早く首都に戻ってシャンプーしたい――ちなみに中尉はなに使ってます?

 スズたちはそのまま野営地で昼食をとった。

 バルテル少尉はコンバット・レーション一食分の中身をほとんど食べきってしまっていたが、スズはビスケットを三枚かじり、ソーセージとエンドウ豆のスープの缶詰だけ開けて食べて、それっきりにした。


 ルーンクトブルグ軍のレーションは他国と比べるとおいしい部類に入るらしいが、スズは全般的に苦手だった。ライ麦パンなどは鳥の餌以下だと思っている。バルテル少尉と同じくほとんど全てを平らげたエルナも、ライ麦パンだけは手をつけなかった。


 午後は救援物資の配給と瓦礫撤去がれきてっきょが主な任務となった。大隊規模で派兵されている歩兵部隊が、例の畜舎の処理に取りかかるらしい。骨の折れる作業である。


 バルテルの部隊は村周辺の哨戒任務しょうかいにんむに出た。

 他の部隊がもう五日も付近の巡回に当たっていたが、コカトリスが潜んでいる可能性がゼロとは言い切れない。


 スズはエルナに同行してもらい、襲撃に遭った村民から話を聞くことにした。

 先ほどの農夫たちの態度からすると、これはこれで骨が折れそうだと思った。


「すみません、つき合わせてしまって」スズは言う。「でも、ヒルシュビーゲル少尉の部隊指揮はいいんですか?」


 二人は被害の少なかった南側の集落に向かっていた。住む場所を追われてしまった村民も何人かそこに身を寄せている。


「ええ、構いませんよ。ここにきてもう五日ですから、一日の任務の流れは全員把握していますので――あ、それと中尉」エルナが付け加える。「敬語はよしてください。中尉は私の上官ですから。それに私はまだ少尉なりたてですし、中尉のような実績も全然ありません」


 くすくすとスズは笑う。「気にしないでください。癖のようなものです」

「そうですか? なんだか恐縮してしまいます」

「慣れですよ、慣れ。それに、その若さで少尉に昇進されているのは、それだけで優秀な証です。そのうちすぐ私を追い抜きますよ」


「ラングハイム中尉にそんなこと言われても、いやみにしか聞こえませんよ」エルナは困ったように笑う。「あの、失礼ですがご年齢は?」

「秘密です」スズは少し食い気味に返答した。


 エルナは口を尖らせる。「ええー、そんな隠すような年でもないじゃないですか。髪もさらさらだし、肌もきれいだし、羨ましいですよ」

「褒めてもなにも出ませんよ。乙女おとめはいくつか秘密を持っておいたほうが魅力的になるんです」

「えっ? そうなんですか?」

「そういう可能性もゼロではありません」

「む――」


 エルナは自分の髪の端っこを摘んで、忌まわしいものでも見るような顔をした。

「最近お風呂に入れてないんで、毛先傷んでるんですよね。はあ、早く首都に戻ってシャンプーしたい――ちなみに中尉はなに使ってます?」


 そんなような他愛のない世間話をぽつぽつと交わしながら、スズとエルナは集落へと歩いた。


 南の集落に到着し、スズとエルナは何人かの村民と話をした。

 男たちの多くは、瓦礫の撤去などで被害のあった区画に向かっていた。そのため集落には女性と小さな子供が多い。女性は四十代から六十代の年配者が大半を占めていた。若い女性のほとんどは首都へ出てしまう。そのまま相手を見つけて村に戻ってこないことも珍しくはないという。


 軍人に対して反抗的な態度をとる者は思いのほか少なく、スズは一安心した。事件を思い出すのをためらい、会話を拒否した者は数人いたが、おおむね丁寧に状況を話してくれた。


 村民の話からは、魔族の襲撃に関して特に新しい情報は得られなかった。九体のコカトリスは突如村の西側に現れ、村民を襲った。ただただ「エサ」をついばむように、人間を食い殺した。

 その動きに意図的なもの――例えばなにかを探しているような様子――を感じた者はいなかったし、コカトリス以外に不審な人間を見た、という者もいなかった。


 家畜という潤沢な「エサ」があるとわかると、コカトリスたちは一様にして畜舎に群がった。肉を食われていく牛や豚の悲痛な鳴き声が耳から離れない――そう話す村民は多かった。

 畜舎を犠牲にして、オシュトローの村民は逃げた。苦渋の選択ではあったが、皆、そうするしかなかった。そしてそれは賢明な選択だった。


「畜舎をあらかた食い荒らしたあと、今度は軍用列車に反応して追いかけてきた、ということみたいですね」

 ある程度聞き込みが終わり、エルナが言う。


 残る疑問はそこだ。

 九体のコカトリスはほぼ満腹状態だったはずで、さらに餌を求めて走り出したとは考えにくかった。それにあの列車が走っていたマルシュタットとパシュケブルグを結ぶ横断鉄道は、村から十キロほど離れている。


