第9話



 魔力が身体を包み込み運ぶ。空間の波か、魔力の波か、解らないが揺さぶられる。


 前にダンジョン内の転送を受けた時とは違い長い時間運ばれていた。


 これは距離的にも遠くへ飛ばされている気がする、とセイは考えていた。

 が、それよりも魔力酔いと船酔いを合わせたような気持ち悪さが彼を襲っていた。


「……」


 何処か解らないが、転送元のダンジョンの入り口付近にあった遺跡と同じような雰囲気の場所に下ろされた。


 セイの周りを包んでいた魔力のベールが解ける。


「うっぷ……」


 彼は転送されてすぐに吐き気を覚え、口を手で押さえ辺りを見回して適当なところで吐いた。

 問題がなさそうな大きな木の影辺りに、食べていた物を戻す。胃が痙攣して何度も何度も吐き出すが、その苦痛に反してそれほど吐き戻される量は多くはなかった。


 転移のための魔力に当てられたのか、もしくは転移途中で揺さぶられたためか、どちらにしろ頭はくらくらするし、胃はむかむかとする。


 あまりの感覚に、碌に安全を確認しないまま、無防備な醜態を晒してしまったものの幸いにも敵となるモノは居なかったようだ。


「……」


 状況が解らない中、消耗するのは避けたいが、口の中に胃液の酸味が残るのも嫌なので腰の皮の水袋を手に取る。もったいないと思いつつも皮の水袋の水で軽く口を濯ぐ。


 それから、周りを見回す。


 先程まで潜っていたダンジョンの入り口付近と同じような雰囲気。ギリシャの神殿でもありそうな白く太い柱があちこちに建っている。


 何らかの力で転送の道を結んでいるのだろうか。解らないが、似て非なるものだということだけは理解できた。


 何より、嫌な予感がずっとしている。

 濃密な魔素の気配。周囲全部からその気配がするというのはどういうことなのか……人の手の及ばぬ魔境、大深林でもあるまいし……。

 と、そこまで考えてセイは、それが答えだと感づいた。


「くそっ……本当に、ライの直感に巻き込まれると碌な事がない」


 そう毒づきながらも、ライ自身には恨みはそんなにない。彼の持って生まれた力の呪いみたいなものだから。

 彼自身が制御して悪意を持ってセイを巻き込んでいるならともかく、本人のあずかりしらぬところで勘とやらが蠢いて彼を動かすのだからどうしようもない。


 ただ、ライ自身よりも周りを巻き込みがちなのが本当に勘弁して欲しいところだ。


「どれだけの時間が掛かるか……本当に帰れるのか」


 今はまだ、この遺跡に留まっていれば安全みたいだが、この力も何時まで継続してくれるものなのか定かではない。ともかく、ある程度周囲に状況を把握しないと。


 遺跡と思われる石畳の範囲の外は、大きな木々に囲まれていて薄暗く見通しも悪い。この森を抜けていけるだろうか、心配になる。


 とはいえ、ここを抜けないと外には出られそうにない。


「さて、この状況どうしたものか」


 転移される前の様子から考えるに、おそらくもう一人この場に転移されているはずである。

 そう思いながら考えていると声が掛かった。


「お、お前か! 誰だか知らないが私をこのような場所に連れてくるなど」


 背後から怒りの声。騎士団の号令のために声を張り上げたためか、若干喉がつぶれた感じがするが通りのいい綺麗な女性の声だった。


 記憶から思い起こされる遺跡の機構からして異性であることは薄々承知していた。まあ同性だった可能性もなきにしもあらずだが、掛けられた声はあきらかに女性のものだった。

殺意だか敵意だかをびんびんに向けてきての呼びかけだけに、慎重に何も手に持っていないと両手を挙げながら振り返る。


 習慣の違いから、これがプロポーズのポーズだ、なんてことはないと思うが、ちゃんとこちらに敵意がないことを示せているか若干不安ではあるが、特に咎められることなく振り返る。


 抜剣して剣先をこちらに向けている少女。随分と立派な騎士鎧を装備している。


「冒険者か……だとしたらギルドの差し金か……くっ」


「……勘違いしているようだが、こちらも巻き込まれた身なんだがな……」


 早々にこちらが悪いと決めつけてこられても困るんだが。セイは手を上げたままそう抗議した。


「そもそも、あのダンジョンの謎の機能が作動したようだったんだが……何か心当たりはないか。何かに触ったとか、何かを動かしたとか」


 十中八九、目の前の少女が関与しているのは間違いないと思いながら尋ねてみる。


 案の定、セイの言葉に少女の目が泳ぐ。視線をセイから外して、何も知らないとうそぶく。


 ここで『嘘だ!』と言ってみたいところだが、それで問題が解決するはずもないだろうから、止めておいた。


「まあ、今言及しても詮無い事だからいいが、それよりも、だ。どうするべきだと思う?」


「どう、とは?」


「推測でしかないが、ここはおそらく大深林の中だ。今はこの遺跡の結界か何かの力に護られているが、いつまで護ってくれるか解らない。かといって外に出たら濃密な魔素にやられそうだしどんな敵が出てくるか解ったもんじゃない。大深林ともなれば、まったく未知の敵だって多く居るだろうし、無策で進むには危険すぎる。かといって、いつまでもここに留まるのも救助の当てがないなら消耗するだけだ……まあ救助も何も大深林だからなぁ……人の手の及ばぬ場所と言われている」


