第55話





 ハリィメルは一日中ぐったりと寝台の中にいる自分を、心のどこかで冷静にとらえている。


 なにをしているんだ。こんな風に無気力になっていたって事態は好転しない。起きて、しっかり食事をして、立ち上がらなければ。


 そうは思うのだが、どうにも体に力が入らなくて、結局はぐったりしたまま時間だけが過ぎていく。


 学校から逃げ出したあの日から、もう一週間以上経つ。

 時折、母や姉がなにか言っている気がするのだが、聞くことを耳が拒否しているのか、内容が理解できない。


(……起きてどうするの? もう、なにもやりたいことなんかないのに)


 起きなきゃという想いと、ずっと眠っていたいという想いが、交互に浮かんでくる。

 自分でもどうすればいいかわからないまま、ハリィメルは動けずにいる。


 ふと、ノックの音が耳に届いた。

 誰かが部屋の前に立っている。


「ハリィメル、起きてる?」


 姉の声が聞こえた。今日も家にきていたらしい。


「あのね、ハリィメルがお嫁に行く家が決まりそうよ」


 ハリィメルはとっさに耳をふさごうとした。そんなもの聞きたくない。

 だが、次に聞こえた声に動作がぴたりと止まった。


「いやあ、夫人と姉君に認めてもらえてよかったですよ」


 聞き慣れた男の声。


(――コリッド公爵令息?)


 聞き間違いだろうか、と思う間もなく「ハリィメル、俺だ。ロージスだ」と呼びかけられて、ハリィメルは混乱した。


(なにしにきたのよ?)


 もうハリィメルに用などないはずだ。ハリィメルが学校から去って、ロージスの邪魔をする者はもういないのだから。


 しかし、ロージスは続いて信じられない言葉を発した。


「ハリィメル、俺はお前を婚約者にすることにした。今日はそれを告げにきたんだ」


 ハリィメルは思わず寝台から跳ね起きていた。


(――は?)


 ずっと働いていなかった頭が、突然の刺激を受けてめちゃくちゃに動き出す。


 婚約者? 誰が、誰の?


「もう、ハリィメルったら。学校で恋人ができたのなら教えてくれればよかったのに」


 混乱するハリィメルを余所に、姉のはしゃぐ声が聞こえてくる。


「図書室で毎日ふたりの時間を過ごしていたんですって?」

「ええ。ハリィメルは恥ずかしがり屋で、みんなが見ている教室で話しかけると冷たくされちゃうんですよ」

「まあ! 公爵家の方に冷たくするだなんて、いけない子ね」

「まあ、そういうところも可愛いんで」

「きゃあ! 私の方が照れちゃうわ」


 信じがたい会話が扉の向こうで交わされている。

 なんなんだ。なんなんだ、これは。

 ハリィメルは頭を抱えた。


「じゃあ、ハリィメル。お前はゆっくり休めよ。お前がいない間に、俺がしっかり学校中に『ロージス・コリッドはハリィメル・レミントンに婚約を申し込んでいる』と広めておくから」


 あまりにもたちの悪い冗談に、ハリィメルは寝台から飛び出して部屋の扉を開けていた。



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