#24:Irreplaceable.

高校卒業まで約二か月。


第一志望の受験を終え、合格発表まで一週間待たなければならないこの時間は、言い表せない緊張感を私の心身にしつこく絡みつけていた。


二年生の夏から一日も休まずに通った、美大予備校の『夜間部』での生活が終わることは、解放される気持ちもあったけれど、結果如何ではこの一年半培ってきた努力が、泡となって消えてしまう。


その残酷さを思うと、やるせなくなって全てが無駄だったんじゃないかと感じてしまっていた。


パパもママも家族との関係や、仕事を順調に乗り越えていて、そんな姿を間近で見ていると羨ましくて、二人に対して意味もなくキツい態度を取ってしまうことが少なくなかった。


二人とも私のことを気にして、受験の話題を振らないように、いつも通り接してくれていたけれど、話題にされなければされないで、私のことなんて『どうでも良い』と思われているような気がして、疑心暗鬼になることもあった。



「なんか被害妄想が止まらないんだよね…」


こうして卒業制作を描いていても、気が紛れることはなかったし、筆は全く進んでいなかった。


こんなことを話せるのは凛しかいなかった。


私達は第一志望が同じ大学で、私は美術学科、凛は写真学科をそれぞれ専門試験併用型で受験していた。


「気持ちは分かるけどさ、うちの親なんてめっちゃ聞いてくるから嫌になるよ?」


「凛も大変だね…」


「まあ、やれる事はやったんだし『人事を尽くして天命を待つ』だよ」


「凛ってさ、たまにお婆ちゃんみたいなこと言うよね」


「そこは素直に『賢い』って言いなさいよ」


「賢いねえ…」


「私達も頑張ってるのにさ、親って勝手だよねー」


指を組んだ両手を上げて、背伸びをしてから凛は話を続けた。


「第一志望には受かりたいし、受かるためにできる努力は全力でやった。親も第一志望に受かって欲しいって思ってくれているし『それを期待』してる」


「うん…」


「応援してくれてるのは有難いし、受けたいって言えば安くない受験料だって払ってくれる。でもそれってさ、圧っていうか凄いプレッシャーを感じるんだよね」


「そうだよね…」


私も第一志望には受かりたいし、パパもママも口では言わないけれど、きっとそう願ってくれている。


そのお互いの『期待』は、不安となって家の隅々まで蔓延していた。


「凛はさ、その…第一志望に行けなかったらどうするの?」


落ちるとか滑るとか言わないように気をつけたけれど、親友の本音を聞いてみたかった。


「私は受かってるとこに行くよ。一日でも早く本格的にカメラの勉強をしたいからね」


「そうなんだ…」


私はどうだろう。


ただ我武者羅に第一志望を目指してきたけれど、いざダメだった時の身の振り方を考えていなかった。


既に合格を貰っている大学もあった…そこを受験する為の受験料も払ってもらっている。


この感覚が、あと一週間も続くのかと思うと気が遠くなりそうだった。


*******


「うわっ!女優だ!!」


この日は、ママが私に会わせたい人がいるからと、その人を家に連れてくることになっていた。


よく考えたら、自分の母親も女優なのに何を言っているのかと思われるかもしれないけれど、ママは私の『ママ』であって、女優だという認識を持っていない。きっとパパも同じ気持ちだと思う。


私の目の前に姿を現したママの友達は、なんと女優の未来だった。


芸能人を前にして、私は少しだけ高揚してしまった。


「あっ…すみません。いつも母がお世話になっています」


「こ…こんにちは……こちらこそ…お世話になってます…ひまわりちゃん」


(随分とオドオドしている人だな…テレビで観るイメージとは違うな…)


「あの…私のこと知ってるんですか?」


「そうよ?未来はね、芸能人で唯一ひまわりのことを産まれた時から知っている人なのよ」


何故だかママは誇らしげだった。


「そうなんだね」


(ママが気を許せる人なんだから、悪い人では無いんだろうな)


「えへへ…」


何気なく受験の話をしていると、未来さんは自身の生い立ちについて話をしてくれた。


いじめが原因で高校を中退してしまい、それからは子役の経験を活かして『女優として』生きる道を選んだそうだ。最初は上手くいかなかったけれど、ご家族の支えがあって今まで頑張ってこれたんだと語ってくれた。


