第4話.小説家と木

部屋の窓から、海を見ている。波は穏やかで風もほとんど吹いていないようだ。海岸沿いを車が走り、砂浜で人が歩いている。目線を少し上げると観光地として有名な島が見える。島までは大きな道路が繋がっていて、その道路を通って、時折車が島に向かう。

 大人への第一歩と呼べる初体験を終えた僕はその後数日間予約していた近くのホテルに泊まり、また別の土地へと移動した。

 今泊まっているのは海沿いのホテル。観光地ということもあり少し値段が高かったが、綺麗な海を見たかったので奮発した。

 ここでまた数日過ごそう。海が綺麗だし美味しいものが色々あるみたいだから飽きることはなさそうだ。


 午前中は特に何もせず、ボーッと海を見ながら過ごし、お昼は近くの島に海鮮丼を食べにいくことにした。

 身支度をして外に出ると潮の匂いが一気に押し寄せてくる。この匂いにはまだ慣れてないから『潮の香り』というよりは『磯臭い』という印象を受ける。僕は海の男には向いてなさそうだ。


 海の上に建てられた橋を渡って、島を目指す。遠くから見た海は綺麗だったけど、間近で見る海は意外と汚かった。橋に打ち付ける波は、枯れた葉や枝、誰かが捨てたゴミを運んできて、それが同じところを滞留している。こんなところを見られるのは、海も本意じゃないだろう。本人には見えない部分のほくろに生えた毛を見てしまったような気分になったので、僕は遠くの方の海に目を向けながら歩いた。

 しばらく橋を歩いて、島に着いたら島の頂上へと続く急な坂道を登り、やっとの思いで目当ての店にたどり着く。この店は、美味しい海鮮丼を食べながら綺麗な海を一望できるとネットで好評の店だ。僕以外のお客さんは二人ほどしかいなかったので、窓際の特等席に案内してもらう。


 ネットの評判通り、大きな窓の向こうには広い海が広がっている。注文してからすぐに運ばれてきた海鮮丼も絶品だし、中々良い体験だ。

 海鮮丼を食べ終え、観光地にも関わらず人が少ない静かな島を満喫してから、僕は島を後にした。

 まだ一日の終わりまでは時間がある。僕はスマホのマップアプリを開いて時間が潰せそうな場所を探すと、大きなお寺が目に留まった。ここから電車と歩きで40分程の場所にあるらしい。

 僕は見た目が古いローカル線に乗って、そのお寺に向かった。


 電車を降りて緩やかで長い上り坂を歩くと、目的のお寺に着いた。

 厳かなで古そうな門、その門に筆で書かれたギリギリなんて書いてあるか読める字、手入れされた低木と木々、『由緒のあるお寺』と聞いたら真っ先に頭に浮かんできそうな景色が、目の前にある。

 お寺や神社に特別興味があるわけではないけど、こういう場所では道の真ん中は神様が通る場所だから、人間は道の端っこを歩いた方がいいと聞いたことがある。

 本当か嘘か分からないその教えを何となく守りながら僕はお寺の奥に向かう。途中に手洗い場と売店があったけど、手洗い場には『封鎖』と書かれた紙が貼られ、売店には人がおらず施錠されていた。

 見た目はお手本のようなお寺だったけど、中は妥協されたものばかりで、少し物足りなさと寂しさを感じる。でも、人がほとんどいないのは静かだからありがたい。


 何となく奥に進むと賽銭箱があったので、お賽銭をしていくことにする。数少ない僕以外の観光客が先にお賽銭をしていたので、その人の後ろに並ぶ。

 僕が並んだ時、その人は既にお金を投げて手を合わせ、お願い事をしていた。あまり音を立ててはいけない気がするので、静かに待つ。

 待つ、待つ、待つ。


 長い。めちゃくちゃ長い。僕の前にいる人、お願い事がめちゃくちゃ長い。ずっと手を合わせて目をつぶって微動だにしない。もう3分ぐらいは経ってるぞ。いつまでやってるんだ。何個お願い事してるんだ。

 僕は目の前の合掌をし続ける人をじっと見て「早くしてくれー」という念を送る。効果が無いようだ。あまりにも長いので目の前の人を観察してみた。

 後ろ姿から判断するに、恐らく男性、長身、多分170~180cmくらい、ハット帽を被っている、服は継ぎはぎのような柄でダボっとしていて、いわゆるエスニック系と呼ばれる民族衣装のような服を着ている、靴は普通の黒いスニーカー。中々特徴的な服装だ。