 いったい反応したというのだろうか。


 ひとまず野営地へ戻ろうと集落から出たところで、見覚えのある人影がこちらにあるいてくるのを見つけた。


「あっ、軍人の皆さん」

 先ほど野営地で会った青年だった。

「あなたはたしか、パウルさんでしたっけ?」

 エルナが手を上げて挨拶する。


 パウルは両手に大きなポリタンクを持っていた。

「はい。パウルと言います。すみません、先ほどは見苦しいところを」

 彼は少し照れたように笑っている。

「いえいえ。農夫の皆さんが冷静でいられないこともわかります。こちらこそ、パウルさんのおかげで、余計ないざこざを起こさずにすみました」


 スズとエルナは簡単に自己紹介をした。パウルは兵士たちの仕事を手伝いながら、南の集落にある井戸水を運んでいる最中らしい。ポリタンクはそのためのものだった。


「中尉さんに少尉さん――ということは部隊の指揮官さんということですね?」

 パウルが言う。心なしか、少し嬉しそうだ。

「ええ、一応」エルナがはにかむ。「小隊規模でしたら指揮官を担っています。パウルさん、お詳しいんですね」


「はい。この国の軍隊については、実は少し勉強させてもらっているんです」

 パウルは眉間みけんにぎゅっと力を入れて、にわかに真面目な顔になる。


「僕、この事件の後始末がひと段落したら、ルーンクトブルグ軍の兵士に志願するつもりなんです。軍人になって、この村はもちろん、国を守りたい。そう思ってるんです」


 すみません突然、と彼は恐縮した。

「あらかじめ、士官の方に宣言しておきたくて――ちなみにこのことは、もし父に会うことがあったら、伏せておいていただけますか」


 聞けば、彼の母親は今回のコカトリス襲撃で亡くなったのだという。


「ちょうど畜舎で牛の世話をしているところで、逃げ遅れました」

 パウルは顔に表情がなく、歴史上の事実を淡々と語るように話した。


「父も僕も、絶望してたくさん泣きました。すっかり涙が枯れ果てたころ、父はいつの間にか『白銀の党』の主張に傾倒していたんです。以前から現政権への文句をしょっちゅう言っていましたから、母が亡くなって一気に針が振り切ったんだと思います」


 父親と息子の主張は百八十度違っていた。

 怒りや悲しみの矛先を向ける方向が、まったく逆だった。


「お父様は、反対されるのではないですか?」

 エルナが言う。


 彼は、悲しそうな笑みを浮かべた。

「もちろん、反対すると思います。悲しませることになると思います。でも、この村にいてもなにも変えられませんから」

 彼はポリタンクを持ち上げる。

「こうして水を運んだって、ひとたびまたあんな化け物が来たら、一瞬ですべてがなくなってしまいます。それを食い止める力が、僕は欲しいんです」


 彼は時間をとらせてしまったことにまた恐縮し、謝りながら集落のほうへ走っていった。

 エルナは、その後ろ姿を見つめていた。物悲しそうな目だった。

 でも、凛とした顔だった。


 彼女はもう赤ん坊ではなく、国を守る、大人の女性なのだ。


「ヒルシュビーゲル少尉」スズは言う。「私は、少尉のお父様のことを存じています――ええと、上官から聞いた話ですけど」


 エルナは驚いた様子で、目を丸くした。

「父のことを?」


 スズは彼女の父親に直接会っている。

 それどころか、ともに戦地に赴き、同じ部隊で任務に当たっていた。

 ハンネス・ヒルシュビーゲル。リオベルグの交戦で殉職じゅんしょくし、二階級特進となった。

 エルナと同じ、トパーズのような黄色の目を持っていた。


「私は当時まだ生まれたばかりでしたので、ほとんど覚えていないんです」エルナは言う。「西部戦線リオベルグもちょうど激化していたころで、父はあまり家にも帰ってきていませんでした。顔も、写真で見たことがあるだけで」

「そうでしたか」スズは静かに言う。


「このダガーは、父が魔法を扱う時に使っていたものらしく、軍の同僚の方が持ち帰ってきてくれたんです。今では私の心強いなんですよ」


 スズはすべて覚えている。

 あのころの戦況は最悪だった。物資がほとんど枯渇した中で、ソルブデンは主力の魔導銃大隊をぶつけてきた。無数の閃光が自軍を襲い、結界魔法が間に合わず、多くの魔導師が被弾した。


 ハンネス・ヒルシュビーゲルは気さくな男だった。

 魔導部隊の士官室では軽口ばかりを叩き、周りからずいぶんと顰蹙ひんしゅくを買っていたが、彼の明るさは部隊には必要だったと、スズは今になって思う。


(どうだラングハイム。おまえの五百倍は可愛いだろ?)

 ハンネスはそんな調子で、エルナの写真を見せてきたことを覚えている。


「――軍人になること、お母様は反対されなかったんですか?」

 スズは聞いた。

「あははっ、それはもう」エルナは笑う。「めちゃくちゃに反対されました。わんわん泣かれて。『あなたまで奪われるなんて、神はどうして私にこんな仕打ちを』って言われました」

 彼女は両手を組んで、拝むようなポーズをとる。


「それでも、士官学校の門をくぐったんですね」

「はい。父の血筋のおかげで、私には魔力がありました。父と違って、召喚術のほうがうまくできたんですけどね。どうしてだか、この力を使わないと、父に悪い気がして」

 エルナはベルトにつけたダガーを優しく撫でた。


 そのとき、スズに軍用通信が入った。


〈こちらドンケル01バルテル隊、森の中でニワトリを見つけた。オーバー〉

「こちらダイヤ」スズが応答する。「状況は?」

〈それがな〉バルテル少尉が息を吐く。〈死んでる。それに、もっと言えばこのありさまは――〉


 。少尉はそう言った。

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