは分からないが、仲間が集まったらまず開口一番にこの件について話し合ってみよう。チップはそう心に決めた。

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