第153話

 家の中に戻ると、中は一変していた。さっきまでは飾りっ気のない部屋だったのに、窓にはカーテンが掛けられ、テーブルにはテーブルクロスが掛けられ、棚には食器が並び、本棚には本がギッシリ並べられていた。クローゼットも二つあって、イーリンが中に服を入れている最中だ。


「うわあ!」


 鈴のテンションは一気に上がった。


「あ、鈴タン! 終わったんだ」

「うん、終わったー」

「どう? 疲れた? ダルくない?」

「平気。なんともないよ」

「そ。さすがね」

「カーテン付けたんだね!」


 薄い桜色で、桜の花びらが舞っている模様のカーテンだ。鈴のテンションは益々上がった。


「そ。あった方がいいでしょ」


 鈴はカーテンを開けて窓を開けようとした。が、窓には板が打ち付けられたままになっていて、外を見るどころか窓を開けることさえ叶わない。鈴のテンションはあからさまに下がった。


「仕方ないでしょ。隠れ住むんだから、中の明かりが漏れたら大変だよ」

「そ、そうですけど」

「そこは諦めて。じゃあ次はこっちに来て」

「はい。なんですか?」

「ん? バッテリーの充電」

「充電?」

「そ」


 イーリンは外に出ると、電気設備の前に来た。


「このクランクを回して電気を充電してちょうだい」

「これを?」

「そ。今は空っぽだからなにも表示されてないけど、ここに充電量が表示されるから、八割溜まるまで回してちょうだい」

「八割……」

「そ。回してみて」

「は、はい」


 鈴はクランクを両手で握った。持ち手のところは木製で、クルクルと回るようにできている。クランク自体は結構大きく、回すとなると全身運動になる。

 回し始めはとても重たく、体重を掛けないと動かなかった。もし始動が下から上に回すようだったら、回らなかったかも知れない。それでも回り始めるとそこまでの重さは感じず、ゆっくりではあるがクルリクルリと回せるようになってきた。


「ふぅーん。じゃ、お願いね。気分が悪くなったら途中でめていいから」

「は、はい」


 イーリンはなにを納得したのか、何度か頷くと立ち去った。

 結構な重労働だが、他にできそうなこともないので鈴は必死になって回した。回して回して、ぐるんぐるん回して、とにかく回した。

 クランクを回しに回して回しまくること十分、気がつくと八割どころか満充電になっていた。鈴はやっちゃったと思い、回すのを止めた。そして肩を落として家の中へ戻った。


「お疲れぇーって、どうしたの?!」


 しょぼくれている鈴を見て、イーリンは驚いたようだ。


「大丈夫?」


 イーリンは鈴の側に駆け寄ると、額に手を当てた。


「ごめんなさい」

「ごめんなさいって、どうかしたの?」


 そして下を向いている鈴の顔を持ち上げて、顔をマジマジと見た。


「張り切って回したら、八割で止めるの忘れて、満充電にしちゃいました」

「……え?」


 鈴の顔をマジマジと見ていたイーリンが、目をぱちくりさせた。


「ごめんなさい」

「…………え? 満……充電?」


 イーリンは鈴がなにを言っているのかよく分からないのか、鈴に聞き返した。


「はい」


 鈴の顔からイーリンの手が離れると、鈴は再び俯いた。


「え? まだ十分くらいだと思うんだけど……満充電? え、本当に?」


 イーリンは一歩下がって狼狽えているようだ。


「ごめんなさい」

「疲れてない?」

「腕が痛いです」

「………………他には?」

「えっと、沢山汗を掻いたので喉が渇きました」

「あ、そうだね。気がつかなくてゴメン。今お茶淹れるね……じゃなくて! え? 他には?」

「いえ、そのくらいですかね」

「本当に? 無理してない?」

「してませんよ」

「ダルくない?」

「いえ」

「目眩は?」

「ありません」

「頭痛くない?」

「全然」

「隠さなくていいんだよ?」

「隠してませんよ」

「ほ、本当に?」

「どうしたんですか? 急に」


 イーリンがいつもと比べてウザいくらいにしつこく心配してくるので、鈴はかなり戸惑った。


「え、だって……まだ十分だよ? 満充電なんでしょ?」

「う……ごめんなさい」

「なにが?」

「だから、八割で止めなくて満充電にしちゃったから」

「そんなことはどうでもいいの。本当に満充電? 十分で? え?」

「嘘だと思うなら見に行きましょうよ」

「鈴タンが嘘つくなんて思ってないからそれはいいんだけど……ごめん、ちょっと頭が追いつかない」


 イーリンはそう言うと、頭を抱えてテーブルにもたれ掛かった。


「どういうことですか?」

「う、うん。たった十分で満充電になったのもそうだけど、それで身体になんの負担も無いなんて信じられなくて……」


 イーリンは益々頭を抱えた。


「ありますよ。腕が疲れました」

「そんなのは疲れた内に入らないの!」

「ええー……」


 鈴にしてみれば立派な疲れだというのに、イーリンに強く否定されてしまった。


「そんな……八割だって多いと思ってたのに。その上十分?! 早くても一時間は掛かると思ってたのに、なのに満充電? しかも十分? 意味が分からないわ」


 イーリンは頭を抱えながらブツブツとぼやいた。


「私はイーリンさんがなにに驚いてるのかが分かりません」

「でしょうね。あたしもどう説明すればいいのか分からないの」

「そうなんですか? 私が十分なら、イーリンさんならもっと早くやれるんじゃないですか?」

「バカ言わないで! あたしじゃ回すことすらできなかったんだから」


 イーリンは鈴の言ったことを、先程よりも強く否定した。


「え?」

「あ……いや、えっと……お、お疲れ様です」


 イーリンは言い淀みながら、淹れかけのお茶を淹れきった。


「こちら、粗茶ですが、どうぞ」


 そしてイーリンはテーブルの上に恐る恐るお茶を置いた。


「ありがとうございます」


 鈴は少し温めのお茶を立ったままゴクゴクと飲み干した。


「おかわりは要りますか?」


 イーリンが恐る恐る言っている。


「あ、お願いします」

「あ! 気づきませんで済みません。どうぞ、こちらにお掛けになってお待ちください」


 イーリンはサッと椅子を引き、鈴に座るよう促した。それはまるで新人のメイドが自分の仕事を思い出して慌てているようにみえた。


「あ、はい。ありがとうございます」


 いつになく下手したてに出るイーリンに、鈴は不気味さを覚えた。

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