第17話 隣人詳己
「・・・とまあ、こんな感じじゃ」
「そうか。まあ、無事で何よりだ」
「何が、無事で何より、じゃ」
水晶玉越しにクリスフトへの報告を終えた久秀は、頬杖をついたまま憮然とした表情で舌を出し吐き捨てた。頬杖をつく左頬には、真っ赤な紅葉が咲き誇っている。
今、久秀たちがいる大広間はミルシによると敵魔術師が儀式の為に使っていた部屋で、最後の鼬っ屁で大爆発に見舞われたらしい。
その勢いで調度品という調度品は殆ど吹き飛んでしまっており、無事だったのは久秀が座る椅子と壁際のいくつかの棚、そして大机とそこに固定されていた水晶玉くらいのものだ。
「そもそもクリ坊、あそこまでの才人と分かっておれば・・・」
「言ったろう、ただのグールの群れでは無いと。それに、そもそもの話、お前が牢破りなどしなければ、だろ?」
「それとこれとは話が・・・あ、痛!」
「ん?」
「待てミルシ!今は大事な話を・・・おい馬鹿止め、痛!」
しかし、そんな制止は知らぬとばかりに傷口に治療薬を染みこませたガーゼをあてていたミルシは、その上から手慣れた調子でグルグルと包帯を巻いていく。
「止めませんよっと。でも、あれだけ手ひどくやっつけられて、実際の傷は擦り傷と打ち身だけって・・・どうしたらそうなるんです?」
「ふふん。まあ、百戦錬磨の手練手管、その1つじゃの」
鼻高々な久秀の自慢を無視して、ミルシは体中の手当てを続けていく。その中で幾度となく「あう」だの「ひう」だのといった悲鳴が聞こえたが、クリスフトは武士の情けとしてそれを今は聞き流しておいた。・・・状況次第では、後で思い出すかもしれないが。
「取り敢えず、これで手当てはお終い。あとこれは・・・心配させた罰!」
ミルシはそう言って手を叩きながら立ち上がると、傷に障らぬように且つ、掠りはするような軌道で鼻梁に出来た傷口を指で弾いた。
「うな!?」
「じゃ、カシンさんに呼ばれてましたから行ってきますね。くれぐれも、無理しちゃ駄目ですよ」
どこか満足そうな顔でパタパタと部屋を出て行った彼女を、久秀は唸りながらぶすりと恨みがましい視線で見送る。彼女自身としては睨みつけた心算だったが、傍から見れば臍を曲げた幼女にしか見えないのは言わぬが花だろう。
「フフ・・・仲がよくて、結構なことだ」
「笑うでない、馬鹿者」
そう腐して、置いてあった水をちろりちろりとまるで舐めるように口に運ぶ。呷るように飲みたいところだが、そうしないのは単純に口の中も傷だらけだからだ。
「いやいや、これでも驚いてはいるんだぞ。まさか、お前にそんな声を出させられる者がいるとは思わなかったからな」
それに対して、「ふん」と不満げに鼻を鳴らした久秀は、
「驚くと言うなら・・・儂としては、魔術師の使うておった水晶玉がお主に通じたことの方が驚きじゃがな」
と言い返した。
「ああ、それについては特段驚く話じゃ無いさ。ただ、その魔術師に通じていたスパイを捕らえただけの話だからな」
「『すぱい』・・・ああ、間諜か。何奴じゃ?」
「その建物の主の領袖、その使い走りだった男だ。何でも、グイエルバッハ伯の敵対派閥から金で誘われたとのことでな。・・・だとしても、敵にこちらの動きが筒抜けだったとは、まったく間の抜けた話だ」
他言はするなよ、と言い含めてくるクリスフトに「まあの」と空返事をした久秀は、そう言えば依頼の話を聞いて出て行く際に珍妙な服装をした変にしゃちほこばった男がいたことを思いだした。
「それで、その男は?」
「伯爵様の使者を、俺如きがどうこう出来る訳無いだろ。勿論、伯爵様の元へ丁重にお送りさせてもらったさ。・・・何だ、心配か?」
「いや全然」
古今東西、ただでさえ裏切りは好まれても裏切者は好まれないものだ。ましてや金目当てで敵に寝返る変節漢に情状酌量の余地なぞ、端から存在しない。
「まあ、今となっては王国から身の安全を保障されていたことの有難味を、さぞかし噛み締めていることだろうさ」
