第575話 アドミラル平原の戦い

 リベラストラ郊外の荒地で、迷宮から上ってきたアスラン戦士団やバジルの民も合流することになった。妨害の可能性すら考慮しているものの、そういったことは全くなかった。

 それからすぐにカーミラはある場所への避難を提案する。



「ここです」



 目的地まではその日の内に到着した。そこはリベラストラ郊外にある開拓地である。まだ建設中、増設中の地区となっているため、人口はそれほどではない。一方で働き手は多い。特に奴隷たちは管理も杜撰なまま。

 よって大人数で入っても気に留める者すらいない。

 開拓地の中にある大きな酒場。

 そこがカーミラが連れてきた場所であった。ただし酒場には正面から入らず、後ろにある倉庫から中へと入る。カーミラが不規則に、しかしある符丁を意味するように戸を叩いた。



「……あんたは?」



 扉の小窓が開かれ、酒臭さが漂ってくる。

 それに対してカーミラは小さな金貨を取り出し、見せた。すると扉の奥で慌てるような気配がして、勢いよく開かれる。男は口の周りに食べかすを付けたままの薄汚い恰好で、扉が開かれたことでより一層強い匂いが漂った。思わず顔をしかめる者もいる中、彼はこびへつらいながら手招きする。



「まさかあんただとはな。もう国から出て行ったと思っていたよ」

「戻ってきたところです。それよりも『黒猫』に会わせてください」

「分かった。分かった」



 もはや怯えているのではないかと思うほど、男はカーミラに頭を下げ続ける。如何にも浮浪者な男が盲目の少女に媚びへつらっている様は、まさしく異様であった。

 しかし考えている暇はない。

 急ぎ、全員で扉の内側に入る。そこは小さな部屋になっていたが、全員が入ると男は荷箱をずらしてその下にあった鉄扉を持ち上げる。地下へ続く階段が姿を現した。



「何やらいかがわしい組織の匂いがしますね」



 ルゥナはずばりと言い当てる。

 だがカーミラは一切答えず、真っ先に地下へと降り始めた。他の者たちも初めは顔を見合わせていたが、ルーク、スルザーラと続いていくのを見て階段を降り始めた。

 階段は螺旋状になっていて、少々狭いが壁には明かりも埋め込まれている。そのため踏み外すような心配はない。しかも火ではなく、道具が光そのものを発しているのだ。皆それを珍しがっていた。



「カーミラ、ここは?」

「とある組織の隠れ家です。数年前までは私も顔を出していました。久しぶりですが、変わった様子はありませんね」

「組織?」

「私たちの協力者になってくれるかもしれない組織です。スウィフト家はもう頼れないでしょうから」



 そう言われてルークは思い出す。

 以前、カーミラは自分たちを匿ってくれる当てがあると語っていた。それがこの組織なのだろう。しかし同時に、もう一つ思い出してしまう。それはこの話が原因でネオンと喧嘩をしてしまったことだ。今でもネオンの言いがかりだと思っているし、彼女が怒った理由も全く分からないでいる。



(でも、結局話し合えないまま……)



 しかし思い出すほどに沸々と怒りが沸いてきた。



「というか俺って悪くないよな?」

「どうかしましたか?」

「あ、いや、何でもない」



 思わず口に出してしまうほどに。

 何度考え直しても納得できないが、それでもネオンのことは憎らしいとも思えない。悶々としたまま無機質に歩き続けていると、ルークが気付いた時には少し広めの部屋に立っていた。思考の海から戻ってきたのは、カーミラが手を叩いて注目を集めたからである。



「皆さん、理由も説明せず申し訳ありませんでした。ですがここならば安全だと思います」

「カーミラ殿、ここはどういった場所なのでしょうか?」

「今の帝国の体制に抵抗する組織です。私たちとは利害関係が一致しています」

「帝国内にもそのような組織が? 不勉強でした」

「もう間もなく組織の立役者が来ます。詳しいことは彼が来てから話させてください」



 そう言い終わらないうちに、部屋の扉が開かれた。全く音を立てずに開かれたので、中には気づいていない者もいたほどである。

 入ってきたのは若い青年であった。肉付きは悪くないが、鍛えられているようにも見えない。容姿も平凡で、次の瞬間には忘れてしまいそうな顔である。



「『黒猫』さん」

「や、『死神』。久しぶりだね」



 何だその物騒な名前は、と皆が注目した。

 しかしそんな質問は一切許されず、『黒猫』が話し始める。



「さて、ようこそ『アルナ』へ。ここは抵抗者たちが集まる場所。まずは仲間となる君たちをもてなそうじゃないか」



 彼が指を鳴らすと、部屋に食事が運び込まれ始めた。




 ◆◆◆




 サンドラ帝国の第二次侵攻において、主戦場となったのは主に四か所。その内、最も苛烈な戦いはアドミラル平原で発生していた。ここは帝都から封魔王国に向かうための最短経路となっている。アルゲリス公率いる軍が迎え撃つも、戦況は帝国側に傾いていた。



