13.離れても安らかで


 海藻狩りの日だ。

 スープの出汁や具材、ちょっとした薬の材料になる海藻は、この海の世界ではれっきとした資源。素材だ。

 そんな海藻をひたすら採取する日、俺は手伝いとしてメンダコに駆り出された。ハーヴィは家で寝ている。


「コノブはそちらのハサミで、鍋に入るくらいに切ってください。メワブはセイ様の手のひらほど。ワクメは人差し指の長さほどで。細かい海藻はワタクシが採りますから、セイ様はこの3つを重点的に採ってください」

「わかった」


 採取用の、前世の糸切り鋏に似たハサミでチョキチョキと海草を切り取っていく。海の森の恵みを存分に受けさせてもらおう。

 このハサミ、見たことのない青みがかった金属でできていて、どうやらこの世界特有の鉱物らしい。海鉄という名称で、海で掘れて、熱ではなく水圧で加工するんだとか。どうやって加工しているんだろう、気になる。

 使い心地は普通にハサミ。


 切ったものを背負っている籠にまとめていれて、後で仕分けをする。

 この森の魚は大人しいので、大きな生き物の気配を感じたら基本逃げていく。人魚って魚が寄ってくるイメージがあったのだけれど、俺はだいたい逃げられている。

 気にせずチョキチョキ。メンダコは岩の方で、こびり付いた藻をこそぎとっている。

 俺がいない時は一匹でやっていたんだろうか。だとしたらこの日は随分と重労働の日だっただろう。

 メンダコのサイズではコノブ一個採るだけで一抱えだ。

 でも人魚用の籠もあるし、誰か手伝ってくれる人魚がいたんだろうか。それとも誰もいなくなった家から拝借して来たのか。

 メンダコの献身には恐れ入る。ハーヴィとの強い絆がそうさせるのか、彼の性分か。


 籠がいっぱいになるまで海草を採取し、家に戻ってそれぞれの保管箱に分ける。細かい藻は選別せず、まとめて壺の中へ。

 作業が終わる頃には、手が少し緑に染まっていた。メンダコも、白い体に緑の斑点がちらほら。

 布切れで拭って、本日の海藻狩りは終了。こういう黙々とした採取作業は前世からでも久しぶりで楽しかった。メンダコも、やはり一匹より何倍も早く終わったと喜んでいる。

 今日のスープは豪華なワカメスープになりそうだ。


 チラリとハーヴィを見ると、やはり今日も苦しそうに咳をしながらもじっと身体を休めているようだ。

 雑に見積もってあと数日。容態の変化によっては今晩にも終わるかもしれない。時折微かにヒューヒューと息が落ち着くことがあるが、死に際の穏やかさと言うやつだろうか。

 薬も効かず、スープすら嚥下するのも辛い。命の灯火が消えかかっている。


「ハーヴィ、《微睡の水》をあげようか」


 ハーヴィのベッドに近づく。その咳じゃろくに眠れていないだろうし、終わりが近い今少しばかり容態が安定する《微睡の水》はささやかな延命手段だ。


「……アイツを呼んでこい」


 アイツ、とはメンダコのことだ。メンダコには種族名はあれど名前は無い。ハーヴィはいつも「アイツ」「あれ」「こいつ」とざっくりとした呼び方だ。ここには俺とハーヴィ、メンダコのさんにんしかいないので、通じはする。俺は「亜神」とか「娘御」。


