第35話
その女は、笑顔だった。むせ返らんばかりの死臭が漂い、四方を泣き叫ぶ民に囲まれて。そんな地獄のど真ん中で、彼女は微笑みを絶やさず立っていた。
国軍最悪。レックスが、クラリスが、エマが最大限の警戒を抱く女。三大将軍最弱の将、ミーノがこの惨状の中にこやかに俺達に話しかけてきた。
「……レックス」
「お前らは、喋るな。全部俺様が応対する」
「んー、そう気構えられるとやりにくいよ。もっと気軽に話そ? ほらフレンドリー、フレンドリー」
気が抜けそうな程、緊張感の無い明るい声。ミーノは口元を小さな手帳で隠し、クリクリとした丸い目をレックスに向けている。
……ビリビリ、と空気が凍る。以前城の中でであった彼女とは一線を画す、得も知れぬ恐怖と悪寒が俺の背筋を走った。
「何の用だ。用がないなら二度と俺様に話しかけるな」
「……残念ながら、用はちゃんとあるんだなぁ」
「なら早く言え」
レックスの声は、苛立ちを帯びていた。そんな爆発寸前の獅子をからかう様に、その女はレックスの眼前で屈み上目遣いに言葉を続ける。
「剣聖レックス。今の時刻を以て、貴方への命令系統をボクの指揮下に変更します」
「……はぁ?」
微風に、ピンク色の癖毛が揺らめく。
「これは、貴方の雇い主の意向でもあるんだよ? ボクから頼み込んでみたら、エマちゃんは快く賛同してくれたからね」
「ふざけんな! そんな話は聞いてない!!」
「ええ、今話を通したからね」
す、とミーノは自身の背後を指さす。
釣られてその指先を見ると、顔面を蒼白にしたエマが兵士に囲まれ座り込んでいた。……その表情は鬼気迫っており、憔悴して見える。
「おい!! エマちゃんどういう事だ!!」
「……」
「お前、俺様を売り飛ばしやがったのか? ふざけんな、誰がこんな悪魔の元で誰が働くか!!」
激高したレックスは、怒りのままエマちゃんに詰め寄った。幼女のその小柄な体躯を、両腕で掴み上げ恫喝する。
「俺様はお前を、ペニーを信用してるから依頼を受けたんだぞ!! こんな真似されるなら俺様は王都になんざ来なかった!!」
「……ごめんなさい」
「お前、ミーノと繋がってやがったのか!?」
「ごめんなさい。ごめん、な、さい……」
レックスに胸倉をつかまれた小さな参謀から出てきたのは、涙声の謝罪だった。
目を赤く腫らし、とてもとても悔しそうに声を震わせながら。エマちゃんは泣きながらレックスに謝っていた。
「……エマちゃん、お前」
「私は、ペニーさんの参謀なんです。ごめんなさい、貴方たちとペニーさんを選ばないといけないなら、私はペニーさんを優先します」
「……」
「裏切り者の罵声もそしりも受けます。でも、私はペニーさんだけは裏切れないんです……」
「……脅されてんのか、エマちゃん」
レックスは、そのまま静かに泣いているエマちゃんを地面に下ろした。
……見たところエマちゃんはレックスを、俺達を売りたくて売った訳じゃない。何かで脅されて、ミーノに屈してしまったんだ。
「悪い、俺様ちょっと冷静じゃなかった」
エマに小さく謝って、レックスはミーノ将軍に向き合う。憤怒でその顔を歪ませて、身の丈ほどの大剣に手をかけながら。
「誰がテメェの命令なんざ聞くか、俺様はアジトに帰る。こちとら自由な冒険者、エマちゃんからの依頼じゃねぇなら受けてやる義理はねぇ」
「ふぅん? 冷たいねぇ、それじゃ王都の民は魔王軍に蹂躙されるだろう。君が居ないと、沢山の人が死んじゃうんだよ」
「魔王軍と戦うのは、国軍の仕事だろうが。俺様はただの冒険者、国の行く末に責任を持たされる謂れはねぇ」
「ボクは事実を言っているだけさ。責任を押し付けている訳じゃない」
激怒しているレックスは、一振りでミーノの首を飛ばせる距離に詰め寄った。だが、彼女は涼しい顔のままそんなレックスの顔を静かに見据えていた。
「これは、純然たる事実だよレックス君。君が王都を離れてしまったなら、ここで暮らす数十万人の民は死滅する」
「俺様の知った事か」
「じゃあ仕方がないね。君さえいれば死なずに済む命なのに……、最強の剣聖様がくだらない感情に踊らされて逃げ帰っちゃうとはね。可哀想だなぁ、王都の人達」
カチャリ、とレックスが剣を抜く。ソコは、既にミーノの首に剣が届く間合いだ。奴がその気なら、次の瞬間にでもミーノの首と胴は離れるだろう。
「それ以上、汚い口を広げたら殺す」
