第523話 紡ぐ叛威
ノスフェラトゥは体の隅々まで充実していることに気が付いた。
彼女にとって最後の記憶は得も言われぬ良い香り。そして次の瞬間には死にそうなほどの空腹もなくなり、目の前には干からびた死体が大量にあった。
何があって、どうしてこうなったのか、分からないわけがない。
(食べてしまったのですね。私が)
背後で小さく金属の擦れ合う音がした。
振り返るまでもない。彼女にはオスカーが武器を向けている姿が知覚できていた。
「あなたは……魔族なのですか?」
「いいえ。私は
「人を喰らう化生を魔族というのです。人のものではない異能も、不死性も魔族の特徴です」
「違います」
「そのような言葉を信じられるはずがないでしょう!」
オスカーは強く言い放ち、刃を首に突きつけた。
その時、僅かにノスフェラトゥの肌へと触れてしまい、皮膚が裂けて血が流れ出る。しかしながらその傷は一瞬にして塞がり、流れた血は時間が逆流したかのように傷の内側へと戻っていった。
「その不死性も、絶大な魔力も、恐ろしい異能も、何より人を喰らう特徴も! 全てが魔族を示すものではありませんか! あなたはいったい何者だというのですか!」
今までも疑念はあった。
もしかすると魔族なのかもしれないと思っていた。しかしラヴァという敵を前にしてそのようなことを気にしている余裕はなく、意識的に考えないようにしていた。全てを明らかにするのは強大な敵を葬ってからでも良いだろうと思っていた。
だが、人間の犠牲者が出てしまったならば見過ごせない。
魔族を狩る者として、聖石寮の第一席として、その存在意義を果たさなければならない。
「答えてください!」
「私は確かに人間ではありません。ですが私が何者であるか、それは私も知りたいことなのです」
「……どういう意味ですか」
「私には記憶が欠けています。気が付けばこのような存在になっていました。私は一つの都市を滅ぼし、そこで冥王様に拾われたのです」
「な……っ」
情報量の多さに驚き、オスカーはつい後ずさりしてしまった。
記憶がない、都市を滅ぼした、そして冥王に拾われた。どの一つを取っても見過ごせない。特に後の二つはオスカーにも縁のあることだった。
(滅びた都市といえばヴァルナヘルですね。あの地に散らばっていた赤い結晶も、思えば彼女の能力に似ています。だとすればあの地で発生した赤い人狼も……それに冥王といえば初代聖守様が伝え残した厄災の『王』であるはず。まさか全ては冥王アークライトが絡んでいるというのですか!?)
衝撃的な事実は彼から戦意を奪っていく。
ノスフェラトゥが隠していた秘密は想像を遥かに超えるものだった。またしっかり考えることによって冷静さを取り戻すこともできた。思えばまだラヴァとの戦いは終わっていないはずなのだ。だが今も継続して戦いの音が鳴り響いている。
いったい誰が戦っているのかと、そちらに目を向けて、再び驚愕させられた。
「あ、あの男を翻弄している!? 何者ですか!」
「私を助けた方。冥王様です」
「あれが冥王……」
ノスフェラトゥとしては聞かれたから答えた、というだけのつもりだった。しかしオスカーからすれば理解不能の連続である。これほどまで取り乱したのは初めてではないかと思うほどのことであった。
だが実際、オスカーの知る冥王の姿とも一致している。
初代聖守スレイは『冥王に気を付けよ』という言葉と共に、冥王の姿を絵として残した。その資料は今も聖石寮に伝わっており、オスカーも見たことがあったのだ。
「魔物の最高峰……そしてプラハ帝国では神として崇められる存在。何という魔力ですか」
魔術の発動は大聖石に頼っているため、実を言えばオスカーの魔力最大値はそれほど大きくない。神器同化による
だが多くはないといえど、聖石寮の中ではトップクラスではあった。あくまで魔族などと比較して大した魔力量ではないという話である。
