お泊まり会・お昼の時間
気づけば昼になっていた。伸びをしてから、息をつく。こんなに勉強をするなんて、授業以外では初めてかもしれない。
ちょっとした感動を覚えていると、くう、と小さな音がする。
「へへ……お腹鳴っちゃった」
照れたように笑う楓真に、俺と陽真くんも笑う。時計を見ればちょうど12時を回る頃合であった。
お昼にしよっか。楓真がペンを置いて立ち上がる。
「母さんがハンバーグ作り置きしてくれてたんだ。それ食べよう!」
***
「ああ、みんなお昼? じゃあ、温めるから座ってて」
優真さんはリビングにいたらしい。にこやかに俺たちへ──恐らく、俺は除いて──声をかけて席を立った。
卓へ着く。そうして出されたのは、デミグラスソースがかかった、湯気の立ったハンバーグ。人参のグラッセとじゃがいもが添えられて、彩りも完璧なそれに食欲がそそられる。ソースの匂いに、ぐうと大きくお腹がなってしまった。
「ふふ、じゃあ食べようか」
いただきます。
手を揃えて、箸を手に取る。ハンバーグをひとくち食べると──その美味しさに、目が丸くなった。
「ん……! うま!!」
「おいしい? よかった、母さんも喜ぶよ」
楓真が嬉しそうに言う。
「卵焼き……」
ふと。ぽつり、と声がする。優真さんのものだ。何か、すごく嫌な予感がする。ごくりと白米を嚥下して、恐る恐る顔を上げ。こちらをじいと見ていた、優真さんと目が合う。その顔は何か、期待しているような色が浮かんでいて。
「ねえ──俺、茂部くんが作った卵焼き食べたいな。この前約束したよね。楓真にはいつも食べさせてるんでしょう、」
良ければ作ってくれないかな。
細められた瞳に、ひゅっと息を飲む。俺は、断る言葉など持ち合わせているはずもなく──高速で頷くことしかできなかった。
***
頭を抱える。最悪だ。少し焦がした。その部分は食べたから、比較的綺麗なところを彼らに見てもらえるとはいえ。
陽真くんは、「これが、あの……」と零していた。なんだ。兄弟間で情報共有されているのか。考えてみればそれはそうだ。危険因子の情報なのだから。あの、が一体どんな意味を指すのか、どんなふうに彼らの中で伝わっているのか。
考えたところで分からない。
俺は、思考を放棄し──審判の時を待った。ぱく、とそれぞれが卵焼きを口に放る。彼らが言葉を口にするまでの時間、心臓がひっきりなしに早鐘を打っていた。
「……! 甘めだ……すっごく美味しいね! 俺、甘いほうが好きなんだ」
「……うん。美味しいです」
「いつも通り美味しー!」
胸を撫で下ろす。なんとか気には障らなかったようだ。大切な楓真に不味いもん食わせてんじゃねえぞとか言われなくてよかった。
そして気付く。ひとつだけ、焦げた部分が残ってしまっていた。それだけ裏面が焦げていたため、気づかなかったのだ。しかも優真さんが箸で持ち上げたそれをじっと見ている。
「あ、それ食べなくていいです!! 別の綺麗な方を──」
ぱく。
言葉なんて無視し。躊躇いもなく、彼が口へ運んで。咀嚼して、飲み込んでから──形の良い唇が弧を描いた。
「白身もとろとろしてる、作りたて食べたかったんだ。ありがとう、茂部くん」
あ、笑った。いや、基本的にいつも微笑んでいる人なのだけれど──俺に向かっても、そんなふうに、心の底から微笑むような顔は初めてで。
あれ、意外と──俺にも、優しいのかな。
はい、となんだか覇気の無い声で返す。あまりにも、予想外だったから。陽真くんだってそうだ。俺が思っているよりも、彼らは──俺に優しい、のかもしれない。
「本当は、お昼は俺が作ろうとしてたんだ」
楓真と陽真くんが、口へ運ぼうとしていた卵焼きを箸から皿の上へ落とす。
絶望したようなふたりの瞳が、兄へ向けられた。
「……何も作って、ないよね」
「もう、失礼だなあ。母さんと父さんに止められたからしてないよ」
よかった、と弟たちがあからさまに胸を撫で下ろした。
それに、今回はアレンジしようとしてなかったし。
そう漏らす、ちょっとだけ拗ねた顔。そんな顔も、初めて見る。なるほど、どうも──完璧だと思っていた彼にも、ちょっとした欠点があったようだ。それも料理が苦手という、可愛らしいもの。
「前は本当に酷いアレンジしたもんね……」
「ええ。なぜ納豆にマシュマロを入れたのか、理解に苦しみました」
「甘いのとしょっぱいのは合うの。納豆アレンジはよくあるやつなの!」
珍しい。大人びた彼が、子どものように反論している。俺も特段料理はできる方ではないが──ふふ、と笑いが漏れて。すぐに失態に気付いた。
楓真と陽真くんは過去の別のアレンジを持ち出して、あれは酷かった、ああだったと言い合っている中──優真さんが、笑った俺をじっと見つめている。
そして、またにこりと微笑んだ。……どんな感情か、わからない笑顔で。
あ、また調子乗った。笑うんじゃなかった。すみませんでした。
会話に割って入って謝ることもできず──俺たちは、何も言わずに見つめあっていた。
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