第52話.お屋敷にて(*)

 エイミの父親、ルーベルト・アッカーは、この街の評議会長でキリム退治の時にも、尊大な態度を取っていた人だ。

 それをひとまず置いて、リュクスはジョンに案内されるまま館に向かう。


 うろ覚えだった屋敷に着くと真っ先に迎えたのは、奥方の侍女のウェイバー婦人だった。奥方のエレインに長く仕えていて、そういえばリュクスも顔を見たことがあるような気がした。


 さきほど魔物が来た時は女性の姿は一切なかったが、今、屋敷の中では侍女やメイドの姿をちらほら見かけることができた。


「あなたは……どこかで? 旦那様が呼んだのはニルヴァーナで――」

「知ってる。でも彼女はいない」


 リュクスは頭を覆うフードを下ろした。


 自分の長くて細い白金の金髪、それから顔に侍女や使用人、メイドの彼らも目を見張ったのを感じた。

 トレス人は線が太い。白いひたい、柔らかな線の頬、華奢な顔、小さな唇は見かけない。


「ニルヴァーナの助手をしてトニー様のお産にも立ちあったわ。私は王都でお産を取り上げていたの。私ならニルヴァーナの役目を果たせるわ」

「――そういえば、あの時、助手の子がいましたね。あれはあなただったの」


 ウェイバー婦人が感嘆する。

 エイミの弟のトニーは、ニルヴァーナが取り上げた。その時のことが蘇る。リュクスは十歳で、アレスティアに連れていかれる直前だった。


 あの時はほとんど何もできなかったけれど、今はもう違う。


「奥様の様子は?」


 リュクスが尋ねると、婦人は迷った様子を見せたが、よほど切羽詰まっていたのだろう。リュクスへの追及を先延ばしにしたようだった。


「ついて来なさい」


 合わせた両手を胸の下で押さえたまま長い裾を翻しながら、ふと彼女はリュクスの後ろにいる男性二人に目を向けた。


「男性はそこの客間に。リタ、案内して差し上げなさい。それからジョン、ご苦労様でした」


 リュクスが顔を上げると、十代後半の少女たちが階段の踊り場からのぞき込んでいた。女が少ないこの世界で、魔女兼産婆として現れたリュクスを見て放心していた彼女たち。


 リタと呼ばれた少女は慌てて頷いた。お仕着せから、この屋敷の侍女のように見える。


 そして玄関でジョンが所在投げに佇みながら、リタと目を合わせる。


(なるほど……ね)


