第62話

 その男は、身勝手だった。


 自分さえ良ければ、それでよかった。


 だから、彼は迷わない。自分の考えこそが正しいと、信じて疑わないのだから。


「ちょ、何でメロが」

「ミーノは相変わらず馬鹿だな! いつも何やら小難しいことやってるけど……、僕を頼れば全て上手くいくのにな!」

「……はぁぁ?」


 彼は、最強である。何故なら、自分こそが最強だと信じているから。


 嘘ではない。彼に嘘をついているつもりはない。


「僕がコイツらぶっ殺せば、ミーノは死なんで良いんだろ? 任せとけ」


 自称最強はそう言い放つと。自慢の黒剣を引き抜いて、堂々と魔族二人に向き合ったのだった。



















 ────才能だけは、ピカ1。だからこそ、彼は努力を怠った。


 努力をする必要がないのだ。彼が本気を出せば、殆どの人間は恐れ戦いて逃げ出した。


 優秀なサポーターも居た。彼がいかに身勝手を貫こうと、致命的な事にならぬよう立ち回ってくれた女が居た。


 彼は、何の苦労もしてこなかったのだ。


 その結果。本物の強さを持つ剣聖に、風の剣士に、完膚なきまでに敗北した。





 なら、努力してやる。


 メロは、自分が一番であることに拘る。自分こそが最強でなければ気が済まない。


 傲慢な黒剣使いは、毎日のように自分を負かした剣士に挑み、そしてその技術を盗み続けた。


 彼は知っている、自分の才能の凄まじさを。だから、彼は高らかに唄うのだ。最強の称号を。




「ミーノに手を出そうと言うのなら、この僕が相手になろう」


 今日のメロは、昨日のメロより遥かに強い。


 彼の真の才能は、技術のコツを掴み、習得する速度と要領のよさである。


 見よう見まねで魔法を習得し、誰にも師事せず国軍の殆どの剣士を打倒できる戦闘技法を身に付けた事からもそれが伺える。


「最強である、この僕が」


 ────そんな彼が。この国最高の技術を有した剣士フラッチェに、一週間もの間手取り足取り指導を受けたのだ。


「メロの馬鹿!? 魔王軍ってのはまともに戦えばレックス君すら殺せる────」


 ミーノは、それを知らない。


 メロが何時ものように癇癪を起こして、フラッチェに喧嘩を売りにいったとしか考えていない。


 だから。彼女は、今のメロの実力を少し勘違いしていた。




「……面白い!」




 ひゅ、と言う音がする。


 蝙蝠が、牙を光らせて飛び上がる。魔王が、掌を握り真っ直ぐ構える。


「そこまで言うなら避けてみろ」


 直後、魔王の拳がメロの居た場所に大穴を開け、間髪いれずに蝙蝠が飛び掛かった。


 魔王は、そのでかい口を叩くその人族をどちらかと言うと好ましげに考えた。そもそも彼が人間に戦いを挑んだ理由は喧嘩がしたかったからである。要するに、喧嘩っ早い存在が好きなのだ。


