第39話


「亜理紗に復讐したいかって? そんなの当たり前じゃない」


 亜理紗の尾行を終え、自宅へと帰る途中だった。人気のない路地に差し掛かると、街灯がぽつぽつと頼りなく暗がりを照らしていた。その薄暗い場所……電柱の裏にパーカー姿でフードを深く被った怪しい男が立っていた。仁科華は足早にその男の前を通り過ぎようとしたが、男は彼女の進行方向の手前に封筒を地面へと放り投げた。


 表には「田中亜理紗に復讐をしたいか?」と書かれていた。

 その下には「イエスなら封筒を開け」と続いていた。


 華は何の躊躇もなく封筒を開いた。

 中には今週土曜日の「ある計画」が書かれていた。

 その計画の内容はどうでもいいが、計画の一部に田中亜理紗の拉致、監禁と書かれている。

 

 華は目の前に立っている男が、まともな世界の人間ではないことを見てすぐに気がついた。


 だが、それがどうした?

 あの女をほふれるのであれば、地獄の悪魔と手を組んだってかまわない。


 いろいろと条件が書かれている。

 顔面の注射整形。義肢による身長、体型の偽装。なぜここまでやるのかなんていう無駄な質問はしない。これくらいしないと亜理紗の周りにいる連中を欺けないってことだと思うから。


 それにここまで専門的な提案をして実行ができる組織の人間。あの強固な見張りの連中が拉致した華たちを追ってきたとしても、ひとりでやるより、よほど逃げ切れる可能性が高いと思う。


 彼が所属している組織の計画に協力したら、亜理紗を好きにしていいと書いてある。


 紙面には亜理紗を始末した後、豪邸を1軒買えるほどの成功報酬を持って、日本の法が及ばない国で、もう一度整形をして、現地の人間の戸籍を買って・・・一生、遊んで暮らせるとある。


「アイツに復讐ができるなら、なんだってやってあげる」


 自分でどんな表情をしているか、わからない。

 興奮しているのか、怒っているのか、悦んでいるのか。


 仁科華はこの日を境に表の世界から姿を消した……。







「コイツでお前の目ん玉をえぐってや……うっ……ぐぅ」

「同じことを何度も言わせるな」

 

 救急セットに入っていたピンセットを取り出し、強く握って亜理紗の目に突き刺そうとしたら、後ろから首を絞められた。華をこの計画に加えた路地裏で会った男。余計なことをいっさいしゃべらないので、男の名前すら華は知らない。


 もの凄い力、片手で華を持ち上げつつ首を絞め上げる。


「ご、ごめんなざい゛」

「次、勝手なことをしたらお前から処分する」


 表情をいっさい変えない男は華を車内で後部の扉へ叩きつけた。


 華はゴホゴホと咳き込みながら、男がパソコンを開き、すでに他のことを始めているのを見て、殺されずに済んだことに安堵した。


 いけない。ついつい熱くなっちゃった……。

 目の前に自分のすべてを狂わせた女がいるので思わず取り乱してしまった。

 あとで、ゆっくり可愛がってあげられる時間があったことを思い出す。


 救急車は、そのまま高速に乗って山梨県の山の中にある別荘へ向かう予定。そこで亜理紗を監禁するが、手を組んでいる男と対立する組織へ最初の交渉で亜理紗の生きている声を聞かせたら、後は用済みだという。朝まで亜理紗の命を弄んで、朝方に華と男は別の車で逃走し、国外へ逃れる、というシナリオになっている。


 しかし……。


「えっ? なにここ、早すぎじゃない?」


 救急車がまだ高速に乗っていないのにエンジンを切って停車した。

 華は聞いていた話と違うため、男に問いかけたが無視された。

 外の景色を確認するべくカーテンを開けると、車が下りていける河川敷に救急車は停車していた。


「はやくしろ!」

「ちょっ、なにしてるのよ? なんで亜理紗を……」


 後ろのドアが開くと知らない男が2名、救急車の中へ入ってきて、亜理紗をストレッチャーに乗せて外へ運び出した。


 華は騒ぎながらも男たちについていこうとしたが、目の前が急に真っ暗になった。







 仁科華が救急車の中で一緒にいた男に注射器を刺され倒れたのを見て、鬨人はなんとか足掻いて口枷を取ったと同時に男を挑発した。


「テメーみたいな汚いオッサンが亜理紗をどうするつもりだ!」

「お前には関係ない、この哀れな女と救急車に残るがいい」

「俺が怖いのかよ? 実はたいしたことねーんじゃね、オッサン?」

「ほう……おもしろい、では後でじっくり料理してやるとしよう」


 男は、外に出た男のひとりを呼び戻し、救急車に残るよう指示をした。だが、指示された男は顔を恐怖に歪ませ首を横に振った。


 たったそれだけで、その男は無表情の男に素手で首の骨を折られた。無表情の男は気絶している仁科華と絶命した男を救急車へ寝かせて救急車の後ろの扉を閉めた。


「これは……」

「はやく乗れ!」


 河川敷に棺桶のような形をした大型のドローンが4機あった。

 男はそのうちの一つにさっさと入ったので、鬨人も慌てて乗り込んだ。


 大型ドローンは操縦桿のようなものがないのに勝手に浮き上がった。頭を出して周囲を見渡していた鬨人は、救急車が警光灯をつけ、サイレンを鳴らし再び走り出したのを見届けた。よく見ると運転席に人がいない。ということはさっき殺された男と仁科華だけがあの救急車に乗っていることになる。


 大型ドローンは、地面から1メートル程度浮き上がった状態で川の方へ移動し、そこから低空飛行のまま、もの凄い速さで川を下り始めた。



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