 うたた寝をしていたメンダコを呼び、ハーヴィの元へ手招きする。

 メンダコも、なにかハーヴィに不穏なものを感じ取ったのか、恐る恐る黙って寄ってきた。

 ハーヴィはゆっくりと腕を持ち上げ、メンダコを撫でる。


「……お前はよくやってくれた。……こんなおれを甲斐甲斐しく世話して……この家に残ってくれて……」

「ハーヴィ様……当たり前でございます。ワタクシはあなたの友。ずっと側におりましょう」

「長いこと……引き留めちまったなぁ。……魔物のお前は……人の世じゃ、生きづらかったろう」

「いえ、いえ……ハーヴィ様がいる場所が、ワタクシの居場所でございます。そこに辛さも何もあるものですか」


 ゆっくりと、もたれるようにハーヴィはメンダコを撫でた。メンダコはその手が滑り落ちないように気をつけながら、その途切れ途切れの言葉に必死に言葉を返す。

 何度か思い出を振り返るようなやり取りを挟んで、手が俺の方に向く。俺はその手をそっととり、両手で包み込んだ。


「お前は……短い間だったが、コイツの手伝いを、よくしてくれたな……ありがとうよ……」

「こちらこそ。様々なことを教えてもらった」

「亜神に、看取られるたぁ……人生、何があるか……わからんもんだ、なぁ……」

「……俺が出会った鯨は、死んだら深淵に還ると言っていた。他の生き物にその信仰があるかは知らないが、俺はその深淵の子。……あんたが深淵で安らかに眠れることを祈っている」

「……深淵に、還る、か……。顔も知らない女神の、元へ行くより、余程良い……。海に、住み……海に、還る……お前は、その案内人……か……」


 手に籠る力が弱くなっていく。本格的に終わりが秒針を刻んでいる。

 ハーヴィは一度大きく、今までになかったほど大きく咳き込んだ。水中に、赤いモヤが登る。それはハーヴィの血だった。

 メンダコが悲鳴を上げる。それを目線で落ち着かせて、またハーヴィは俺の顔を見た。ジロリ、とはもう形容できない、弱々しい視線。


「あの、水を……最後に、くれねぇか……。あれは、穏やかに、眠れる……。安らかに、逝ける、だろうよ……」

「……わかった。口を開けてくれ、ハーヴィ」


 俺はハーヴィの口元に《微睡の水》を発動させる。淡い桃色、あるいは薄紫に薄く光る、水球ができあがった。それをハーヴィはゆっくりと啜る。


「最後だが……ありがとうよ、2人とも……。この村に、縛られず……自由、に、生きて……くれよ……。……じゃあな」


 ズルリと俺の手からハーヴィの手が落ちた。完全に脱力し、水の抵抗によってゆっくりと海底に下がっていく腕。

 ハーヴィは沈黙した。永遠に。

 数秒の静寂の後、メンダコが堰を切ったように泣き出した。叫ぶような、嘆くような泣き声は部屋中に響き、縋り付く姿は悲しく情けない。

 もうその小さな背を、そっと撫でる老人の手は無い。


 俺はそっと家の外に出た。

 長い友人の永遠の旅路を、まだ関わりの浅い俺が邪魔するわけにもいかない。それに、家の外にまで漏れる声に反応して、魔物がちらほらと寄ってきている。

 あの2人が存分に別れを悲しめるように、俺は右手に《波槍》を作る。


 その声は、日が落ちるまで止むことはなかった。


「……落ち着きました……」


 まだグスグスと涙をこぼしながら、メンダコは枯れかけた声で戻ってきた俺に声をかけた。

 ハーヴィは姿勢を整えられて、布団をかけられてそっとベッドに安置されている。こちらには顔に白い紙を被せる文化は無いらしい。


「ハーヴィ様は、安らかに逝けたと思います。大往生でしょう。……葬式ができないのが口惜しいです」

「海での弔いは、どうするんだ? 墓くらいは作りたい」

「基本的には、土がしっかりした墓地があるのですが……ここにはありませんので、この家の下に埋めましょう。家の下なら基礎がありますので、波にさらわれる事もないかと」


 基本的に土葬らしい。あるいは深い海溝に流したりする水葬も主流だとか。固い土がある陸に近い崖に埋めたり、専用の洞窟があったりするらしい。

 今回のように家の下に埋めるのも、小さな集落では珍しくないそう。


 メンダコではハーヴィを持ち上げられないので、俺が遺体を運ぶことになった。

 家具をどかし、床の石板を退け、ひたすら砂を掘る。ハーヴィは一緒に埋めるらしいお守りを作ったり、彼の好きだった本を選んでいた。

 土葬の際、その人を象徴するモチーフや好きだったものを模った貝殻をお守りとして一緒に埋めるんだそう。献花の海版みたいな……あとは思い出の品とか、色々。

 《水操作》も使って掘り進め、ある程度深く掘れたら、いよいよ埋める作業だ。


 俺はハーヴィの布団を剥がし、遺体を運ぼうとした。

 初めて見た彼の全身。そこには魚の体より見慣れたものがあった。ああ、なるほど。


「あんた、人間だったんだな」

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