第52話 アルティナの覚悟
大神官メーディアが静かに息を引き取ると、広間に重い静寂が訪れた。ふたりきりになった広間は冷たく、どこか神聖な空気に包まれていた。
アルティナはその場に佇む拓海の横顔を見つめた。彼は無言でメーディアの亡骸を見つめている。彼の瞳には哀しみの色が浮かんでいたが、それ以上の感情を表に出すことはなく、ただ静かに佇んでいた。
「私……メーディアから大神官を受け継ぐわ」
アルティナの声は静かで、決意に満ちていた。しかし拓海はすぐに応えず、ただ目を伏せたまま彼女の言葉を噛みしめているかのようだった。やがて、彼はゆっくりと顔を上げる。
「……本当にそれでいいのか?」
その問いには、僅かな戸惑いと、アルティナを気遣う想いがにじんでいた。
「ええ、そして私が……【センチネル】を発動する」
その言葉が、彼女の覚悟を決めたのだと告げていた。だが、拓海はその決断に納得できないかのように表情を曇らせた。
「……ねえ、拓海」
アルティナは彼の顔をまっすぐに見つめる。
「あなたは、これまでどんな困難な場面でも楽しんでいた。いつも楽しそうに笑って、前を向いていた……だけど」
「……」
「聖地を出てから、笑ってないよね……楽しそうにも見えない」
拓海は微かに目を伏せ、肩を落とした。その沈黙の中に、否定できない何かが潜んでいることを、アルティナは感じていた。けれども彼は、どうしてもそれを認めたくないのか、軽く肩をすくめた。
「俺は重大な使命を背負ってるから、楽しんでる場合じゃないだろ」
「そうね……でも、なんか今のあなたはすごく俯瞰で世界を見ているように見える。どこか遠くで……」
「……俺は、このねじれた世界のすべてを破壊しなきゃいけないから」
拓海がそう言いかけたとき、アルティナは一歩近づき、彼の両肩に手を置いた。そして背中に手を回した手で抱きしめた。
「あなたにだけ、この世界を背負わせたりしない」
彼女の声は震え、切実な想いが溢れていた。
「私が、必ずあなたも救ってみせる。だから……」
拓海は彼女のぬくもりを感じながら、言葉を失った。そして、彼の頭の中で渦巻いていた使命感や怒りが、不意に崩れていくのを感じる。
「いや、俺は……俺は、魔王を倒して、この世界を……」
言葉が途切れると同時に、アルティナはそっと彼から身を離した。その目には決意が宿っていたが、同時に、深い哀しみがにじんでいた。
「ごめんね、拓海。大神官になったら結婚が不可能になる。だから婚約も自動的に……解消されちゃうの。」
そう言うとアルティナの瞳から涙が溢れ出し、笑顔を浮かべていたが、胸の奥の痛みを隠しきれなかった。
「でもそれが、あなたにとっては余計な『しばり』になっていたのかもしれない……」
「俺の『しばり』……?」
アルティナは頷き、彼を見つめたまま大神官としての契約の儀式を始めた。すると、眩い光に包まれ、彼女のステータスが大神官へと変化する。儀式が終わると、彼女のまとう雰囲気がまるで変わっているのがわかった。心の奥底に隠していた悲しみと覚悟が、今彼女の目にはっきりと宿っていた。
アルティナは大神官の魔法陣の中央に立つと、【センチネル】の詳細が頭の中に鮮明に浮かび上がった。
「なるほど……この魔法陣から半径10キロ圏内の大地が浄化され、あらゆる誓約や呪縛が解除されるのね……つまり、リッチやアンデッドたちの主従契約も消えて、不死王カーロンは無限の魔力を得られなくなる」
アルティナの目には強い決意が宿り、彼女はまっすぐに拓海を見つめる。
「これなら、きっと勝機があるわ」
拓海は唇を噛みしめながら尋ねた。
「その効力はどのくらい続くんだ?」
「この魔法陣に私が立ち続ける限り……つまり私の命か、魔力が尽きるまで。だからここでお別れね……拓海」
その言葉に、拓海は何かを言いかけたが、すぐに言葉を失った。そして彼女は【センチネル】の発動に向けて呪文を唱え始めた。
広間は黄金色の光に包まれ、空中に巨大な光のサークルが浮かび上がった。
「少しの間だけでも、あなたの婚約者でいられて幸せだった……ありがとう、拓海。でも、最後くらい……笑ってほしかったな」
彼女の目には涙があふれていたが、その頬には微笑が浮かんでいた。拓海は胸に熱いものが込み上げ、彼女にかける言葉を探していたが、その時、眩い光が拓海の身体にまで広がり、彼の片目の黄金の輝きが消えて元の黒い瞳に戻った。
——何だ?なんだか視界が明るくなったような……
そう思った瞬間、俺の意識が、まるで霧が晴れたかのように心がクリアになった。ずっと心の奥にあった曇りが、突然消えてなくなったような気分だ。
あそうだ、アルティナが【センチネル】を発動させたんだ。
だから、俺がどこかで受けていた呪縛が解けたってことなのか?誰だ?まさか創造神ユグドラの仕業か!?
