第20話 謎かけ

 自分の状態を改めて見てみると、服は昨夜と同じだが、ところどころが破けている。源三郎から預かった宝石箱もあるが、しかし――。


「おい、姉貴。俺の持ち物をどこかに寄せてたりするのか?」


 電話を終えた千尋が首を振って否定する。


「いや、一切手は付けていない。何か失くした物でもあるのか」


「ああ。爺さんから貰った淑女の涙がない」


 千尋がはっきりと顔色を変える。向こうで源三郎と会っていたのであれば、淑女の涙の在り処やどのような宝石かも聞いているはずだ。


「……ほぼ確定だな」


 新たちの乗ったタクシーを襲い、祐希子と淑女の涙を奪った存在は妖魔だ。千尋の呟きに、新は完全に同意していた。


「くそっ! 油断していたわけじゃないのに……ちくしょう!」


「落ち着け。源三郎氏も悔やんでいた。敵に先手を打たれたとな。これ以上、後手に回るわけにはいかん。局面を打開するためには冷静さは必須だぞ」


「わかってる。早く事務所へ戻ろう」


 病院から外に出る。痛みはあるが歩けないほどではない。それに祐希子の不安や心細さを考えたら、この程度で弱音は言っていられなかった。


「車はまだか。病院前で待ってるように市警の関係者にお願いしたのだが」


 タクシー乗車中に襲撃された新を気遣い、職権乱用と言われようともあえて警察車両を用意してくれたのだろう。


 病院前は道路で交通量も多い。駅に近いらしく、人も同様だ。なのに新たちの周囲だけ、何かを避けるように人がいない。まるで世界からこの場だけが取り残されたみたいだった。


 似た感想を持ったらしい千尋も周囲を警戒する中、一匹の鴉が新の足元に降り立った。


「探し物は貴様らの地の三つの王のもとにある」


 人語を話した鴉は、それだけ告げると飛び去った。


「待て!」


 慌てて後を追ったが、疲労とダメージが蓄積している肉体では上手くいかない。結局、路地裏の擦れた鷲の看板が掲げられた小さな店の前で見失った。


 千尋の脚力なら終えたかもしれないが、彼女は彼女で新を気遣って全力で追えなかった。一人にしたが最後、先ほどの鴉が舞い戻ってきて牙を剥く可能性だってあるのだ。


「……鴉の目的が何かは知らないが、鍵は地元にありそうだな」唇を噛みながら新は言った。


「ああ。貴様らの地というのは我らが住む県を指すのだろうな。となれば三つの王は……賛王か!」


 住んでいる県には賛王という地名がある。賛をさんと読めば、探し物は賛王にあるとなる。


 探偵ばりの推理をした千尋が、何度も自信ありげに頷いて県警と連絡を取る。新を事務所へ送り次第、すぐに賛王地方の捜索にあたるつもりなのだろう。


「何のためにヒントを寄越したのかは知らないが、人間を侮ると後悔するというのを教えてやる……!」


 いつになく、千尋は本気で怒っていた。


     ※


 新の予想通り、事務所へ一緒に戻るなり千尋は祐希子捜索のために賛王を目指して出発した。想定外だったのは、世話役として里穂を置いていかれた点だった。


「遠征中に入院とか、マジ斬新って感じじゃね?」


 外見から言葉遣いまでスタンダードなギャルは、今日はジーンズ生地ではなくベージュのホットパンツ姿だ。


 夏に向けて日差しが強くなりつつあるので、肩部分だけくり抜かれた薄生地のTシャツを着用していた。相変わらず見せつけるようにブラ紐を露出しており、前かがみになれば胸元がお目見えする。