ところがオスカーの感じ取れる冥王アークライトの魔力量は底知れない。
あまりにも大きすぎて、具体的な表現が見当たらないほどだ。それはまるで海の水の総量を目算するようなものである。
冥王はオスカーが見たこともない魔術を駆使して、その場から一歩たりとも動くことなく攻撃し続けている。それは馬鹿げた技量に見えた。
「私は行きます。あれは私が戦わなければいけません」
「あの戦いに飛び込むというのですか? あなたは確かに強いですが、今の実力では……」
「理解しています。私では力が足りないのでしょう」
だったらどうしてそのような行為に走ろうとするのか。
オスカーにはまるで分らないことだった。確かに引けない戦いというのは存在する。だがこの戦いはそのように見えない。実際、化け物蛮族は冥王アークライトの手によって討ち滅ぼされようとしている。このまま眺めていれば、いずれはラヴァも倒されるだろう。
何より、冥王の戦いに手を出す気になれない。
しかしノスフェラトゥは本気だった。
「これは私が行くべき戦いです。私が何者であるかを知るための戦いですから」
「失った記憶のことですか?」
「いいえ。私にはもはや過去など必要ないでしょう。私はただ、私がどうあるべきなのかを知りたい。そう思っています。ですから、これはもう必要ありません」
ノスフェラトゥは懐から小さな黒い石を取り出す。
それはヴァルナヘルの全てが封じ込められた記憶の石。失われたノスフェラトゥの記憶もその中に入っている。だが謂わば魔力の塊なのだ。それもブラックホール
彼女はその石を口元へと持っていき、そして飲み込んだ。
その瞬間、心臓のようにノスフェラトゥの身体が鼓動した。膨大な魔力の塊を取り込んだことで肉体が変質し、それに適応しようとしているのである。これほどの魔力は人間では耐え切れない。だがノスフェラトゥは始祖吸血種だ。寧ろ効率よく魔力を取り込み、その魂を高次元のものへと進化させる。
「この魔力……これではまるで業魔族……」
思わずオスカーがそう漏らしてしまうほど、ノスフェラトゥの魔力が急激に上昇していた。魔力を溜め込む器そのものが広がり、更には脳の機能も拡張される。根源量子の世界から魔力を呼び込む能力に目覚めたのだ。
つまりノスフェラトゥの魔装はここで覚醒した。
本来であれば強い感情などをトリガーとして壁を越えるのだが、それが不足しているノスフェラトゥは莫大な魔力を瞬間的に取り込むことで無理やり覚醒に至ったのである。覚醒という素養がなければ死んでしまう、非常に危険な賭けでもあった。だが彼女は生まれ持った才能と、吸血種の肉体を以てして乗り越えて見せた。
これはノスフェラトゥの魔装を強化すると同時に、
「細胞崩壊……中和。暴走の心配もなさそうですね」
赫魔細胞による自己崩壊を抑え込むことに成功した。そもそもノスフェラトゥの能力は赫魔細胞によるものと、魔装によるものの複合である。これまでは赫魔細胞の力があまりにも強く、それは吸血衝動にも表れていた。
だがここで力関係が完全に逆転した。
血を操る魔装が覚醒し、魔装により赫魔細胞を支配するに至った。赫魔細胞を自壊させないように抑え込み、同時に空腹による吸血衝動も低下することとなったのだ。
自分の力を確かめたノスフェラトゥは、一方的にやられ続けているラヴァの方へと目を向けた。
「行くのですか。あの戦いの中に」
「そのために過去は捨てました。私は未来を拾うため、戦います」
その答えは今までのように機械的ではなく、確かな感情が込められていた。
◆◆◆
ラヴァにとって一方的に攻撃され続けるという経験は初めてのことであった。これまでの戦いは全て蹂躙してきた。どのような攻撃も骸殻は弾き、逆にラヴァの攻撃は一撃で敵を仕留める。だが初めて、それが通用しない敵が現れた。
つまり冥王アークライトという高みを目の当たりにした。
「が、ァ……」
「まぁこれで終わりか」