「……やめてよ、怖いなぁ。ねぇ、どうして君の不興を買ってまで、ボクが君を指揮下に置きたがるかわかる?」
「知らん」
「実は、今の国軍の戦力だけじゃ王都を守りきれるか分からないの。ボクの見立てだとどんな奇策を振り回そうと、少なくとも復興に数十年はかかる被害が出る。何とか撃退したとして、隣国に復興の隙を付かれたらこの国はおしまい」
「……」
「……でも、君という駒がボクの手元に有れば、王都を無傷で魔王軍から守り抜ける。いや、守り抜いて見せる」
ミーノはそういうと、静かに剣を抜いたレックスの目前に一歩踏み出した。
「……ボクからの依頼の報酬は、ボクの首だ」
「っ!!」
「君はボクが憎いだろう? 殺したくて、殺したくてしょうがないだろう? ……もし君が従ってくれるなら、ボクは王様の前で宣言しようじゃないか。『ボクはレックスに首を報酬として提示しました』と」
「正気かよ、お前」
「もし君が僕の命令に従うなら。そして魔王を倒したあかつきには、ボクを殺して首を城下に晒そうが、城外に串刺しにして火炙りにしようが文句は言わないさ」
「……何を考えてやがる」
「ボクが考えるのは、この国の未来と無辜の民の幸福だよ。そのためには、君の力が必要なのさレックス君。どうだい、君の家族の復讐の、絶好の機会だよ?」
「……けっ!!」
そんな狂ったミーノの提案を聞いたレックスは、胸糞悪そうに剣を鞘に納めて踵を返した。
「誰がてめぇの下なんかにつくか、そんな汚らわしい首なんざ要らねぇよ。……しばらくはあの宿に滞在してやる。王都がやばいってなら、その都度俺に依頼に来い。怪しいと思った依頼には従わねぇ。……必要だと思った依頼には、従ってやる」
「んー……。ま、それでも良いか。よろしくね、レックス君」
「うるせぇ、死ね」
そう荒い声でミーノを一喝し、俺達のリーダーはまだしゃがみ込んで泣いているエマちゃんをひょいと持ちあげて歩き出した。
「行くぞてめえら。……気分悪ぃ」
「は、はいレックス様」
そんな俺達の様子を、ミーノは楽し気に眺めていた。
「はぁぁぁ!? レックス、あんたミーノの依頼受けることにしたんか!?」
「……王都には知り合いも居る。そいつら見捨てるのは、義に反する」
「ごめんなさい剣聖様。その、全部私が悪いんです」
ミーノと別れた後、俺達は教会にいたカリンと合流して宿の部屋に戻って来ていた。
そして、今まで何があったかの情報交換を行っていた。
「今まで通りペニー将軍と協力してたらあかんのか?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝るのはもういいから。何を脅されてんだ、エマちゃんは」
「ペニーさんは、まっすぐな方なので政治には疎いんです。ですので、上手く軍を回すための汚い寝技とかはこっそり私の方でやっていたんですが……。全部、ミーノに尻尾を掴まれていたみたいでして。全ての罪を告発されてペニーさんを処刑されたくなければ、剣聖様を譲り渡せと……」
「……アイツが好みそうな手だ。反吐が出るぜ」
エマちゃん、この歳で不正に手を染めているのか。
「なぁ、エマちゃん。逆に、ミーノの弱みとかは無いのか?」
「噂は幾つもあるんですが、確定情報はありません。そもそも、その手の嵌め手搦手は彼女の十八番です。偽情報を掴まされて逆に追い詰められるかも……。ごめんなさい、私ではミーノに政治勝負を挑んでも勝ち目はありません」
「いや、エマちゃんの年齢で政治動かせてる時点でヤバいからな? でも確かに、そういった勝負は奴の独壇場かぁ」
末恐ろしい、とはこのことか。清濁併せ呑んでペニーを政治的に支える幼女エマ、マジでペニー将軍のブレインやってるんだな。
……エマちゃんの進化系がミーノ将軍の様な気がして来た。
「カリンは教会で何か情報ゲット出来たか?」
「……んー、まぁ微妙な感じ。そやなぁ……メイ、フラッチェ、あんた等ポーカーフェイスは得意か?」
話を振られたカリンはいきなり、変なことを言い出した。何だ、いきなりその質問は。
「わ、私は結構表情に出ちゃうと思います」
「ポーカーフェイスって何だ? ポカーンとした顔か?」
「メイは苦手で、フラッチェは問題外と。……すまん、二人とも席を外してくれ。いまからウチが話すのは、うっかり口走られたら困る感じの話なんや」
……? そんな大事な話をうっかり口走るような奴が、何処にいるんだ?
