第41話

 その魔族は、鋼鉄の鎧をまとった巨体の魔族だった。


 身の丈は、俺やレックスの2倍はあるか。人間にはとても扱えぬ巨大な剣を携えており、フルフェイスのアーマーの奥から不穏な眼光が覗いている。彼の身に纏う防具の古さや傷からは、はっきり強者を思わせるオーラがあった。


 そして、奴の動きは機敏だった。


 先手を取ろうと遮二無二突進したレックスに、巨大な魔族はピッタリとタイミングを合わせて巨大な剣を「斬り抜いた」。


「剣士かお前!!」


 その一撃は、メロの様な力任せのちゃちな剣筋ではない。間違いなく、高度に剣術を収めたものの剣だ。


 まっすぐに透き通るような、無垢で透明な剛剣だ。


 ────レックスとて、所詮は人間である。剣聖と呼ばれ人間としては最高位の近接戦の妙手だが、物理的に自分の数倍もあろう巨体の魔族に力押しで適うべくもない。


 人間と魔族は、カラダのつくりが違うのだ。果敢に斬りかかったレックスは勢いのまま敵の剣の迎撃を正面から受け止め、そして。


 その場でビタリと止まり競り合ったのだった。


「!!」

「……やるな、結構パワーがあるぞコイツ」


 ギリギリ、と互いに剣を震わせながらレックスと魔族は押し合っている。だが、両者一歩も引く様子はない。さすがは魔族の大将格。筋力では、あの化け物レックスとタメを張るらしい。


 本気で剣を押し合うレックスなんて、見るのは初めてだ。まさか、あのレックスと正面から力勝負ができる存在がいるとは。


 あの魔族も、またいわゆる「化物」に分類されるのかもしれない。


「……いやおかしいでしょ。体格的に互角はおかしいでしょ」


 かなり後ろの方でミーノがボソボソ何かを言っているが、聞き流しておこう。


「お前が、レックス、か!!」

「うおおおっ!!」


 どうやら、仕切り直しの様だ。魔族とレックスはお互いに剣を弾いて後ろに跳躍し、再び構えを取って向かい合った。


 レックスは腰を低く保ち、刃を空に向けて顎から斬り上げる構え。敵はレックスを突き刺すように、まっすぐレイピアのように2メートルはある大剣を片手に構えている。


「だぁ!!」


 咆哮一閃、レックスは腰を捻りグルリと一回転した。剣聖は丸い軌道で魔族に肉薄し、真下から突き上げる斬撃を魔族へ浴びせる。あの斬り方は、レックスお得意の鋼鉄をも切り裂く斬撃だ。


 あれは下手に受けると剣ごと両断される、実に厄介な技である。少しモーションが派手なので、知っているか勘付けられれば避ける事が出来るのだが。


「むん!」


 ……やはり敵も然る者。魔族はその斬撃を受けてはいけない類の技と悟ったらしく、やや体勢を崩しながらも体躯を捻り剣を避けた。少しかすったのだろうか、奴の鎧の一部に深い切れ込みが走る。


 だが、大振りな攻撃をかわされたレックスの隙はでかい。剣を斬り上げてしまった残心を誤魔化して構えを取ろうとするレックスの喉に、体を捻った勢いのままカウンターでその魔族の「剣では弾けない突き」が繰り出される。


 ────刺突。


 喉と言う点に向かって、真っすぐ正確に直進する点の攻撃。技の直後で身動きが取れず、線の防御である剣では決して弾けないその突撃は─────


「はぐっ!!」


 レックスの歯により受け止められ、刃はレックスの喉に届かなかった。そして突かれた勢いを利用し、剣を噛み止めたレックスは再び大きく後ろに跳躍する。


「……ぺっ」

「……」


 す、すごい。


 たった一瞬だが、魔族の将の凄まじさが良く分かる打ち合いだった。あのレックスに歯を使わせるなんて、只者ではない。たかが魔族の将と侮っていた、これはヤバい敵が出てきたものだ。