 そして魔王はメロが気に入ったからこそ、最初から本気で殴り掛かった。この世で最もすさまじい一撃が、メロを真正面に捕らえる。


「……」


 一方メロは、ミーノを庇うように黒剣をダラリと垂らして。


 迫り来る必殺の一撃に、薄らと目を開けたまま相対した。





 ─────魔王とメロが、音速で交差する。






「成る程。あの女剣士の言っていた最強の剣士とやらは、貴様の事だったか」


 その一瞬のやり取りで、魔王はメロの実力を見知った。


 メロが魔王の拳に対して取った行動は、半歩足を開いただけ。ただそれだけで、魔王の拳は脇へとそれて何もない床を抉った。


 魔王の拳が空ぶった直後、間髪入れずに突進してきた蝙蝠は、


「ふーん。話に聞いていたが魔族って、本当に血が青いんだな」


 いつの間にか黒剣を振りぬいていたメロに、体幹を真っ二つに両断された。


「汚ったな」


 ただの一振りで、メロは自分より遥かにでかい魔族を葬り去った。


 そのメロの瞳は微かに青みがかかり、その動きはまるで風を纏ったかの様に、軽やかで洗練されたモノだった。





















 才能の化け物。


 きちんと修行をしていれば、レックスすら超えたかもしれない天才。


「爆ぜろ鎮炎歌、奴を焼き尽くせ」


 そんな彼と魔王との打ち合いは─────、決して無様な蹂躙にはならなかった。


 魔王にとって「本気で戦うべき勝負」と扱われるほどに。メロは、その強さを存分に示した。


「……は、はい?」


 魔王とメロが互角に切り結ぶその光景を見たミーノは、唖然としたまま声も出せない。


 確かにメロは強かった。だが、『本物』の強者であるレックスやフラッチェには一段劣るはず。


 レックスに勝ったという、魔族の将。そんな彼よりも遥かに強い筈の、正真正銘の魔王その人。


 そんな、きっとメロにとって勝ち目などない筈の格上の存在を相手取り。彼は、無傷のままに剣を振るい続けている。


「……む! むむ、成程。この動き……、あの女の様な」

「ち。無駄に硬いな、魔王。だがそれだけだ。お前の攻撃には技術も何もない」


 2人は数合斬り結び、静かに相対を繰り返す。まだお互いに出方を探り合い、睨み合う段階。だが、その実力は拮抗していると言えた。


 驚くべきは、メロの動きだ。ミーノから見て今までの彼の動きは、まるで素人の動きを凄まじく早送りしただけのような不自然な剣術だった。


 だというのに、今の彼は。


「魔剣王が生きてりゃ、お前とも戦いたがっただろうなぁ。剣術ってのは凄い技術なんだな」

「こんなの凄くもなんともない。お前の技が幼稚すぎるだけだ」


 ミーノが良く知る、ローレルやレックスの如く。自然体で剣を体の一部のように扱う、『本物の剣士』の動きを見せていた。


 筋力で劣る人族が、剣の技巧により魔王の攻撃をいなして防いでいた。



「……オレに技など要らんからな! 魔族の武器とは己の肉体よ!」

「はっ! なら一生そう思ってろ愚物!」



 メロが咆哮し、魔王が地ならしを響かせる。


 黒い剣士は鋭角に跳躍し、滑るような軌道で魔王に肉薄する。


 空ぶっただけで爆音が鳴り響く、魔王の拳を難なく受け流し。相手の顔面目掛けて、渾身の火魔法を発動させる。


 魔王は、魔法の直撃を食らったというのに欠片もダメージを受けた素振りを見せない。いや、実際にメロの未熟な魔法技術では、魔王の肌に火傷一つ追わせることはできないだろう。

 

 だが、メロは諦めない。魔法が駄目でも、彼の腕には黒剣がある。


 持ち前の速度を限界まで跳ね上げ、メロと魔王は高速で打ち合った。魔王は防御など気にせず殺しにかかり、メロは魔法など忘れて剣のみで攻撃し続けた。


「……何なのさ。何が起こっているのさ」


 その、人外同士の頂上決戦を。女軍師は、驚愕の目で見つめていた。


 何もかもが想定外。そんなミーノの視線を受けて、その黒き剣士はますます発奮する。


「何でメロがいきなり……」

「お前が!! クーデターでやべぇって聞いたから、駆けつけてきたんだよミーノ!!」


 そう、ペニーの挙兵を聞いた彼は持ち場を離れて遮二無二王座へと駆けつけたのだ。ミーノの命令を無視し、結界により空間が断絶される直前に飛び込んだのである。


「余計なことしないでよ! 絶対に城壁から離れないでって言ったじゃん!」

「やかましい! 僕の行動は、僕が決める!」


 いつも、こうだ。メロという男は、ミーノがどれだけ苦心して事態をいい方向にもっていこうとしても、勝手な行動をして全てを無茶苦茶にしていく。


 もう、メロが戦う理由なんて存在しない。もう魔王は閉じ込める事に成功しており、戦わずともここで魔王は死ぬしかない。


 むしろ、メロが無駄死しただけ。この勝負に例えメロが勝ったところで、ミーノはこの結界から脱出する術を知らないのだ。ミーノも数か月で死んでしまう訳で、メロは一人絶望の果てに孤独死する事になる。