「で、あるかの。しかしのう・・・確かこの国では肉刑は禁止じゃったろう?」
「他人の話を聞いていたか?ソイツは王国の法で裁かれる訳じゃない。ただ・・・伯爵家の家訓に則って、チョットお仕置きされるだけだ」
もっとも、家の名に泥を塗ったに等しい愚行を犯した使用人に対して行われる仕置きだ。きっと、最後には自ら「殺してくれ」と叫ぶような『お仕置き』だろうが。
「ふん。まあ、何でも良いが・・・それよりクリ坊、報酬の件じゃが」
「報酬?ああ、安心しろ。お前の罪状は間違い無く消滅させるさ」
「それで無し。その前の、都市防衛を頼まれた時の報酬じゃ。お主からの、な」
勿論、という言葉の後に、水晶玉から地図が投影される。
「この赤い点の場所が、俺たちが今いる本営で、その上に見えるのがリファンダム離宮だ。だから・・・この少しそれた街道沿い、そこで会うことにしよう」
「良かろう。しかし・・・便利なモノじゃ。河内や大和にもあればのう」
しかし、それを今更に言ってもせん無きことだ。「了解じゃ」と久秀が頷くと、映し出されていた地図は現れた時と同じようにパッと消えた。
「それよりクリ坊、儂の体もボロボロじゃし、体力も限界じゃ。今晩はここで休ませてもらうからの」
「ああ、こっちもその心算で軍を動かすつもりだったからな。明朝、演習と称して何故か敵の姿が見えなくなった離宮へと乗り込む・・・そういうプランだから、敵と間違えられたくなければ、それまでには出て行けよ」
「分かっておる。・・・っと、ミルシの奴が、果心の漁った魔術師の持ち物を持ってきたようじゃから、切るぞ」
「そうか、分かった。敵の持ち物は兎も角、離宮の調度品なんかは触ると喧しい。くれぐれも、財貨目当てに家探しなんてするんじゃないぞ」
分かっておるわい、と久秀は乱暴に水晶玉を叩いた。
「おっと、怖い怖い」
そう言って、クリスフトはさも大事そうに水晶玉をつるりと撫でる。
そして、懐から1枚の紙を取り出すと、それを大きなランタンの炎へと放り込む。すると忽ちにその紙は黒く染まっていき、数秒もしない内にただの消し炭となった。
「これで良し、っと」
「しかし、良いのですか?」
「ん?ああ殿下、戻っておいででしたか」
「ええ。それより、彼のダンジョーと申す仕事人のことです。いくら、我が兵が未熟と言えど、今乗り込めば満身創痍の魔術師くらいなら・・・」
「そこまで」
すっと、人指し指をドラウスの口を塞ぐように動かす。
「彼奴らを甘く見るのは危険です。それに、依頼を果たした者を、その負傷を奇貨として討ち取る・・・それはいくらなんでも道義に悖ります。ただでさえ軽い、王族の鼎の軽重を問われかねませんよ?」
「ですね。まあ、そう言うと思いましたが」
言った本人としても本気では無かったらしく、ドラウスはあっさりと引き下がるとガサリと1封の書状をクリスフトへと手渡した。
「これは?」
「使者殿をお引き取りになられた伯爵家の者が、クリスフト卿へと。随分と軽いものでしたが、中身をお伺いしても?」
「いえ、チョット調べものを頼んでいましてね。殿下が気になさるほどのことではありませんよ」
その重さからは分不相応に思えるほど厳密に梱包されたそれを、クリスフトは無造作に懐へと仕舞う。が、それを無意識にだろうが服の上からグッと押さえている様子から、少なくともその言葉通りの品ではあるまい。
「成程、知らぬが吉、と」
「そういうことにしておいて下さい。それより、あの使者殿は?」
「使者殿?・・・ああ、あの男ですか。あの男なら、馬車に乗せられる直前まで死にたくない、と醜く泣きわめいていましたよ」
それは正しく監車に載せられる罪人の様相だったとは、ドラウス含めそれを見た全員の感想であった。
「それはそれは。主の元に戻るのが、よっぽど嫌なようですな」
「クリスフト卿、分かっていてそう仰るのは、些か悪趣味ですよ。まあ、同情の余地はありませんが」