シュウからすればわざわざ《魔神化》を使うまでもない相手だった。そもそも《魔神化》は『王』の魔物を想定して生み出した魔法の応用である。如何に覚醒魔装士が相手とはいえ、よほど急いでいない限りは必要のない術だ。
それこそエネルギー奪取の死魔法と通常魔術でこと足りる。
ラヴァは全ての骸殻を剥がされ、全身を闇属性の不定形物質で貫かれていた。再生と言えるほどの自己治癒能力もあってまだ死んではいないが、それも時間の問題かと思われた。
「その胸の痣……呪いか。
全身を貫かれたラヴァの胸には黒い模様がある。それは胸の中心から広がり、蜘蛛の巣のような罅割れとして四肢にまで及ぼうとしていた。
無意識のうちに呪いを抑え込むために使っていた力を、今は再生へと注ぎ込んでいる。そのために呪いを食い止めることができないでいたのだ。じわじわと黒い痣は広がり続けており、それによってラヴァの力も低下している。今では骸殻の魔装を発動する余力さえない状況だった。
「グオオオオッ! オオオオオオオオオオオッ!」
「あまり苦しませるのも酷か」
シュウは側まで近づき、その黒い痣の中心へと指先を触れさせる。
そして死の魔力を込めてゆっくりと押し込み始めた。
「如何に太陽型ステージシフトとはいえ、心臓を抉られれば死ぬだろ?」
「グガァッ!? 止め……」
「楽にしてやる」
大量の血が飛び散り、シュウの身体を汚した。
ラヴァは大きく一度震えた後、動かなくなる。間違いなく心臓を潰したのだ。驚くべきことに心臓を潰した直後は再生しようとしていたのだが、流石にそれは為されなかった。如何にラヴァでも、完全に破壊された心臓の復活までは至らないらしい。
優れた肉体ではあるが、結局は人間ということだった。
丁度そこにノスフェラトゥがやってくる。
「……終わってしまったのですか」
「手間取り過ぎだ。少なくともお前では手が付けられん相手だった」
「残念です」
「覚悟を決めたか。覚醒したようだが、もう少し早ければノスフェラトゥだけで勝てたかもしれん」
そう言いながら、シュウはラヴァから手を引き抜いた。
大きくポッカリと空いた胸の穴からは大量の血が噴出する。同時にラヴァを縛り付けていた不定形物質の棘も消失し、その巨体が床に投げ出された。ラヴァを中心として大量の血が池のように広がっていく。
ノスフェラトゥは無言でその血液を取り込み、血の補充をすることにした。
「雰囲気が変わったか?」
「少しだけ」
「お前の方にも気を向けていた。記憶の石を呑み込んだようだな。良かったのか?」
「昔のことを思い出したとしても、元には戻れません。記憶の石を見て分かりました。あの都市で私は人間から吸血種に変えられてしまったと。それに吸血種の実験は奴隷を使って行われていました。つまり私も奴隷だったということ」
「だから過去を追う意義を失ったと?」
「過去よりも未来を追うことの方が有意義だと思っただけです」
「自分のやりたいことができたのか?」
「はい。私は――」
しかしそこで会話を止めざるを得なくなった。
なぜならば突如としてラヴァの死体から黒いオーラが立ち昇ったからである。それは炎のように膨れ上がったかと思うと、すぐに収束して細い糸のようになり全身へと巻き付いていく。すると倒れていたラヴァは吊り上げられたかのようにスッと立ち上がった。巻き付いた黒い糸の片側は上方の虚空へと繋がり、まるで傀儡として操られているかのようであった。
またシュウによって貫かれた胸の穴からはドロリとした黒い液体が流れ、呪いの痣は蜘蛛の巣の形状となって全身にまで一気に広がった。
「下がれノスフェラトゥ」
「はい」
シュウはノスフェラトゥの前に出て即座に《魔神化》を発動する。
間違いなく死体であった。だから生き返ったということはあり得ないはずである。しかしここでシュウは気が付いた。
(まだラヴァの魂が煉獄に流れていない。こいつの魂はまだラヴァの中にある!)