「アルティナ!大丈夫か!」
彼女の方に駆け寄ると、アルティナは命を捧げるように両手を合わせ、静かに頷いた。まるで広間全体が彼女の光に包まれているようで、神聖で厳かな雰囲気が漂っている。
俺はもう一度、少しだけ声を落として聞いた。
「発動中はしゃべれない……みたいだな?」
アルティナが微かに微笑み、静かに頷いたのを見て、胸が熱くなるのを感じる。
この俺が……なぜか不思議なほど落ち着いている。やはり【センチネル】が俺につきまとっていた何かを浄化してくれたのかもしれない。頭がスッキリして、まるで違う視界が開けてきたようだ。
「……ありがとうな、アルティナ。おかげで、俺のやるべきことがハッキリ見えてきた」
彼女が少し驚いた顔で見上げたのを見て、俺は笑ってこう言った。
「アルティナ、俺は棍棒だけで魔王を倒す!そして……おまえを迎えに戻ってくる。だから待っててくれ!」
すると、彼女の瞳が驚きと信じられないような安堵で揺れた。彼女は大神官になって婚約も自動的に解消されると言っていたが、俺にとってそんなもんは関係ない。
「あと、おまえとの婚約が俺の『しばり』とかなんとか言ってたよな」
アルティナは、今度は驚いた顔で俺を見ていた。少し頬を赤くして、やがてコクリと小さく頷く。俺はその顔を見つめながら、胸の奥にあった熱が込み上げるのを感じて、思わず言葉が出た。
「俺は、世界一の『しばり』プレイヤーだぞ!『しばり』があるほうが燃えるんだよ!だから……俺たちは婚約者のままだ!龍言なんて関係ない!」
その瞬間、背後から重厚な声が響く。
「おいおい、聞き捨てならんな、拓海。龍言の誓いが無くなった今、我との主従関係も解除されているのだぞ」
振り返ると、火龍王ムスターファが悠然と姿を現し、俺の方を見つめていた。彼はいつもの威厳ある目で俺を見据え、俺の言葉に興味を示しているようだった。
「ムスターファ、そうか。お前とも主従の誓約は消えたんだな。でもな、頼みがある」
「何だ、拓海」
「俺を戦場まで運んでくれないか。今おまえが必要だ!」
ムスターファは一瞬黙り、俺を見つめてから鼻で笑った。
「ふん、千年生きたこの我だが、生きる理由など所詮は自らの喜びを追い求めることに尽きる。それを思えば、オマエと共に戦場に行くのは、面白いことに違いない」
俺はその言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。
「ははっ、初めて意見が合ったな、ムスターファ!」
ムスターファは鋭く息を吹き出し龍化すると俺の前に堂々と立つ。その背に俺が乗ると、彼は深くうなり声を上げ、力強く翼を広げた。その瞬間、空間全体が揺れるような、そんな気迫が伝わってきた。
その時、ふとアルティナの方に目をやると、彼女がこちらを見送っているのが見えた。大神官としての彼女は、今までに見たこともないほど神々しい姿で、けれどもその表情には穏やかな微笑が浮かんでいた。
「アルティナ……大丈夫だ、俺を信じろ!」
彼女は俺に微かに頷いてから、静かに目を閉じて祈るような仕草を見せた。そしてその姿を見て、俺の胸の中で何かが熱く燃え上がるような感覚が広がっていくのを感じた。
「ムスターファ、行くぞ」
「心得た」
ムスターファが力強く翼を打ち、広間から飛び立つと、下の方でアルティナが両手を合わせ、俺たちを見送っていた。俺は彼女を見下ろし、心の中で静かに誓った。
(アルティナ……おまえが、俺の生きる意味だ)
光の中に包まれたアルティナが、見えなくなるまで目を離さなかった。
その瞳には、今の俺にとってすべての答えがあるような気がしていた。
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