3:一目惚れの瞬間

 サイオンを囲む雄大な山脈。山道に至る前に馬車を降りたスーは、数時間後にはクラウディアの帝都に入る。

 馬車での迎えは形式的なものであり、花嫁の移動手段には世界に三機しかないと言われている飛空艇が用意されていた。


 景観の美しさから、サイオンでも人気の観光地となっている雄大な湖面に、一隻の巨大な船が停泊していたのだ。

 クラウディアが帝国たる所以。スーは触れたことのない科学技術を目の当たりにして、気持ちが引き締まる。


 ますます帝国が自分を迎えるために、最高のもてなしを用意したのだと自覚した。

 湖面から飛び立ち、空を行く飛空艇ならば、他国の目にも入る。


 サイオンにとっては、帝国の後ろ盾を誇示する絶好の機会にもなった。

 飛空艇は全貌を眺めることができないほど巨大で、スーのために用意された船室は、調度の全てが美しい。


「姫様の美貌はその筋では有名ですから、帝国の皇太子様もさぞ楽しみにされているのでしょうね」


 ユエンも帝国の圧倒的な歓迎に感激しているようだが、スーは落ち着かない。

 美しい女性など、きっと世界中にたくさんいる。サイオンのような小国に、帝国がこれほど尽くす理由がわからない。


 帝国の権力を知らしめるための行いなのだろうか。

 ふと自分が見せしめの生贄ではないかという気持ちが湧き上がってくる。


 自分が嫁ぐ皇太子が、とんでもない野蛮な人だったり、常識外れな人である可能性もある。


(なんだか、嫌な予感がするわ)


 帝国の情報に触れてこなかった自分に後悔が募る。

 スーは圧倒的な歓迎の雰囲気に、逆に心細くなっていた。


 見たこともない街並みが、飛空艇の小さな窓から近づいてくる。

 馬車のような振動もなく、飛空艇が帝国領の湖に着水し、ゆっくりと港に入った。


 帝都へ向かうため、スーはユエンと共に車に乗り換える。

 車窓を流れる美しい建造物の群れ。サイオンとは異なる街並みを眺めながら、スーは何度もため息をついた。






「スー王女、この度は、ようこそクラウディアへ」


 微笑みながら自分を迎えてくれた皇太子を見た瞬間、スーの心に巣くっていた不安が見事にはじけ飛んだ。あまりの衝撃に言葉を失う。


 帝都に到着後、招かれたのは皇太子の私邸だった。スーはこれから、この私邸で皇太子妃としての教育を受けるらしい。


 私邸とは言え、帝国の皇太子の屋敷である。スーの生まれ育った家よりも遥かに大きく、使用人も数えきれないほど控えている。


 美しい装飾に彩られた柱。壁面に並ぶ彫刻。長い廊下を案内され、大きな扉の中へと招かれたが、皇太子と出会った瞬間、室内を彩る調度の美しさが意識から遠ざかる。


「私はクラウディアの第一皇子、ルカと申します」


 心地の良い声音。優雅に頭を下げた皇太子。スーの頭の中で、唐突に美しい鐘が鳴り響いた。

 間違いなく、皇太子の背後には後光もさしている。バサッと、突然何もないところから美しい薔薇が咲き乱れた。


 癖のある金髪が艶やかな光沢を放ち、まるで淡い陽光を照り返すように、ぼんやりとけぶって見える。後ろで一つにまとめていても、ゆるく広がる豪奢な金髪。額に落ちかかる後れ毛が、品のある色気を伴っている。


 自分よりも年上だと思えるが、多めに見積もっても二十代半ばだろう。

 長いまつげに縁どられた目。まつげが落とす影の下で、蛍光のように光るアイスブルーの瞳。


 通った鼻筋と、整った薄い唇。

 背筋の伸びた、凛とした姿勢。長身なのに威圧感を覚えないのは、その美しい微笑みのせいだろうか。


(天使様みたい)


 こんなに綺麗な男性を、スーは見たことがない。まさに夢物語に登場しそうな皇太子だった。

 スーと視線が重なると、彼はさらに笑顔になる。


(うっ、ま、眩しい)


 鐘の音も咲き誇る薔薇も、全てがスーの幻聴であり錯覚だが、目の前の輝かしさに耐え切れず、思わず目元に手をかざす。頭の中では、まだ高らかな鐘が鳴り響いていた。


「王女? お疲れであれば、すぐに部屋へご案内させましょう」


 碌に挨拶もできず、ひたすら衝撃に耐えるスーの様子を誤解したのか、皇太子が労わるように美しい顔を曇らせた。


「あ、あ、違います。サイオンから参りましたスーと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 最敬礼よりも深く、ガバリと勢いよく体を折る。

 道中にユエンの手ほどきで、一通り頭に入れた帝国での作法が吹き飛んでいた。


 田舎者丸出しの、恥じらうべき第一歩を踏み出してしまう。


「あ!」


 ハッとして取り繕おうとしても、もう遅い。顔がかぁっと熱くなる。視界の端に見えた自分の白い腕も、恥ずかしさに赤く染まっていた。


(やらかした!)


 俯いてぎゅっと目を閉じ、後悔に苛まれていると、自分の手に触れる熱を感じた。

 皇太子がスーの手をとって、風が触れた程度に唇を寄せる。


「王女。こんなに美しい方を迎えることができて、私はとても嬉しく思っています。あなたを私邸に招いたのは、堅苦しい作法を反故にするため。これから多くのことを学んでいただかなくてはなりませんが、ここでは何も気負うことなく、あなたらしく過ごしていただきたい」


 ほほ笑む皇太子――ルカの微笑みに照らされながら、スーは完全に心を奪われてしまう。


(な! なんて素敵な方だろう)


 雷に打たれたような衝撃で、心が震える。

 見目麗しいだけではなく、思いやりまで備えているのだ。


 これほど美貌の男性であれば、スーが望めば噂くらいはすぐに耳に入ったに違いない。

 飛空艇で抱いた後悔とはまるで逆転していたが、スーは再び帝国の情報に蓋をしていた自分を呪った。


(こんなに素敵な方に嫁ぐのだと知っていれば、もっとこの日のために励んだのに!)

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