「本当に愚かだね……」

「誰がだミーノこの野郎! 馬鹿はお前の方じゃないか!」


 彼女の気も知らないで、好き勝手をして。その結果、大抵は悪い方に転がって。


「さっきの魔王との話聞いてたかな? ボクもう余命僅かだから、ここで助かることに意味なんてないんだけど」

「誰がそんな事を言った? 意味があるかどうかは、僕が決める!」

「最期まで勝手な……」


 魔王と剣を交えながらも。メロはミーノに向かって、大声で叫び続けた。


「お前は僕のモノだと言っただろうミーノ! 何を勝手に死のうとしてるんだこの馬鹿女!」

「……君にだけは馬鹿と言われたくなかったなぁ。君にだけは」

「うるさい大馬鹿!!」


 それは苛立ち交じりの、罵声に近い叫び。内心の怒りを押し殺しているのは、ミーノの方だと言うのに。


 メロには恩がある。彼にとって過ごしやすい世界になるよう、今までミーノなりに気を使ってきたつもりだった。


 そのメロに自分の最期の策に茶々を入れられ、大将軍の一人を無駄死させてしまう事となった。そんな結末は画竜点睛を欠いた、策士としての恥である。


 浮かんでくる文句は、百や千では足りない。もうこの際だ、今まで言わずにおいてあげた文句の数々をここでぶつけてやろう。


 こんな場所にやって来て、無駄に魔王と戦って。そんな、ミーノからして有り得ない『愚か者』に恨み節をぶつけよう。


「……あのさ、メロ─────」


 そう、氷の様な目でミーノは口を開き。


「あと数か月しかなくたって!! 僕はお前と一緒に居たいんだよ!!」





 その、メロの言葉を聞いて再びフリーズした。



「……は?」

「なんとなく嫌な予感はしてたんだ。お前、最近急にやつれて来たし付き合いも悪くなったし」

「……」

「また何か企んでるんだろうなって、敢えて様子を見てたけど。まさかこんな大馬鹿やらかそうとしてるなんて考えてもみなかった!!」


 ガキン、とメロの黒剣が魔王の腕に激突し。傷一つ付けられぬまま振り払われ、再び大きく距離が離れる。


「僕について来てくれて、一緒に旅してくれて、そんなお前に僕がどれだけ感謝してたか分かるか!? 僕がお前だけ、一度も正面から口説けなかった理由を理解しているのか!?」

