第22話 おじ戦士、研究室にお邪魔する
「ミアか……」
知り合いの冒険者には違いないが、急いでいるこの状況でミアに出会うとは、タイミングが良いのか悪いのか。
「むっ、あのさー、人の名前をそういう風に呼ぶのは失礼だよ!」
「……そうだな、すまん。少しばかり立て込んでいてな、急いでいたんだ」
「えっ、なになに? もしかして欲しいもの買えなかったの?」
ミアはちらりと視線を上下させた後、首を傾げた。
俺がアイテムショップから出てきたにもかかわらず、手ぶらであることに気づいたのだろうか。俺が置かれている状況をすぐに言い当ててきた。
本当にこの娘の察しの良さには舌を巻くが、今は話が早くて助かる。
「そう、在庫切れと言われてな。しかしどうしても必要な物だから、知り合いの冒険者を当たってみるつもりだ」
「ふーん、何が手に入らなかったの?」
「黒ニスだ」
「……なにそれ?」
ミアが変な顔をして聞き返してきた。これはあれだ、意味の通じない冗談を聞かされた時の表情だ。
なぜ意味が通じなかったのかすぐには理解することができず、互いに変な顔をしながら、しばらく無言で向かい合っていた。
「ほら、あれだよ、エーテルがなんとかを消滅させるとかいう……」
「冥体対消滅用エーテル化促進剤?」
「それだ!」
人差し指でビシッと指さす。
断片的な単語の羅列から、例の難しい名前を一発で言い当ててくれた。
言いたいことが伝わって俺はすっきりしたが、ミアのほうはまだ変な顔をしている。
「なんで黒ニス……もしかして、色が黒い塗り薬だからそう呼んでるの?」
「そうだろうな」
彼女は突然の頭痛に耐えるように、眉間を押さえてうつむいてしまった。
なんだか、ものすごく恥ずかしいことを言った気分になってきたため、慌てて弁明する。
「いやいや、俺が名前を付けたわけじゃない! みんなそう呼んでるんだよ!」
冒険者の間で使われてるスラングみたいなものだから!
今までそれで話が通じていたから全然気にしていなかったが、ミアのように本当に冒険者に成り立ての頃には通じない呼称なんだな、黒ニスって。
「……うん、まあいいよ。その黒……ニスが無いから困ってるわけね?」
まだ若干の含みはあるようだが、ミアは黒ニスという用語を受け入れてくれた。
「そうなんだが、何かアテはあるか?」
「うん、まあアテというか、売り物以外を使わせてもらうようにお願いすることになるかなー」
「お願いするって、誰にだ?」
「私の師匠だよ――ついてきて」
そう言うと、ミアはアカデミーの廊下を奥へと進んでいく。
がむしゃらに探し回るより、ここはミアの言うアテとやらに期待したほうがいいかもしれないな。
そんな風に考えていると、その間にもミアはどんどん先に進んでいってしまった。慌てて後を追いかける。
「部外者の俺が、これ以上奥まで入っていいのか?」
「関係者同伴なら平気だよ。アカデミーって結構人の出入りが多いからねー、個々の研究室までなら顔パスで通じるの」
話を聞きながら、そうなのかーとは思うが、いまいちピンとこない。
その研究室とやらが一体どういう場所なのかが、魔法と縁のない俺にとっては未知の世界だ。
「その師匠とやらの研究室に向かっているわけか」
「そうそう――ここだよ」
すでに着いたらしい。意外と近かった。
頑丈そうな木製の扉に、何か文字が書かれている表札が張られている。魔法言語か何かだろうか、俺には読めない文字だった。
「師匠ぉー、ミアでーす、入るねー」
ミアは扉をノックをすると、返事も待たずにさっさと中へ入っていこうとする。
この娘、決して礼儀知らずというわけではないので、きっとそういう細かいことを気にしないフレンドリーな師匠なのだろう。そう思いたい。
「師匠ー、お客さんを連れてきたよ。お願いがあるらしいから、聞いてあげてくんない?」
ミアがさっさと部屋の中に入って話を進めてしまうため、とにかく俺も後に続いて部屋に入る。
室内には後ろ姿の人影が見えたため、挨拶をして頭を下げる。
頭を上げたときには、その人影はすでにこちらを向いていた。ミアの師匠とやらの顔がはっきりと見えた。
「……懐かしい顔だな」
「お主、ラルフか? 随分と老けたの、息災だったか?」
「あんたは全然変わらないな。最初に会ったときから、ずっと爺のままだ」