「ですな。彼の至らぬ点は多々ありましたが・・・その最たるものは、俺とローレンス卿とが、直に連絡を取れないとの思い込みでしたな」
伝手などいくらでもあるのに。そう呟いたクリスフトの横顔は、少し寂しそうに陰って見えた。
「まあ、先に殿下が仰ったように、彼奴は主を裏切った男。同情する意味も無ければ価値もありません。どうか殿下におかれましては、気に病まれぬよう」
「分かっていますよ」
そう言って水差しから汲んだ水をクリスフトの前へ置くと、ドラウスは自分の分も汲んで彼の隣にある椅子へと腰かけた。
「それよりも・・・大事なのはこれから、ですね?」
「そうです、殿下。正確には明日以降」
なにせ、明日には彼が率いる近衛兵団が、化物に占拠され手が出せなかった元離宮を開放するのだ。実際はただ乗り込むだけとは言え、成果としては赫々たるものであることに違いは無い。
そして、それは同時に彼らの兵団が成果を上げられる集団だと公表することでもある。
「今まで、殿下はただ形ばかりの兵の上に立つ、お飾りの司令官でした。しかし・・・」
「おこぼれとは言え、実際に結果を示せば後継者レースへの参加意志表示ともとられ・・・畢竟、今までのようなお目こぼしは無くなる、と?」
コクと頷くクリスフトの表情は、うって変わって真剣そのものだ。それに対して、ドラウスも表情を改めて頷き返す。
「・・・しかし」
「しかし?」
「しかしですよクリスフト卿、それは飽く迄明日以降の話」
そう言って、ドラウスはニッコリと破顔すると水を注いだコップをそっと差し出す。
「今日ばかりは、まだ夢見ごこちでもいいでしょう?」
「・・・まったく、殿下ともあろうお人が。楽観的過ぎるのも宜しくありませんよ」
しかし、クリスフトもまた笑みを浮かべ、同じようにカップを持ち上げる。
「生憎、悲観的過ぎるのは宜しくないと侍従武官から言われていまして」
「やれやれ。・・・では、予定された栄誉と」
「明日からの苦難へ」
「「
「ダンジョーさん、持ってきましたよっと・・・どうしたんです?」
「何でも無いわい」
ぶすりとした表情でそう返す久秀であったが、
「それは、何でも無い顔ではありませんよ」
と言う果心のツッコミに「で?」と誤魔化すように大きな声をあげた。
「どんな塩梅じゃ?」
「相変わらず、誤魔化し方が下手ですね。・・・まあ、見て下さい」
ひょいとミルシが持ってきた木箱を覗きこめば、そこには怪しげな道具のアレコレが、雑多に詰め込まれていた。
「何じゃ、これは?」
「私じゃないですよ!初めからこんなでした」
責められたのかとブンブンと大業に腕を振るミルシに、久秀は「違う」とばかりに首を振る。
「これは・・・のう、果心や」
「ええ、それなり以上に価値のある魔道具ばかり。それをこんな風に扱うとはと、小生もいささか面喰いましたよ」
その言葉に、一番驚いたのは誰であろう、それらを持ってきたミルシだ。思わず伸ばしかけた手を、久秀はピシャリと叩いた。
「これ、不用意に触るでない!・・・さて、と」
床に置かれた箱の前に座り、手際よく検めていく。
「分かるんですか?」
「多少はの。それに、真贋の見分けじゃったら儂は一廉の者じゃぞ。・・・これは果心、どうじゃ?」
「右手のものは大丈夫ですが・・・左手の方の銅像は分かりませんね」
「うむ」
それでも、念には念を入れて少しでも怪しい物は果心に確認し、無事だと確証の持てない物は思い切って打ち捨てた。仮に問題が無かったとしても、それを危ぶみながら持ち運ぶリスクの方が勝ると判断したのだ。
「さて・・・ふむ・・・む?」
そうやって、危険性のあるものを選り分けて価値の高い物を見繕う様子は、さながら獲物を解体する狩人のようにも見えた。
「ふう・・・まあ、こんなものかの」
そして数時間後、久秀が選び取った物品は全体からすればホンの一寸、ささやかとも言える量だった。
「これだけですか?」
「ええ。少々勿体ない気もしますが・・・小生は言わずもがな、松永殿とて大荷物は持ち歩けませんから」