「報告ッ! 左翼に展開していたラディン千人隊長の隊が全滅しました! 敵は吸血種ノスフェラトゥ! 吸血種ノスフェラトゥの大部隊です!」

「おのれ!」



 アルゲリス公は怒りを露にして机に拳を叩きつける。卓上に置かれていた地図が一瞬浮いた。彼は今しがた、戦場より戻ってきたばかり。しかし疲れを見せつけない覇気と怒りであった。

 そして地図に手を伸ばした軍師が駒をいくつか取り除く。



「状況は悪くなっています。公が出れば一瞬は押し返せますが、地力が違い過ぎます。このままではじりじりと後退させられる一方です」

「私が休息している間、何としてでも持ちこたえるのだ」

「そのつもりです。しかし公お一人では限界があります。神器ルシス同化とて無尽蔵ではありません。既に公はどれほど体を捧げられたのですか?」

「……」



 地の利を用いた奇策も、事前に仕掛けた罠も、切札たる神器ルシス震戮アガレスも使った。それでもサンドラ帝国の勢いは衰えることを知らない。数は無尽蔵に思えるほどで、また魔族兵や吸血種ノスフェラトゥは不死身に思える再生力を有している。

 何よりアルゲリス軍を苦戦させたのは古代兵器の存在だった。



「公、全滅した左翼には古代兵器も確認されております。あの黄金域の番人と呼ばれるものです」

「あれか……」

「既に公が四機破壊されましたが、また新たに五機出現したと報告がありました。こちらの攻撃は歯が立たず、そもそも近づく前に焼き尽くされてしまいます。公は優先してこれを叩いてください」

「ならば吸血種ノスフェラトゥ共はどうする?」

「僭越ながら陛下に要請を出しております。間もなくご到着されることかと」

「ふん。それしかあるまいか」

「はい。公はまず体を休めるべきです。休むことも、また戦いですから」



 軍師は主人を奥の天幕へ行くように願う。

 もう日も暮れる。翌日に向けて体力を回復させなければ明日も持たない。綱渡りのような戦の終わりも見えない。




 ◆◆◆





 アドミラル平原に動員された吸血種ノスフェラトゥは千人だ。しかしその多くは指揮官として参戦しており、実戦に投入される人数はもっと少ない。しかしその少数でさえも大戦果を挙げられるほど、優れた吸血種ノスフェラトゥたちである。

 精鋭たる紅の兵団ほどになれば一騎当千、万夫不当。文字通り、たった一人で千人にも万人にも匹敵する。



「ここは私たちの勝利だ! 皆、血を啜っておけ。回復してこのまま夜襲を仕掛ける」

「エナさん、流石に疲れましたよぉ」

「軟弱な奴だな。それでも紅の兵団か! さっさと血を取り込め!」

「はぁい」



 たった三十人だ。

 エナという吸血種ノスフェラトゥが率いるたった三十人で、アルゲリス軍左翼の千人隊を殺しつくした。あたり一面は血の海となり、鉄臭さが鼻を突く。しかしこれらは吸血種ノスフェラトゥにとって甘露のようなものだ。

 疲労した吸血種ノスフェラトゥたちは手をかざし、近場の血液を吸い上げていく。腕の皮膚が裂けて、そこに向かって血が吸い込まれていった。



「ふん……回復した」



 軽く拳を握り、エナは呟く。

 これが吸血種ノスフェラトゥの恐ろしいところだ。ただでさえ死ににくく、膂力も魔力も人間より優れている。それに加えて敵を殺し、血を啜ることで体力も魔力も回復させてしまう。それどころか血液量次第では強化してしまう。

 だから吸血種ノスフェラトゥに対して軍隊をぶつけるということは、餌を与えて暴れさせるようなもの。



「末恐ろしいものだな。吸血種ノスフェラトゥ



 不意に空から声が響く。

 今まで全く気配がなかったのに、いきなりだ。エナは勿論、他の吸血種ノスフェラトゥたちも勢いよく見上げた。

 そこにいたのは一人の男。それも空中に立っている。



「貴様は何者か。神器ルシス使いというやつか?」

「ああ、そうだよお嬢さん」

「人間にお嬢さんと呼ばれるような歳ではない」

「失礼。そういえば吸血種ノスフェラトゥは長生きだったね」



 まるで道端の女性を口説くような、柔らかな笑顔と言い回し。戦場の中とは思えない緩み具合である。エナは手元に血を集め、武器を為した。



神器ルシス使いは封魔連合の重要人物ばかりだ。討ち取れば戦況も更に有利となろう」

「俺はそれほど簡単ではないよ」

「所詮は人間だ」



 エナは軽い跳躍で男のすぐ傍まで迫る。そして武器を振り下ろした。

 九つに分かれた血の色の鞭が男を引き裂こうとする。それは鉄の鎧すらも破壊し、人体を粉々にすることだろう。これまでの戦いで何度も経験したその感触が、今度ばかりはなかった。



