今日のお宿
中岳から西に走り再びミルクロードだ。まさに絶景ロード。そりゃ、誰もが走りたがるはずだ。バイク乗りにこれだけ会う道も珍しい気がする。こんなツーリングコースの近くに住んでいる人は羨ましいぞ。
さっきの良縁成就のお寺だけど、あそこでの祈願って、やっぱり神在月に出雲に集まった神様に報告されて、大国主命の主催する会議でどの赤い糸を結ぶかどうか決められちゃうんだよね。
「あそこはお寺だから神道の神とは別だと言いたいけど、日本の宗教は神も仏もごちゃ混ぜだから、そうなるよな」
神道と仏教が強制的に分離されたのは明治だもね。でもだよ、出雲の神様会議って連日連夜の大宴会をやりながら適当に赤い糸を結びやがるから三組に一組も離婚しちゃうんでしょ。
「それはマナミの説だけど、結果から言えばそうなるな」
今度間違えやがったら、出雲大社でウンコしてやる。
「おいおい」
トイレでだよ。レディが野糞をするわけないだろうが。それにしても今日は良く走ったよ。だってフェリーで上陸したのが大分港で、ここは熊本の阿蘇だよ。マナミのモンキーも九州まで轍の跡を刻んだってことだ。
テンションは上がりっぱなしなんだけど、さすがにくたびれてきた。これだけ走ればね。展望台も何か所か立ち寄ったけど、どこも大満足だった。これだけの大草原は他ではまず見れないだろ。
でも絶対バイクの方がイイよね。クルマとかバスで回ったら感動はかなり落ちる気がどうしてもするのよね。やっぱり自分で運転操縦して、路面を体で感じないと、
「それはマナミがバイク女子だからだろうが。でも気持ちはわかるよ、ボクだってバイク乗りの端くれだからね」
気が合うね。そう瞬とは気が合うのよ。理屈抜きでそんな感じ。人ってね、相性は絶対にあるのよ。性格とか、もちろん体もだ。誰だって、そういう相手を好きになりたいし、そういう相手と結婚して夫婦になりたいはず。
「そう思って誰もが結婚するのだけど現実は厳しいな」
それもこれも大国主命が悪い。神様なら間違えるなよな。ところでさぁ、
「もうちょっと頑張ってね。次の信号を左に行くぞ」
右に曲がれば大観峰で左は山鹿、菊池ってなってるけどサッパリわからん。でも走ると森と言うか林間ロードになってるな。こういう道も嫌いじゃないけど、さっきまでのミルクロードに比べたらどうしてもね。
菊池渓谷って出てるからこの辺が菊池なのかな。だいぶ走ったと思うけどどこまで行くのだろう。というか山ばっかりでなんにもないぞ。それでもガソリンスタンドがあるから町に近いとか。そうとも限らないんだけどね。それでも民家が見えてきた。
「左に入るぞ」
広域農道菊池グリーンロードってなってたな。この辺に田んぼが広がってるんだろうな。そりゃ、広域農道だもの。左に曲がってすぐに、
「トンネルじゃなく左の道を進むぞ」
こっちか。
「お疲れさん。ここだよ」
やられた。なんだよこの宿。妙に品が良さそうな築地塀が巡らしてあるじゃないか。一軒宿ってやつで良いと思うけど、どうみたってゴージャスだ。こんな宿まで接待に使ってたのか。
「さすがにないよ。熊本出張の時は熊本のホテルだったからね」
受付を済ませたら案内されたのは、なんと、なんと離れじゃないの。どうもこの旅館はすべて離れみたいなスタイルみたいだけど、まさに、なんじゃこれだ。部屋だって凝りまくりの和風の宿だよ。ここも温泉らしいからいざ大浴場と思ったのだけど、
「ここは部屋の風呂を楽しむところみたいだよ」
えっ、部屋風呂って思ったけど、窓から少し下りたところの露天の岩風呂があるじゃないか。こりゃ、贅沢だ、それこそ贅沢の極みとはこの事だろう。
「気に入ってくれたかな」
これを気に入らない人間がいたら拝んでみたい。さっそく瞬と入ったのだけど気持ち良いぞ。お肌がツルツルって感じになるんだもの。風呂だから素っ裸なんだけど、やっぱりどうしてもが残っちゃうのよ。
「前にも言っただろ。スリムな女性を好む男が多いのは否定しないけど、ポッチャリが好きな男だっているんだよ」
ポッチャリと言っても子豚体型だぞ。
「ボクの好みにまさにドンピシャリ」
それは美的感覚が歪み過ぎだ。
「そう言うけど美人の基準も変わるんだよ・・・」