「え。あ……いや」

「ゾッコンだよ! 僕は昔から、お前が好きで!! なのに……なのにこれは何だこの大馬鹿野郎!!」


 魔王の拳が、空を切る。その余波でメロは吹っ飛び、壁に叩きつけられる。


 だが壁に大穴を開けた彼は受け身で衝撃を殺しきり、既に剣を握って反攻の態勢に入っている。


「ふざけんなよミーノ、こんな事許せるか!! お前が居なくなった世界で、僕は何をすればいいんだ!?」

「あ……」

「お前には生きて貰うからな。あと数か月だったとしても、最期の死の一瞬までお前は僕の、僕だけのものだ」


 轟炎が、王座を焦がす。突然の爆発で視界が奪われ、魔王は一瞬にメロを見失う。


「だから、戻ろうミーノ」


 メロは、頭に思い描く。その、理想の剣筋を。


 レックスと相対した時に見た、フラッチェに指導されたとおりに覚えた、究極ほんものの剣筋を。





「痛っ……!」



 不意を突いたメロは、魔王の後頭部を無心に振り抜いた。


 すると、今まで一度も通らなかった、硬すぎる装甲を持つ魔王の体躯に。


「……血。オレの、血?」

「やっと斬れたか。本当無駄に硬いなお前」


 はっきりと、刀傷が刻まれていた。金色の髪が青い液体に汚されて、しっとりと皮膚に張り付いている。


「────っ!!」

「何だよその顔。ビビってんのか雑魚」


 この瞬間メロは、単独で魔王をも殺せる存在へと昇華した。


 史上最高の、闘うと言う才能の具現化した男メロ。その才能は、間違いなく……人類最強だった。




















 勝てる。勝ててしまう。


 メロは、魔王すら打倒してしまう。


「……あはは」


 なるほど。馬鹿は自分だった。


 メロが一人で魔王に勝てるなら。わざわざ国王を犠牲にしなくても、無駄に大掛かりな仕掛けをしなくても、必死で興した城下町を襲撃しなくても、人は魔王軍に勝てたのだ。


 ミーノは仲間の戦力を過小評価し、無駄に被害を増やしただけ。


「……確実に勝てるなら、ね」


 だが、そんな結果論はどうでも良い。


 ミーノがメロの強さを正確に認識していたとして、きっと彼女のとった行動は変わらないだろう。


 個々の強さは、測れない。その日の調子や精神状態で大きく狂う。


 だから、ミーノは百回この戦争を繰り返しても、きっと百回同じことを繰り返す。


 その理由は、


「一人でも犠牲を少なくする。軍師のやり方は最高の結果を求めるんじゃなくて、最高の期待値を求めるもの」


 魔王が罠に嵌る可能性は高かった。彼女はこの王座以外にも、似たような結界を設置した場所をいくつか用意している。


 ミーノと王の犠牲で魔王と戦わずに済むなら、一騎打ちと言うギャンブルをせずに済むなら、彼女は何度でも喜んで捨て駒になろう。


 それが、民を導く立場の人間としての決断だ。


「─────それに、ね」


 そして、もう一つの隠れた理由。隠された本心。


 それは、


「……君が危険な目に合うところなんて、ボクは見たくないんだよ」


 まさに、今。攻撃の余波で削り取られたメロの鎧の破片を見て、ミーノは静かに涙をこぼす。


「好きな人が苦しむところなんて見たくないんだよ、メロ」


 水面下で見えぬところで、彼女はメロにかなり過保護だった。


 政治的に正しい判断だから。そう理由をつけて、ミーノは必至でメロを危険な戦場から遠ざけた。


 楽に勝てる相手を優先的に振り当て、彼の矜持を守り続けた。


「本当に……ボクって、中途半端だよね」


 それは、国を守るという意味で『誤答ではない』選択。正答である範囲で自由に出来る、軍師と言う立場の人間が行使できるワガママの範囲で。


 メロは、ずっとずっと守られてきた。


「守らないで上げた方が君の為だった、なんて」


 そしてこれこそが、ミーノの最大の欠点。『至高の軍師』とローレルに評された彼女の、周りの人間から認められないまま育ったミーノの、致命的欠陥。


 ミーノの立てる戦略の本質は、彼女の持つ人間観の正体は。


「もっと、君を信じて上げられれば良かったのかな」


 ─────他人は信ずるに値しない。


 彼女は今の今まで。自分以外の人間を、いや自分と言う人間すらも、心の奥底から信頼していなかった。


 何か致命的な失敗をするに違いないと、その危険性を考えより確実な選択肢を求め続けた。剣聖レックスが負けた時の為の次善策を用意していたように、彼女はいかなる場合でも最悪の結果に対する対策を講じ続けた。


 人間不信。ミーノのそれは、自分が好意を寄せていた男メロの「強さ」に対してすら変わらなかった。


 いや、変えようとしなかった。ミーノのその残酷ながら確実な手段を肯定してくれたのは、他でもないメロその人だったのだから。


「……勝って」


 だが、それももう終わりだ。


 この勝負の決着がどうなろうと、情勢は変わらない。この空間に死ぬまで閉じ込められるのが、メロになるか魔王になるかだけの違いだ。


「頑張って、メロ」


 だから、ミーノは余計な考えを捨て。シンプルに、心の奥底の言葉を紡ぎだした。


「どうせ、死んでしまうなら─────」


 その言葉が、メロに届くように。


「─────ボクも、君と一緒に居たい」


 そんな、彼女の言葉に。黒い剣士は、静かに首肯した。














 








