第132話
探したといっても、イーリンは万力のように耳を塞いでいる鈴の手を間近で見つめたままだ。日記を見ているようには見えない。
「あ、あったあった。って、十二月?!」
にも拘わらず、キッチリ見つけている。
『12月7日 抱き付いた 叩かれた』
「っはっはっは。叩かれたってさ。抱き付いたついでにおっぱいでも揉んだのかな。っひひひ。こ・れ・だ・か・ら・童貞は! ね、ね、ね、鈴タンもそう思うよね。ね!」
鈴は更に腕に力を入れ、身体を縮こませた。
『やられっぱなしもアレだから反撃だ! って事で思いっきり抱き付いてやった。』
「うは。童貞君やるねぇ。その決断に半年以上掛かったのはさすが童貞といったところかな。ねぇー鈴タンもそう思うよねぇー」
やはりイーリンは日記をチラリとすら見ていない。だというのに、日記の内容を一字一句間違えることなく音読している。ずっと伏せって目も耳も塞いでいる鈴が、そのことに気づくことはない。
『そしたら最初なにって感じで呆けていたと思ったら、悲鳴と共に思いっきり叩かれちまったよ。なんでだよ。』
「そんなの当たり前だよねぇー。分からないところが童貞臭いよねぇー。あー臭い臭い。ねぇー鈴タン!」
鈴は一切返事をしない。聞こえてはいるが、聞こえない振りをして耳を塞ぎ続けている。
『そっちは腕に抱き付いてきてるだろ。』
「うわぁ。童貞臭い言い訳だなぁ。ホントくっさぁーい。童貞が移るぅー! っはははは!」
イーリンは自分の鼻を摘まんで臭いと言うことを演出しているようだ。鈴の目には映らないが、鼻を摘まめば鼻声になって鈴に届く。それでも鈴は耳を塞ぎ続ける。
『親衛隊に見つかる前に逃げてきたけどな。くそぉ。』
「一発叩かれたくらいで逃げ帰ってきたんだって。そこで押し倒さないからいつまで経っても童貞なんだよ。あ、鈴タンが居るから童貞じゃないのか。ねぇー鈴タン! あれ? もしかして顔赤くしてる? ね、赤くなってるよね、ね! あーもしかして意味分かっちゃった? 分かっちゃったんだぁ。それで? その場面を想像して? 赤くなっちゃったんだぁー。鈴タンのエッチぃ。ん? ん? っふふふふふ」
イーリンは鈴の頬をつついたり、顔を覗き込んだり、耳元で囁いたり、身体を寄せたりと、これでもかというくらいウザ絡みして囃し立てた。
「いい加減にしてください!」
鈴はとうとう堪忍袋の緒が切れ、顔を上げてイーリンにブチ切れた。
「なんなんですかっ!」
鈴は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。顔を赤くしているのは意味が分かったからでも、その場面を想像したからでも、それで恥ずかしくなったからでもない。あれは完全にイーリンの言い掛かりで、今顔を赤くしているのは純粋に腹立たしさからである。
「あ、やっと顔を上げた。ほら、続き読もうよ」
しかしイーリンは怒鳴られたことなど毛ほどにも感じず、何事も無かったかのように振る舞った。
「読みませんっ」
「えー、仕方ないなぁ」
鈴はそっぽを向いた。イーリンにしてみれば、そっぽを向こうが構わないのだろう。鈴が顔を上げて耳を塞がなくなったことに意味があるようだ。鈴に構わず、続きを読み始めた。
『1月12日 避けられてる?!
抱き付いて叩かれてからというもの、すっかり避けられるようになっちまった。手も握らせてくれないし、腕に抱き付かなくなった。でも話しはしてくれるから嫌われてはいないと思う。』
「ふぅーん。懲りずに通ってたんだ。なんでかなぁーなんでかなぁー。鈴タンはどう思う?」
鈴はそんなことより、怒っている私の顔を見ても動じずに平然と読み続けるイーリンに腹立たしさを感じていた。
『7月10日 抱き付かれた』
「ええっ?! 驚きの展開だね。女の子の方から童貞君に抱き付いたみたいだよ。なんでかなぁーなんでかなぁー、ねぇー鈴タン」
イーリンが顔を覗き込もうとすると、鈴はサッと別の方にそっぽを向いた。
『帰ろうとしたら後ろから抱き付かれた。叩いてごめんだって。今更かよ。』
「今更とか何様だよ。自分は抱き付いてゴメンって謝ったのか? 謝ってないよな! 酷い童貞君だなぁ。鈴タンもそう思うよねぇー」
鈴はそうやって平然としているイーリンの方が酷いと腹を立てた。
『もう来てくれないかと思ったらしい。』
「へぇー。よかったじゃない。お父さん、歓迎されてるよ」
イーリンは再び鈴の顔を覗き込もうとしたが、鈴も再びまたそっぽを向いた。
『次の日行ったら普通に話してただろって言ったら、平静を装うので精一杯だったようだ。俺も特になにも言わなかったから夢だったのかな。でも手を握ってくれないな。どうしよう……と思いつつずるずると日にちだけが過ぎていき、このままじゃいけないと思って強硬手段に出た……と。』
「うわぁ、なんだろ。背中がムズムズする。惚気か? 惚気なのか? 止めてくれぇーっ」
こんなにも鈴を腹立たせているのに、あまりにも普段通り過ぎるイーリンに、鈴は更に腹を立てた。
『なら、今までの時間を取り戻さないとな。』
「うわーうわーうわー!」
イーリンは背中を掻こうと悶え苦しんだ。
自分勝手に振る舞い、鈴の気も考えずに暴れ回り続け、そんな様子を見続けた鈴は、立てた腹で気持ちが悪くなってきた。
「ひぃー、鈴タン、背中掻いて掻いて!」
イーリンは鈴に背中を向け、鈴の身体に擦り付けた。
「ひぃー痒い痒い」
「ちょっ、イーリンさん!」
そんな無神経なイーリンの態度に、とうとう鈴は我慢しきれなくなって怒鳴りつけた。
「掻いて!」
しかしイーリンは鈴の怒鳴り声を一蹴するほどの意志の強さを示した。そのあまりの傍若無人さに鈴は言葉を失い、思考が停止してしまった。
「もぉ」
鈴は諦め、素直にイーリンの背中を掻いた。鈴が立てた腹は、いとも簡単に原因となったイーリンによってコテンと倒されてしまった。
「あーそこそこ。あ、もうちょっと強く。そそ。あ゛ーぎも゛ぢい゛い゛ー」
鈴は、私なにやってるんだろ、と自分に呆れてしまった。
「はぁーありがと」
そして鈴の方を向くと、ガシッと鈴の肩を掴んだ。
「続き続き! ね? やっぱりストーカーじゃなかったよ」
「もぅ……分かりました。分かりましたから離してください」
「ヤダ! 鈴タンは悲鳴を上げて叩いたりしないもん。ねぇー」
「はぁ……」
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