第62話 対死神
スバロキア大帝国はスラダ大陸で最大の版図を誇る。その分だけ支配しなければならない土地も多く、貴族の数も多くなる。そして数が多くなれば、腐る確率も増える。
『死神』シュウに暗殺依頼をされた貴族も、腐敗した貴族の一人だった。
「あの家か」
静まった帝都アルダールの夜。フードを被って顔を隠した『死神』シュウ・アークライトは貴族の屋敷が並ぶ区画で呟いた。振動魔術の応用で姿を隠し、道を歩く。帝都の中で魔術や魔装を不用意に使えば捕縛されることもあるのだが、要するにバレなければ良いのだ。隠蔽の無系統魔術で魔力を隠しているため、誰もシュウの姿に気付かない。
霊化すれば壁もすり抜けられるし、本当の意味で透明となったのである。
暗殺には便利だ。
(行くか)
ここからは声を出さない。
振動魔術で声も消すことは出来るが、誰もいないのに声を出す意味はない。独り言は心の内で十分だからだ。余計なことをして余計な魔術を使うのも無駄だからである。
既にデータは頭に入っている。
当然ながら、屋敷のどこにターゲットの寝室があるのかも。
(屋敷の見取り図からして……あの部屋か)
霊化して浮遊し、窓をすり抜けて屋敷に潜入する。ベッドには眠っている男がいた。腐敗貴族というからには太った不細工をイメージしていたのだが、思ったよりも締まった体つきをしている。
尤もシュウに男を観察する趣味はない。特に凝視することなく手を伸ばした。
(『
ギュッと手を閉じて死魔法を発動する。あらゆるエネルギーを奪い取り、生物無生物問わずに死を与える魔法だ。法則そのものとなったシュウの力により、貴族は死ぬ。生命力から魔力に至るまですべてを奪われ、貴族の心臓は止まった。
(後は首の回収か)
分解魔術で分子結合を破壊し、頭と体を切り離した。シュウは実体化した後、振動魔術を解除して首を袋の中に収納する。そして影の精霊を呼び出した。
(それを持って行け)
蛇の形をした影の精霊は、影の空間を自由に行き来できる。そして影の精霊が管理する影の世界では、無限とも言える容量の荷物を収納することが出来る。流石のシュウも血の匂いが染みついた首入りの袋を持ち歩くわけがない。
だから、ここで影の精霊に証拠となる首を渡したのだ。
このまま黒猫の酒場に持って行かせれば楽なので一石二鳥である。
(さて、帰るか)
シュウがそんなことを考えた時、足が動かなくなった。
突然のことでシュウはバランスを崩し、転んでしまう。柔らかい絨毯のお蔭で大きな音は出なかったのだが、足が重くなっていた。見ると足が石のようになっている。実際に触ってみると、本物の石そのものだった。
「これは……」
両足の石化。
魔力の気配は感じなかったので、トラップの類ではないだろう。つまり、人為的に魔力を隠していたことが原因だと分かる。
シュウは警戒した。
そして、それに応じるかのように五つの気配が現れる。
男が一人に女が四人。
「凄い。隊長の作戦通り『死神』が来た」
少女の一人が口を開く。その瞳には強い魔力が感じられた。どうやら置換型の魔装らしい。目の部分が魔装として入れ替わっているのだ。
そして彼女は再び目を光らせる。
「……こいつ、凄い魔力。私の魔眼が通用しなくなった」
『魔眼』のミスラ。
彼女は魔装の力により、シュウの足を石化させた。レイヴァン隊の隊長ルト・レイヴァンが『死神』をおびき寄せるために依頼を発注し、罠にかけた。この屋敷の貴族が腐敗していたのは本当のことだが、それを利用して『死神』をおびき寄せることが出来るのならば一石二鳥だ。
貴族が暗殺されたのを見計らい、ミスラの石化で捕縛することが作戦だった。
しかし石化の力は、自分よりも強大な魔力を持つ相手に通用しない。
魔力を抑えていたシュウに少しは通用したが、それ以上は効かなかった。
(面倒な)
フードの中でシュウは小さく呟く。しかし面倒というだけであり、困ってはいない。
何故ならシュウは霊系魔物だ。
本来は実体のない
「全く……罠だったとはな」
流石に暗殺業を始めてから初の経験である。闇の世界故に裏切りは常だったが、国家レベルの陰謀で殺されそうになるのは初めてだ。
とはいえ、慌てる必要はない。
「隊長、どうする?」
「案外簡単に捕まったわね。『死神』なんて私たちにかかればこんなもんよ!」
「油断しないで。『死神』は死んだわけじゃないわ。次はどうしますか隊長」
三人の少女が次々と口を開き、隊長と呼ばれた女に目を向ける。『死神』という暗殺者を前にして大した油断だが、これは彼女たちの自信でもあった。Sランク魔装士である自分たちが簡単に負けるわけがない。Sランク魔装士が五人も集まって逃げられる訳がない。そんな自信ゆえに、眼を離すという愚行を犯した。
『死神』討伐を想定したレイヴァン隊。
彼女たちの自信は隊長ルト・レイヴァンの強さにもあるのだが。
そして、シュウは聞き逃さない。
(隊長とやらを殺せば簡単に逃げられそうだな。『
大量の生命力を魔力として奪う。それが死魔法だ。
簡単に『死神』が捕まったことで油断したルトは、死魔法によって生命力が抜ける。
「くっ……な、に」
急激に力が抜けたルトは膝をついた。
そしてここにいた四人の部下、『魔眼』のミスラ、『無限』のエリナ、『反鏡』のユーリ、そして『炎竜』のアイクは驚いた。いきなり隊長であるルトがダメージを受けたのだから驚くのも無理はない。
そして驚いたのはシュウも同等だった。
(こいつ! 覚醒魔装士か!)
死魔法は一撃で命を奪いとる。それで奪い取れないのは覚醒魔装士だけだ。
覚醒魔装士は世の理から外れ、無限に自己回復する魔力を手に入れた。食事を取り、休息して初めて回復する魔力が自動で回復するようになったのだ。更には不老という人知を超えた存在にもなっている。
死魔法では一撃で殺せない。
死という概念によって対象を滅ぼす死魔力でなくてはならない。
「隊長に何をした!」
少年、アイクが魔装を発動してシュウに襲いかかる。腕に火炎竜を憑依させ、部分的に炎の竜腕を顕現させた。燃える竜腕はアイクによって操作され、巨大化してシュウを握り潰そうとする。
シュウはそれを死魔法で対処した。
燃える竜腕も所詮は魔装だ。シュウがエネルギーを奪えば消失する。
「なにっ!?」
アイクは父親であるシュミットが『死神』に殺された時、その場に居合わせた。敵討ちとしてシュウに炎魔術で攻撃したのだが、その時も魔術が突然消失する現象を体験している。
魔力攻撃を無効化する魔装なのではないかとアイクは予想した。
「サディナに連絡しろ! 屋敷に結界を張れと!」
「はい」
膝をついたルトはエリナに命令し、エリナは通信魔道具で『天空』のサディナへと連絡する。サディナは翼を顕現して空を飛ぶ拡張型魔装士だ。得意とする魔術で空から一方的に攻撃する。
今回は屋敷の空で警戒をしていた。
命令はサディナに伝わったのか、陽属性の魔術が発動する。回復や結界の性質を持つ陽属性が広く展開され、屋敷をドーム状に覆った。『死神』を逃がさないつもりなのである。
その間にシュウも行動していた。
(俺が魔物であることは隠した方が賢明か……)
霊化すれば石化を即座に解除して逃げられる。しかし、シュウが魔物であることを隠すために、今は別の方法をとることにした。
振動魔術で眩いばかりの光を発生させた。
凄まじい閃光に五人は目を焼かれ、ホワイトアウトする。