「それに、あからさまに価値がありそうに見える魔石や呪具は、罠の可能性もあるでの。あまり買い取り先も無いのじゃ」
加えて、と久秀は机の上にある水晶玉をつるりと掌で撫でる。
「明日にはクリ坊の手勢がこの屋敷へとやって来よる。ならば、そ奴らにも何らかの、目に見える『成果』が必要じゃろうて」
久秀の手には負えぬ諸々も、王宮魔術師を擁するクリスフトたちなら上手に取り扱うだろう。全ては適材適所、無暗に欲をかくのは愚か者のすることだ。
「で、他には何ぞかあったかの?」
「他ですか?ええと・・・治療薬の類はさっきの手当てに使いましたし・・・強壮剤入りの水薬と非常食が少々。それに金貨がジャラジャラ」
金貨、と言うフレーズに少し食指が動いた久秀であったが、先の会話を思い出し「いかんいかん」と頭を振ってそれを追い出す。
「金貨と非常食は駄目じゃ、この屋敷の物かもしれんからの。水薬は頂いても問題はあるまいが・・・」
「今急いで見繕う必要も無し、と。では、朝までは休憩ですね」
「うむ。じゃが、不用意に歩き回るで無いぞ。どこに何が仕掛けてあるか分かったものでは無いからの」
「わ・・・」
かりました、と続けようとしたミルシはしかし、チラチラと果心の方を見る久秀の目の動きを見咎めてその言葉を飲み込んだ。
「わ・・・たしは、少し外を歩いてきます!こんな所、2度と来られないでしょうから」
「おい、人の話を!」
久秀がそう制止する間も無く、踵を返したミルシは「では!」と言い残して足早に扉から出て行った。
「おい待たぬか!まったく・・・最近の若いのは」
「良いではないですか。それに、小生と彼女で一応の見回りはしてありますから、安全な所とそうで無い所くらいは彼女も知っていますよ」
「そういう問題では・・・」
ない、と言い淀む久秀を尻目に、ぴょんと果心は久秀の肩から机に飛び乗る。
「それに・・・何か小生に言いたいことがあるんですよね、松永殿?」
「・・・・・・気付いておったか」
「ミルシ嬢が気付くくらいですから」
やれやれ、と久秀はいつもの癖で思わず額を左手で軽く触ってしまい、傷に触れた痛みで顔を顰めた。
「愚行は兎も角、松永殿。せっかくミルシ嬢が気を使ってくれたのです。何がありました?」
「うう・・・うむ、うむ。そうじゃのう・・・」
痛みで湧き出た涙を拭いつつ、しばらく「うむむ」と唸って俯く久秀だったが、意を決したように顔を上げた。
「果心よ・・・儂はそう永く無いようじゃぞ」
そう絞り出した顔は、傷に触れてもいないのに顰まったままであった。
そう、久秀としては結構な話であるのだ。少なくとも、かつて主君にした「伊勢貞孝が六角に寝返りました」という報告くらいは。だが、
「おや?そうですか」
そんな久秀とは対照的に。果心の反応は何とも呑気で、「それが何か?」と言わんばかり。その軽さに、思わずガックリと肩が落ちた。
「・・・いや、お主なあ・・・」
「しかしですよ、常日頃仰っていたでは無いですか。武家たる者、常在戦場。次の暇には死ぬと思え、と」
「・・・それとは、違うわい」
久秀も、その程度の覚悟はある。
しかし、今回のものは些かそれとは異なる。朝起きたら、午睡から目覚めたら、否、この次に瞬いた瞬間にでも。この『松永久秀』という存在が、無くなってしまうかもしれないというのだ。
あの時はああも大見得を切ったものだったが、こうして状況が落ちついてからゆっくりと考えてみると、それはただ死ぬより余程『恐ろしい』と彼女の心を揺らした。
「それにの・・・確か、お主は言うておったな。儂とお主の魂は繋がっておる故、儂が死ねばお主も消えてしまう、と」
「ええ。それが?」
「それが?ではない。じゃったら・・・お主も、諸共に死ぬかもしれぬのじゃぞ?」
「でしたら、それも一興。それに、小生の如き私度僧崩れがお武家様のような覚悟で暮らせるとあれば、それも一種の名誉でしょう」