そんな、今では世間から大女優と呼ばれている人に、自分の描くものを見て欲しくて、積み上げてきた努力を認めてもらいたくて、自分の作品を並べて講評を受けていた。


「凄いなぁ…ひまわりちゃん…絵も上手だし…才能あるんだね…それに…その夢って素敵だね」


「未来さんには、夢ってないんですか?」


「私は…その…あんまり…無い…かな…目の前のことで精一杯っていうか」


「たくさんドラマとかに出てますもんね」


確かにママも、信じられないくらい朝が早かったり、かと思うと私達が寝ている時間に帰ってきたり、とてもホワイトと呼べる生活はしていなかった。


それでもママは、パパと交代ごうたいで予備校まで車で迎えに来てくれていた。当たり前のように受け入れていたけれど、それってどんなに大変なことだったんだろう。


「夢というか…花ちゃんと…その、お母さんとね…また一緒に…お芝居が出来たらいいなって…思うかな」


ママにも『夢は?』って聞いてみたかったけれど、気を遣わせてしまうように思えて聞けなかった。


「ずっと続けてるとね…たまに…その…何が楽しいとか…分からなくなるんだけど…お母さんとお芝居をするとね…報われる…というか…とっても…楽しいの」


「『楽しい』ですか…」


「ひま、あのね何かを続けることって凄く大変なことだし、誰にでも出来ることじゃないのよ?ママは何かを一生懸命に続けている人を尊敬してるし、絶対にそのことを否定しない」


ママはそう言ったけれど、ママも未来さんも十代の頃から女優の仕事をしていて、今もそれを続けている。


継続は力なりって言うけれど、私が絵を描き続けることもいつか実を結ぶのだろうか。


「ひまわりちゃんのお母さんは…凄い人なんだよ」


そう言われたママは、恥ずかしそうだったけれど、私達には見せたことのない顔をしていて、つい絵に描きたいと思ってしまった。


「あのっ…二人の絵を描いても良いですか?動いてもらっても構わないので」


私も凛とは、この二人みたいにずっと寄り添って支え合っていたい。たとえ大学が別れたとしても、ずっと友達でいたかった。


凛は、第一志望に落ちても前を向くと言っていたけれど、この私の離れたくないという気持ちは、贅沢なものなのだろうか。


親友と別れてしまうことは、不合格になることよりも辛いもののように思えた。


*******


「ちょっとドライブにでも行こうか」


急に呑気なことを言うパパに、少しだけイラッとしてしまったけれど、家の中で悶々としているよりも、外の空気でも吸った方が気は紛れそうだった。


パパの運転はいつも丁寧で、スピードも出し過ぎないしブレーキも優しくて心地が良かった。


パパが迎えに来てくれていた予備校帰りの車中は、いつも寝てしまっていたなとふけっていると、本能的なのか習慣なのか眠たくなってしまった。


「私も免許取ろうかな…」


「おっ!じゃあどこに連れてってもらおうかな」


「何でパパが居ることが前提なのよ」


「娘の運転する車に乗るのが夢なんだよ」


「そんなこと夢にしないでよ」


(ほんとパパは大袈裟なんだから…)


このあと、道中寝てしまったまま目的地に着いた私は、東京スカイツリーに来ていた。


小学校の社会科見学で行ったことはあったけれど、こうしてちゃんと来るのは初めてだった。



初めて足を踏み入れた展望デッキは、地上350メートルの高さにあって、360度大型のガラスで囲まれていた。冬晴れで空が澄んでいたこの日は、関東平野を綺麗に一望することができた。


「凄い…」


想像以上の絶景に、私は言葉を失ってしまった。


「あんなに大きいビルが、こんなに小さく見えるって不思議だよな」


パパのその一言は、何故だろうかすごく重みのある言葉のように思えた。


でもどうしてパパは、私をここに連れてきたんだろう。


そんなことを考えているとパパは、ゆっくりと話をしてくれた。


「パパはさ…ひまに何にもしてあげられないけれど、その…ひまには後悔してほしくないし、自分が納得できるまでやって欲しいんだよ…それまではパパ達がずっと傍で応援するから」