「─────いやぁ成程。そろそろ、ネタが分かって来たぞ」


 だが。


「オレってば無意識に誘導されてたのね、成程成程。そっか、そういう事か」


 現実は、残酷だった。


「凄いな。お前の一挙一動が全て意味のあるフェイント、誘い、誘導。そしてその本心は、決して悟らせない」

「……」

「これが剣術か。魔剣王の奴が入れ込むのもわかる、すげえ技だった」


 ─────確かにメロは、成長した。


 一週間のフラッチェつきっきりの乱取り稽古で、その実力を大きく大きく伸ばした。


 ただ。剣術と言う技術は、いかに才能が有ろうとたかが一週間で身に付くものではない。


 メロは、要領よくフラッチェの動きを模倣しただけ。裏を返せば、それは風薙ぎの動きでありメロの為の動きではない。


 その不自然さが、仇となった。


「裏を返せば、その誘い方から……お前の行動を読むこともできるんだな」


 直感的に、メロの動きを理解した戦いの化身「魔王」は。理解した直後に、拳の向きを変え避けるメロの腸をぶちまけた。


 そして─────


「うし、勝った。いやー、いい勝負だった」


 そのまま。意識を失ったメロの身体を空中に放り投げ、全力で殴り飛ばし。


 空間のきしむ音と共に、その貧弱なメロの体躯が蒸発する速度で結界壁に大きな亀裂を作り出した。



「─────メロ?」



 メロは、健闘した。明らかに実力差のある相手、本来到底かなうはずのない敵に一歩も引かず戦った。


 その結末が、彼の求めたモノじゃなかったとしても。彼の激闘は、讃えられてしかるべきだろう。


「あ、ああ。メロ、メロ?」


 だからミーノは、誉めなければならない。彼を讃えなければならない。


 なのに。


「あ、ああ。うああああ……」


 圧倒的な武力の前に消し飛んだ想い人を前に、余命短い女軍師は大声を上げて泣き始めてしまった。


 その涙を止める術を、女軍師は知らなかった。


「……さて。じゃ、残りのお前もぶち殺すか」


 戦いを終えた魔王が、ゆっくりとミーノの方向へ向き直る。


 だが、ミーノにとってそんな事はどうでも良かった。ただただ、哀しかった。


 最期まで好き勝手なことをして、自業自得のままに死んでしまったメロが痛ましかった。


 だって、ミーノの本音は、


「君に、笑っててほしかっただけなのに……」


 どうしようもないダメ男。横暴不遜な悪ガキ。


 そんな、自分でも何で惚れたか分からないその男に、


「幸せでいて欲しかっただけなのに─────」


 先に死んでしまう自分の分まで、幸福に生きて欲しかった。













「─────おい、どこ向いてるんだよデカブツ」

「あ?」


 ピクン、と。彼女は、その弱弱しい声の方向へ振り向いた。


 それは、魔王が殴った結界の亀裂より少し離れた床。そこには、全身ズタボロのメロが黒剣を杖代わりに立ち上がる姿があった。


 死んでいない。メロは、瀕死ながら生きている。



「お。おおお、やるな! 最後の一撃、逸らされていたか」

「うるさい……、その女に手を出すな。僕との戦いが先だろう」


 だが、生きているだけだ。メロはもう、手を動かすのがやっとという状況。


「待って喋るな、気道が詰まる!! ボクがすぐ怪我を治すから待ってろ」

「ほー? お前は回復術が使えるのか」

「それが何さ。魔王、ボクとメロをすぐ殺したらこれから退屈だろう? 彼を手当てする時間をボクに─────」

「やると思うか」


 魔王は、そのまま向きを変えず。まっすぐに、ミーノの元へと歩き出した。


「良いのか。ボクとメロをこんなに簡単に殺して、本当に良いのか」

「構わんよ。脱出する方法をゆっくりと探さないといけないからな、むしろお前たちは早めに処分したいんだ」

「脱出する手段なんかないって言っただろう?」

「お前の言う事なんざ信用するわけないだろ」


 ごもっとも、とミーノは独り言ちる。だが、実際にミーノはこの場の脱出方法を知らない。


 人間は弱いもの。ミーノは自分自身すら、本質的に信頼していない。


 彼女がこの結界の脱出方法を知ってしまうリスク─────洗脳された場合、突然に命が惜しくなってしまった場合、拷問に屈しそうになる可能性─────等を考えて敢えて聞かなかったのだ。