 僕が並んでから5分程経った頃、僕の存在に気づいてか気づかずか、男性は合掌を終えて賽銭箱の前を僕に譲った。僕も人間観察を終え、賽銭と合掌を済ませた。特にお願いすることもないので、10秒もかからない。


「待たせてすまないね」


 お賽銭を終えて帰ろうとしていると、先ほどの長身男性が声をかけてきた。5分待たせたくらいでわざわざ謝りに来てくれるなんて、服装と賽銭にかける時間は特徴的だけど誠実な人だ。


「全然大丈夫ですよ、急いでるわけじゃないので」

「急いでる人は最初からこんな場所には来ないさ」


 何故か言い返された。なんなんだこの人は、見た目も特徴的なら中身もそうなのか。


「君、高校生? 一人で来てるの?」

「あ、はい。ちょうど夏休みで、一人で旅行中です」

「へぇ、そうなんだ」


 僕は少し拍子抜けした。今までこの旅行で出会った人は皆、「高校生で一人旅行」という言うと驚いていた。

 この人も同じような反応するだろうと予想していたのに、思いのほか反応が薄い。やはりこの人は少し変わってるのかもしれない。


「もう帰るのかい?」

「え? あーどうしよっかなって感じです。この後の予定とか特に決めてないので」

「じゃあ、私と一緒にこのお寺、回らないか?」


 まさかのお誘いに僕は固まる。

 賽銭を待たせた挙句初対面の人間を観光に誘うなんて、言動の予想がつかなすぎて誠実な人なのか無礼な人なのか分からない。ただ間違いなく言えるのは、個性的な人だということだ。

 もし、普通に生活していて初対面の個性的で不審な男性に「一緒に行動しよう」と声をかけられたら、絶対に断っていただろう。でも、僕はこの旅行で、既に初対面の不審な大人と何度も会話をし、そのうちの一人とはセックスまでしている。

 そんな今の僕からは、警戒心というものがほとんど消え去っていた。


「まぁ、いいですよ」

「あら、君中々肝が据わってるね。そして、無警戒だね」

「自分でもそう思います」

「ははっ、じゃあ、早速行こうか」


 僕と不審な男性は、お寺の奥へと歩き出す。


「そういえば、自己紹介してなかったね。僕の名前は三又 空雅みまた くうがソラミヤビでクウガ、よろしくね」

「よろしくです。僕は志島 嶺しじま れいといいます。レイは山の頂上的な意味のレイです」

「分水嶺のレイだね。画数が多くてダルイ漢字だ」


 お互い自己紹介を済ませて、静かに歩みを進める。三又さんの年齢は聞かなかったけど30代くらいに見える。もしかしたら若く見えるタイプの40代かも。お兄さんとは呼べないけどおじさんと呼ぶには若い。そんな見た目をしている。


「君は神社やお寺が好きなのかい?」

「いや、そんなことはないです。ここにはただ時間を潰すために来ました」

「そうなんだ、高校生にしては贅沢な時間の使い方だね」

「そうですかね」


 三又さんは個性的だけど、話しやすい人だ。こっちに気を使ってくる様子が全くないから、自分も変に身構えず気楽に話すことが出来る。さっぱりして後味がスッキリしてて、浅煎りのコーヒーみたいで心地が良い。


