第14話 月光の、その先へ
3日後の木曜日、夕方6時。
僕は宛名のない手紙を握りしめ、森へ向かった。ピオは「僕たちに気づいた誰かが、はめようとしてる可能性もある」と言っていたが、僕はこの手紙の主が誰なのか、おおかた予想はついていた。
蛍を見にきた時も、同じくらいの時間だった。
泉に着くと、手紙の主はまだ来ていないようだった。そしてあの日見た黄色の光も、まるで全てが夢だったかのように、そこにはなかった。
月の光だけがたよりの森の中で、僕は彼が来るのを膝を抱えて待った。そういえば、僕が"背の高い草"と呼んでいたこの草は葦(あし)という名前らしい。こないだピオが教えてくれた。
━━━ カサカサッ
葦をかき分ける音がしたけれど、僕は動じず、自分でも驚くほど冷静にその先を見つめていた。足音はどんどん近づいてきて、もうすぐそこにいた。
━━━ カサッ バサッ
「‥‥‥‥」
「ルーナ」
僕は立ち上がり、ルーナはゆっくりと近づいてきた。変わってないと思っていたルーナの顔は、丸かった輪郭が少しシャープになっていた。でも、瞳はあの時のまま、美しい海のようだった。
「ソーレ」
海の水が溢れ出すように頬には光が走り、ルーナは僕に飛びついてきた。
「ソーレ、ソーレだ。‥‥ずっと会いたかった」
「うん‥‥僕もだよ」
僕たちはお互いを強く抱きしめた。
「よかった。ソーレ、なにも変わってない」
ルーナは「急に呼び出してごめん」と言うと、この3年間のこと、蛍火に包まれたあの夜のこと、僕に手紙を送った理由を話してくれた。
3年前、突然森へ行くことを禁じられた。中学校に進学し、より一層勉学に励むため、ただそれだけの理由だったとルーナは言った。そして3年間森へ行かない代わりに、その後は時々行くことを許して欲しいと交渉したという。
「あの夜、僕は目が合った瞬間すぐにソーレだと気づいたよ。でもグラートと一緒いた。もしあそこで接触したら、また森に来ることを禁じられると思った。だから、"はじめまして"なんて小芝居してしまった。ソーレは歩み寄ってくれたのに、ごめんね‥‥。でも、また会いたかった!だから、手紙を吊るしておけば、ソーレなら必ず見つけてくれるって思ったんだ!」
「そんなことがあったんだ‥‥」
「カーターっていう、やな感じの家庭教師が僕をずっと監視してたんだ。だから抜け出すこともできなかった。でも、カーターはもういない、今日はグラートもいないんだ」
「え?じゃあ、どうやってここまで来たの?」
僕の問いにルーナは、ニヤッと笑った。
「脱走してきた。自転車に乗って」
「えーー!!!!」
「しっ!声が大きいよ!お母さんは、僕はもう寝てると思ってる。息子がこんな子だって知ったら失望するかもしれない。でも本当の僕は、みんなが思ってるより器用で、ずる賢くて、自分の欲望に真っ直ぐな人間なんだ」
ルーナは僕の手を握り、「ソーレにまた会えた。ほんとうに嬉しい」と言った。
でも僕は、ルーナが握ってくれたその手を無条件には喜べなかった。
「‥‥ソーレ?どうした?」
「ノエミが死んだ。誘拐されて、殺されたんだ。数日後にこの森で足も見つかった。僕はクオーレ地区に犯人がいると思っている」
ルーナは優しく包んでいた手を離し、少しの間なにも言わなかった。
「‥‥ごめん、なんて言えばいいのか、分からなくて‥‥」
「ううん。僕は復讐しようって思ってる」
僕は、この国に隠された場所があること、ピオと奴らのすみ家を探していること、近々作戦を決行しようとしていることを話した。
ルーナは僕の話を聞いて、少し考えてから「そっか‥‥」と優しく微笑んだ。
「止めないの?」
「‥‥止めたいよ。復讐したいって、僕は誰かに思ったことがないし、それをするのが正しいことなのか分からない。それに、ソーレのことが大切だから、危ないことはしてほしくないって思ってる。僕はこういう時、昔グラートがしてくれたオオカミの話を思い出すんだ」
「オオカミの話?」
「ある森に1匹のオオカミがいた。食べるものがなくて死にそうになっていたオオカミを1人の王子様が助けた。それからオオカミは、王子様のためになることならなんでもした。ある日、王様は王子様にウサギを捕まえてくるように言った。王子様はオオカミと一緒にウサギを捕まえに行く。でも、そのウサギは、動物実験に使われるウサギだった。その国は動物実験をして薬を作り出すことで、他の国からお金をもらって持ち堪えている国だったんだ」
「ひどい話だね‥‥」
「そうだね。この話を聞いて幼かった僕は、ウサギが可哀想だ、捕まえるなんてみんな最低だと思っていた。でも、今の僕ならこの物語の意味が少しだけ分かる。みんなそれぞれの正義があって、守りたいものがあるんだ。王様は国のために、王子様は王様のために、オオカミは王子様のために」
「それでもウサギを殺していい理由にはならないはずだ」
「そうだね。ただ、みんなの強い思いが重なって、こうなってしまうこともある。誰も悪くないんだ」
「‥‥ルーナはどうしてそんなふうに、理解しようと思えるの?」