 セイは挙げていた手を下げて現状を彼なりに考えてみたが、なかなかの手詰まり感がある。ここまで話して目の前の少女に決断の促すのは酷と言うものだ。


「……」


 少女の言葉はない。


「あのダンジョン遺跡の特殊性から考えて、ただ飛ばされただけとは考えにくい。なのでもう少しこの遺跡を含めて探索するのはありだと思う。しかし、何時作られたか解らない様な物の機能を見つかるか見つからないか解らないまま探し続けるのも問題だ」


「そう、だな……」


 少女が俯く。かろうじて口から出た同意の言葉には動揺が滲んでいる。


「……とりあえず、だ。名前、聞いていいか? 俺はセイ。ギルド所属冒険者のセイだ」


「私はレリア・カルネージュ……騎士団所属の騎士だ」


 剣を収め、ぽつりと名乗る。格好からして家名持ちの貴族であることは間違いないと思っていた。カルネージュ……聞いたことあるが。


「……うーん、カルネージュか……聞いたことあるが、まあいい。今はそういう立場とかよりも大切なことがある」


 そう言いながらセイはレリアと距離を取る。


 レリアは、王家であることに気付かない目の前の冒険者に驚きながら、急に彼が自分と距離を取ったことに警戒した。

 やはり、この男は自分をどうにかするために仕向けられた刺客なのだろうか。


「レリア……君は今食料を持っているのか? こっちは怪しまれるかもしれないが、こういう事態を想定してそれなりに用意している。……だが、いくらでもある訳じゃない。貴族の立場をひけらかして奪おうとするなら君とは行けない。ただ一人の方が食料は持つだろうが、この大深林の危うさを考えると協力したほうが良いと考える。……君はそれなりの立場が高いようなので非常時の脱出手段を持っているならそれを使うといい。それが一人用だとしたら迷わず使うといい、遠慮することはない」


 セイはレリアと距離と取って話をする。相手の出方次第では逃げることを考慮しての動きだ。

 逆に相手にとっても知らない者が迫ってくるというのも脅威だろう、ともかく摺り合わせをするために一旦距離を取った。


「食料……脱出手段」


 セイの言葉に出立時妹に持たされたマジックバッグの存在を思い出した。何やら励まされた気がするが、どうも励ましの方向が頓珍漢なものだった印象がある。

 そのマジックバッグを手に取る。

 何を入れてくれたのかは、着いてから確かめてとのことだったが、すっかり忘れていた。その中身を探ってみる。


「……?」


「おい……それは」


 無造作に取り出してみると、透け透けのネグリジェが出てきた。もう、隠せるものもろくに隠せない、いつでもウェルカムなセクシーなものだ。


「っ……」


 顔を真っ赤にして慌ててネグリジェをバッグにしまい込む。


「こ、これは違うんだ」


 別の物を取り出す。今度はフリルの着いた下着だった。ただ、大事なところがぱっくりと開いた奴で、ブラジャーの方だと付けた場合乳首が露出し、パンティの方だと履いた場合陰部が完全に露出し、これまたいつでもウェルカムなセクシーな奴だった。


「っ!」


 もう何と言っていいのか解らないくらい恥ずかしいものが出てきたので慌ててバッグにしまう。色々探ってみると、妹の持たせてくれたバッグはあきらかに男性を誘惑するようなものが多く入っていた。


 大事な先見の予言に従って女王に就くべく覚悟を決めてきた姉に何てものを持たせているのか。……ひょっとして、今この場に居る目の前の男に対してこの下着を着けて誘惑しろとでもいうのか。


 もう一度、下着を取り出してじっくりと観察してみる。


「……くっ……」


 ぱっくりと下が割れているというか開いているというか、まったく隠す気がないというか、むしろ積極的に見てくださいというセクシーランジェリー。無駄にフリルで可愛くしているが、これを私が着けて……目の前の男を誘うのか。