「三又さんはなんでここに来たんですか?」

「僕はね、インスピレーションを受けに来たんだ」

「インスピレーション?」

「そう、僕は普段小説を書いていてね。家に篭ってばかりじゃ新しくて面白いアイデアなんて浮かんでこないからこういう場所に赴いてるのさ」


 小説家なら特徴的で個性的なのも納得だ。小説家とか芸術家とかそういう人は、よく言えば常識に囚われない、悪く言えば常軌を逸している。そんなイメージがある。

 この人も恐らくそういうタイプなんだろう。


「君は小説とか読む?」

「いや、ほとんど読まないですね」

「そうか、ならいい」


 その言葉を最後に、三又さんはしばらく黙って歩き続けた。僕もその隣を歩く。

 境内には、綺麗に剪定された木や何の意味があるのかよく分からないけど神聖そうな石、鯉が泳いでいる池があって、それらを二人で見て回る。

 正直、『お寺によくありそうなもの』が点在してるだけで、僕はつまらないと感じる。ただ整理整頓された部屋を見てるみたいだ。綺麗だけど、それだけ。

 三又さんは、この景色を見て何を思っているんだろう。黙って歩いているけど、きっと小説家なりの感受性で色々な感想を持っているんだろうな。


 しばらく歩くと茶屋があったので、そこでお茶とお団子を食す。お茶とお団子は、「僕は大人だから」という理由で三又さんが奢ってくれた。カッコいい大人の仕草だ。


「いやーいい景色を見ながら飲むお茶は格別だね」


 三又さんは景色が一番良いベンチに座ってお茶を楽しむ。小説家とお茶、なんだか絵になるな。僕はそう思いながら三又さんの隣に座る。ベンチからの景色は確かにいい景色だった。ずっとゆるやかな坂を上っていて気づかなかったけど、僕たちは意外と標高の高い場所まで来ていたようだ。

 近くには、古い建物が混ざった住宅地、遠くには僕がさっきまでいた海が見える。一言で表すなら『海の街』といった景色だ。

 二人で団子をもぐもぐしながら、しばらく沈黙が続く。三又さんとは頑張って喋らなくていい分、舞衣さんより一緒にいても苦ではない。舞衣さんが悪いわけじゃないけど、あの人は大人で女性ってこともあって一緒にいるとなんとなく緊張する。

 三又さんと舞衣さんとの居心地の違いは、付き合いたい人と結婚したい人の違いと同じようなものだと思う。誰とも付き合ったことも結婚したこともないけど、多分そんな感じだ。


「お団子、一本で足りたかい? 育ち盛りだからもう一本いっとく?」

「いえ、遠慮しときます。ありがとうございます」


 三又さん相手なら、遠慮なく遠慮ができる。やっぱり居心地がいい。


「お寺は楽しかった?」

「いやー綺麗だけど、よく分からないですね」

「そっか、僕もそう思った」


 意外な感想だ。やっぱりこの人の言動は予測がつかない。


「そういえばさ、君、なんで一人で旅行なんてしてるの?」


 この旅行中、何回かされた質問。僕はどう答えるか一瞬迷った。初対面で共にパニーノを食べたおじさんの時みたいに本当の理由を隠して誤魔化すか、僕に初めての経験をさせてくれた魅惑的なお姉さんの時みたいに正直に話すか。

 少し迷った末に、僕は正直に話すことにした。舞衣さんと舞衣さんの部屋で話した時のように、高校で書かされている遺言状のこと、自分が遺言状の内容に悩んでいること、厚みのある遺言状を書くために旅行にしていること、自分には経験が足りないと思うこと。

 三又さん相手なら不思議とすらすらと自分の本心を話すことができた。


「なるほど、じゃあ、君が今ここにいる理由と僕が今ここにいる理由は大して変わらないわけだ」

「そうですか? 結構変わると思いますけど、三又さんはお仕事のためですよね?」

「いいや、変わらないよ。僕は良い小説を書くためにここにいる。君は良い遺言状を書くためにここにいる。僕と君は、書くものは違っても、何かを作り出すために刺激を受けにここに来てるわけだろう」


 三又さんの言っていることは一理あると思う。一理あるとは思うけど、やっぱり作り上げる物がプロの小説と高校生の宿題では規模が違い過ぎる。


「理由が大して変わらなくても、重要さも規模も全然違いますよ」

「そうかなぁ、今時大して売れない小説を書くための時間より、人生について考えてる君の時間の方が重要だと思うよ」


 確かに最近は小説も漫画も映画も全然売れなくなってるらしいけど、仕事は仕事だ。やっぱり比較にならないと僕は思う。


「ところで、悩みの答えはもう見つかりそうかな?」

「うーん、まだまだ見つからなそうですね。そもそも答えを探すというよりは、経験をすること自体が目的だと思ってるんで」

「でも、なんの答えも探さずに経験だけしていても、今までの人生を振り返ると同時に残された周りの人間に対して綴る文章なんて書けないんじゃないか?」

「それは、そうかもしれないです」


 なんだか言い負かされてしまった感じがする。三又さんは小説家なだけあって、言葉で相手を押さえつけることには長けてるのかもしれない。

 悩みの答え、人生について、人生の目的と意味。それを考えなければ、遺言状は書けない。その通りだ。

 この旅行のどこかのタイミング、もしくは、旅行から帰った後に自らそれを考えなければいけない。この旅行での経験、今こうやってボーっとお団子を食べている時間も昇華させて、答えを導き出さなければわざわざ旅行をしている意味がない。

