六〇.古伊万里の金継ぎ

 あずさへのお参りを終えた二人が仏間を出ると、部屋の前であおい杏子きょうこと一緒にいる背広姿の中年男性と話していた。彼が使用人の野川のがわゆたかなのだろう。

「梓さまのお参りをさせていただきました」

「本当にありがとうございました」

 憲子のりことかつらが頭を下げると、杏子は厳しい顔で尋ねた。

「お二方はもう結婚されていらっしゃるのですか」

 かつらと憲子は丁寧に否定した。

「わたしは婚約中です」

「私は住み込みで働いておりますので」

「そうですか。葵さんも近々結婚いたしますので、先輩としての心構えを伺いたかったのですけれどね」

 杏子の言葉にかつらは葵を見ながら答える。

「葵さまが納得された方とご結婚なさるのでしたら、きっと大丈夫ですわ」

 憲子もうなずくと言った。

「私も葵さまのお力になれるのでしたら、いつでも伺いますわ」

 二人の言葉を聞いた葵は、杏子を遮るように前に出た。

「お二人ともありがとうございます。玄関までお見送りいたしますので、客間から荷物を持っていらしてくださいませ」


 客間に戻ったかつらと憲子に葵が話しかけた。

「運送屋さんの名前は『墨東ぼくとう運送』、十二月六日の十時に来られるそうです」

「ありがとう。わたしの隣に住んでいる山本やまもとさんのお勤め先ですわ。早速話してみますね」

 かつらが礼を述べる。

「ところで、お母様がたには怪しまれなかったでしょうか」

 憲子の心配に葵は微笑んで答えた。

「部屋の掃除をしないといけませんからと申しました。ご覧の通り殺風景な部屋でございますが、椅子を動かしませんとピアノを運び出せませんので」

「あの、失礼ですけれどここのお部屋や梓さまの家族写真に写っていた骨董品とかは、借金のためにお売りになったのですか」

 かつらはためらいながら切り出した。

「ええ。ですが売る前にほとんど戦災でなくなっておりました。空襲でこの家も被害を受けまして、屋根に火の粉が燃え移ったのです。お父様や野川さんたちが必死に消火されたそうですが、骨董品もかなり被害を受けまして。特に大事にしていらした古伊万里こいまりの茶碗がなくなったことをお父様は悲しんでおりました」

「古伊万里ですか。きっと貴重なものだったんでしょうね」

 憲子の相づちに葵はうなずいた。

「ええ。わたくしにとってもかけがえのないものでした。子どもの頃、飾られた茶碗の側でお姉様とふざけていて落としてしまい、ひびが入って割れてしまったのです。ですがお姉様は『わたくしのせいなんです』とかばってくださって。お父様はわたくしたちを叱ろうとしたお母様を止めて『金継きんつぎをすれば直せるから、今度から気をつけなさい』と言ってくださったのです」

「金継ぎ?」

「ええ。骨董品のお直しで、欠けたところを漆で繋いで補修することをそう言うのです」

 かつらの頭の隅に何かが引っかかった。

「思い出しました。わたし、あの野川さんという方と一度出会っています。両国りょうごくの質屋に金継ぎのある古伊万里を持ってきてました」

「本当でございますか」

 お茶を片付けようとしていた葵の手が止まる。

「その質屋に行きましたら、まだ古伊万里がございますでしょうか」

「質流れになれば店頭に飾られるので分かると思うのですが。来週までに様子を見て来ますわ」

「分かりました。よろしくお願いいたします」

 かつらの返事を聞くと、葵は話題を変えた。

「ところでお布団のことなんですけれど、お姉様のものが押し入れにしまってありますので、持ち出せたらと思うのですが」

「そうね、ピアノと一緒に運び出すのは難しいかしら」

 憲子が考え込む横で、かつらは考えを巡らしていた。

「そうだわ、カイ君たちにリヤカーを持ってきてもらいましょう。不要品の回収をしていることにして、布団を持ってってもらうのよ。ついでに葵さんも布団の下に隠れられるわ」

「すごいです。きっとうまくいきますわ」

 憲子はかつらを褒めた。葵が尋ねる。

「ところで、そのカイさんたちはどんな方たちなんですか」

「本当の名前は高橋たかはし海桐かいどうくんと柳子りゅうこさん。年は葵さんたちより少し下で、カイ君は米軍の軍服を羽織ってて、リュウさんは学生服を着ていて男の子に見えるわ」

 かつらから二人の名前を聞いた葵は今までにないくらいうろたえている。

「どうかなさったのですか」

 憲子の呼びかけに葵は早口で答えた。

「高橋君は漢方薬店の息子さんで、いつもお父様の薬を届けてくださってました。お店が空襲でなくなってしまい、上野で靴磨きをしているところを見かけて心配しておりました」

「そんな偶然があるなんて。カイくんのたちのためにもこの作戦、きっと成功させなくてはね」

 かつらは力強く言った。

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