第17話
決戦前最後の打ち合わせの後。
セレンは傭兵部隊の野営場所へと向かう前に腹ごしらえをしようと、簡易食堂となっているテントへと入っていった。
「まっず…」
前の調理担当が降格処分されて別の担当へと変わった筈なのだが、食事は相変わらず不味かった。
調理者の腕ではなく食材が駄目なのかも知れない。
「おい傭兵、話がある」
そこへテントに入ってきた副隊長は周囲を見渡し、セレンを見付けると声を掛けてきた。
「あァ? 何か文句でもあんの」
「なっ、お前はまたそんな、あからさまに嫌な顔をしおって…!」
セレンは不味い豆スープを食べながら不機嫌声で応える。
火は通っている。塩味は利いている。戻した干し肉も入っている。
だが不味い。副隊長の顔を見ると更に不味く感じられた。
「で、何。アタシも暇じゃないんだけど?」
「今朝の事についてだ。中隊長殿…、ヴィンセント様と試合をしたそうだな。それも遠慮も何なく打ち負かしたそうではないか!」
効果が無いと分かっていても一応言葉で牽制するが、やはり副隊長には効果が無かったらしい。
「気に入らなかった? あれはヴィンス本人が望んだからやったんで文句を言われる筋合いは無いんだけど」
「ふん、気に入らんに決まっている! もしヴィンセント様がたかが傭兵の女に負けたなどという噂を流されでもしたら全体の士気に関わる!」
セレンはそうならないように気を利かせて試合の後は早めに切り上げたのだが、それを言っても素直に聞いて貰えるとは思えなかった。
「アタシがそんな金にならない事をするとでも?」
「金にがめついお前の事だ、何を思い付いてやらかすか知れたものではない!」
話にならない。
全てを疑ってかかられたのでは、言葉を交わすのもただただ面倒である。
「…ケンカ売ってんの?」
「なっ、お前はすぐまたそんな事をっ! これだから下賎の女はたちが悪い。私が言いたいのはその後の事についてだっ!」
どうやら喧嘩すら買わせて貰えないらしい。
雇用主であるヴィンスの顔を立てる手前、役職持ちを殴るにしても喧嘩という体裁は欲しかった。
「何やら二人で話し込んでいたそうではないか。ヴィンセント様に色目を使うとは、全く油断も隙もない奴め!」
どうしたものかと思案していたら、今度は色仕掛けすら疑われる始末。
「…何が言いたいわけ」
「だ、だから! あの密会の後からヴィンセント様は何かが変わったのだ。それがお前のせいなのは明白。そして私はヴィンセント様の第一の家臣、ならばそれについてお前に問い質す権利がある!」
少し考えてから、迂遠な言い回しの意味を噛み砕いてみる。
…どう解釈しても、言い掛かりであった。
「本人に聞けよ」
「繊細なお方なのだ! それで戦争が始まってからという物、まるで追い詰められていくように…。私はただお傍でそれを観ているしかなく…」
今度は自分の気持ちを語り始める。
情緒不安定なのは副隊長の方なのでは無かろうか。
「いや第一の家臣なら聞けるだろ」
「ば、馬鹿者っ! 軽々しく踏み込める様な話題ではないのだ! あの方の苦悩も知らずに…、これだから礼儀も弁えぬ輩は…!」
二言目にはこちらを貶めるような言い方をする。
流石に決戦を前にしてこれ以上気分を下げられるのは御免だった。
「…長くなるなら後にしてくんない?」
「戦いが始まれば後にも出来なくなるかも知れんだろう! だから、今言うしかないのだ! それが分からんのかっ!」
そこにきてようやくセレンは、今までの苦痛しかない会話が本題を切り出す前の口上でしかなかったのだと気が付いた。
「つまり死ぬかも知れないから今の内に一生分の文句を言っておきたいってこと…?」
「違うわっ! ヴィンセント様の様子が元に戻られたから、その礼を言いに来たと何度言えば分かるんだ!」
礼、言われただろうか?