 今更ながら大変なことを始めてしまったのかもしれない、と少し後悔する。


「まぁ、君は若いんだし、いつまで旅行するつもりか知らないけど焦る必要はないさ。じっくり考えな」

「アドバイスありがとうございます」

「どういたしまして。せっかく同じような理由でここにいるんだし、君が作り出した遺言状を読んでみたい気もするけど、君が書き上げる頃にはもしかしたら僕はこの世にいないかもしれないね」

「どういうことですか?」

「僕は生活できなくなったら、死ぬつもりだからね」


 三又さんは、また意外なことを口にした。やっぱり言動が予想できない人だ。


 話を聞くと、三又さんは脱サラして小説家になったようだ。世にいる小説家の中では人気が上位の方だけど、人々が娯楽に興味がない今の世の中では、小説が売れてもそれだけで生活していくのは厳しい。今は小説の収入とこれまでの貯金で生活しているようだけど、そのうち貯金も尽きる。小説の収入だけではとても生活できないから、そうなってしまったら自殺するつもりのようだ。それが先ほどの「生活できなくなったら、死ぬ」という発言の意味。


「もちろん、これから僕の小説が飛ぶように売れて生き続ける未来を望んではいるけどね。そう上手くはいかないと思う」

「小説家っていうのも大変ですね」

「小説家じゃなかったとしても大変だよ。人である以上、お金が無いと生きることはできない。生き続ける見込みがないならバッサリきっぱりと死んだ方がマシさ。桜はすぐに散るから美しいんだ」

「三又さんの人生は、桜みたいなものってことですか?」

「僕はというか、人の人生はそんなもんだよ。桜というか、木と言った方がいいかもね」


 人の人生が木? よく分からない例えだ。売れてる小説家にもなると表現力が豊か過ぎて僕には理解できないのかもしれない。

 そんな僕の心境が顔に出ていたのか、三又さんは少し笑いながら話し始めた。


「木っていうのは、色んな種類があってそれぞれ葉や枝の形が違う。たとえ同じ種類であっても育つ環境によって随分と違う形になるだろう。人の手で管理された理想的な環境では真っ直ぐ太く育つかもしれないし、簡単には登れないような急な斜面では地面に必死にしがみつくように歪な形で育つ。人も同じようなもので、環境によって大きく異なる育ち方をする。それでも共通していることは、強いことだ。強く根を張れば張るほど、強い人間が育つ」

「でも、簡単に枝が折れて根っこも引っこ抜けるような木だってありますよ」


 僕が意見すると三又さんは少し鼻で笑う。バカにしている感じではなく、事前に予想していた問題がテストで出題された時のような笑いだ。


「それはそうだが、簡単に抜ける木は簡単に生えてくる。雑草だってそうだろう? 簡単に抜かれる代わりにどこにでもすぐ生える。そういう強さがないと、自然界の中で生き延びることはできないさ。強さっていうのは根っこの強さだけじゃなくて、また生える、言い換えれば立ち直る強さもあるんだ」


 三又さんは僕からの質問をにそう答えた。なんだか納得感のある答えだ。三又さんが話せば話すほど『人生は木』という比喩がしっくりくる。


「君は食物網というものを知ってるかい?」

「えーっと、生物の授業で聞いたことがある、気がします」

「しっかり勉強してはないみたいだね。食物連鎖って言葉は知ってるだろう? 草は虫に食べられて、虫は爬虫類に食べられて、爬虫類は小鳥に食べられて、小鳥は大きな鳥に食べられる。この一本の鎖のような流れが食物連鎖だ。でも、自然界っていうのはそう単純ではない。草は色んな虫にも食べられるが鳥にも食べられる。虫は鳥にも食べられるが大きな虫にも食べられる。自然界での生き物の関係っていうのはただの直線状ではなくて網目状なんだ」