 この場で最も魔法に詳しいミーノが脱出できないのだ。一生かかっても、魔王に脱出できるとは思えなかった。


 この結界の術式は、クラリスの結界理論をも組み込んであると聞く。たとえ全てを詳細に聞いたところで、ミーノに理解できたかも怪しい。


 ─────だから。どうせ魔王にミーノ、メロは死ぬ以外の選択肢がない。








「……ん?」




 泣き叫ぶ、メロの声。迫りくる、魔王の影。


 これで、死。ミーノはここで、魔王と共に狭い空間で死を迎える。その、筈だった。



「……ん!?」



 惜しむらくは、ミーノが聡かったこと。回復魔法の他に、基本的な補助魔法程度の知識を持っていた事。


 そして、魔王の作り出した結界の亀裂が塞がる様子のない事に気が付いてしまったこと。


(……え、嘘。でも、そんな)


 そんな事は起こるはずがない。そもそも位相の異なる世界として隔絶されたこの空間の、障壁に亀裂など出来る筈がない。


 だが、現に王座の後壁にはすさまじい大きさの亀裂が走っており。その亀裂の向こう側に、仄かに色づいた『外の世界』の気配をミーノは感じ取った。


(理論上は有り得ない、でも────)


 そしてミーノは、結論付ける。



 『この結界は、魔王に破られる』と。



 ゾワリ、とミーノの背筋から冷汗が吹き出た。彼女の命を預けた決死のこの罠の、前提条件が崩れてしまったのだ。


 理論上は決して破られない障壁の筈。だが、目の前の人外魔王は持ち前のふざけた攻撃力で決して破れない壁をも破ってしまう。


 いや、実はすでに魔王はこの障壁を破っていた。即座に砦から逃げ出したローレルはその様子を見ておらず、ミーノに知らされてなかったのだ。


 この結界は、魔王とクラリスとの戦闘の際に用いられた「愛の障壁スーパーシールド」と同種の結界だった。そして既に彼はクラリスの結界を、拳一つで粉砕して見せている。


 最初から、魔王にとってこんな結界など有ってないようなモノだった。魔王という存在は、異常過ぎたのだ。


 無論、この結界は空間ごと世界を隔絶しているから「愛の障壁」よりは多少強固だろう。だがそれも、この結界の根本を成す内部の魔法陣を破壊されてしまえばそれまで。


 適当に魔王が大暴れして、たまたまその魔法陣が潰されてしまえば─────魔王は再び外に出れて、彼女もメロも犬死である。


(どうする……?)


 どうすれば、良い。魔王が結界から出れてしまえば、背後からの奇襲を想定していない筈の人族は大きな犠牲が出るだろう。


 そもそも、ここは王都の最奥。目と鼻の先には民衆が居住する城内の街があり、国を支える政務官や貴族王族の住む御殿が立ち並ぶ。


 国の根幹をなす人材がいなくなり、戦う覚悟のできていない民衆が大量に虐殺されてしまう。


 それは、彼女にとって絶対に避けねばならない事態。


 考えろ。考えろ、考えろ─────。ミーノは、この極限状態においてなお必死で知恵を振り絞った。


「分かった。じゃあさ」


 そして。その女軍師の出した結論は。





「この結界の脱出方法、教えてあげるから。ボクにメロを治療させて……」


 敢えて魔王に脱出手段を教えることだった。


 最悪は二人とも惨殺された状態で魔王に脱出される状況。指揮を取る存在も国の主戦力の一角も失っての魔王との決戦。それだけは避けねばならない。


 今のメロは、十分に魔王を倒す可能性のある存在だ。そこに、レックス級の存在の援護が有れば勝算は十分だろう。


 メロさえ生きていれば、次がある。フラッチェは砦に派遣してしまったが、外にはレックスも居る。


「君をここから解放するよ、魔王」


 魔王が単独でこの結界からの脱出できると分かった以上、魔王をここに閉じ込めておく意義に乏しい。ならばメロの救命を優先し、魔王と交渉する。それが、ミーノの出した結論だった。


