第14話 おじ戦士、酔っ払いに絡まれる

 夜風が気持ちいい。

 酒で火照った体を冷ますには、丁度いい冷たさだった。

 酒場のざわめきを遠くに聞きながら、こういう静かな夜道を歩くのは割と好きだ。酔い潰れたミアを背中におぶっているわけだが、おかげでさほど足取りが重く感じることもなかった。


「今日はみんな、やけに飲むペースが早かったな。ここまで潰れるとは思わなかったぞ」

「ふふっ……」


 夜道を歩く間、何とはなしに隣を歩くセーラと話し続けた。

 お互いに酔っていることもあり、ほとんど意味のある会話にはならなかったが、そうした時間が妙に心地よかった。


「ミアも前より、はしゃいでたな。こんなに酔い潰れるほど飲むとは」

「たぶん、たのしかったんだと思います。あと、さびしかったのかも……」


 俺の背中で寝息を立てているミアを、優しげな目で見つめながらセーラは言った。

 夜風に当たって少し酔いが冷めたのか、セーラの足取りは先ほどまでよりもしっかりしている。


「さびしい、か」


 たしかに、こいつらとはこれでお別れだからな。

 冒険者の酒場か、この街のどこかで顔を合わせることはあるだろうが、冒険をともにする機会はもうほとんど無くなる。

 新入りにここまで親身になって接し、長く一緒にいたのは、俺も久しぶりだった。これからも次々に新入りの相手をしないといけないのだから、いちいち情を抱くのはあまり良いことではない。

 けどな、若いやつらが馬鹿みたいに張りきったり、うっかり無茶をしようとするのを見ると、つい手を差し伸べたくなってしまうものなんだ、おじさんって生き物は。


「……あっ、私たちの宿、ここです」


 いつの間にか、二人が泊まっている宿の前に着いていた。

 さほど大きな宿ではないが、周りの建物と比べても小綺麗な見た目で客層が良さそうだ。若い娘が泊まるには良い宿だと思う。

 酒場からさほど遠くはなかったが、セーラが一人でミアを引きずって帰るには厳しい距離ではあるな。


「……やっぱり、部屋まで運んだほうがいいか?」

「はい、私ではちょっと運べそうにないので……」


 お願いしますと、セーラは頭を下げた。

 まあ、そうなるよな。

 変な噂が立ちそうだから、できれば女の部屋には上がりたくないのだが、ここまできてそれは薄情だな。


 宿に入ると、店番していた店主と思わしき男が、好奇の目でこちらを見てきた。

 セーラは律義に挨拶をしていたが、俺は下手なことは言わずに黙ってやり過ごした。ミアを部屋に置いてすぐに出ていけば、変に怪しまれることもないだろう。

 セーラに鍵を開けてもらい、彼女たちの部屋へと入る。

 室内は薄暗い。窓から入りこむ月の光だけが唯一の灯りで、寝台が二つとテーブルが一つあるのが、かろうじて見える。シンプルな二人部屋だ。

 他にも、部屋の片隅に色々な荷物があるようだが、女の持ち物をあまりジロジロと見るのも失礼だから視線を外した。

 寝台付近の散らかり具合からして、たぶんこっちだろうなというほうにミアを寝かせる。


「やれやれ、これで肩の荷が下りた。セーラも疲れただろ、ゆっくり――」


 休んでくれ、と言おうとしたところで、後ろから誰かに抱きつかれた。

 いや、誰かといっても、この状況では一人しかいない。


「……どうした、セーラ?」


 何も言わないまま俺の腰に手を回して抱きつくセーラに、静かに問いかけた。


「ミアばかりずるいです……私だってがんばってるのに……」


 ぽつりと、セーラの口から不満の言葉が漏れた。

 普段の落ち着いている大人びた口調とは違う、年相応の娘の声だった。


「私にもごほうびください……」


 酔いで思考が鈍くなっている頭に、その甘い声がやけに響いた。

 背中から回されている華奢な手をほどき、正面を向かせる。

 薄暗い室内でも分かるほどに、セーラの頬は朱に染まっていた。それは酔いによるものだけではないだろう。

 美しい娘だ。本当に、美しいと思った。

 しかし、女として見るにはまだ幼すぎた。


「セーラ……」


 お互いに向き合ったままの姿勢から、セーラを抱きしめた。

 一瞬、ビクリと身をすくませたが、それを拒む気配は無い。


「……えらいぞ、よく頑張ったな」


 抱きしめると、ちょうど俺の胸のあたりにセーラの頭がきた。その髪にゆっくりと触れる。さらさらとした髪の感触が心地よい。髪を梳くように撫でる俺の手に、黙って身を委ねている。

 しばらくそんな静かな時間が流れた。

 そうしながらも頭の中で次の言葉を選んでいたが、陳腐な台詞しか浮かんでこないため考えるのを止めた。

 セーラを両手で抱きかかえ、もう一つの寝台へと運ぶ。運ばれている間もセーラは抵抗することなく、大人しく寝台に横たえられた。


「よく頑張った」


 もう一度そう言って、寝台で横になったセーラの頭を優しくなでた。

 セーラは夢の中にいるようなぼんやりとした目で俺を見ていたが、しばらくすると微笑みを浮かべながら眠りについた。

 小さな室内に、ミアとセーラの静かな寝息だけが聞こえる。

 眠っている二人を起こさないように、ゆっくりと扉の開け閉めをして、俺は部屋の外に出た。


 ※ ※ ※


 帰り際、店番をしている店主とうっかり目が合ってしまった。

 すぐに出てきただろ、何もなかったんだよ!

 目でそう訴えるだけで口には出さない。できるだけ平静を装って横を通り抜けた。

 宿を出ると、今度は自分の寝床へ帰るために、歩き慣れたいつもの夜道を進む。

 先ほどは心地よかった夜風が、やけに肌寒く感じる。


「そうかぁ……」


 歩いている最中、特に意味のない独り言が何度も口をついた。

 予兆はあった。自覚もあった。

 にもかかわらず、俺はこの期に及んで明らかに動揺していた。

 今になって、心臓が早鐘のように激しく打ち始めている。

 頭の中では、ひたすら一人反省会が続けられていた。


 あれでよかったのか?

 彼女に恥をかかせただけではないか?

 よく出来た大人の対応をしたつもりか?

 まだ幼さが残るあの体にむしろ惹かれていただろ?

 もっともらしい理由をつけて責任逃れしているだけじゃないのか?


 そんな自分の中でのせめぎ合いを、やけに冷めた目で外から見ている、もう一人の自分がいるのも感じる。


「度し難いな、我ながら」


 自分の孫とまでは言わないが、娘ほども歳が離れた相手に、何を考えているんだか。自虐的にそう割り切ってしまうと、妙に気持ちは落ちついた。その代わり、気分は少しも晴れなかった。

 遠くから聞こえてくる酒場の喧騒が、やけにわずらわしく感じられた。


「やはり俺だけ酒が足りてなかったか。失敗だったな」


 こんなに頭を悩ませているのは、酔っ払いになりきれていない証拠だ。

 ヘタに加減して飲んだせいで、あんな妙なことになってしまったのだろう。

 やはり慣れないことなどするものではないな。


「気を取り直して、どこかで飲み直すことにするか」


 ちょうど近くの酒場から酔客が出ていくのが見えたため、入れ替わりでそこに入ることに決めた。

 今日ばかりは酒の力を借りないと、とても眠れそうにない。

 おじさんにはね、一人で飲みたい夜もあるんだよ。

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