 なぜだか、三又さんは急に生物の授業のような話をし始めた僕には、三又さんが何を言いたいのか分からずただ聞くことしかできない。


「木もそうなんだ。木は色んな動物に食べられる、周りの植物と競争して日光が多く当たる場所を奪い合う。木から栄養を吸い取る植物だっている。その一方で、例えば虫に花粉を運んでもらったり鳥に種を運んでもらったりもする。色んな生物に邪魔されたり助けられたりして生きているんだ。これも人と同じだ」


 僕は段々三又さんの言いたいことが分かってきた気がする。


「人も、色んな人と関わって助け合いながら生きてるってことですか?」

「そんな感じだね。その助け合いも直線状じゃない。AさんはBさんに助けられて、BさんはCさんに助けられて、CさんはAさんとBさんに助けられて、DさんはBさんとCさんに助けられてるかも。しかも、人間も助け合いだけの関係じゃない。AさんとCさんはEさんに嫌われて嫌がらせを受けてるかもしれない。単純な利害だけじゃなくて、様々な感情も関係してくる分、もしかしたら自然界より複雑かもしれない。でも、それが人生ってものなのさ。みんな木みたいに違う形で、木みたいに誰かに助けられて誰かを助けてる。そうやって生きていくのが人なんだ」

「なるほど、なんだか、深いですね」


 僕が呟いた「なんだか深い」という浅い感想が聞こえているのか分からないが、三又さんは続ける。


「そんな強くて多数の誰かと共存している木も、死に際は醜い。ずっと寄り添ってきた鳥や虫は、葉も実もつけられない木の近くにはいてくれない。強さを失った木は、誰からも相手にされず、時には自分の下にいる植物から日光を奪う。百害あって一利なし、そんな存在になってしまうかもしれない」


 三又さんは、誰かを憐れむような口調となり、話し続ける。


「そんな生き方をするくらいなら、いっそのこと一思いにその生命を終わらせてしまった方がいいとは思わないか?」


 三又さんからの急な問いかけに、僕は反応できず数秒黙ってしまう。その間、三又さんはじっと僕の目を見て、待つ。


「えーっと、それは木の話ですか? それとも、人?」

「どう捉えてくれても構わないけどね、僕は生き続ける見込みがないなら、バッサリきっぱり死んだ方がマシだと思うね、木が伐採されるみたいに。分かるかな?」

「まぁ、なんとなくは」


 質問を質問で返した僕の回答を待たずに、三又さんは話を終えた。

 「生活できなくなったら、死ぬ」「人生は木のようなもの」、さっきまでよく分からなかった三又さんの発言が、今は理解できている気がする。さっきまで合っていなかったピントが合って、画面にはっきりと写る、そういう感覚だ。

 三又さんの考えを聞いて、尊敬できる大人の深い考えだと思う反面、三又さんがそこまで具体的に死までの流れを考えているのは意外だった。自殺を考えること自体は珍しくもないけど、話を聞くに三又さんは一流の売れっ子といっても過言ではない人気と実力を持った小説家だ。一流である三又さんでも、生きることを諦めるのが意外だ。

 たとえ何かの分野で一流であっても、生きることはできない。三又さんの考えへの解像度と同時に、社会に対する解像度も上がった気がする。


「いつの間にか、だいぶ時間が経ってしまったね。そろそろ行こうか」

「そうですね、お団子とお茶ごちそうさまです」


 お寺を後にした僕と三又さんは僕がここに来る時に降りた駅で別れた。三又さんはまだまだインスピレーションを受け足りないみたいで、もう少しこの辺を歩いて回るらしい。

 別れ際、三又さんが出している小説の中で一番売れている作品の題名を教えてもらった。小説をほとんど読まない僕でも聞いたことのあるタイトルだった。

 

 一人で、来た時と同じ見た目が古いローカル線に乗ってホテルに戻る。ちょうど綺麗な夕日が落ちる頃。


 今の僕は木のように強く生きているだろうか。木は、力強く誰かを助け誰かに助けられている。今の僕とは正反対。

 僕は家族に支えられ、人生の意味も分からぬまま、ただフラフラと漂うだけ。僕にあるのは細い足と支えられなければ朽ちてしまう身体だけ。

 僕はいつか大きな木みたいに、誰かを支えられるだろうか。僕はいつか強い木みたいに自分を支えられるだろうか。

 そんな未来は見えやしない。だから行き先が分からず根も伸びやしない。

 目指す場所も答えも分からぬまま、僕はどこに向かうのか。


 海の向こうに落ちる夕陽は段々と輝きを失っていった。

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