「オレはお前を信じない、ミーノ。誰が信じるもんか嘘つきめ、治療するまで待ってやったってってどうせ何も教えないんだろう?」

「嘘じゃない、本当に教える」

「ほう、なら先に言ってみろ。本当だったら、治療させてやるよ」


 助けないと。メロを、魔王を殺せる可能性を少しでも多く残さないと。


 ミーノはこの結界を破る手段を知らない。だが、彼女の魔法知識から、推測する事はできる。


(王座の模様に魔法陣の効果を増幅し、床に敷き詰めたカーペットで陣を覆ったとしたら……)


 彼女は結界魔法の基礎構造を思い出しながら、持ち前の計算力で結界の亀裂の形からこの魔法の『起点』をゆっくりと逆算していく。部下の優秀な魔導士隊が描いたであろう陣の在り処を同定していく。



「そこ。王座の手前4m、そこを地面に垂直に殴り続けて。魔王、君の全力でね」

「あん?」

「そこが、この結界の弱点だから」


 そしてミーノがたどり着いたその結論は、まごうことなき正答だった。












 ドシン。


 一撃殴れば、世界が歪み。拳骨が王座の床と同時に、障壁をもひしゃげさせていく。


「おお。本当に、効いている」

「もういいよ。もう、この世界の位相は元に戻ったから。後は、適当な障壁のどこかを殴りなよ、君の攻撃力なら破壊できるだろうさ」

「分かった」


 ─────爆発音が、王座に木霊する。


 ミーノがソレを告げると、魔王は歓喜して。握りしめた拳で、決して破れない筈の空間断絶結界を破壊してしまった。


 これで、彼女の一世一代の奇策は無と帰した。


「じゃ、君は予定通りボク達の背後を突けば? ボクはゆっくり、ここで彼を治療してるから」

「……そうだな」


 だが、メロは救えた。これで、彼はきっと助かる。


 残念なことにかなり被害は出るだろうが、魔王を倒せる戦力を生き残らせることに成功し────







 ────いや、待て。


 今、ミーノは何をした?






「……んー、どうしようかなぁ」






 魔王はメロの下に駆け出そうとするミーノの前に立ち塞がり、悩むそぶりを見せている。そりゃそうだ、魔王からしてミーノとの約束を守る意味などない。


 今、ミーノは一体何をしでかした?


「……いや、やっぱここでお前らは殺しておく」

「あ────」


 それは、至極当たり前の帰結だった。




 疲弊、朦朧、想定外の事態においての少なすぎる時間での決断。確かにミーノにとって、悪条件が重なったと言えよう。


 だが、これはいけない。これだけはやってはいけなかった。


(ボクは、何で魔王に脱出方法を教えた?)


 そんなことをしても、まったく意味がない。魔王の脱出が早まっただけである。


 今は、城の外に魔王軍の残党がひしめいており。そんな状況で魔王に背後を突かれたら、国軍は挟み撃ちで大混乱に陥るだろう。


 だから今は魔王が現れるまで少しでも多く、時間を稼ぐことが重要な場面だ。メロとミーノは命を投げ捨ててでも時間を稼ぎ、挟み撃ちされないだけの時間を稼がねばならなかった状況だ。


 だというのに。ミーノは一体、何をしでかした?


