そのおぞましさたるや、インキュバスも真っ青だ。

「行くんですか?」魔女は言う。「憲兵の仕事ですよ。余計なことには関わらないことです」

「きみは、『情けは人のためならず』という言葉を知らないのか?」


「なんですか、それ」彼女は首を傾げた。「知ってるもなにも、そのまんまの意味ですよね。あなたの行動とは矛盾している気が」

「――いや、なんでもないよ」


 テオはテーブルに代金をほうり、店の外に出た。

 もう日も暮れて、辺りは街灯も少なく薄暗い。細い路地に小さなとびらの店だったので、危うく向かい側の壁にぶつかりそうになった。


「やれやれです」魔女は一緒に店を出てきた。

「ついて来いなんて言ってないぞ」


 テオは声のする方向へ駆けだした。魔導師の少女もあとを追いかける。


「ひとりで飲むビールはおいしくないんです」

 彼女は長いローブのせいで、いくらか走りにくそうだった。


「あの店のビールはもともとまずい。一緒に飲む人数は関係ない」

「それに、私は少佐に殺してもらわなくてはならないので」

「『私も軍人として見過ごすわけにはいかない』って、嘘でもいいから言え」

 

 路地を二回ほど曲がる。ときおりくびれたように道が狭くなっており、身体を横に傾けなくてはならない。魔女の三角帽子のつばが二回つっかえた。道にはそこら中に吹き溜まったごみが落ちており、テオは何度か不快なものを踏んだような気がした。


 声を頼りに追いかけ、三回目の角を左折すると、奥の暗がりにうごめくものが見えた。


「貴様! そこでなにをしている!」


 テオは声を張り上げ、魔導銃を構えた。

 うごめく影に銃口を向けながら、すり足で近づいて行く。


 男がいた。


 ボロ切れのような服を着た、かなり大柄な男だった。顔中に生えた大量の黒いひげのせいで、顔が二倍くらいに大きく見える。鈍く光る目は、まっすぐにテオを捉えていた。


 男は地面に伏せていた。しかしよく目を凝らすと、下には仰向けにされた女がいた。ほとんど巨体に隠されていたが、乱れた金色の髪と白い頬が見えた。


「撃たれたくなければ、手を上げて離れるんだ」テオが凄む。


 髭の男はテオを見据えながらゆっくりと起き上がる。中途半端にほどかれた腰のベルトが金属音をたてる。


 立ち上がると思ったそのとき、髭の男は倒れていた女の髪を鷲掴みにし、自分の身体の前に引き寄せた。


 右手になにか持っている。

 ナイフだ。


 金髪の女は悲鳴を上げる。髭の男は女の喉元のどもとにナイフを突き立てた。


「撃つんじゃねえ」男は言う。大型犬が唸るような声だ。

「その女性を放して、ナイフを捨てろ」


 三メートルほどの距離をたもったまま、互いに睨みあった。

 うしろでぜえぜえと息づかいが聞こえる。魔導師の少女がやっと追いついたようだ。


 髭の男は女を盾にしているが、テオはここからなら男だけを確実に打ち抜ける自信があった。なにせ相手は巨体だったので、華奢きゃしゃな女の身体では半分も隠せていない。


 ただ、撃つとしたら一発で行動不能にしなければならない。逆上してナイフを振り回されるかもしれないからだ。髭の男は息を切らしているし、目も血走っている。理性を失う可能性は十分にあった。できれば、銃は可動せずに納めたかった。

 それに、戦闘中以外の魔導銃の使用は、あとあと処理が面倒なのだ。


「てめえ、軍人か。魔導師まで引き連れやがって。まったく俺はなんて運がねえんだ」

 男は嘆いた。強姦魔ごうかんまに運もクソもあるかと、テオは思った。


「そう思うんなら、残りわずかなその運を残りの人生にあてがえ。今投降するなら刑は軽い」

「うるせえ! もう生きてたって意味ねえんだ! 俺なんて……」男は声を震わせた。「死んでやるさ! てめえらも全員殺してやる!」


 ナイフを持つ手が握りなおされた。


 男にどんな不幸があったのか、どんな境遇なのかは知るところではないが、とにかく、人生に絶望している人間は危険である。テオはそれを体感的に知っていた。隙を見て、適切な箇所に発砲するしかない。


「あの人――」つと、隣に立っていた魔女は鹿爪しかつめらしい声で言う。「今、殺してやると言いましたね。『てめえら』――つまりあなたやあの女性、そして全員を殺してやると、そう言いましたね。そういう意味ですよね」


「頼むから黙っててくれ」

 テオはイライラした。このときほど、この魔女にかまっている暇はない。


 それに、こいつはどうしてこんなときに、嬉しそうに笑っているのだ?