言葉を選んでくれていたけれど、いま私を待ち構えている結果に対してのことだと分かった。


「もちろんママも同じ気持ちだし、ひまの人生だから決めるのはパパ達じゃない。でも、これだけは忘れないで欲しいんだけど…」


「うん…」


「『ひまがこれまで頑張ってきたこととか、経験して積み重ねてきたことは絶対に無駄にならないからね』そのことはパパが保証する。だからきっと大丈夫だよ」


パパは病気になった時、一人ぼっちだった。


でも、その経験があるから私やママを大切にしてくれているし、やりたかったことを見つけることが出来たんだと話をしてくれていた。


きっと今も、ずっと傍で私を見守ってくれていたから、ずっと私のことを見続けてくれていたから、そう言ってくれたんだろう。


「あの…パパもさ一緒に発表を見てもいいかな?どうしても傍にいたくて…」


「ありがとうパパ。凛も一緒でもいいかな?」


「もちろん!一緒に居てくれたら心強いよ」


*******


そうして私と凛は合格発表当日、パパが見守ってくれている前で、志望校の合格発表ページを開いていた。


「よし…まずは私からいくね…」


怖気付く私を気遣ってか、凛は自分の結果から見ると言ってくれた。


「ねえパパ?ちょっとは落ち着いてよ」


「だってさ!緊張するんだから仕方ないじゃん!」


相変わらずパパは、自分のことのように緊張していて、ウロウロ歩き回っていた。


「あの、お父さん…ダメだったら抱き締めて貰ってもいいっすか?」


「おっおおぅ…」


「ちょっと何言ってんのよ!縁起でもない」


「こうでもしないと見れないよー」


「パパも簡単にOKしないで?」


「はい…」


「じゃあ、いきますか…」


凛は写真学科と書かれた文字をクリックして、ゆっくりと画面をスクロールしていった。



凛が持っている受験票の番号と、画面の番号を見比べながら、私は手を組んで祈っていた。






「あっ!あった…ひまちゃん…あったよ!」



「凛っ!良かった…やったね!おめでとう!」



「凛ちゃんおめでとう…良かった…本当に良かったなぁ」



「はぁー良かったー!」


ホッとしている顔を見ると、今まで頑張ってきた凛の姿が思い出されて、本当に自分のことのように嬉しかった。


パパは何だか知らないけれど、泣きながら吐きそうだと言っていた。


「くそっ!合格したら抱き締めてもらえば良かった!」


「んぇっ?いま…抱き締めた方がいいのかな?」


「ホントやめて?」


「次はひまちゃんの番だね…」



そう…まだ、私の合否確認が待っていた。



大きく深呼吸をしていると、凛が左手を握ってくれた。



パパは「オエオエ」嘔吐えずいて、本当に吐き出しそうになっていた。



もう一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから、美術学科の合格発表ページを開いた。



125…



ゆっくりとスクロールしながら、自分の受験番号を心の中で唱えていた。






125……125……






予備校で必死に絵を描いて講評を受けた日々






苦手な英語を克服するために、徹夜で参考書とにらめっこしていた静かな夜






受験当日の緊張した感覚






いろんな景色が、頭の中に流れ込んできた






















「ひまちゃん!」 「ひま!」



その二人の呼び掛けに、息を止めていたことに気づいて、大きく息を吸い込んだ。








凛が指を差している先には、確かに「125」と記されていた。




「やった…良かった…」


「ひまちゃん!」



抱きついてきた凛は、さっきの私みたいに、自分のことのように喜んで泣いてくれていた。



「凛…ありがとう…これで春からも一緒だね」



「うん!嬉しい!」



「ひま…おめでとう…本当に良かった…ずっと頑張ってたもんなぁ…」



パパは本当に泣き虫だ。


パパに頑張っていたと言われて、ずっと見守ってくれていたんだと感じて本当に嬉しかった。


でも独り言なのか何なのか、見えない何かに感謝の言葉を唱えていた。さすがの娘もちょっと引いてしまいました。



すぐママにも連絡すると、美咲さんと未来さんも一緒に居たみたいで、喜んでくれていると教えてくれた。



凛もご両親に連絡をした後、瞳さんに連絡をしていた。


すぐに電話が掛かってきて、私にもお祝いの言葉を伝えてくれた。



私は、パパとママや凛、周りで私を支えてくれていた人達の存在の大きさを改めて思い知った。



私は自分の周りにいる人達を笑顔にしたかった。



でも、その人達は私を笑顔にしてくれる存在でもあった。



かけがえのない存在。



大切なもの。



それは気付いていないだけで、ずっと私の傍にいて、寄り添ってくれて見守ってくれていた。



「パパ、凛…いつも傍にいてくれてありがとう」



ママにも改めてメッセージを送った。



『いつも傍で支えてくれてありがとう。美咲さんも未来さんも、小さい頃からずっと見守ってくれて、ありがとうございます』



こうして私と凛、私達家族の受験生活は無事に幕を閉じた。




何を描こうか迷っていた卒業制作。


描きたい景色が見えた私は、まっさらなキャンバスに、迷わず力強く筆を走らせ始めた。

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