第22話 後手
近くにいる千尋に視線で問いかける。受話音を上げておいたので、彼女にも会話の内容は聞こえているはずだ。
無言で千尋が頷く。どうやら報道規制はされずに、事件はそのまま報道されたらしい。その際に新の名前も被害者として出ていたのだろう。
「ええ、問題ありませんよ。それで淑女の涙なんですが」
「そちらはもう結構ですわ」
予想外の返しに、新の口の動きが止まる。その間に玲子が用意していたであろう台詞を並べる。
「幾ら亡き夫のためとはいえ、生きている人を危険に晒してまで手に入れようとは思いませんわ。報酬は全額お支払いしますので、依頼をキャンセルさせてくださいませんか?」
「……依頼のキャンセルは構いませんが、報酬は必要ありません。こちらは何も達成できてないわけですから」
「ではお見舞金代わりに受け取ってもらえませんでしょうか? 錦鯉さんも苦労なさったわけですし、報酬は当然だと思いますわ」
やはり話が聞こえているらしい祐希子にジト目で睨まれているのに加え、頷かなければ話が終わりそうになかった。
新から強引に電話を切ったとしても、半ば無理やり受け取らせようと現金書留なりで報酬を送ってくる可能性も否定できない。仕方なしに承諾の旨を告げると、ようやく玲子は満足そうな声を出した。
「ありがとうございます。今回はご迷惑をおかけしましたわ。また何があった際にはよろしくお願いします」
切れた電話を片手に、新は肩を竦める。現在は手元にないとはいえ、せっかく存在を突き止めて一度は入手したのだ。依頼を達成したかったのが本音だった。
「報酬は受け取れることになったが、依頼はキャンセルだ。やれやれ、マスターからの情報も無駄になっちまったな」
「マスターにはそう言っとこうか?」里穂が聞いた。
「いや、直接言うさ。せっかく手に入れてくれた情報にも目を通しておきたいしな。それに腹が減った。金も入るんだし、晩飯を食いがてら話を聞きに行くとしよう」
四人で事務所を出ると、寄り添うように祐希子が新の隣にポジションを取った。にへへと笑う姿がどうにも子犬っぽい。
「ニヤニヤしてどうした。悪い物でも食ったのか?」
「そんなわけないだろ! また助けてもらったと思ってさ」
「まったくだ。目を離せば誰かに絡まれてるじゃねえか。助ける身にもなってみろ」
「そうだよね。お礼しないとね。正式な助手になったし、新の側で面倒見てあげるってのはどうかな?」
にこやかな祐希子の提案に前を歩く里穂は冷やかし、千尋は何故か硬直した。おまけに作られた握り拳がプルプル震えている。
「私は認めん! 新の嫁になるのであれば、私より強い女しか認めないぞ!」
いきなりの宣言に新は脱力する。一方で、真面目に受け止めた人物もいた。祐希子である。
「千尋さんより強いって、そんなの無理だよ!」
「なら諦めるのだな」
「それも無理! だから千尋さんを超えちゃうよ!」
「いい度胸だ。ならばかかってくるがいい!」
どこの魔王だと言いたくなるような台詞を叫び、十代半ばの少女を威嚇する大人の女の姿に、新は頭を抱えたい気分になる。とはいえ、さすがの千尋も身体能力に差のある祐希子を本気で痛めつけたりはしないだろう。
ため息をつきつつ足早に歩き、里穂の隣へ行く。
「新も大変だわ」
「わかってくれるか」
二人で頷き合っているところに、祐希子の怒声が響く。
「あーっ! 里穂ちんが抜け駆けしてる!」
「ちょっ!? 何でそうなるし!」
祐希子に追いかけられて逃げる里穂。その二人をさらに追いかける千尋。カオスな状況に、新は苦笑するしかなかった。
三人のじゃれ合いはガーディアンへ到着するまで続き、見ているだけで疲れ切った新はゾンビのごとくのろのろした動きでドアを開けた。
「いらっしゃ――だいぶ疲れているみたいですね。やはり怪我の具合が……」
「……いや。原因は後ろの三人」
まだギャーギャーやっている三人を見て、納得したようにマスターが目を細める。
「お体の方は大丈夫なのですか?」
「全身打撲らしいんだけど、なんとか動けるし、思ったほどの影響はないみたいだ。タクシーの爆発にも巻き込まれたってのにな」
祐希子を攫ったワンが、彼女を守るために爆発の力を弱めたのだろうか。真相は不明だが、とりあえず体が動くのは有り難い。おかげで祐希子も救えたのだから。
「それより、マスターに謝らないと」
カウンターのいつもの席に新が座る。右隣に祐希子でその隣が千尋。三人で並ぶ形になり、里穂はカウンター内に立つ。
「私に?」マスターが怪訝そうな顔をする。
