第28話 中年主婦

 気まずい風が吹く。

 だが、これは大成の想定内だった。


 ビーチャムのコミュケーション下手は自らの体験で知っている。

 主婦が開口一番「マッドサイエンティスト」と口にしたのには多少面食らったが、これもある程度は予想していた。

 以前、食堂のおばちゃんにビーチャム魔導研究所について訊ねた時も、そのワードが出てきたからだ。

 残念なことだが、ビーチャムの名前を知っている人間にとっては一般的な認識なんだろう。

 

「タイセー。ここはいい。もう行くぞ」


 ビーチャムが早々に言った。

 その表情には怒りも哀しみもなく、ただ諦めきったものがあるだけ。


「ビーチャム」


 大成はビーチャムに視線を転じた。

 ビーチャムはギョッとする。

 大成の表情は、微動だにしない『営業スマイル』だったのだ。

 先も言ったように、この状況は大成にとっては想定内であり予想の範囲内。

 すでに彼の頭の中では『メラパッチン営業』におけるいくつものパターンとケースがフローチャート化され、その対応方法を含めて準備されていたのだ。


「奥様」


 大成は中年主婦に向き直る。


「まずは私どもの用件をお話させていただいてもよろしいですか?たいしたお時間は取らせません」


「うちには子供が三人いて祖父も祖母もいて忙しいんだ。あんたの話なんか聞いてられないよ」


 明らかに門前払いの様子の主婦。

 ところが大成は泰然たいぜんと穏やかなまま切り返した。


「そうですよね。お察しします。そこで本日は、そのお忙しい日々の生活のお助けになればと思いまして、ある便利な魔導具をお持ちさせていただきました」


「魔導具だって?まさか、それを売りにきたってのかい?」


 主婦の視線がさらに疑い深いものになる。


「いえいえ。無料でお渡しさせていただきます」


「なんだか怪しいねぇ」


「ははは。ではこちらをご覧になってみてください」


 そう言って大成はポケットから石ころを取り出して見せた。


「それは、石?」


「これは火の魔法石。火を起こすための簡易魔導具〔メラパッチン〕です」


「めらぱっちん?」


「これを使えば簡単に火を起こせます」


「なんだ。火打ち石ってことかい。そんなもののどこが魔導具なんだよ」


「いえいえ。これを使えばもっと簡単に確実に火を起こせますよ」


「だったらやって見せてみなよ」


 その言葉に大成は内心ほくそ笑むと、ビーチャムへ振り向いた。


「リアカーに松明たいまつがあったと思うんだけど」


「松明?そんなもの積んだのか?」


 疑問の面持ちでビーチャムはリアカーを漁ると、数本の松明が袋に隠れて積んであるのを見つける。


「これか」


 ビーチャムが松明を手に持って掲げた。

 そこへ大成が意表をつくことを口にする。


「ビーチャム博士。松明を前に出してください」


「は?」


「いいから言われたとおりにやってください。早くお願いします」


 今まで見たことのない大成の笑顔の圧力に、思わずビーチャムは言われるまま従った。


「こうか」


「よし。動かさないでくださいよ」


 そうして大成の取った行動は、ビーチャムを驚かせる。


「お、おい。タイセー。待っ...」


 大成の手にあった石ころは、ぽーんと緩やかな放物線を描き、ビーチャムに持たれた松明の先端に目がけて落下していく。

 

「イグニス」


 完璧なタイミングで唱えられた大成の声に合わせ、石ころがパチッと発火する。

 見事に松明がぼうっと着火した。 


「あっ!」


 主婦から自然に声が上がった。

 実演は大成功。

 地面を見れば、すでに石ころからは火が消えて、何事もなかったように大人しく転がっている。

 大成は確認するように小さく頷いてから、主婦へ向かって絶妙に微笑みかけた。


「同じ石であと二回発火できます。使い方は今やったとおり実に簡単です。今回はこの魔導具〔メラパッチン〕を無料で三個差し上げます」


「そ、そう。本当に無料なのかい?」


「ええ。もちろん」


「でも、危険ではないのかい?」


 その質問に、大成はリアカーを示した。


「あそこには大量の〔メラパッチン〕が積んであります。そこに数本の松明も一緒に積んであります。もし危険な物ならこんな積み方はしません」


「それは確かに......」


「メラパッチンは火の魔導具ですが、あくまでも日常生活に必要な火を起こすためだけに特化した簡易魔導具です。そもそもの目的が、戦いなどに使用する魔導具とは根本的に異なるんです」


「なるほどねぇ」と、主婦が納得したような空気感を出した時。

 ここだ、と思った大成は、一歩踏み込む。


「もしよろしければ、差し上げるついでに、今から実際に炉で火を起こしてみませんか?」

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