「あー……。分かりました、フラッチェさん行きましょう」
「え、何でだ?」
「そうですね。私は魔法の勉強をしてきますので、フラッチェさんも訓練所で稽古をしては如何でしょう? 今朝の襲撃で、魔王軍も迫ってきている事が分かった訳ですし」
「そうか、成程な」
確かに、俺はまだまだ修行不足。訓練を欠かす余裕など無い。レックスに一泡吹かせる為にも、努力を欠かしてはいかんのだ。
ふ、とメイちゃんに手を握られて。俺は黒魔導師と2人、部屋を抜け出して鍛練へと向かったのだった。
「……段々、フラッチェの扱いに慣れてきたなメイの奴」
「いや、そもそもが超扱いやすい人間やろあの娘」
「あの方を将軍に推挙するのはちょっと無謀でしたかね……?」
「息を吐くように騙されるからな、ロクな事にならん。あー言う奴は権力なんて野暮な物を持たず、冒険者として剣振ってるのが一番似合ってる」
……ん? なんか何処かで馬鹿にされてる気がする。
「今度は間違えないでくださいね、ここを真っすぐですよ」
「ああ、分かっている」
「それじゃあ、私はこちらですので。ここで失礼します」
「ああ」
途中までメイと一緒に歩いて、俺は訓練場を目指した。今日は城の兵士は城下町に出払っており、がらんとした空間を独り占めできるらしい。
……可能なら俺も兵士の仕事を手伝った方が良いのかもしれんが、俺に死体の見分なんて出来ない。俺が出来るのは、剣を振って敵を倒すことだけ。ならば、俺にできるのは魔王軍に備えて少しでも俺の刃を研ぎ澄ましておく事だけだ。
難しく考えるな、俺は実戦の際に1人でも多くの敵を屠れば良いんだ。迷いを断ち切った俺は図書館に向かうメイと別れ、一人剣の柄をを握って道を歩く。
兄を失った少年の、悲壮な声が耳にこびりついて離れない。あの惨劇を許してはいけない。魔王軍は、魔族は、まぎれもない人類の敵だ。
前の、俺の身体を殺されただけではない。魔族は俺のすぐ傍で、平和に生きていた人達の命を奪って見せたのだ。……たとえどんな敵が出てこようと、一息に切り伏せてやる。
……もう、以前の俺のような無様は見せない。対集団の訓練も取り入れたし、レックスの剣を受け俺の技の切れも増した。筋力面では勝てずとも、技術面では確実に成長しているはずだ。
だから、俺は剣を振る。ただ無心に、まっすぐに、透き通るような剣筋を磨き上げる。
それが、俺の仕事なのだ。
「……これが、ボクの仕事だから」
ビク、と体がその声に反応し動きを止める。
訓練場の扉の近くに来た、その瞬間。どこかから、疲れ切った女の声が聞こえた。
「ボクがやらなきゃ、いけないんだ。……他の誰かに、任せるわけには」
落ち着いて周囲を警戒し、そして見つけた。
俺が歩いている廊下の、その先に。俺の方に向かって、ヨロヨロと足取りのおぼつかない女が歩いているのを。
遠目にその顔が、月明かりに照らされる。その女は、先ほど別れたばかりの────
「ボク、が……」
国軍最悪、ミーノ将軍だった。
「……っ」
警戒を最大限に引き上げて、俺は動きを止める。先ほど、エマを脅して屈服させレックスに直接干渉する権利を得た悪魔将軍ミーノ。彼女が、何故こんなところを歩いているのか。
俺には想像もつかないが、きっとろくでもない狙いがあるに違いない。
「……」
「……」
やがて、ミーノも俺の存在に気が付いたのか。歩みを止めて、廊下の中央でゆっくり立ち止まった。
微かに揺れたまま、その女は俺と向かい合って仁王立ちしている。何だ、何を始めるつもりだ。
ミーノはあまり強くはない。所作からは武術の気配を感じないし、攻撃魔術を使えるなんて情報は聞いていない。そもそもこの距離なら、詠唱を終えるより俺がミーノの首を跳ね飛ばした方が早い。
警戒を緩めることなく、俺はいつでも飛び出せる体制を維持しながらミーノの出方を伺って……。
「……きゅう」
やがて、どさりと音を立て。国軍最悪の目はグルグルと回り、そのまま気を失って倒れてしまった。
「……え?」
「きゅうぅ……」
その場に残されたのは、目を回して失神した国軍最悪と俺だけ。
山盛りの書類に埋まり、王都城の廊下でうつ伏せに倒れた三大将軍。その異様な光景を前に、俺は立ち尽くすことしかできなかった。
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