十三.質屋とたばこ屋

 「墨田すみだホープ」を出たかつらは、浅草橋あさくさばしに戻る倉上くらかみ夫妻と別れ、近くの「両国りょうごく駅前質店」に入った。店頭には質流れ品や買い取り品の家具や時計、骨董品などが並べられている。

 かつらがカウンターに向かおうとすると、奥の暖簾の向こうから店主とやりあっている男の声が聞こえてきた。どうやら持ってきた品物の値段でもめているようだ。

「これは由緒ある古伊万里こいまりの茶碗だぞ。もっと高くしてくれよ」

「しかし茶碗に金継きんつぎの跡があります。申し訳ありませんがこれ以上の値段はつけられません」

「しょうがねえな」

 中年の男はお金を受け取ると待っていたかつらを一睨みし、そそくさと出て行った。

(質屋に来たのを見られたくなかったのかな)

 かつらは自分が最初に質屋に来たときを思い出しながら、カウンターに入った。

「今月の質料を払いに来ました」


 質料を払い終わって店を出たかつらが見たのは、向かいのたばこ屋から出てきた京極きょうごくたかしだった。彼もお盆休みなのか、ランニングシャツに国民服のズボンという軽装だ。思わず立ち止まるかつらに隆が呼びかける。

横澤よこざわさん、これからお仕事ですか」

「は、はい。京極さんも『まつり』に行かれますか」

 答えながらかつらは、隆が自分が質屋から出てきたのを見たのではないかと気になっていた。

「こいつを一服してから行くつもりだったけど、今日は一緒に行こう」

 隆はたばこ屋で買った「ゴールデンバット」の箱をズボンのポケットに入れると歩き出す。かつらもあわてて後を追った。


 闇市の通りを歩きながら、隆はかつらに話しかけた。

「映画代のために節約してるんだけど、どうしてもたばこが吸いたくなってね。横澤さんはあの質屋によく行くのかい」

 かつらはどう答えればいいか考え込んだ。隆が慌てたように言う。

「すまない、詮索するつもりはなかったんだ」

「いえ、兄の布団を質入れしているので、質流れしないように質料を払いに来たんです。お店に持ち込む時には弟と背負ってきたので持って帰るのも大変で」

「亡くなったお兄さんの布団か。すぐ使わないのならお店を保管庫代わりにするのはいい考えだね」

「ええ。初めて入ったときは緊張しましたが、いろんな人が気軽に利用してるので安心しました。夜遅くまでやっているので仕事帰りにも寄れますし」

「庶民の銀行ってやつだね」

 隆の反応に安堵したかつらは話題を変えた。

「京極さんのお宅はこの近くなんですか」

「ああ。『隅田川館すみだがわかん』という二階建ての簡易宿所さ。三畳の貸間だから寝るだけで精一杯だよ」

 かつらは隆が一人暮らしだということは聞いていたが、住んでいる場所までは知らなかった。

「今はどこも住宅難で困ってますから仕方ないですわ。うちだって一間だけのバラックですし。そういえば、京極さんはお盆休みの帰省はなさらないんですか」

 かつらの問いに、隆は困ったように頭をかいた。

「田舎の親戚とは縁が切れてるからね。昨日は北千住きたせんじゅにいる戦友と久しぶりに会ってきたんだ」

「それで昨日はお店にいらっしゃらなかったんですね。わたしも今日、朝鮮から引き上げてきた女学校の友人と久しぶりに会ったんです。元気そうでほっとしました」

「それは……」

 隆の言葉が途切れた。視線は闇市の雑踏をさまよっている。

「どうしたんですか」

 かつらの声を聞いた隆は、我に返ったように呼びかけた。

「いや、気のせいだ。店へ急ごう」


 かつらと隆が「まつり」へ向かった直後、闇市の雑踏を横切った三人がいた。カイとリュウ、そして紙袋を抱えた廣本ひろもとだ。

「ヒロさん、ブドウ買えて良かったね」

 リュウが嬉しそうに話しかけたが、廣本はどこか上の空だ。カイが尋ねる。

「もしかして、警察でもいたのかい」

「いや、そんなはずはない。お盆だから亡霊でも見たんだろ」

 廣本は何かを追いやるかのように頭を振った。


 隆と早足で「まつり」へ向かいながら、かつらは昔の学友たちのことを考えていた。

(『墨田すみだホープ』のノリちゃんたち、無理矢理結婚させられそうなあずささん、幸せな結婚をしたのに空襲で亡くなったあずささん。わたしだって戦争がなかったら、そしてお父さんやお母さん、兄さんが生きていたら、誰かとお見合いして結婚していたかもしれない。ただ毎日必死に生きているだけなのに、わたしやみんなの幸せはどこで見つけられるんだろう)

 かつらは答えの出ない悩みを抱えながら、明かりのともり始めた闇市の通りを歩いていった。

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