 お見舞いの林檎を持ってやってきた里穂が、千尋に変わる新たな監視役となった。だがゆっくりしている場合ではない。新も例の鴉のヒントは聞いているのだ。


「チッピー、血相変えすぎ。三つの王だっけ? 鴉のヒント、謎かけにしては優しすぎじゃね?」


「ああ、俺もそう思う。だから、少し出かけてくる」


「は? いきなり何言っちゃってんの? 全身打撲って結構な怪我なんだけど」


 普段通りのギャルな口調の中にも確かな心配がある。


 新は強がり同然の笑みを里穂に見せた。


「俺もできれば寝てたいんだが、迎えに行ってやらねえと、泣いてしまいそうな奴がいるんでね。留守番、頼むわ」


「はあ。止めても聞きそうにないか」里穂は苦笑する。「わかった。でも、無理だけはすんな」


「はは。珍しいな、ギャルじゃない言葉遣いをするなんて。意外とそっちの方が似合ってるぜ。姉貴みたいだけど」


「チッピーと一緒にされると激おこだし。つーか、くだらない事言ってんなら、力づくで寝かせちゃうけどォ?」


「童貞卒業させてくれるなら大歓迎だ」


「じゃ、無理。里穂、貧乏人はマジ勘弁」


 ニッと笑った里穂に軽く右手を上げ、新は事務所を出る。


 向かうべき場所は決まっており、夕暮れから夜に染まっていく街を一人で歩く。


 辿り着いたのはパチンコ屋。景品交換所の壁に背中を預け、ワイシャツの胸ポケットに入れていた煙草を取り出して火をつける。


 全身打撲の影響で歩行速度が遅かったため、ここへ来るまでに周囲はすっかり暗くなっていた。空に浮かぶ月を歓迎するように、白い煙がゆっくりと上っていく。


 少しだけ開いている小窓から、聞き慣れた男の声がする。


「……怪我シタと聞いたネ。無理はよくナイヨ」


 よく利用している情報屋のワンである。


「そうも言ってられない状況でな。情報を売ってもらいたい」


「何の情報をお求メネ」


「祐希子の居場所だよ」


「攫われたと聞いたネ。ワタシも気になってタネ。お代はユキコサンのパンティでイイネ。喜んでお手伝いスルヨ」


 ワンの態度はこの前会った時と何も変わらない。たいしたものだなと、率直に新は思った。


「すぐにわからないのか?」


「ワタシ、エスパーじゃないネ。調べナイと、ワカラナイネ」


「そうか。ところで怪我は大丈夫か?」


「……何のハナシネ」


 初めてワンの声に動揺が含まれた。


「そのままの意味さ。軽い怪我じゃなかっただろ」


 今度は何も返ってこない。


「実はな。奇妙なメッセンジャーが俺に警告してきやがったんだよ。三つの王のとこに探し物があるってな。それで姉貴は今、賛王に向かってるよ」


「三を賛に置き換えたネ。ヨク考えタネ」


「まあな。けど、俺の考えは違う。そのまま三つの王があるって意味だと思うんだよ。で、だ。ふと気づいたのさ。知り合いに三つの王がいるじゃねえかってな」


 煙草の煙とともに息を吐き出し、吸殻を携帯灰皿へ捨て、自由になった手をこっそりとジャケットに入れる。


「お前の名前を漢字に当てると、王が三つ並ぶ。タクシーを襲撃したのもお前だろ。祐希子を返してもらおうか、ワン王王ワンワン


「酷いネ、ダンナ。イイガカリヨ。どうしてワタシが、ユキコサンを攫う必要があるネ?」


「だったらそのままとぼけてろ。問答無用で叩きのめしてから、家探しさせてもらう」


「ヤメタ方がイイネ。ワタシに手を出すト、他の情報屋カラモ、相手にサレナクナルヨ」


「知ったことか。祐希子を返して、俺たちの前から姿を消すなら見逃してやる。一応はお前にも世話になったしな。そうでなけ――ぐっ!」


 小窓から伸びてきた腕が新の首を掴んだ。ワンは不意をついたつもりだろうが、新としてもこういう可能性はあると予測していた。


 すでに右手に持ったジュエルガンの銃口を、ジャッケットの生地越しに小窓の中へ向けている。


 中を確認し辛い状況で撃つと、いるかもしれない祐希子にも当たる危険性があったが、新を殺そうとワンが前のめりになっているなら確率はグンと減る。ワンは身長が低い。新の首を絞めるには、普通に手を伸ばしただけでは届かないのだ。


 事前にチャージを終えていたジュエルガンを撃つ。至近距離から放たれた宝石の弾丸をまともに食らったらしく、ワンの悲鳴が周囲に木霊する。


 同時に新の首から手が離れた。軽く咳き込みながらも、急いで肺に空気を送り込む。その際に新たな宝石をチャージするのを忘れない。


 戦闘を長引かせれば、物音を聞いた野次馬が集まってくる。人だかりに紛れて逃げられると厄介だ。祐希子誘拐の事実を知られた以上、ワンは二度と姿を現さないだろう。それは祐希子の喪失も意味する。


 景品交換所の入口はすぐ横にあるだけだが、中に隠し通路がないとも限らない。金属製のドアを使っているが、なんとか破壊はできる。


 問題はワンが祐希子を盾代わりに使用しないかという点だが、あそこまで執着しているなら可能性は低い。


 新は小窓の方面へ弾丸が抜けるように、横の角度をつけて引き金を引いた。爆発するように金属製のドアを破壊した直後に、小窓の割れる音が響いた。


 ドアを蹴り開ける。薄暗い室内の壁際に、後ろ手に縛られて猿ぐつわを噛まされている祐希子がいた。壁を背もたれに体育座りするような体勢だ。両足も縛られて動けなくされている。


「ワン、貴様ァ!」


「情報屋に手を出すナンテ、探偵シッカクネ。コウナッタラ、覚悟してモラウヨ!」


 先ほどの銃撃で撃ち抜かれた右肩を左手で押さえたワンが、肉体を変形させる。体の内側から盛り上がった筋肉が、風船が弾け飛ぶかのように衣服を破った。


 推測通り、タクシーを襲ったゴブリンじみた怪物はワンだったのである。今さら驚く必要もなく、今度は大きめの宝石をカートリッジに装填する。

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