「く! 逃がさないわ!」
視界を失ってもルトは魔装を展開し、重力によって『死神』を捕えようとした。しかし、シュウは既に霊化して透明化魔術も使っており、重力の影響は受けない。
視力が回復したとき、『死神』の姿はなかった。
「……逃したわね」
「魔眼で足は石化していた。なんで?」
「私が鎖で縛っておけばよかったわ」
ルトは苦々しい口調で呟き、ミスラとエリナも渋い顔をする。ユーリは何もできなかったことで気まずい雰囲気を出していた。
すると窓が開けられ、外で警戒していたサディナが顔を出す。翼で空を飛んでいるため、この部屋が三階にもかかわらず顔を出すことが出来た。
「隊長。結界が破られましたわ!」
「そうか。完全に逃げられたということだな」
暗殺者というイメージが先行して、直接戦闘能力は低いと見積もっていた。しかし、予想以上に『死神』の能力は高い。隠密能力は勿論、魔装や魔術の力もかなりのものである。
「アイクの魔装を無効化し、最後は陽魔術のようなものも使っていたな。多彩な奴だ」
ルトは『死神』に対する認識を改める。世に出回っている噂は尾ひれの付いたものだと思っていたが、どうやら過大評価ではなかったらしい。
囲んだから、足を石化させたからと油断していれば、次も逃げられてしまうだろう。
皇帝からの命令は『死神』の始末だ。捕縛できればそれに越したことはなかったのだが、殺すつもりでなければ任務を達成することも出来ないだろう。
「方針を変更するわ」
隊長の宣言にアイク、ミスラ、エリナ、ユーリ、サディナは目を向ける。
「次で『死神』を殺しましょうか。捕らえるのは止めね」
皇帝ギアスの思惑としては、『死神』を捕えて手駒とし、スバロキア大帝国の力を増強させることが第一にあった。闇組織・黒猫で幹部を務め、大帝国と
期待できる大戦力と言える。
陰属性の呪いで縛れば、あっという間に厄介な
(どんな風に『死神』をおびき寄せようかしら? 警戒されてしまっただろうし、悩みどころね)
燃えるような復讐の眼をしたアイクを眺めつつ、ルトは思案した。
◆ ◆ ◆
「ただいまアイリス」
「あ、おかえりなのですよ」
帰宅したシュウは今日の依頼を思い出していた。
(しくじったな。顔を見られていなかっただけマシだけど)
まさか待ち伏せされているとは思わなかった。現れた五人と外で空を飛んでいたもう一人は大帝国軍の制服を纏っていたので、帝国が『死神』を始末しに来たのだと分かる。
魔力を見る限りはSランク、あるいはAランク魔装士ばかりだった。
「今日は帝国の魔装士に待ち伏せされていた。逃げ切ったが、完全に目を付けられたな」
「珍しく殺さなかったのです?」
「ああ、奴らの隊長を殺そうとしたんだが、死魔法で殺せなかった。恐らくはエリーゼ共和国で戦ったセルスターとかいう覚醒魔装士と同じだな」
「大丈夫だったのです?」
心配の言葉をかけたアイリスだが、本当に心配だったというわけではなさそうだ。シュウの力を信頼しているからだろう。冥王シュウ・アークライトがSランク魔装士に負けるはずがない。
神聖グリニアにおいて、現段階の冥王アークライトは
Sランク魔装士が複数名で対処する魔物を
「暫くは様子見だな。今日の暗殺依頼で結構な金が貰えるし、念のため大人しく暮らそう」
「またバイト生活ですね。楽しみなのです!」
アイリスは本当に嬉しそうな表情を浮かべる。
一方でシュウは思い出していた。あの貴族屋敷で襲いかかってきた部隊。その中で激しい怒りを感じさせる眼で睨んできた少年を。
そしてその少年とはまた戦う気がしていた。
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