それは聞いた事がある。安土桃山時代でも女は肥えてる方が美しいとされたらしい。江戸時代以降は知らん。だから女への褒め言葉として、
『一段と肉置きが豊か』
肉置きはシシオキって読むそうで要は肥えたってことだ。そうなったのはたぶんだけど、肥えてる女が少なかったはずなんだ。つうか肥えたくても食い物は乏しいし、女だって男と同等に肉体労働をする時代だったはずだもの。肥えれるって言うのは、それこそセレブの特権みたいなもので、
『肥えてる = エエとこのお姫様』
こうだったはず。でも今は逆だ。少しでも油断すれば肥えてしまう。だからスリムを越えてガリガリだった女が結婚したらブクブク肥えるのはいくらでもいる。
「男だってそうだ」
現代人がスリム体型を保とうとすれば、体質的に肥えない恨まし過ぎる女を除いて努力に努力を重ねないと無理だ。だからあれだけダイエット法が山ほどあるし、それに見境なく飛びつく女も数知れずだろうが。
「昔だって肥えてるのよりスリムが好きな男もいたはずだよ。ボクがポッチャリ好きで何が悪い」
悪くない、どこも悪くない。瞬の美的感覚がいくら歪んでいても良いことだ。じゃあじゃあ顔はどうなんだ。一円ブスだぞ。
「マナミは悪いと思うけど、一般的な意味で美人とはしにくい」
ほら見ろ。
「だけどね、マナミの顔を見てるとホッとするんだよ。それじゃ、失礼過ぎるな。表情ってね、人格から滲み出るものだとボクは考えてる。マナミの表情は本当に魅力的で、笑顔なんてまさに輝いて眩しいんだ。これほど魅力的な表情を自然に出来る女性がこの世に他にいるものか」
やっぱり歪んでるぞ。それもトコトンまで捻じ曲がってる。でも瞬の言葉は信じられる。それだけの月日を重ねてるんだもの。マナミだってね、ブサイクの自覚は刻み込まれるぐらいある。
けどね、けどね、この世に一人ぐらいマナミを心から愛してくれる人が現れてくれるはずって夢見てたんだ。儚いとか、妄想って言われるだろうけど、それぐらいの夢を持たないとブサイクが生きて行けるものか。そのこの世に一人が瞬だなんて信じろと言う方が無理がアリアリだったのよね。
「上がろうか」
うん、ツーリングの疲れも癒されたものね。今だって瞬の前で素っ裸になるのは恥ずかしいところはある。どれだけこのスタイルにコンプレックスを抱えているかってことだ。でも愛する瞬にあそこまで言われて余計に恥ずかしいよ。だってだって、オッパイだって、お尻だって、あそこだって瞬からしたら、
『なんて良い女だ』
こう思われるって事じゃないの。そんな日がマナミに来るなんて現実とは思えないところがあるのよ。露天風呂から上がってマッタリしていたら食事に呼ばれた。ここも部屋食じゃなく、お食事処みたいだな。仲居さんに案内されて行ったのだけど、こ、ここって個室なの。
メインは陶板焼きか。阿蘇牛とか言ってたな。こっちは馬刺しなのか。そっかそっか、熊本と言えば馬刺しだよね。馬刺しは居酒屋で食べたことあるけど、
「美味しい!」
これって本当に馬刺しなのか。別物だろこれ。へぇ、馬しゃぶなんてあるのか。刺身も良いけどお鍋も美味しい美味しい。こりゃ馬力が付くから今夜は瞬も燃えるだろうな。お酒は焼酎か。これも熊本ならそうなるか。食べて飲んで一段落したところで、
「マナミ、お願いがある」
これでやらない選択などあるものか。馬刺しと馬しゃぶ、ついでに阿蘇牛のパワーを全部受け止めてやる。マナミだって馬力は付いてるから、馬力と馬力のぶつかり合いだ・・・そこまで気合を入れなくても良いか。それぐらいしかマナミには出来ないからね。
ふと見ると瞬の顔が怖いぐらい真剣だった。あんな真剣な顔の瞬を初めて見る気がする。ウソでしょ、冗談でしょ、今さら別れ話とか。お風呂の時だってあんなにマナミにお世辞を言ってくれたのに・・・そしたら瞬は懐から小箱を取り出したけど、えっ、えっ、えっ、それって、それって、
「結婚しよう」
小箱の蓋が開くと給料三か月分だ。なんて事をしてくれるんだよ。瞬がサプライズを好きなのは知ってるつもりだけど、こんなサプライズは不意打ち過ぎる。涙が溢れてきて前が見えないよ。それでも夢中になって答えたよ。
「喜んで」
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