知った顔だった。昔よく見た顔だ、見間違えようもない。
その顔を見て、驚きと懐かしさも覚えたが、それよりも何よりも困惑したというのが正直なところだ。
「えっ、師匠って、おじさんと知り合いだったの?」
俺たちのやり取りを見ていたミアが、素っ頓狂な声を上げる。
やはり、彼女はこの爺からは何も聞かされていなかったらしい。
「まあな、わざわざ昔の冒険者仲間のことを弟子に語ったりはしないか、オズワルド?」
「他に教えることは山ほどあるからの、時間の無駄じゃ」
ミアの師匠――魔術師オズワルドは興味が無さそうにそう答え、再び俺に背を向けた。椅子に座って、何か書物を読んでいる最中だったようだ。
「ミアや、お茶を淹れてくれんか、一応お客さんじゃ」
「……はい、分かりました」
ミアは何か言いたそうな様子だったが、大人しく師匠の言うことを聞いて、部屋の片隅でお茶の準備を始める。
その間に俺は、オズワルドの傍らまで近寄った。
「会うのは十年ぶりか、いつ王都に戻ってきた?」
「三年ほど前じゃな。アカデミーに戻ったのは、つい最近じゃよ。それまでは王都の裏通りで私塾を開いておった」
「ミアがあんたの弟子と聞いて納得したよ。新入りのくせに道理でやけに筋が良いわけだ」
冒険中に見たミアの魔法は、冒険者としての実戦経験が無いとは思えないほど、見事なものだった。
熟練の魔術師であり、冒険者でもあったオズワルドが直接教え込んでいたのなら、それも納得だ。
「しかし、一体どういう風の吹き回しだ? 俺たちがどう引き止めてもまるで耳を貸さず、もう魔術のことは忘れて田舎で余生を過ごすの、一点張りだったくせに」
「さて、そんなこともあったかな。歳を取ると物忘れが多くなっていかんのう」
オズワルドはとぼけるような物言いを続け、俺と目を合わせようともしない。
昔からこういう態度を取るやつだということは承知しているが、さすがに少しイラっとした。
しかし、昔のことを今更ここで掘り返しても、確かに時間の無駄だ。個人的に言いたいことは色々あるが、今はそれよりもやらなければならないことがある。
「……オズワルド、黒ニスを持っていたら譲ってほしいんだ」
「黒ニス? なんじゃそれは?」
「冥体対消滅用エーテル化促進剤のことですよ、師匠」
お茶を淹れ終えたミアが、お盆に三人分のカップを乗せてやってきた。
「なんじゃその珍妙な呼び方は、名前から何一つ本質が伝わらぬ、センス無いのう」
「やかましい、あんな長い名前をいちいち呼んでいられるか。それよりどうなんだ、あるのか?」
「いや、ワシは持っておらんぞ」
「師匠、あるじゃないですか、実習で作ったやつが」
ミアはお茶の入ったカップを皆の前に配りながら、悪だくみをするような声でそう言った。
一方のオズワルドは、その悪だくみを聞いて眉をひそめる。
「あれは実習の評価のために作らせたサンプルじゃ。非正規品を世に出すのはマズいじゃろ?」
「品質的には何も問題ないですよー、どうせ解呪してから中身は捨ててしまうんでしょ? 勿体ないじゃないですかー」
ミアが頑張って説得してくれているが、話の内容からすると、どうもあまり合法的な代物ではないらしい。
俺が積極的にそれを欲しがってしまうと色々と問題がありそうなので、もう少し成り行きを見守ることにした。
「ミアよ、魔術は万物に等しくあるべき標だ」
「されど、錬金術は万人のためにあるべき導きです、師匠」
そして何やら、目の前で難しい議論が繰り広げられ始めたが、魔術師ではない俺には正直よく分からない。
渡されたお茶を大人しく飲んで、何も言わずにお茶を濁すことにする。ああ、お茶が美味い……。
「……随分と弁が立つようになったの」
いつの間にか、オズワルドもお茶の入ったカップを口に運んでいる。観念したのか、愉快そうな笑みを浮かべている。
「やはり、今の時代は若い者のほうが頼りになるようじゃ。ワシは物忘れが多くていかん――ミア、実習用の教材はお主が処分しておいてくれるか? ワシではこの後すぐに忘れてしまいそうでのう」
「分かりました、私が処分しておきますねー」
ミアはこちらを振り返り、会心の笑みと共にウインクを送ってきた。
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