副隊長との会話なんてほとんど覚えていないが、そんな記憶は無い。
「いや、言ってないし」
「ふん、今言ったからな。これで清々した! ヴィンセント様の為に働いたら、後は何処で野垂れ死んでくれても構わんぞッ!」
副隊長は顔を真っ赤にしてそれだけ言い切ると、今までの粘りが嘘のように踵を返して去って行った。
「え、何。今のが礼って…? うっそ、ケンカ売りに来たの間違いでしょ」
セレンは啞然としながら副隊長の背中を見送り、その後暫くしてから手元のスープが冷えているのに気が付く。
「どうすんのよ。スープが冷えて不味くなったじゃない…」
スープは冷えてなくても不味い。
それは副隊長から受けた万分の一ほどの、せめてもの言い掛かりであった。
◇◆◇
セレンは単身で戦馬に乗って作戦開始前に周辺の調査へ来ていた。
予想される本隊同士の交戦予定地域からは外れるが、元よりヴィンス率いる強襲部隊は側面から回り込んでの敵軍の分断と囲い込みである。
その中で傭兵の役割は遊撃と討ち漏らしの掃討、そして長期化した際のゲリラ戦だ。
「ベテルギウス〜。危なくなったら一目散に逃げるんだぞ〜」
戦馬はこれから激しい戦闘が起きるのを空気で察して神経質になっていたが、セレンが乗ってからは機嫌良さそうにパカパカと足を持ち上げながら歩を進めていた。
目指すは目星を付けた強襲ポイント。
「さーて、アタシもそろそろ取りかかるか…」
傭兵達には細かく10人前後の分隊を組ませて戦域のあちこちに配置している。
傭兵は基本的に個人主義が多く、個々の実力は完全に把握しきれないので、逆に戦力は大して考慮せずに本人達の直感で選ばせた。
戦力分析や効率で考える軍とは真逆の、効率を度外視した個人の感情や満足度を優先して成果は自己責任というやり方である。
「(正規兵は敵兵を斃したって金にならないし。だから軍は自分達の被害を減らすために傭兵に危ない地区を担当させたがる)」
3組ずつ呼んで10箇所の候補地から3箇所を選ばせるのを時間をずらして都合三度繰り返し、さも自分達が優先して選んだかのように錯覚させたが、当人がそれで満足なら別に問題は無い。
10箇所目は埋まっていると言って周知させているので実際に選べるのは9箇所なのだが、セレンの持ち場だと思ってか本気で文句を言う者は居なかった。
「(傭兵は金や称賛欲しさに敵兵の多い地区を担当したいけど、少しでもリスクを軽くしたくて場所取りにはうるさいのよね)」
そう、9組ある傭兵分隊に対して予めセレンは候補地を15箇所用意しておいたのだ。
余った候補地は穴になるが、どうせ傭兵達は禁止した所で持ち場の境界線なんて守る訳が無い。わざと持ち場を少し狭く設定しておいたので、後は黙っていても足を伸ばしてくれるだろう。
「(力が称賛されるのは現実を知らない連中か夢物語の中だけ。軍では賢い奴が出世するし、傭兵なら稼げる奴が一目置かれる)」
自分達だけ得をしたいのならアマンダのように先手を打てば良かったのだ。
勿論、アマンダには分隊を呼び出す前に希望する候補地を選ばせていた。
例え底辺職業の傭兵であっても賢い者が得をする。
「(自分のことが一番大切な連中に、美味しい話なんて他人から振って貰えるわけ無いのにね)」
他の傭兵達に周知させた10箇所目はセレンではなくアマンダの持ち場だったりする。
セレン自身は傭兵長としての役割という名目で、特定の持ち場を持たずに稼げそうな場所へと奔走するつもりなのだ。
「あー、はいはい。知ってた」
浅い川の流れる谷を越えて勾配を抜けた先。
敵部隊との遭遇が予想される地点の傍にある林を通って周囲を探ると、予想通りここにも多数の罠が仕掛けられているのが確認できた。
「それにしても多過ぎでしょ…」
中隊で抜けて来た樹林より敵陣に近いからなのか、嫌がらせのような罠の密度は比では無かった。
敵も自陣の弱点はよく把握しているのだろう。