「僕は、人間というのはひとつの国なんじゃないかって思ってる。それぞれの許せるラインがあって、それぞれの規律がある。誰を入れるか、入れないべきか無意識のうちに決めている。みんな心に、自分が王様であるひとつの国を持っている。だから例え同じ場所で生まれた人でも、人同士がぶつかってしまうことは避けられない」
「‥‥じゃあ、ノエミが殺されたことも、‥‥しょうがないって、思うしかないのかな」
「どんな理由でも命を奪うことは許されない。ソーレがしようとしている復讐は、きっとそうじゃないと信じてる」
「‥‥昔のルーナならきっと、正義感いっぱいの顔してダメだよって止めてたよ」
「僕もいつからこうなったのか分からない。‥‥この世界ではそうするしかないから‥‥」
僕たちの間に、冷たく静かな空気が流れた。
「さ!僕はそろそろ帰らなくちゃ!ソーレ、今日は来てくれてありがとう」
ルーナが立ち上がった瞬間、ポケットから白い小さな紙が落ちた。
「なにか落ちたよ」
それは3年前、足を探すゲームをしていた時にルーナに渡した、住所を書いた紙だった。
「こんなのまだ持ってたの」
「僕のお守り。毎日持ってた。時々眺めながら
、ソーレが幸せでありますようにと願ってた」
ルーナは最後に「本当に嬉しい。また会えるかな」と手を差し出してきた。僕は「会えるよ」と答え、僕たちは来週の木曜日、同じ時間に会う約束をした。
帰り際、森の中へ消えていくルーナが何度もこちらを振り返り手を振るので、僕も振り返した。
僕はその場に三角座りをして、泉に溶ける月を見つめた。空を見上げると、月が白い光を放っていた。そしてその月光がスポットライトを当てるように、泉の対岸の奥を照らしていた。まるで、僕に何かを知らせているような光だった。
僕は右側から周り、光があたる場所へ近づいてみた。なんら変わりない、草木が絡み合うように生い茂る、森らしい森だった。
戻ろうと振り返った時、僕の視界に一瞬、気になるものが映った。
横を向いて森を端からはなぞるように見てみると、奥の木から紐のようなものが垂れ下がっていた。それは、綱だった。引っ張ってみると、木は揺れず、どうやら枝にくくりつけてあるのではなさそうだった。綱を思いっきり引っ張っると、カンッカンッと鉄と鉄がぶつかるような音がした。
「よいしょっ。よいしょっ。うぅぅうん、えいっ」
━━━ ガンッッ
何かが外れたような音がして、音の方向へ足を進めた。暗闇で前が見えず、確かめようと手を伸ばしたその時だった。指先にひんやりと冷たいなにかが触れた。僕はゆっくりと触れる面積を増やし、手のひら全体でその物体を確かめた。鉄のような、とにかく硬いものでできた板だった。横幅は両腕を広げてもまだ足りないくらい広く、上はジャンプしても手が届かなかった。板を半分に割るような溝があり、真ん中に小さなふたつの取っ手があった。
「‥‥扉だ‥‥」
手のひらの匂いを嗅ぐと錆臭かった。触っただけでも重いのが伝わってくる鉄の扉だった。取っ手を引っ張ると、ゴーと音を立てて扉は開いた。中はトンネルのように、奥へと続く道になっていた。戻って来れるか不安になるほど真っ暗な道だった。動けずにいると、後ろから早く行けと背中を押すように風が吹き、僕はフラッと一歩前に出た。進むと、トンネルは予想以上に短くすぐ出口が見えた。トンネルを出ると、そこはまた森だった。
「この森‥‥」
この森は3年前、男に連れられ車で通ったあの森だ。道は車2台は通れるほど広い道幅だった。間違いない。僕は走った。きっともう少し行けば、あの古城が見える場所に出られるはずだ。
「ハァハァハァ‥‥」
木々が擦れる音は、まるで僕を誘う呪いの言葉のように不気味で、今すぐ引き返したかったけれど、僕は前だけを見て走り続けた。
そして、道の奥に小さな灯りを見つけた。たいまつだった。それを見つけた瞬間、僕はその場に崩れ落ちた。
「やっと‥‥やっと見つけた‥‥」
━━━パカラパカラッ ガシャン
達成感に浸る暇もなく、向こうから馬車が来るのが見え、僕は急いで森の茂みに身を隠した。
━━━パカラパカラッ ヒヒーン
『あ?なんで止めるんだ?』
『おまえ、今この辺りで影が見えなかったか』
『いーや、見えなかったが』
『そうか』
『そういや"アレ"今度はいつだ』
『来週の木曜あたりじゃなかったか?』
『あの件はルーポには連絡したのか』
『ルーポ様はすでに知っておられた。‥‥まぁ、行くか』
━━━パカラパカラッ
その声に、僕の心臓は鈍い音を立てながら激しくリズムを刻んだ。低く湿ったようなあの声。僕の予感は外れていなかった。今すぐにでも追いかけてその喉元にナイフを突き立ててやりたかった。しかし僕はこの時、護身用の小さなナイフしか持ってきていなかった。
「くそっっ」
ナイフを抜き、グリップを両手で掴み地面を思いっきり差した。
僕は完全に、もう戻れないところまで足を踏み入れてしまったようだ。
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