ロクでなし皇女は自由をご所望です
柿うさ
第1話 破天荒な皇女様
紀元前2万年前、壮大なクレーヌ川が静かに流れる大地に、人類最古の文明が息吹く。その地は、数え切れぬ星が天幕に輝く夜空の下、最初の火の灯りがともされ、文明の種が撒かれた場所だった。
時の流れと共に、幾つもの国がこの地に興り、そして滅びの舞台を演じてきた。
紀元前758年、太祖・武神帝フェルディナントという名の不敗の英雄が現れる。
彼は混沌と分裂の中で揺れていたディオザニアの地に、絶対的の統治をもたらした。 鋼の意志で帝政国家を築き上げ、ディオザニアの版図を確立し、後の二千年にわたり続く政治の形態を定める。
フェルディナントはまた、文字、貨幣、度量衡を統一し、封建制を廃し、州県郡制を施行することで、帝国の隅々にまでその力を及ぼした。
♢ ♢
物語はそれから二千年後、ディオザニア帝国の中心にそびえる宮殿の一室から始まる。
薄紅色のカーテンを通して差し込む朝陽が、皇女ルナフレーナの部屋全体を優しく照らし、静けさの中にほのかな温かみをもたらしている。それは、まるで夜の闇がひそかに語りかけるように、まだ夢の余韻が漂っていた。
「皇女殿下、起きていますか?」
扉越しに響いた声は、絹のように柔らかく耳に心地よい。
その音色は、まるで夜明けの鳥が囁くように穏やかで、目覚めの時を優雅に告げていた。
ルナフレーナは、薄絹のネグリジェを身に纏い、微かな笑みを浮かべながら、ベッドからゆっくりと起き上がった。
「今、起こされたばかりよ」
ルナフレーナは意地悪っぽい微笑みを添えて応える。その言葉には、彼女の気品といたずら心が織り交ぜられていた。
扉が静かに開かれると、そこに立っていたのは、黒髪の侍女マリアだった。
彼女の黒髪は、夜の闇をそのまま髪に宿したような、深く美しい光沢を放ち、整った顔立ちには知性と優雅さが漂っていた。
また、衣装は柔らかな青いシルクのドレスで、シンプルながらも品格を備えていいる。
「それは、申し訳ございません」
マリアの動きは軽やかで、風に舞う花びらのように優雅な一礼しながら謝罪の言葉を口にする。しかし、その声にはどこかフランクさがあり、長年の親しい関係が窺える。
マリアはベッド脇の窓際にある机に歩み寄り、持って来た銀の水差しと精緻な模様が刻まれた桶を置く。そして、手が窓に伸びると、朝の澄んだ空気が一気に部屋に流れ込み、カーテンが優雅に揺れた。
外の世界はまだ静まり返っており、遠くには鳥のさえずりが微かに聞こえていた。
ルナフレーナは、窓から差し込む爽やかな風を感じながら、用を足すためにトイレへ向かう。
その後、顔を洗い、冷たい水で目を覚まし、手元のコップに注がれた水でうがいをすると、その冷たさが心地よく、眠気をすっかり追い払った。
宮廷の朝は、新たな一日の始まりを告げる静けさと、優雅な調べで満たされていた。これから訪れる日々にどんな物語が待ち受けているのか、まだ誰も知らない。ルナフレーナとマリアのこの静かな時間は、宮廷の喧騒とは対照的な、ひとときの安らぎの瞬間だった。
「マリア、今日は動きやすい服を用意してくれる?」
「もちろんです」
マリアはにこやかに応じ、クローゼットに向かった。
素早くも優雅な手つきで、動きやすい淡いブルーのドレスを選び出し、ルナフレーナの前に差し出す。
そのドレスは柔らかな生地でできており、自由に動けるだけでなく、彼女の美しさを一層引き立てるデザインだ。
ルナフレーナはブルーのドレスに着替え終わると、マリアに髪を梳いてもらう。
彼女の髪は、まるで夜空を切り取ったかのように黒く、滑らかで輝いていた。
ブラシがその髪を滑るたびに、光を反射して艶やかに輝く。
鏡台の前に座るルナフレーナは、自分の顔をじっと見つめる。
鏡に映る彼女の顔は、まさに美の極致を体現していた。
長い黒髪が額から流れ落ち、藤色の瞳が深い神秘を湛えている。その瞳は、見る者すべてを魅了し、心を奪う力を持っているかのようだ。
彼女の顔立ちは完璧で、まるで古代の彫刻家が愛情を込めて創り上げた彫像のように均整が取れていた。
「傾国の美女とは、私のためにあるような言葉ね」
ルナフレーナは鏡の中の自分に向かってつぶやく。
その声には、どこか冗談めいた響きがありながらも、彼女自身の美貌への確信が込められていた。
マリアは彼女の言葉に、微笑みを浮かべながら応じる。
「ええ、殿下。その通りだと思います」
マリアは軽く頭を下げながら言った。
その表情には、冗談とわかっていながらも、ルナフレーナの美しさに対する素直な称賛がにじみ出ている。
ルナフレーナは、朝の準備が整ったことを感じ取ると、立ち上がり、ドレスの裾を整えた。
彼女の動きは優雅でありながらも、どこか粗野な魅力を秘めていた。
野性のままに育った青い薔薇のように、自然でありながらも圧倒的な存在感があった。
「行きましょう、マリア。朝食の時間だわ」と、ルナフレーナは促し、広々とした部屋を後にした。
宮廷の廊下は、贅沢な絵画と豪華な装飾品で彩られ、まるで歴史そのものが息づいているかのようだ。
黄金の装飾が施された柱や、絹のタペストリーが並ぶ中を進むルナフレーナの姿は、王女の物語に出てくる主人公そのものだった。
彼女の足音は、深紅の絨毯に吸い込まれるように静かでありながら、その存在感は圧倒的で、廊下全体を支配している。