 レックスに手を出すなと言われているが、隙を見て俺も手助けした方が良いかもしれん。これは……あのレックスといえど、万一があるぞ。



「いや、歯はおかしいでしょ。何で折れないのさ。これ全体的にレックス君がおかしいでしょ」



 遠くで女の声がするが、気にしないでおこう。


「成程な、結構やるじゃん魔族の癖に。俺様とまともに打ち合えるとは、期待以上だぜ」

「……噂だけは耳にしていた。お前が剣聖レックス、人にあるまじき剛剣の使い手」

「がははは! そうか、俺様の名は魔族にまで広がっていたか!」


 レックスは、とても嬉しそうに敵を見据えている。……レックスとまともな『勝負』になる敵が珍しいんだろうな。


 ふ、ふーん。ま、別に良いんだけど。レックスが誰と真剣勝負しようが気にならないけど。お前が負けそうなら、一対一に拘らず俺も乱入するからな。


「気に入ったぜ。魔族、お前には特別に『本気』で闘ってやる」

「……戦いにおいて手を抜く、等という選択肢があるのか?」


 ようし、ならば割り込む準備をしておかないと。レックスと並んで戦う練習もしとけば良かったな。そんな事を考えて密かに剣を握っていた俺は────


「俺様にはある。いや、俺様は常に手を抜いて来た。何せ────」


 直後、レックスの後ろ姿に凍りついた。


 剣聖は好戦的な笑みを浮かべ、身の毛がよだつ程の剣気を振り撒き、大剣を天に突き上げ上段に構える。レックスの髪は逆立ち、爛々と闘志に燃え、全身の筋肉がせり上がる。


 これでは、どちらが魔族なのか分からない。レックスから感じる凄みは、魔剣王等と言われた男の比ではない。


「俺様ったら強すぎて、まともに戦える相手が今まで一人しか居なかったんだ」


 ビリビリ、と。レックスの背後に立っている俺ですら、まともに動けなくなる程の威圧感。


 あの状態のレックスと正面から相対したら、果たしてどれ程の重圧なのだろう。


「お前は、俺様の『敵』足りうるかな?」


 吹き出る脂汗で剣の柄が滲む。そして、気づきたくなかった事実に気が付いてしまう。


「……剣、鬼?」


 ああ、あの野郎。まじかよ、嘘だろ。


 ……今まで手を抜いてやがったのか。


 俺がフラッチェとなって、奴と稽古している間。俺が必死で、レックスを倒そうともがきながら乱取りしていたあの時間。奴はずっとずっと、手を抜いて戦ってやがったんだ。


 俺が怪我をしないよう、気を使って手加減して斬りかかってやがったんだ。



「────斬る」



 レックスのその斬撃は、辛うじて目で追えた。


 剣聖の威圧を受け呆然としていたその魔族も、半ば無意識にレックスの剣を受けようと得物を合わせた。


 剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。だが、今度はつばぜり合いなんかにはならない。


 何故なら、今度のレックスの一撃は相手の剣ごと魔族を吹き飛ばしたからだ。


「おおっ!! 今の俺様の剣を受け流したか!」

「……っ!」

「凄いな魔族! お前は、間違いなく一流の剣士だ!」


 レックスは、自身の本気の動きに反応して見せた魔族に心の底から賛辞を送る。それは決して煽ったり、挑発したりする目的ではない。


 身体能力が何もかも優れた魔族とはいえ、自分についてこれる剣士の存在に感心したのだ。


 俺ですら、目で追うのが精一杯だったレックスの本気の剣。素人のメイやカリンじゃ、何が起こったからすら理解できなかっただろう。


 やはり、実力が違う。速度も、重さも、鋭さも。何もかも、あの魔族よりレックスの方が一段上だ。


「……なぁ。レックスの後ろにウチが控えとく必要あるかコレ? うちらのリーダー瞬間移動しよったぞ今」

「いや。アイツ……、アイツの本気ってこんな凄まじかったのか」