「……」


 顔を真っ赤にするレリア。いやいや違う、こんな男に……でもとか、内心の葛藤を口にしながら首を振る。


 妹は私の知らない何かを知っているのか。だからこんな破廉恥な下着をマジックバッグに忍ばせていたのか。帰ったら問いたださないと、……帰れたら、だが。

 さらに探っているとちゃんと食料や水も入っていて不測の事態を考慮した準備もされており、何か別のものと間違えて入れたんだとレリアは解釈した。


「これはサーラの字」


 ふと出てきたメモには『お姉ちゃん、ファイトだよっ!』という可愛らしい妹の言葉が。 その後に、普段は騎士団で怖い顔してるから迫る時はせめて下着だけでも攻めたものにしてね、とかおっぱいで挟んでしまえば男なんてすぐめろめろのイチコロよ、とかつらつらと書き連ねてあって、レリアはそれを無言でバッグに突っ込みなおした。


 妹は一体私に何を期待しているのか。

 というか、この下着で迫るってどんな状況だというのか。

 何か自分の知らない情報を掴んでいてこういう助言をしてくれたなら従うべきなのか。


「くぅ……」


「どうだ? レリア」


 顔を赤くしながら悶えるレリアに、現状のことを考えると遊んでいる場合ではないと思い話しかけるセイ。


 くっとかくぅとかその後に『殺せ!』とか言いそうな雰囲気のレリアを見ているのも面白いかもしれないがそういうのを堪能している状況ではない。


「ど、ど、どど、どうだって……いきなりか。いやその……何だ。心の準備がって私は一体何を……」


「今は置いとけ」


「い、い、今はってことは……い、い、いいいずれは……」


 何だこのポンコツは。騎士団所属の立派な騎士は表面だけなのか、と思わなくもないが、これはこれで可愛いので良しとしよう。

 いや、良しとしようじゃない、可愛いのは確かだが自分まで彼女にひっぱられてどうするとセイは自分を戒める。


「いずれは助かってから考えよう。ともかく状況は良くない……これは理解してるな」


「……すぅーはぁー……すまない、取り乱した。セイの言いたいことは解る」


「食料と水はありそうか? 大深林を抜けるとなると正直幾らあっても心もとないと思うが、一週間日くらいは持ちそうか?」


 マジックバッグと本人は言っていた袋は見た目以上に物が入っているようだったので、どうだろうと尋ねてみる。


 もっともディッテニィダンジョンはそんなに長く滞在するような深さでもないし、手ごわい敵もいないので、ほとんど持っていなかったとしても責めるのは違う。


 セイだって、ライの直感に巻き込まれたのでなく、普通に参加したなら一、二日分だけで済ましていたと思う。


 レリアはセイの質問に少し考えてから答える。


「ああ、……ただ当然ながら一人分しかない。分けるとなると何時まで持つか」


 マジックバッグと自身の携帯装備の食料、合わせたら十日ほどはいけそうな気がする。が、当然そういう計算は一人だった場合の話だ。


「さっきも言った通り、こっちもそれなりに持ち合わせている。君のを当てにしているとかそういうのではないから安心してくれ。逆にレリアがまったく持っていない場合こちらを殺してでも俺の持っている食料や水を奪いに来るかもしれないという懸念でさっきは大きく距離を取らせてもらった、気を悪くしないでくれ」


「なるほど……」


 セイの話を聞いて納得するレリア。確かに、自分たちの置かれている状況を考えるとそういう心配をするのも無理ない話だ。


 ただ単に食料の状況だけを考えると二人より一人の方がより長く生き延びれるだろう。

 けれど彼も口にしていたようにおそらくはここは大深林か、それに類する危険な場所だ。今この場所はセーフエリアっぽいが、ここで幾ら待っていてもおそらく救助の手がここまで及ぶかというと難しいだろう。


 となれば移動すべきだろうが、一人で神経を尖らせながら脱出を試みるのはかなりの困難だ。夜の見張りを交代しながらでも出来れば休息時間も取れるかもしれない。そういうことを考えると、二人の方が心強いというものだ。


 さきほどからの態度からしても、彼がすぐにレリアを害するようなことはないだろうし、彼と共に行動するべきではないかと考える。


 何より、騎士として一通りの知識と実戦はこなしているものの、こういう場合の生存戦略は冒険者の方が慣れているだろうし、頼らしてもらいたいというのが本音だった。


「セイの言うことは理解した。ここから脱出する為に手を携えることを私は望む」


「ありがとう、レリア。正直、俺の剣の腕は君に及ばないと思うから、そういう時は頼りにさせてもらう。無論、無茶な戦闘はしないしさせるつもりもないが、何が起こるか解らない場所だ、気を引き締めていこう」


 そういってセイは手を差し出した。


 レリアはその手を不思議そうに見る。


「あ……握手の習慣はなかった? すまない。ただこんな時だから、身分とか立場とかなしで協力出来たらと思ったのだが」


「そうだな。こちらこそすまない……つい、考えてしまった。そうだな、セイの言うとおり、ここでは身分も立場も何の役に立ちもしない。互いに協力してこの危機を乗り切ろう」


 レリアはそういってセイの手をがっしりと握り締めた。握り締めた彼の手は男らしくごつごつとしていた。


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