第17話「今の私、壁じゃないです」
***
体育の授業は隣のクラスとの合同で、クラス対決でバレーボールが行われる。
柚姫に飛んできたボールを葉緩が前に出てレシーブし、ルールを無視し、そのままジャンプをして相手コートに打ち込む。
あまりの身軽さと、徹底した防御に注目を集め、まわりがざわめきだす。
「つよっ! どんだけ軽々しくジャンプしてるのよ!」
「姫、無事ですか!?」
「大丈夫だよ、葉緩ちゃん。カッコいい!」
「えへ、えへへ。 姫に褒められると嬉しいです!」
「葉緩ちゃん大好きだよー!」
「……また目立ってるなぁ。 アタシは知らないからね」
急にいちゃつきの増えた二人に周りは引いていた。
代弁するようにクレアがぼそりと呟く。
地獄耳の葉緩はそれを聞き取っていたが、クレアが恋敵であることは変わらず聞く耳をもたなかった。
柚姫と友人として楽しむこと。
これが今の葉緩の楽しみであり、極上の楽しみだ。
のん気に柚姫への愛情を抱いていたために、まわりの視線が誰に向いているかまで把握しきれなかった。
***
(お水、お水~)
授業の一環として行われていた試合を終え、休憩のためにペットボトルをもって体育館裏に出る。
満杯だった水の半分を喉を鳴らし、ごくごくと飲んで水分補給をしていた。
「はぁ、癒されたー」
「葉緩」
「ひぃあ!? も、望月くん!」
どこでもひょっこり現れる葵斗。
葵斗のなりふり構わない登場にふりまわされ、葉緩は冷静な対処が出来なくなっている。
今は授業中……といいたいところだが、葵斗の気まぐれさは誰もが見て取れるほどだ。
モテているのに、桐哉より目立たないのはそののらりくらりさが原因である。
ボールが床をたたく音が体育館から響いてくる。
葵斗に見つめられ、邪険にも出来ず葉緩はポニーテールにくくった髪を指先でくるくるする。
昨日のことを消化させようと、勇気を振り絞り向き合うことにした。
「あの、昨日は……。私、意識飛ばしちゃったみたいで……」
「大丈夫。白夜さんが連れて帰ってたから」
「……? 白夜が見えるの?」
「あれは葉緩の匂いが移ってるから。とてもいい匂いだ」
その発言にかぁっと顔を赤らめる。
「その匂いとやら、なんのことを。私は匂い消しをしているのでわかるとは思えないのですが」
「葉緩の匂いなら絶対わかる。俺は鼻がいいんだ」
疑問がどんどん溢れてくる。
忍びとして鍛えられた葉緩の匂い消しはかなり手練れたものだ。
人として違和感のないように丁寧に馴染ませた無臭。
それを越してでも強い香りを放つのが番の証となる香りだ。
その香りとやらを葵斗からは匂ってこない。
すでに葵斗は番ではないと証明されているにも関わらず、葵斗は距離を詰めてくる。
この考え方は葵斗も忍びであることを示し、結ばれる運命だと主張していた。
「私にはわかりません。あなたの匂いを感じないのです。番と言われても説得力がありません」
「匂いを感じない? どうして?」
(そんなこと言われても……)
葵斗が嗅ぐことが出来て、葉緩には出来ない。
どうしてと問われてもそんなものわかるはずがなかった。
葉緩の回答に葵斗は切羽詰まった様子で葉緩の腕を掴む。
「俺たちはわかるはずだ! だってこの匂いはっ……」
ハッと息をのんで、葵斗の手から力が抜ける。
歯がゆそうに唇を噛み、腕を掴む手が震えていた。
葉緩は胸がしめつけられて、なぜだか泣きたい気持ちになる。
(そんな顔しないでくださいよ……。私には関係ないのですから)
「……わからないならいいよ」
ハッとして顔をあげると、傷心しながらも強張ってあくどく笑う葵斗がいた。
葉緩は胸のあたりがズキズキと痛むのを感じる。
(これは何? 痛い……いやだ)
「匂いでわからないなら、他でわかってもらうから」
「えっ? ……あっ!?」
覆いかぶさるように唇を塞がれる。
何度も吸い付くように唇を食まれ、葉緩は葵斗の肩を押す。
「や、だめ……。ちょっ、は、ん……!!」
ぐちゃぐちゃする。
どうしてこんなことをするのか。
葵斗の瞳を見るとどうしてこうも心が乱される?
なのに触れられることが嫌でないと思う自分がわからない。
(だって、私は忍びだから。自分なんて、必要ない)
唇が離れると、葉緩は俯いて葵斗のシャツを握りしめる。
体育で動いたからなのか、緊張からなのか。
手が汗ばみ、全身が心臓の音でうるさかった。
「……今の私、壁じゃありません」
「そうだね」
「どうしてこんなことを――」
「葉緩が好きだから。ずっとずっと……好きだった。やっと会えたんだ。離さない」
――ギュッと抱きしめられる。
少し強引で、だけどやさしさのある抱擁にぶわっと涙がこみあげてくる。
現実を直視したくないと葉緩は固く目を閉じ、思考が落ちつけようと必死になった。
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