大広間の扉が重厚に開かれると、目の前に広がるのは、宮廷の壮麗な食堂だ。
天井高くまで続く大理石の柱が並び、豪奢なシャンデリアが煌めき、日の光がステンドグラスを通して色とりどりの光を放っていた。
テーブルには豪華な食器が整然と並び、初めて来た者は、その豪華さに息を呑むことだろう。
ルナフレーナが席に着くと、侍女たちは一斉に動き始め、朝食の用意を進めた。
一糸乱れぬ舞踏のように、彼女たちは軽やかに料理を運んでくる。
その中に、ひときわ緊張した様子の見慣れない顔があった。ルナフレーナは、その侍女に目を留めると、声を掛ける。
「あなた、新人かしら?」
侍女は突然の問いかけに驚き、少し後ずさりしながらも、毅然とした声で答える。
「はい、そうです、殿下。初めての朝食の奉仕をさせていただいております」
ルナフレーナは、興味深そうに彼女を見つめながら続ける。
「テーブルマナーはご存知?」
侍女は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに真剣な表情に戻り、「はい、殿下。人並みには存じ上げております」と答えた。
「そう、なら結構」
ルナフレーナは微笑みを浮かべながら応じた。しかし、その直後、彼女は驚くべき行動に出た。
豪華な食器が並ぶテーブルの上で、ルナフレーナは一切のカラトリーを無視し、手を伸ばして料理を鷲掴みにすると、獣のように豪快に食べ始めた。
スープが彼女の手から滴り、手についたソースを舐め取る姿は、まるで狩りの後の野獣が獲物に貪りつくかのように粗野で、優雅さとは程遠いものであった。
その光景を目の当たりにした侍女たちは、一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに日常の一部として受け入れるかのように苦笑いを浮かべ、作業を続ける。
マリアもまた、そんなルナフレーナを見守りながら、軽くため息をついたが、どこか愛おしげな眼差しを向けていた。彼女にとって、ルナフレーナのこうした一面もまた、愛すべき特性の一つなのだろう。
ルナフレーナは一息つくと、指についた肉汁を丁寧に拭き取りながら、ふと新人の侍女に目を向ける。
彼女は、突然の視線に驚き、緊張した表情を浮かべていた。
「さて、私の作法をどう思ったかしら?」
ルナフレーナは興味津々に問いかけた。
その声には、試すような響きがあり、侍女の顔に困惑の色が広がるのが見て取れる。
新人の侍女は、どう答えていいかわからず、あたふたと視線を彷徨わせる。
彼女の頬には薄紅色の羞恥の色が浮かび、その様子はまるで小鹿が突然光に照らされたかのようだ。
「殿下、新人なのですから、あまりいじめないであげてください」
その光景に、マリアは穏やかに微笑みつつ、春のそよ風のように優しく、緊張をほぐすような声で、やんわりと注意を促した。
注意を受けたルナフレーナは少し考え込んだ後、軽く肩をすくめて笑みを浮かべる。
「それは、ごめんなさい。困らせて悪かったわ」
ルナフレーナの謝罪は、まるで予期せぬ虹が現れたかのように、侍女の心を驚かせる。
栄えあるディオザニア帝国の皇女からの謝罪を受けるとは、彼女にとっては全く予想外の出来事だ。
彼女がその驚きを隠しきれず、言葉を探している間に、ルナフレーナはもう次の言葉を口にしていた。
「私はディオザニア帝国の皇女、ルナフレーナ・ヴァル・ラヴェンブルクなのよ」
ルナフレーナは胸を張り、誇り高く語り始めた。
その言葉には、長い歴史を背負った者の重みが宿っていた。
彼女の藤色の瞳には、自信と誇りが溢れ、太陽の光を吸い込んだかのように輝いている。
「だからこそ、私がカラトリーを使わずに食べたとしても、テーブルマナーを無視しても、何の問題もない」
ルナフレーナは傲慢とも取れる自信に満ちた言葉を続けた。
その声は、鋭くもありながら、どこか優雅さを兼ね備えている。
「むしろ、私の作法こそが天下の法になるのよ」
新人の侍女は、その威厳に満ちた宣言に圧倒され、風に翻弄される一枚の葉のように立ち尽くしていた。
ルナフレーナの存在感は、彼女の全身を包み込み、その圧倒的な力に呑まれそうになる。
彼女の心の中には、皇女としてのルナフレーナの言葉が絶対であることを理解しながらも、理不尽さを感じずにはいられない葛藤が渦巻いていた。
ルナフレーナは、その表情を見逃さず、鋭い目つきで新人を見つめる。
「理不尽だと思うでしょ?」
ルナフレーナは、挑戦的な口調で、鋭い質問を投げかけた。
新人の侍女は、心の中で動揺しながらも、その答えを必死に探していた。
彼女の顔には一瞬の戸惑いが浮かび、目は左右に泳ぎ始める。
「いや、そんなこと……」
侍女は絞り出すように言葉を発し始めたが、その声は震えていた。
彼女の心には、皇女に対する敬意と、理不尽さへの戸惑いが交錯しているのだろう。
ルナフレーナは、そんな侍女の困惑した様子を見て、ふと微笑みを浮かべた。
その笑顔は、まるで満開の花が陽の光を浴びて輝くかのように、愛らしくもあり、魅力的だった。
「私は理不尽だと思うわ」
ルナフレーナは可愛らしい笑顔を浮かべながら、秘密を打ち明けるように囁いた。
その言葉には、自らの特権を皮肉るような響きがあり、侍女の心を一瞬和らげる力を持っていた。
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