「ミーノに、手を出すなぁっ!!」


 死にかけの黒剣使いは、彼女の下に這いずってくる。その様子を気に留める様子もなく、魔王は拳を真っすぐミーノへと向け構えた。


「回復術師は、最初に殺す。そうだったな」

「やめろ、やめろぉ!!」



 結果、約束を守る様子などない魔王により彼女は殺される。



「あ、間違えた────」




 ミーノは目を見開いて。己の、その無様すぎる選択肢を呪った。





「……愚物。蒙昧、薄弱、無能、呆気っ!!」


 理由など分かっている、何で自分がそんなに馬鹿な選択肢を取ってしまったのか。


「ボクは、最後の最期でボクはっ!!」


 ミーノは冷静じゃなかった、感情に脳みそを茹で上げられていた。彼女を突き動かしていた原動力、異性への恋心により暴走してしまっていた。


 彼女の視野は狭くなり、何とか適当な理由をつけて、想い人の救命を第一に考えてしまったのだ。





 彼女は人生の最後の最期で、軍師であることを捨ててただの小娘になり果てた。


「あ、あぁ────」


 彼女の信念は折れた。信じて積み上げてきた大事な支柱を失った。


 男への情に負けた結末がこれだ。想い人への情に狂い、小娘のような惰弱な選択をし、そして好きな人の前で醜い肉の塊へと成り果てる。


 結果、彼女は民も想い人も何も守ることはできず。史上最悪の軍師として、後世に語り継がれていくだろう。


「あ、あぁ、あああ……」


 失敗した。彼女の人生は失敗だった。


 いや、もしかしたら何処かの誰かが言ったように。彼女なんか「生まれない方がよかった」のかもしれない。


「もう、嫌だ。誰か……」





 拳を構えた魔王が、咆哮する。


 憔悴して立つこともできない、やつれ切った癖毛の女に向かって地面を蹴る。


「誰か、助けて」


 どうせ死にゆく命だ。だから、もうミーノに後悔する事など無い筈だった。


 まさか。ミーノ自身の手で、今まで積み上げてきたものを全て失うことになろうとは思わなかった。


「誰か、ボクを助けて────」



 それは、彼女が命を助けてほしくて叫んだ言葉ではない。


 ミーノという、国益を追い求める軍師になれなかった小娘の、魂の救済を求める叫びだった。


 自分の過ちで失いかけている大事なモノを、守ってほしいという願いだった。



「……ぁ」


 だけど彼女は知っていた。


 自分に助けなど来ないことを、自分が今まで仕出かした業のすべてが、今まさに自分に返ってきただけなのだと。
















「────助けるさ」



 それは、不思議な光景だった。


 真っすぐ拳を振りぬいた、その凶悪な金色の化け物は。



 ────ミーノに拳が届くその瞬間、その場で真上に跳躍し、バランスも取れず無様に大回転しながら王座の後ろの壁に激突しめり込んだ。



「っ!?」


 いきなり壁に叩きつけられた魔王は、目を白黒とさせながらソレを見る。


 ミーノと自分との間に、気付かぬうちに割って入ったであろうその「誰か」を。



 華奢な体躯、その身長は隣で座り込んで泣いている女軍師より一回り以上小さい。


 剣は短くボロボロで、必要最低限の鎧しか身に纏わず。


 ろくな筋肉も付けぬまま、真っすぐ透き通った蒼い猫目で魔王を睨むその少女。


 それは、この国に存在する数少ない。「魔王すら打倒する」可能性を秘めた人間側の鬼札。


「何で、君が────」

「言ったはずだ、ミーノ」


 カツン、と足音を鳴らし、少女剣士は足でミーノにメロを治療するよう促す。壁に吹き飛んだ魔王と、座り込んだ軍師との間に割って入り。未だに事態が呑み込めていない魔王に向け、真っすぐに剣を突き付けて。


 風を纏った少女剣士は、大粒の涙を零す背後の小娘に向けてこう言った。


「私の剣は目の前で泣いている誰かのための剣だ、と」




 神剣、フラッチェ。それは、この国で最も優れた技巧剣の使い手で。


「さぁ、前の勝負の続きをしようか雑魚魔族」


 魔王をも殺せる、人類最強の一人である。

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