第54話「なにがあっても味方だ」
「夫婦とは一体何なのか。 罪を分け合う、共に抱える。優しさを持ち寄り、生きていく。だが夫婦で完結すべきことを子どもが抱えなければならないのは……残酷なことだ」
「白夜、痛いですよ……?」
葉緩がジタバタともがいてみれば、家の前を通りかかった人たちにじろりと見下ろされる。
ひそひそとした声が葉緩の耳に届き、少しずつ白夜と話すことが歪だと気づきだしていた。
「ねぇ、また四ツ井さんの娘さんが一人で喋ってるわ」
「変わったお家のようだから。うちの子には関わらないように言ってあるけど」
遠ざかっていく声に葉緩は白夜の背にしがみつく。
唇を尖らせて、震える身体を誤魔化していた。
「葉緩は変な子ですか? だから……」
「大丈夫だ。私はお前の半身。なにがあっても味方だ」
悲しい言葉は葉緩に自覚させない。
塞ぐべきものには白い手を伸ばして塞いでやろう。
本来の願いのまま、強く笑っていられる子になるように。
悲観的な種は、必要なときに相手を理解するために必要だ。
自分を戒める過剰さはいらない。
「葉緩、お前は自分を締め付けなくていい。お前が思うがままに人を愛し、大切にしたい人を守れる人となれ」
「……うんっ!」
たとえ半身であろうと、心は通じない。
だからこそ白夜は葉名の願いが穏やかに実るまで、折れたままでよかった。
半身でもわからぬ心は、夫婦となればなお難しい。
――ゆえに葉緩が誰かの幸せを願う心は、尊いものだった。
砕けてしまうような悲しいものは、子どもに不要。
***
「やだっ……! やだよぉ! 白夜がいなくなるなんて、そんなのいやだよ!」
涙があふれて止まらない。
脆く壊れそうな葉緩を支えていたのは白夜だった。
葉緩が落ち込んで動けなくならないように。
大切な人を守れるよう強い子になるようにと。
どんなに願ったところで壊れる時は一瞬だと、白夜が何度も葉緩の耳に手を当てた。
時を超えた想いも無に散らしてしまうほど、世界に飛び散る言葉は葉緩の心を千切ってしまう。
「ずっと、ずっと一緒だったから。白夜がいなかったら私は……!」
――笑えていただろうか?
それさえも答えが出ないほどに、16の年月を白夜に支えられていた。
葉緩のさみしさは先に白夜が抱きしめてくれたから、いざあふれ出せばせき止め方がわからなかった。
「うあああああん! うああああああっ!」
泣くのは難しい。
一度泣いてしまえば心の内側を守っていた防波堤から水があふれ出す。
言葉を紡ごうとすればしゃっくりでろくな言葉にならない。
話すことも出来ないわりに、喉を引き裂く勢いだけは容赦のないものだ。
「……わかった。それが葉緩の気持ちなんだね」
葉緩をよく知る人が刻む心音にあわせたやさしい撫で方。
トントンと背中に指があたるたびに少しずつ落ち着きを取り戻して鼻をすするようになる。
赤子をあやすような手つきに葉緩は広い胸に頬張りをした。
(心臓の音、少し早い。懐かしい。葉名はこの腕に抱かれるのが好きだった)
葉名の心は葉緩と同じ。
どんなときに甘えん坊になるかも、手に取るようにわかって、それを否定する気にもなれなかった。
「私は欲張りです。だけどこの手からこぼれ落ちていくものばかりです」
泣き虫だった葉名に呼応して、葉緩もまた泣いてしまう。
一人でグズグズ泣いている幼子はどちらだろう?
その隣に立っていた白夜はいつからその姿を浮き彫りにした?
「ダメだなぁ。葵斗くんといると、弱くなった気がします」
「一人で抱えなくていいから。 一緒に抱えるのが夫婦でしょ?」
葵斗の言葉に葉緩は顔をあげ、唇をとがらせて葵斗の額を小突いた。
「……次置いていったら本気で怒りますから」
夫婦となるのはそう簡単なことではないと念押しする。
紙切れ一枚の契約かもしれないが、一度結んだ縁は波紋して、完全に消えることはない。
愛を誓うことは甘いだけのものではなく、時に苦いことが続いてしまうもの。
それを手を取り合って乗り越えていくのが夫婦という繋がりだろう。
主と姫の幸せ同様、葉緩にも赤い糸があると考えもしなかった。
蒼依を失い、枝を折って絶望を抱えて海へ歩いた日々。
その孤独な時間が幸せに怯える葉緩をつくった。
子どもはいとおしく、忠誠を誓った二人に守られ幸せだった。
だがふと訪れるさみしさと、運命を壊した後ろめたさが幸せを望む罪深さへ繋がっていった。
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