「ほっほ。あの田舎武者から、鼠に化けてまで逃げ回った男の言葉とは思えんの」
「それはそれ、これはこれ、ですよ」
そのいつも通りの言い様に、深刻な気持ちになっていた自分がどこか馬鹿らしく思えてしまう。久秀はその細指でわしゃわしゃと頭を掻きまわすと、そのまま椅子へともたれ込み、虚空を見上げた。
「・・・・・・儂はの、いつか『松永久秀』で無くなってしまうのじゃと」
見上げたまま、ポツリ呟く。眼の前では、天井に吊るされた豪奢なシャンデリアが破れた窓から吹き込む風でぐらんぐらんと揺れていた。
「女子のような身振り手振りになっておったのは、儂の魂が体の形に馴染んだから、なんじゃと」
「それは・・・誰から?」
「あの魔術師、ボッリーシとか言うたかの」
「ほほう。戦場で、敵の言うことを信用するなんて松永殿らしくも無い」
確かに。そう思って発した筈の笑い声は、どこか虚しく乾いていた。
「じゃが・・・・・・自覚はある。ワザとでは無く、自然と出る身振り、反応、心の起伏。どれも、従前の儂のものではないが・・・」
「今の貴女からすれば、違和感はない、と。成程・・・しかし松永殿」
「ん?」
「それが、一体どうしたと言うのです?」
いつの間にか、久秀の頭の真横、椅子の背もたれにちょこんと座っていた果心が諭すように囁く。その表情は鼠故に判別なぞ出来ないが、その醸し出す空気はいつに無く真剣そのものだった。
「例え、貴女の立ち振る舞いが幼女のそれと成り果ててもです。貴女が『松永久秀』であろうと出来るなら、それで良いじゃあありませんか」
「しかしの、魂の形が変じて、儂が儂でのうなってしもうては・・・」
「だとしても、です。所詮、自分が何者なのかなんて、自分で決めるしかないのですよ、松永殿。それに・・・」
「それに?」
「それに、例え松永殿がどう振舞おうと、どう思おうと。小生もミルシ嬢も、貴女を『松永久秀』以外だと見ることはありませんよ、きっとね」
そう言って、最後に果心はチチとはぐらかすように鳴いて見せた。しかしそれは、『貴女がそんなことを言うのなら、体が鼠の自分はどうなる』と言っているようで。そして事実、そうなのだろう。
「・・・・・・成程の、抜かったわ」
「何がです?」
「貴様如きに諭される、己の不明にじゃ。しかし果心・・・お主、たまには坊主らしいことも言うではないか」
「当然です。小生は興福寺に仏籍を持っていた、立派な坊主ですから」
「私度僧じゃと言うておったばかりじゃろうが。しかし・・・そうか、そうであった、忘れておったわ」
さて、と久秀は椅子から飛び降りると、果心を撮んで肩に乗せてからパタパタと尻部屋の隅にあった戸棚の元へと向かった。
「どうされました?」
「いや・・・まだ暫く、ミルシめが戻って来るまでは時間があるじゃろう?」
そう言って久秀が手を伸ばしたのは、大広間の戸棚の奥に置かれていた1本の葡萄酒の瓶だ。あの大爆発で戸棚のガラス戸は吹き飛んでしまっていたが、幸いにもそのボトルは割れずに済んだようだ。
「おや?家探しはしないよう、クリスフト殿から言われていたのでは?」
「確かに。じゃが・・・これは探すまでも無く、この場に置いてあった。約定は破っておらぬぞ?」
「詭弁ですよ、それは」
「じゃが、正しいモノの見方でもあるの」
屋敷の物に一切手を付けるなと言われていない以上、手を付けられるのは明確な制限を設けなかった側の落ち度だ。文句を言われる筋合いは、それこそ無い。
「それに、色々あったが、戦いは儂らの勝ちじゃ。じゃったら・・・祝杯くらいあげさせて貰っても罰は当たるまいて」
「まったく・・・貴女に屁理屈の言い合いでは勝てる気がしませんよ」
溜息混じりの台詞に、オープナーを使わず器用に栓を抜いた久秀は屈託のない笑みを浮かべ、嘯いた。
「当然じゃろ。儂は『大和の支配者、松永久秀』なのじゃからな」
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