「はぁ〜…。こりゃもう仕方ないわよね。そっちがその気ならこっちにも考えがある…」
木々の間隔の有るなだらかな斜面で針葉樹に手を当てて、樹皮を剥いたり擦ったり叩いたりして質感を確かめる。
セレンは地形の把握に努めながら今回の戦争での稼ぎについて思いを巡らせた。
「敵兵士一人で大銀貨3枚。小隊長首は金貨3枚。中隊長首で金貨10枚。大隊長首で金貨30枚。敵大将は金貨50枚…の所が賞金でプラス100枚!」
これはこの戦争での臨時雇われ組に提示された成果報酬である。
正規兵には普段の給金とは別途に戦争では一律で手当が支給されるが、余所者の傭兵は斡旋所から最低限の手間賃くらいしか支払われない。
アマンダの傭兵団やセレンのような名うての傭兵なら直接指名されて相応の前金を支払われるが、それはごく一部の者だけ。
傭兵が稼ぎたいなら誰の目にも明らかで具体的な成果を上げるしか無いのだ。
「まずは細かく稼いで、最後は大将首だな。よーし、大将以外での目標は金貨200枚!」
セレンは前金を貰っているが、成果報酬に関しては他の傭兵と同様である。
そして成果報酬の受取金額が高ければ高いほど、次回の指名で支払われる前金は上がる。
傭兵の世界は結果重視の実力社会なのだ。
「これまでのヴィンスとの契約で金貨100枚でしょ。成果報酬であと100枚分か〜。ここまで来るのに仕留めた分じゃ10枚ちょっとしか行かないわよね…」
傭兵長という役職のおかげで美味しい話には有りつけたものの、自由に敵兵を求めて戦場を駆け回れなくなったので成果報酬は控えめである。
大合戦を前にした現状で既に金貨100枚という稼ぎは驚異的なのだが、それで満足せずに稼ぐ気概があればこそ今日のセレンへの評価があるのだ。
「これが終わったら今まで稼いだ分と合わせてそろそろ命張るお仕事からは身を引いて、どこかいい場所見つけて家を買うのもいいわね〜」
傭兵の仕事にも危険で高額な物もあれば安価でそれなりの仕事もある。
セレンの積み上げてきた実績があれば、その中間にあるごく一部の比較的安全で割の良い仕事だけ請け負うスタイルに変更できるだろう。
「あー、そのためにもここで気合い入れてザコ狩りしないとな〜」
しかし目標達成には隊長首を狙っていくしかない。
いくらセレンが強いとは言え、現実的に槍だけで兵士100人を相手出来るものではないし、そもそも兵士100人でも金貨30枚にしかならない。
「はぁ…。兵士一人がたったの大銀貨3枚って、命安すぎんでしょ…」
その事を考えると金勘定に茹だった頭が急激に冷えていった。
戦争で奪われた家族の命が大銀貨3枚で買い戻せるなら、買い戻そうとする者で溢れかえる筈だ。
「ねえベテルギウス。戦争なんて馬鹿のやることだよね〜? 戦争で勝っても働き手は減るし、家族は不幸になるし、貴族とか王族って頭悪いのかもね〜」
実際にその命を刈り取っているのはセレン自身なのだが、とりあえず責任は偉そうな人達に擦り付けておく事にした。
殺伐とした社会で生きてきた彼女の中の倫理観では、金が無ければ命の取捨選択も満足に出来ない世の中が悪なのだ。
「いや〜、案外神サマが戦争好きだったりして…?」
言い伝えによれば太古の昔、神々が大きな戦争をしたらしい。
セレンは神を信じてはいないが、もし伝承通りの神が居たのなら自分達の戦争では飽き足らず、人間にまで戦争をさせている神は無類の戦争好きなのではないかと思った。
「あーやだやだ、こんな世の中。早く帰ってロナと遊びに行きたいなぁ…」
もう間もなく、両軍は戦端の幕を切るだろう。
あれこれ考えて判断が鈍っては元も子もない。
セレンは戦争の行く末など考えても仕方がないと、ぐるぐる回りそうな思考をスパッと切った。
「よし、終わってバカンス行ってから来年考えよ!」
考える気ゼロの結論を出した。
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