「問題は、アレに勝っていた存在も居ると言うことです。レックス様の御親友って何者なんですか? 貴女の師匠でしょうフラッチェさん」

「いや、私に聞かれても……」


 やめてよメイちゃん。俺を、あんな化け物の仲間と扱わないでくれ。


 ……嘘だろ。アイツ、本気出せばあんなに早いのかよ。そりゃ、あのメロを瞬殺できる訳だ。普通にメロより速いじゃん。


 何もかも。ありとあらゆる剣士を相手にしても。レックスが劣っている部分なんて有るのだろうか?


 遠い。俺の目指した剣の頂は、あんなにも────



「だが、お前がいくら強くても! 俺様はアイツ以外に、負けてやる訳にはいかないんでな!」



 剛剣一閃。レックスの神速の斬撃は、容赦なく魔族将を追い詰めていく。


「ぬぅ!」

「甘いな! アイツの剣はこれくらい容易く避けて見せるぞ!」


 ……果たして俺に、今のレックスの剣を受ける事が出来るだろうか? 彼処に居るのは普段の稽古の時のレックスとは違う、明らかに人知を超えた闘いの化身だ。


 自分の何倍もの質量の相手に、たった一振りの剣筋で俺を消し飛ばせる様な相手に、正面から斬り合って実力差で圧倒する。それは、まるでお伽噺の英雄譚。


「俺様は、まだまだ強くなる! アイツに絶対に負けないためにも!」


 あれは、止められない。


 レックスは愚直に剣を高め続けたのだ。俺と別れてなお、俺を仮想の敵として。自分と共に強くなり続ける俺の幻影を、いつでも打ち倒せるように。


「……あの魔族、レックス様と打ち合えていてちょっと驚きましたけど。やっぱり大丈夫みたいですね」

「ああ、レックスは負けない。あの魔族も十分に化け物だけど、相手レックスが悪すぎる」

「ウチらのリーダー、頼もしすぎて引くわぁ」


 ……。チクリ、と何かが俺の胸を刺す。


 何だ、今の感情は。レックスが敵将を圧倒し、人族が魔族に圧倒的優勢なこの状況で。


 何故俺の胸が痛いんだ?


「レックス様に勝てる存在なんて居ません。それを改めて実感しましたね」

「あの男は本物の英雄って奴なんやろなぁ。勝つことを天に定められた、生まれもっての勝者」


 鍛え上げられたレックスの、異次元の動き。対応しきれず徐々に追い詰められていく、魔族の将。


 本気で剣を振るい、楽しげに笑うレックスは……。かつて、俺が見ていたライバルの顔だった。






「……え、フラッチェ。何泣いとるんや」

「……」




 楽しそうだ。レックスは、本気の勝負が出来て心から嬉しそうだ。


 俺は、かつてあのレックスの前に立っていた筈だった。



「こんなに……遠くなったのか」



 今は、戦争の最中。戦場のど真ん中で、敵将の目前。


 だと言うのに、俺は周囲の警戒すら出来ずにポロポロと涙をこぼしていた。




 ────俺は本当にレックスに勝てるのか?


 ────今までのレックスは、俺に合わせてゆっくり斬りかかっていたのか?


 ────本物の天才が努力を怠らず自らを高め続けたら、実力は離されるだけで決して追い付けないんじゃないか?




 涙が迫り上がってきて、止まらない。


 嫌だ。俺が諦めたら、今度こそレックスに挑む相手はいなくなる。


 レックスが本物の無敵になってしまう。「敵が居ない」本当の意味での無敵。


 それは、レックスを。正真正銘の孤独に追いやる事になる。


 だと言うのに。それは分かってるのに。




「……無理、だろコレ」


 その時心の何処かで、俺は悟ってしまった。ポッキリと、心の何か大事なモノが折れてしまった。


 もう二度と、俺はレックスに勝てない。


 レックスは────化け物だ。

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