「ちょっと! そこの髭!」魔女は一歩、二歩と前に進み出た。

「おい!」テオは叫ぶ。


 馬鹿か。馬鹿なのか。

 髭の男は面食らっていた。金髪の女は驚愕の眼差しを向けている。


「本来ならあなたのような野蛮人とは会話すらしたくありませんが、今回は致し方ありません。特別です」


 魔女は話し始めた。


「男の脳味噌は下半身に付いているとはよく言ったものですね。私はこれまであなたのような種類の男をと見てきました。もしかしたら本当に人いたかもしれない。そいつらをまとめて積み上げればケルニア大聖堂だいせいどうくらいの高さにはなるでしょう。壮観そうかんです。辺りには腐臭ふしゅうが立ち込めているんでしょうね。そのおぞましさたるや、インキュバスも真っ青だ。さてあなたもそこに積み上げられるべきでしょうが、間一髪かんいっぱつ、今回に限り、特別に逃れることができます。どうすればいいのか。知りたいですよね? 簡単です。その刃渡り約二十五センチのコンバットナイフ。それを私に向けて突進する。ぐさりと心臓を貫き、あわれにも私は絶命する。これが、約束された未来のシナリオです。さあ! 今こそ祝福のとき! 導かれるままに私を殺し――」


 そのとき、強い光が、髭の男の右肩を貫いた。

 甲高い音が辺りに鳴り響く。


 男はうしろによろめき、ナイフを取り落とした。人質となっていた金髪の女は放り出され、よろめきながらテオたちの方へ走った。


 テオが魔導銃を可動したのだった。


「ちょっと少佐! なにやってるんですか?!」

 魔女が信じられないという顔で振り返る。


「おまえこそなにやってんだ! 死ぬぞ!」

 男が呆気(あっけ)にとられてナイフを持つ手が留守になっていたからよかったものを、一歩間違えれば人質が切り刻まれていた。


 雄叫びが聞こえた。髭の男が咆哮ほうこうしている。闘牛のようだった。取り落としたナイフを拾い上げ、わけのわからぬ言葉を発しながら、魔導師の少女へ突進する――

「おい! 逃げろ!」


 テオの叫びもむなしく、髭の男のコンバットナイフは彼女の右の腹を突き刺した。


 肉を裂く鈍い音がした。

 解放された金髪の女は、テオのとなりでひゅっと音を立てて息を吸い込んだ。


 男がナイフから手を離す。魔女はばさりと倒れる。ナイフは墓標ぼひょうのように、しっかりと突き刺さっている。


「お、俺のせいじゃねえ――こいつが、この女が」


 テオはもう三発、男へ向けて発砲した。両脚と左肩を貫かれ、男は数メートルうしろへ倒れる。

 仰向けになって白目を剥いた男は、間もなくして動かなくなった。


 思いのほか、テオは目の前の状況を冷静に考えていた。


 ――死傷者二名、軍人ではあるものの憲兵ではない階級持ちが合計四発の発砲。人質となっていた女性は救出したものの、死傷者の一人は軍魔導師。

 軍法会議ものかもしれない。


「あっ、あの――」

 金髪の女が初めて言葉らしい言葉を発した。魔女を指差してなにか訴えている。


 腹部を貫かれたはずの彼女は立ち上がっていた。


 右の腹に突き刺さったままのコンバットナイフを自ら抜く。どっぷりと血が吹き出す。普通の人間なら考えられない所作しょさである。それを彼女は、まるで枝毛でも抜くみたいに行なっている。


「あー死にました」

 いや、生きている。テオは呆気あっけにとられていた。


「刺し方はやっぱり素人でしたね。ふつうは刃を寝かせて、肋骨ろっこつのあいだをきちんと通るように刺すものです。それでも体重があったおかげで、刃を起こしたままでもかなり刺さりましたけど」

 彼女は血で濡れたローブを脱いでたたみながら、平然とそんなことを言っている。


「なんども聞いているが――きみはいったい何者なんだ」


 そう聞いておきながら、テオは思い出していた。軍部で何度か聞かされたことのある「噂」のことを。


 魔導部隊まどうぶたいには、表向き存在しないことになっている特殊部隊があるということ。その部隊の指揮官は魔導師の女、つまり「魔女」であり、いかに激しい戦火に派兵されても、傷ひとつなく帰還するということ。


「仕方ありませんね」

 彼女はいまさら、とってつけてように敬礼けいれいした。


「第501魔導部隊、スズ・ラングハイム中尉であります」

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