第11話 暴走と暴露

 必要事項を記入し終えた玲子は、持っていたバッグから封筒を取り出した。


「こちらが前金となります。ご確認ください」


「いえ。成功報酬だけで結構です。どうしてもというのなら、その時に上乗せしてください」


「……わかりました。では、私はこれで失礼します」


「何かわかればご連絡します。あ、そうだ。一応、先に依頼したという宝石商を教えてもらえますか」


 頷いた玲子から貰った名刺には、宝石商ゼイナードと書かれていた。どうやら個人で宝石を扱っているみたいだが、住所の記載がなかった。名前と携帯電話の番号だけで、隠そうともしていない怪しさが見て取れる。


 よほど信頼できる人物なのか、もしくは玲子と彼女の生前の夫が人を疑うことを知らないのか。どちらにしても一度、話を聞いておく必要がありそうだ。


 玲子を見送るために、新も一緒に外へ出る。


 土足可な家はこういう時に靴の履き替えをしなくていいので便利である。その分掃除は大変だが、現在は居候が担当しているので苦労はない。


 初夏でも日差しをまともに浴びれば暑い。春の爽やかさも徐々に過ぎ去ろうとしていた。


 改めて依頼を受けてくれたお礼を、見送りの感謝とともに述べた玲子がふと周囲を見渡す。つられて新もだいぶ見慣れてきた港の風景へ視線を向けた。


 海に上から滑走路でも置いたかのような出張ったスペースに、コンテナやらが置かれている。


 港としての機能はまだ残していて、たまに船も来る。釣り人の姿もちらほら見かけたりするので、まったくの無人になったりするのはあまりない。


 夏の夜ともなればそこかしこで花火をする音も聞こえる。そうした区画内にひょっこりあるだけに、一部では錦鯉探偵事務所は有名だった。


 新がよく利用するガーディアンはもっと町よりだ。元は港の作業員のために作られていたので、事務所とした建物は最初から海よりだったのである。


 おかげで海を見る機会にだけは困らない。周辺はかなり深いので間違っても泳いだりはしないが。


「実は港というのには初めて来ました。潮風が気持ちいいですね」


「風が強いと髪が乱れて大変ですけどね」


「うふふ。そうかもしれませんね」


 たなびく髪を手で押さえず、風の流れに任せて遊ばせる。陰のある笑みとともに、玲子の仕草は一つ一つが絵になる。どこかの探偵事務所の居候兼助手にも見習わせたいほどでだった。