 ポストマンのジョンがリュクスを訪ねてきた理由が分かった。たしかエイミは十代後半だったと思う、リュクスと同じくらいかその下か。リタもそのぐらいに見える。

 エイミの侍女のリタと、ポストマンのジョンは思い合っている。


 館に出入りするジョンが危険な森から魔女を呼んでくると勇んできたのだろう。


 二人の少女には構わず、リュクスは館の中央のデカデカとしたらせん階段を昇り奥方のいる奥の通路へと進んで行く。


「予定日はいつですか?」

「来月末です」


 だとすると、三十六週くらいだろうか。四十週が予定日、三十七週から正期産になるからそのくらいなら安心なのだけど。その前だと早産だし赤ん坊は小さめだ。

 そして経産婦はお産が早い。切迫した状況かもしれない。 


 待っているようにと言われたウィルとカーシュをリュクスは振り返らなかった。


 彼らは自分たちが何をすべきか考えて行動するだろうし、今は急ぎたいリュクスの事情もわかってくれている気がした。


***



「――奥様、入りますよ」


 寝室に案内されると、明かりを煌々とつけた部屋で、屋敷の女主人であるエレインは横向きになって呻いていた。


 侍女の一人が手巾を絞り額に当てているところだった。お産になると体が火照るから冷やされると楽になる産婦は多い。


 しばらくするとエレインがようやく目を開ける。


「奥様、ニルヴァーナはいないそうです。こちらはリュクスと言って、王都から来た魔女で赤ん坊を取り上げた経験があるそうです」

「あなたが……?」

「はい、奥様。トニーの際にもニルヴァーナの助手をしました」

「トニーを産んだ時に、女の子がいたわ。水を飲ませてくれた……」

「私です」


 唐突にうめいて背中を折り曲げる彼女の前に屈んで「失礼します」と言って腰をさすりながら、お腹に触れる。


 この痛みの様子を見ると、本格的な陣痛のよう。

 リュクスは寝台の上でうずくまるエレインのお腹に、そっと触れる。

 陣痛が来ている間は、お腹が硬く張る。それがふっと柔らかくなると陣痛の終わりだ。

 会話のときから、さりげなく次に陣痛が来るまでの時間を暖炉上の置時計で測っていると、六分毎に痛みが来ているようだ。


 ここまで規則的に痛みが来ていると、赤ん坊はじきに産まれる。


「エレイン、息を吐いて。私に合わせて深呼吸をして」


 痛みで息を止めないように促す。息を止めがちな彼女に合わせて同じように息を吐くと、彼女も合わせて息を吐く。


「赤ちゃんに酸素をあげてね」


 胎児は自発呼吸がない。母親とつながる臍の緒の中の血管に通う赤血球から酸素を取り込む。母親が息を止めると、胎児に行く酸素が足りなくなる。だから深呼吸を促す。


「……生まれちゃうのかしら?」

「そうね、陣痛は始まっているみたい」


 予定日は一か月も先。少し早い。けれど、もう止められない。


 呻いて陣痛をやり過ごすエレインの背をさすりながら、ウェイバー婦人に尋ねる。


「先生は?」

「モリガン先生は、お屋敷にいらっしゃいます。ですが右手を骨折していて。旦那様は二つ先の街まで医者を呼びに行かせていますが、到着は早くても明日の夕方か……」

「エレイン、仰向けになってお腹を触ってもいいかしら?」


 陣痛がおさまった隙に仰向けになってもらった。


 胎児赤ちゃんの向きと、下がり具合を見るためだ。


 膨らんだお腹を挟むように両端に両手を置いて、胎児の向きや位置、下がり具合や羊水の量をお腹の外から確認する。


 確かに予定日はまだ先だから、赤ちゃんは小さい。お腹も小さくて当たりまえ。

 けれど。


 通常、赤ちゃんは、頭を下にしている。そしてお腹の左右どちらかにいるのだ。


 腹の右側にいるならば、自分の左手に赤ちゃんのなだらかな曲線を描く背中が触れる。

 左側にいるのならば、自分の右手に赤ちゃんの背中がふれる。


 エレインの下腹には確かに丸いものがある。普通は、これが頭だと思うところだけど。

 何か、違和感がある。


 そしてお腹の左右を両手で挟み込んで、再度背中を見つけて上まで手を滑らせていく。

 

 赤ちゃんの背中の先はお尻だ。

 彼らは大抵自分の体を丸めているから、お尻も丸い塊として触れることができる。


 ――母親のお腹の触診をすると、丸いものは二つ。母親の恥骨の上にあるのが赤ちゃんの頭、そして母親のへその近くにあるのが、赤ちゃんのお尻。


(やっぱり、何か変)


「エレイン――診察してもいい?」


 陣痛の痛みに顔をしかめるエレインが、小さく頷く。

 ウェイバー婦人も見守っている、彼女も何も言わない。二人とも信頼してくれている。またはリュクスの様子に、何かを感じたのかもしれない。


 リュクスは自分の荷物から手袋を出してエレインの腰を掛物で隠しながら、診察をする。


 奥に指を指しこんでいくとその先に子宮口しきゅうこうが触れる。


 子宮口は、壺の入口のようなもので普段は閉じているし、奥過ぎてある程度お産が進んでいないと届かない。


 陣痛が始まって胎児が下に降りてくると、子宮口も下がってくる。


 この開き具合は自分の指で測る。リュクスの指は人差し指と中指二本合わせて三センチぐらい。つまりまだようやく入るぐらいの開き具合。だから三センチ。


 けれど今診察で知りたいのは、その先に挟まっているものは何か、だ。


 普通は赤ちゃんの頭が触れる。それは、つるっとしたもの。

 けれど今は、子宮口の奥になにかでこぼこしたものが奥に触れる。


 頭だけなら、でこぼこしたものはないはず。


 もう一度左手でお腹の上からも触ってみる。それに確信してリュクスはわずかに顔を強張らせた。


 恥骨近くにある丸いものは赤ちゃんのお尻だ。


 逆子だ。

 中にいれている指に触れるのは、頭じゃない。胎児の足先だった。

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