「危ない危ない」

「ちッ……避けたか。それがお前の神器ルシスの能力というやつか?」

「そうだね。天駆ウラヌスという」



 男は肩にかかる羽衣に触れながら神器ルシスの名を教える。つまりそれこそが神器ルシスということだろう。透けるほどに薄い羽衣には青い宝石が散りばめられており、まるで夜空の星のようだ。

 よくよく見れば額には第三の眼トレスクレアまで開いている。つまりこれは同化した神器ルシスの能力ということだ。



(空を飛ぶ能力か。炎帝陛下の神器ルシスに比べれば大したことのない力だ)



 着地し、すぐ見上げたエナは血の鞭に魔力を注ぐ。すると九つに分かれた鞭はひとりでに動き出し、更にその長さも増した。



九血条きゅうけつじょうよ。閃け」



 鞭の先端それぞれから稲妻が発生し、それが男へと殺到した。

 雷撃は容易く人間の命を奪い去る。この血晶武装のお陰で彼女は無双を誇ったのだ。男の命もまた容易く散ると思われた。



「ぐッ……」



 雷の速度は人間の反応を容易く上回る。見てから回避はまず不可能だ。男は胸を雷撃で貫かれ焼けた肉の匂いを漂わせる。即死し、そのまま墜落する。エナはそんな未来を予測していた。

 しかしこれは外れてしまう。

 男は何事もなかったかのように息をしていた。



「驚いたな。雷霆花ユピテルみたいな能力もあったのか」

「馬鹿なッ! あれを受けてなぜ生きていられる!?」

「ん? 俺の身体は特別製でね。昔から頑丈なんだ」

「たわけッ! そんな馬鹿な理由があるものか! 雷だぞ! 天の火を受けて……そんな馬鹿な話があるか!」



 混乱する彼女を見て男は笑っていた。



「ああ、そうだ。俺の名乗りを忘れていたな。俺はアポロヌス。封魔連合王国の王。そして地獄域を知り尽くした迷宮の覇者にして冒険王。こんな程度の攻撃は昔から慣れているさ」

「貴様が……封魔の王、だと」

「さて、反撃といこうか。俺の魔力を捧げる。同化しろ、麗讃飾ウェヌス



 アポロヌスは右腕を掲げた。

 その手首にある黄金の腕輪が輝き、彼の頭上に光の環が生じた。その天輪が一層輝くと同時に、周囲は昼間のように照らされる。するとエナは全身から力が抜けて、思わず膝を突いてしまった。



「なッ……」

麗讃飾ウェヌスの能力は魔を滅ぼす光。どうやら吸血種ノスフェラトゥにも有効らしいね。思った通りだよ」

「ば、馬鹿な……二つ目の、同化だとッ!」



 エナは驚きを隠せない。

 するとアポロヌスは小さく笑みを浮かべた。



「もう少し驚かせようか。俺の魔力を捧げる。同化しろ――」

「ありえないッ!」

「――火滅マルス晶鱗具メルクリウス



 もはや開いた口が塞がらない。

 彼の両手両足は結晶に覆われ、それは手甲、具足となる。また右手には火炎をまとう大剣が握られていた。



「四重の、同化……」



 迷宮神器アルミラ・ルシスとは巨大な力だ。ただそのまま操るだけでも一つ強力な魔術を得たようなもの。そして同化すれば無尽蔵に回復する魔力を得て、大自然を揺るがすほどの力を得る。炎帝もまた、そのような神器ルシスの使い手だ。

 しかし同時に大きなリスクもある。

 特に同化は肉体に対して負荷を強いるため、長時間の使用は危険だ。適合率次第な部分もあれど、決して無視できる要素ではない。まして二つ以上の神器ルシスと同時に同化するなど、正気とは思えない。



「俺がどうしてただの冒険家から、巨大な国の王になれたと思う?」



 アポロヌスは問いかける。

 エナは、吸血種ノスフェラトゥたちは後ずさりする。



「答えは単純だ。俺は強い。途轍もなく強い。俺の肉体は多少の傷をものともせず、神器ルシスとの多重同化を可能とする」

「ば、化け物かッ!」

「違うな。化け物はお前たちだ」



 天より爆炎の斬撃が降る。

 魔を滅ぼす光に満たされ、力を削ぎ落された吸血種ノスフェラトゥたちを灼熱が焼いた。



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