 そんな彼女が真剣な顔つきになって、両手で新の右手を握った。ふわりと寄り添ってきた柔らかくて温かな感触に、反射的に頬のあたりが熱くなる。


「どうか……どうか、よろしくお願いします」


「……やれるだけ、やってみます」


 そう言うしかなかった。恰好をつけられればいいのだが、調査してみるまではわからない。何せ正式名称ではない呼び名と色しか知らないのだ。


 普通に考えれば探すのは不可能に近い。現に怪しげとはいえ、玲子が頼った宝石商も見つけられなかったのだから。


 手を離した玲子は深々と頭を下げ。くるりと新に背を向ける。名残惜しさはあったが、引き止めるわけにもいかない。


「未亡人か……やっぱり女はあれくらいの色気がないとな」


 しばらく後姿を見つめたあとで呟くと、唐突に何者かが新の背中を蹴った。


 アクション俳優ではないので、咄嗟に反転して迎撃体勢を整えるなんて芸当はできない。地面に倒れた勢いそのままに、前回り受け身よろしく肩を支点として前方に転がる。


 足を突いた勢いを利用し、斜めにしゃがみ立ちする形で蹴りを放った人物の姿を確認する。


 面白くなさそうに、憮然としている祐希子だった。


 妖魔に不意をつかれたわけではないと知って安堵したのも束の間、蹴られた事実に腸が煮えくり返りそうになる。


「いきなり何しやがる! 足癖の悪いガキだな」


「うるさい! デレデレとおばさんに鼻の下なんか伸ばしちゃってさ。フン!」


 腕を組んでそっぽを向く、いかにも怒ってます的な態度をとる祐希子に、新は呆れ果てたため息をプレゼントする。


 どうやら最後の独り言も含めて、新と玲子の会話を盗み聞きしていたらしい。


「お前にとってはおばさんでも、俺には色気のある女性だ。ついでに言えば、お前はガキ。貧乳成長させてから出直してこい」


 顔を真っ赤にして猿みたいにキーッと怒るかと思いきや、何故か祐希子は勝ち誇るような顔をした。


「残念だけど、貧乳じゃないんだよね。もうちょっと欲しいのは事実だけど、アタシは里穂ちんより一センチ少ないだけなんだから!」


 そう言うと祐希子は自らの手でジレベストの前を開き、Tシャツに包まれた上半身をどうだとばかりに張った。


 言われてみれば確かにふくらみがある。普段から胸元を強調する服を着てないので気付けていなかった。


「貧乳ってのは、千尋さんみたいな胸のことを言うんだよ。前に一緒に銭湯に行った時、見たからね。限りなくDに近いCのアタシと、ちっぱい千尋さんを一緒にしないでもらえるかな!」


 背中を反らして得意気に新を見下ろしながら、自殺願望でもあるのかと疑いたくなるような暴露を繰り返す。


 噂をすればその人物が現れるというのはお約束みたいなもので、コンテナの陰から音もなく千尋が姿を現した。


 探偵の新でも依頼者を胡散臭そうだと思ったのだ。人を疑うのが本職の刑事が、不信感を抱かないはずがなかった。素通りしていれば逆に失格である。


 そこで事務所から立ち去るふりをして、祐希子とは違う場所に隠れて玖珠貫玲子の様子を窺っていたのである。それくらいは、わざわざ聞かなくとも推測できた。


 予想通りと肩を竦める新とは大違いで、数秒前まで偉そうだった祐希子は尋常じゃないくらい顔に汗を浮かべている。


「き、聞いてました?」


 笑顔で「もちろんだ」と頷いた千尋は、パンツのポケットに入っていた銀色に輝く手錠を右手に持って高々と掲げた。


「名誉棄損の現行犯で逮捕する」


「や、やだなあ。冗談にしては、え、笑顔が怖いよ、千尋さん……」


「警察が冗談で逮捕するわけないだろう。私は本気だ」


 それは長年一緒に暮らしていた新でさえも、見た経験のないゾッとする顔だった。


 身の危険を感じたせいか、祐希子は冷静になるのではく、逆に暴走気味にパニクる。


「だ、だって、事実だよ! 千尋さん、胸なかったもん! お椀型で乳輪も小っちゃくて美乳だったけど、小さいものは小さいんだよ!」


「……その口を閉じなければ即座に射殺する」千尋の目は本気だった。


「あ、新ーっ!」


「こっち見んな。俺は受けた依頼の調査に行ってくるから、留守番よろしくな」


 君子危うきに近寄らず。


 一人さっさと逃げだす新だったが、祐希子は元陸上部らしい走りであっという間に追いついてくる。


「こうなったら一蓮托生だよ!」


「ふざけんな! うおお、なんて足の速さだ!」


 新は祐希子を振り切れずに叫び、その拍子に背後を見て目を見開く。


 なんと千尋が、逃げるこちら以上の速度で、すぐそこまで迫っていた。


「なるほど。お前も共犯か。いいだろう。国家権力への挑戦、受けて立つ」


「ま、待て。俺を巻き込むな! っつーか、本気で銃を構えんじゃねえ! おい、ボケタワシ! お前の責任だろうが、自分で何とかしやがれ!」


「部下の不始末は上司の責任だよね! 所長、助手を助けて!」


「だからお前は自称助手だ! 俺は認めてねえんだから、部下じゃねえんだよ。ついてくんな!」


 喧騒に包まれた港の海近くの区画内。空を飛ぶ鳥だけが平和そうに鳴いていた。

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