目を凝らすと、ラヴァの魂は黒い糸のようなもので雁字搦めにされていた。死魔法で強制的に魂を抜き取ろうとしても、その糸がラヴァの肉体から離さない。
魂に作用する死魔法が通用しないということは、その糸は同じ魔法に由来するということである。
『oLm xVul dF NmqdR』
「また虚無の住民か……」
これまで影も形もなかった存在がくっきりと明確になった。
魂を縛り付けられ、
骸殻の魔装が発動する。
樹木の如くラヴァの背中から大量の骨が伸びて絡まり、組代わっていく。そこに黒い糸が絡みつき、結びつき、やがて一つの形を為した。
「あれは……蜘蛛か?」
「冥王様、何が起こっているのでしょうか」
「さぁな。だがあの黒い痣……ただの魔力障害ではなかったらしい」
こうしている間にも骨の蜘蛛は完成していく。八本の脚は一つ一つが鎌のように鋭く、幾重にも重なった骨の装甲はそれ自体が武器になるほど刺々しい。頭部には雄牛のような角が生えて、鋭い牙も並んでいた。
目の部分が暗く光る。
それぞれの関節には黒く粘着質な魔力が付着し、柔軟な動きを可能とした。
骨蜘蛛に対してシュウは尋ねる。
「お前の名は何という?」
『
「……アトラク・ナクア、でいいのか?」
『VhR hXo joYN dF?』
「シュウ・アークライトだ。お前は元の世界に戻れ。ここはいるべき世界ではない」
『mGqEr. TolKEviNw dF Nm hXo beheR』
「受肉のため戻る気はないと?」
『RosC』
「そうか。戻る気がないなら、ここで滅ぼす」
その言葉と同時に骨蜘蛛は真っ二つに裂かれた。
しかし二つに分割されたそれらの断面に黒い糸のようなものが無数に現れ、結びつき、その断面を接合してしまう。シュウは続けて《
また骨蜘蛛だけでなく、死体であるはずのラヴァも動き始める。
全身に黒い糸が絡みつき、傀儡のように操られているのだ。
「そちらは任せるぞノスフェラトゥ」
「わかりました」
操られているラヴァの中にはまだ魂が残っている。ただ
ノスフェラトゥは瘴血の霧を放ち、一部を液体化して血の津波を発生させた。それによってラヴァを押し流して距離を取る。これはシュウにとってもありがたい。
「《魔神化》……
黒い術式が空間を侵食し、この世界に冥界を部分顕現させる。冥界の内部にさえ取り込んでしまえば虚無の『王』とて問題はない。それは
(虚無は物質によらない世界の精神的存在。つまり依り代がなければこちらの世界に留まれないはず。骨蜘蛛の身体とラヴァの肉体を滅ぼせばいい)
物質のエネルギーを完全分解してしまう
あらゆる物質エネルギーを奪い去る
「だめか。《
ニブルヘイム顕現による受肉体の剥離は何かの呪詛で無効化されてしまった。であれば別の方法で破壊するしかない。あらゆるエネルギーを殺し、根源量子へと還元する死魔力が溢れだした。制御の難しいそれを術式で繋ぎ止め、多重に並べた術式円環の上に配置する。
シュウの周りに展開した黒い術式はそれ自体が冥界の第三層、
しかし骨蜘蛛はバラバラに分割された後、糸のように細く解けていく。それらの糸は確かな意思を以て再び紡がれ、元通りの骨蜘蛛を形成した。
「こいつ」
『
シュウの周りに黒い糸が張り巡らされる。
次の瞬間には指先どころか眼球すらも動けなくなっていた。
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