「せっかく情報を入手してくれたみたいなのに、ついさっき依頼をキャンセルされちまったんだ。失くしたとはいえ、宝石も見つけたのにな」
「それは残念でしたね。私のことならお気になさらずに。では、こちらの報告書はどうしましょうか?」
「見せてもらうよ。マスターの美味しい晩飯をご馳走になりながらね」
「かしこまりました」
笑顔になったマスターが調理に入る。今夜は他に客がいないので、貸し切り状態だ。店内に肉の焼かれる美味しそうなにおいが充満する。
丁度、良い肉が入ったのですと焼肉定食を作ろうとするマスターの声を聞きつつ、A四の用紙にまとめられた情報を見る。
淑女の涙については、ワンから聞いた通りの情報が記載されている。堕石と呼ばれ、妖魔の能力を向上させる。そのため妖魔が奪い合う事態に発展してもおかしくない。
だがタクシーを爆破したと思われるワンのところには、祐希子だけで淑女の涙はなかった。
「仮にワンが奪ったんじゃないとしたら、一体誰が持っていったんだ?」
妖魔の力を上昇させるとわかっているのに、ワンが使わなかったのも謎である。祐希子を誘拐した時点で、いずれ新が探しに来るのは目に見えていたはずだ。
それとも侮ってバレるわけがないとでも思っていたのだろうか。何の備えもしていなかったのならあまりにも愚かすぎる。妖魔の涙をどう使うのかは不明だが、妖魔としての力をアップさせておけば、新にも勝てていたはずなのだ。
「依頼者の情報も書いてあるね」横から書類を覗き込んでいた祐希子が言った。
玖珠貫玲子三十二歳。過去に夫がいたが死別。自宅近くに墓がある。現在は一人暮らし。不動産を持っており、家賃収入で暮らしている模様。
情報を読んだ祐希子が、露骨に羨ましそうな声を出す。もしかしなくとも、家賃収入がある点だろう。
「いいか、祐希子。人間楽をしたら――」
少し祐希子をからかってやろうと目論む新の口が、途中から言葉を紡げなくなる。両目は一点に集中していた。
玖珠貫玲子という名前に――。
「……しまった。後手を踏んだ!」
立ち上がる新の剣幕がよほど凄かったのか、店内の空気が一変した。
「落ち着け、新。何があったというんだ。マスター、そんなに凄い情報を入手していたのか!?」
奪い取るように千尋がマスターの報告書を持つ。
「いえ。宝石の基本的な情報と、女性の簡単な素性のみです。それが精一杯でしたので、申し訳なく思っていたのですが……」
マスターも戸惑う中、新は絞り出すように声を出す。
「多分……涙を奪ったのは彼女だ」
「どうしてそう思う?」千尋の目つきが鋭くなる。
「名前を見ろ。三つの王だ」
玖珠貫玲子――。
彼女の名前の中には、目立たないが三つの王という漢字が使われていた。
気づいた千尋と祐希子が息を呑む。
「何故、依頼者である彼女が涙を奪った。黙っていれば俺から手に入ったんだぞ?」
「お金を払うのが惜しくなったとか……」
千尋の予想を、新は否定する。
「報酬を払うと約束したんだ、それはないだろう。俺は依頼を達成していないんだ、なんなら前金の返却を求めることだってできた。しかし、だとしたら彼女の目的は何だ? 宝石を死んだ旦那の墓前に捧げたいってだけじゃないのか?」
「じゃ、依頼者自体が妖魔だったんじゃね」いつになく里穂も真面目に会話へ加わる。「ユッキーを攫った情報屋と結託してたとか」
「なくはないが、可能性は低いと思う。そうなら祐希子はともかく、俺を生かしておく必要がない。ジュエルガンを持っているのを知っているんだ。わざわざ意図的に倒される可能性を残したりはしないだろ」
悩んでも答えは出ない。こうなればと新は携帯電話を取り出す。当人に聞けば手っ取り早い。だが電源が入っていないというアナウンスが流れて終わった。
「まさか……」マスターがポツリと言った。「妖魔と取引をしようとしているのでは……」
「――っ! それだ。玖珠貫玲子の亡き夫への想いは本物だったと思う。涙を狙う妖魔がそこに付け込んだとしたら、十分に考えられる。いや、もしかすると――」
「どうしたの、新?」
祐希子の問いには答えず、新は改めて玖珠貫玲子の情報を見る。
「妖魔と取引をするんだとしたら、目的は恐らく夫の復活。それ以外に思いつかない。だとしたら宝石を手に入れた彼女が向かうのは――」
「――夫の遺体が眠る墓か! すぐに車を用意する!」
スマホを取り出した千尋に、マスターが店の裏にある車を使ってくださいと告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます