少佐の援護については、私が全力を尽くしますから。

〈こちらエリア493。中継地点の通信士より通達。エリア604に魔族と思われる巨人出現。その特徴から魔族「サイクロプス」と断定しています。魔族は二体――〉


 軍用通信がテオの部隊まで届いた。

 やっとお出ましだ。


 エリア604。キューパー大佐の部隊が近い。通信のラグを考えると、もうすでに迎撃を始めているかもしれない。


 それにしても、まだ包囲網の内側にいたとは。

 いったいどこに隠れていた――?


 そのとき、突然近くで轟音が鳴り響いた。


 地面をなにか重たいもので叩きつけるような音だった。

 森が鼓動するようにうねった。


〈こちらエリア477! 巨大な魔族――〉


 通信は途切れとぎれでよく聞きとれない。

 エリア477。ここから北にほんの一キロ地点だ。

 

 こちらにも現れたか。


 よし。空気の読めるやつらだ。撃ってやる。撃ち殺してやる。

 テオは鼓動が高鳴るのを感じた。


「少佐! 今のは――」

 仮眠中だったフィルツ大尉が走ってこちらへ向かってくる。

 目を懸命に見開いているが、まぶたが少し緩んでいる。大尉はしきりに目をこすっていた。


「どうやら、やつらはおれたちとやり合いたいらしい。いくぞ大尉」

「わかりました」

「アルトマン隊とともに二個小隊にこしょうたいでおれの援護を頼む」


 フィルツ大尉はまっすぐテオを見た。


「なんだ? 大尉」

「ザイフリート少佐が最初から前線に出ることはありません。ラングハイム中尉からあったようにまずセオリーを守って、スリーマンセルで脚部を」

「脳天を撃ち抜く。それで終わりだ」

 テオは吐き捨てる。


「少佐!」

 フィルツ大尉がテオに詰め寄った。眉を歪ませて、悲痛な顔を浮かべている。

「もしかしてまた――」彼女はテオの肩を掴む。「落ち着いてください」


「大丈夫だ。落ち着いている」

 テオは無表情でそう言い、大尉の腕を振りほどく。

 またとはなんだ――テオは無性に腹が立った。


「頭部を狙う前に、順序を踏みましょう」大尉はさらに詰め寄る。「今回の相手は、いったいどう出るか予測できません。状況を把握してからでも遅くないはずです」

「脚や腕。そんなところを狙うことこそただの手間だ。後手になる。『ノヴァ』がある以上、一発で致死を狙うほうがいい」

「ですが、それでは必要以上に少佐に危険が」

「戦場だ。危険じゃない方がおかしい」


 フィルツ大尉は声を張り上げた。

「少佐! まず作戦通りにすべきです!」


「作戦通りにやってアニカは死んだ! 忘れたのか!」

 テオは叫んだ。


「忘れてない! でもあれは――テオ――」

 大尉は目をつむり、蒼白な顔をしている。

 彼女の白い息が大気中に現れては、すぐに消える。


「少佐だ。ちゃんと呼称しろ。フィルツ、この隊の指揮官はおれだ。従え」

「――わかりました。でも、無謀なことはやめてください。少佐の援護については、私が全力を尽くしますから」

 絞り出すような声だった。


 ほんの少しのあいだだけ、沈黙があった。

 テオは魔導銃を構える。


「行くぞ」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「おい! いったいどうなってんだこれは?!」

 バルテル少尉は舌打ちする。


 軍用通信が飛び交っていた。

 巨人型魔族はほぼ同時刻、オシュトローを中心とした直径百キロの包囲網にいっせいに出現したのである。


「現段階で四エリア、合計九体を確認しています!」

 エルナが叫ぶ。


 オシュトローに駐留していた魔導軍は通信を受け、村の北側の草原へ向かっていた。野営地からはひとつ丘を越えた先、二キロの地点だ。そこで三体の巨人が確認された。

 二個小隊規模の兵士たちが隊列を作り、白い息を吐きながら牧草を蹴ってゆく。


「これまで気配ひとつなかったのに、同時に九体。妙ですね」

 ヴイーヴルに乗っているスズが腕を組んで呟いた。銃器を背負い走るバルテル隊の少し先を、青い竜は滑空していた。


 丘を越えてくだりになったところから、村の家々の明かりが見える。騒ぎを聞きつけたのか、村人の何人かは家の外に出て状況を確認しようとしていた。


 スズは北の森の切れ目に、大きな影を見た。


「オーガーです。骨が折れそうですね。サイクロプスだと、まだ楽だったんですけど」スズは顔をしかめて言う。


 大きな塊が三つ、暗闇でゆらゆらと揺れている。

 巨人はゆっくりと集落に向かっていた。


 周辺の陸軍はすでに集落の村民の避難誘導を始め、村を囲うように松明たいまつで火を灯していた。


「いい動きじゃねえか」バルテル少尉が言う。

「アイスナーの息がかかった軍は違いますね」スズはブイーブルの速度を上げる。「バルテル少尉。ひと班だけ私の援護にください。一体引き受けますので」


「わかった! よし、マルトリッツ班! 中尉の後方につけ!」

 バルテル少尉は叫んだ。マルトリッツ軍曹が呼応し、三人の兵士を引き連れ隊列から離れて行く。


 巨人を囲うように、各部隊は散開してゆく。

 暗がりから松明の明かりが届くところへ躍り出たその姿に、兵士たちは息を飲んだ。


 大きな岩に手足が生えて、歩行している。

 体長は五メートルから六メートルほどはあるだろうか。兵士たちは皆見上げるような格好になった。黒々として頑丈そうな皮膚は、時間をかけて硬化した鉱石を思い起こさせる。大きく発達した上半身には丸太のような腕が生え、不釣り合いに小さい下半身と頭がついていた。前傾姿勢をとり、ゆっくりと呼吸している。洞窟を風が抜けるような低い音が聞こえる。

 この岩はたしかに生きている。


「想像した以上の木偶でくぼうだ」

 バルテル少尉が吐き捨てる。


 三体のオーガーの顔からは、表情を読み取ることはできなかった。

 油まみれの不潔な髪とひげで覆われた顔には、コガネムシのような小さな目が光っている。三体とも裸足だったが、腰回りには薄汚れた布切れが巻かれていた。体躯の大きさには若干の個体差があるが、皆巨大なことに変わりはない。


 スズの目の前にいる一体だけ棍棒こんぼうを引きずっている。ほとんど樹木を切り倒しただけの粗末な得物だった。


 オーガーの小さな目が兵士たちを捉える――

 突然、太い腕を大きく振り回し、身体を揺らして突進してきた。


「三体を引き離します!」ヴイーヴルの上からスズが叫ぶ。「距離だけは確実にとり、うまく誘導してください!」


 スズは銀のシガーケースから素早く指輪を取り出した。それぞれ色の違う指輪を二つ、まるで手品でもしているかような動きで、指にはめ込んだ。


 右手の指輪が青く輝き、巨大な魔法陣が出現する。

 彼女はローブを大きくはためかせて竜の上に立ち上がり、大股になった。

 頭の上に、右手を構える。


 魔法陣は弾けるように雲散した。

 音を立てて、水しぶきが発生する。


 現れた巨大な水流が三体のオーガーを取り囲んでゆき、視界をふさがれた巨人は腕で顔を覆った。兵士たちがどよめく。


「たいそうな魔法じゃねえか!」

 バルテル少尉が魔導銃を構え、水しぶきに負けじと叫んだ。


「単なる目くらましです。一体さらって行きますよ」


 水流はいつしか三つの竜巻のように分かれて、巨人を閉じ込めたまま互いに遠ざかる。地面をえぐりながら、轟音を立てて、水の柱が移動していく。


 スズは竜巻のひとつを追う。援護のマルトリッツ班もあとに続いた。


 水流がかき消えたころ、巨人たちは互いに百メートルほどの距離になっていた。

 戦力の分散には、ひとまず成功した。


 棍棒つきの巨人一体と対峙する、スズとマルトリッツ班。


 やっと視界がひらけたオーガーは、小さな魔女を見つけ、睨みつける。

 スズは微笑み返す。


「マルトリッツ軍曹、脚部を集中的に狙って、とにかく足止めすることを意識してください。奴が隙を見せたら、足の爪かを狙撃。ダメージが通るはずです」

「了解」後方二メートルの位置に横隊おうたいを作っていた軍曹がはっきりと声を出した。「総員、攻撃開始!」


 魔導銃師たちはいっせいに左右へ散開し、魔導銃を可動した。

 アサルトライフル型魔導銃のアンプリファイアは赤く発光する。閃光が次々とオーガーへと突き刺さってゆく。標的は野太いうめきをあげる。


 しかし、オーガーの皮膚にはかすり傷程度の銃痕じゅうこんがついただけだった。コルト社製の火属性魔導銃「M7カービン」は比較的出力の高い銃だが、巨人に直接的なダメージは与えられないようだった。


「なんて丈夫な――」マルトリッツ軍曹は焦りをあらわにする。

「大丈夫ですよ」スズは言う。「奴の注意が足元にいくだけで、じゅうぶんです。絶えず移動し、撃ち続けてください」


 スズはヴイーヴルで上空十メートルほどのところまで上昇し、戦況を見下ろす。四人の兵士の攻撃をオーガーが棍棒で振り払おうとしている。風を切り、轟音が鳴り響く。


 スズは目を細める。


「うーん、雰囲気は死ねそうですよね。あの棍棒で頭蓋骨ずがいこつ強打、複雑骨折、数十メートル吹っ飛び全身に深刻な打撲だぼく、出血多量で――うん。悪くない。まったく悪くないですね。いやむしろいい」


 スズは自分が滅びるさまを入念にイメージした。

 自分の皮膚が裂けて骨が砕け、血が噴き出す情景じょうけいを、脳内で繰り返し再生する。

 自然と口角上がり、頬が高揚する。彼女は小指の青い宝石をがりがり擦った。


 スズを乗せたヴイーヴルは旋回しながら高度を落としていく。遠くでほか二体の巨人と交戦中の部隊が見えた。


「ヴイーヴル、ご苦労様です」

 青いドラゴンはまるで空に投影された映像だったかのように、夜の闇に溶け込んで消えてしまった。スズが返礼へんれいしたのだった。


 マルトリッツ班が絶賛交戦中だというのに、彼女はその最中さなかに降り立ち、すたすたと行進してゆく。


「中尉?! ――みんな、狙撃をやめろ!」

 マルトリッツ軍曹が手を振り上げる。


 スズはオーガーの目と鼻の先まで突き進んだ。

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