第26話
「で? 俺って、これからどうなるの?」
飯塚楼は戦うつもりも逃亡するつもりもないようだ。
思考を操作されているとは言え、意識のない催眠状態とは違い、自分の思考に抗うこともできる。
放置しておくと、強い衝動はこれから何度も彼を襲うことだろう。だが、旧態依然の洗脳は毒にもなるが、薬にもなる。今回のケースであれば、比較的ソフトな洗脳術を長期間に渡って上書きするようにかけていけば、効力は次第に薄れていくと考えている。
「提案ですが、私がいる組織に入ってください」
「それって大丈夫なの? 内側からなんかやっちゃうかもよ?」
まだ、神籬への報告は行っていないが、彼は十二分に役に立つ。上層部は必ず説得する自信が一郎にはあった。
「本件が初事例ですが、ダンジョン法においての司法取引です」
日本の現行法は基本、引き算でしかない。罪に対して罰を
「檻の中に放り込まれるよりはマシか」
飯塚楼としても自分の思考が父親の思惑である可能性が少しでもあるのならそれに従うつもりはなかった。おとなしく捕まってもよかったが。取引してくれるなら有難いと快く承諾した。
「それは困る」
背後から気配を感じ取った瞬間、一郎は亜理紗を抱えて真横へ飛んだ。
例の髭を生やした傭兵……手にある自動小銃で飯塚楼を蜂の巣にする。
「あっぶな……」
「失敗作は処分するように言われていたが……止むをえまい」
かろうじて、ジンガサを展開した楼は命を落とさずに済んだ。髭を生やした男は、後ろから李に追われている真っ最中で、飯塚楼を
追いかけて
「失敗作、か」
飯塚楼は髭を生やした傭兵はとある企業から紹介してもらったと明かした。ロシアにも支店があるその会社はアメリカに本社を置く巨大軍需企業「ドルドアンソー社」……。死の商人などと呼ばれる彼ら軍需企業の権力は米大統領をも凌駕するという。
田中一郎にとっては、もっとも関わり合いたくない相手。先ほど髭面の傭兵が言い残した言葉から考えると、ロシアの民間研究所とドルドアンソー社が繋がっている線も十分にありうる。
この豪華客船もあの傭兵の男が用意したもので、私兵は飯塚楼が雇った者たち。彼らもまたプロなので、
髭面の男の名はジャマル・ハニア。アラブ人に多い名前だが、本名かどうかはわからない。
その後、神籬の支援達も到着して、使用したヘルメット等の道具の回収やダンジョン法に基づく緊急執行後の法的手続きを代わりにやってくれた。一郎は亜理紗と李、飯塚楼と4人でヘリに乗り、対馬へ渡り、そこから飛行機で福岡経由で東京へと戻った。
帰りの飛行機でニュースサイトを見て知ったが、亜理紗の元同級生である仁科華が盛大に自滅したのを知って驚いた。後になって知ったが、法を順守しない飯塚楼の野蛮な手段は実に仁科一族に有効だったらしく、もう二度と亜理紗の前に姿を見せることはないだろうと思われた。
それから1週間は、飯塚楼の神籬加入のために方々駆け回り、書類を作成する日々に追われた。
彼は現在、あのジャマル・ハニアのような人物に命を狙われている可能性があるため、ラビキン本社……神籬本部地下9階にある「
「一郎さん、相撲って興味ある? チケット手に入れよっか?」
「いや、やめとくよ、家に帰って娘と一緒にいるのが一番幸せだから」
「娘を溺愛しすぎじゃない?」
「ははっ、誉め言葉として受け取っておくよ」
彼が神籬に加入して、さっそく進展があった。これまで神籬の連絡は特殊な回線を使用していた。だが、飯塚楼……コードネーム六六蝙蝠のお陰で普通の電話回線で堂々と任務の話などを通話しても情報が漏洩しないプログラムを作ってくれた。盗聴器や読唇術での会話傍受さえ気をつければ、なんら不自由なく民間の通信システムを使用することが可能となった。
娘の亜理紗の失踪事件に対するマスコミ各社の情報統制やネットでの風評被害なども完全に鎮静化してくれた。神籬がこれまで使用していたアンチ抑制プログラムを改良し、web上にばら撒き潜ませた無数の自律型AIが特定のキーワードに反応すると、浄化するよう自動で働いてくれるので、高性能PCも必要なくなり、効率はこれまでの数百倍まで跳ね上がった。
他愛のない電話かと思っていた一郎だが、電話を終える間際に楼が重要な情報を口にした。
「ようやく、あの髭面の男を見つけたので、後でメールを送っておくねー」
「え? あっ、おい」
電話が切れてしまった。
髭面の男、ジャマル・ハニア。世界の戦場を渡り歩いて生き残っているプロの傭兵。
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