第18話
「……毒だ」
ペニーは、暗い洞窟に転がっている弓矢の鏃を見て、その匂いを嗅いだ。その、独特の臭みはとある植物毒のモノだとペニーは知っていた。
「洞窟の中ででっかい矢は使えんからなぁ。ちっこい矢に毒塗って攻撃って訳やね」
「随分合理的ですね、魔族にしては」
「ただの魔族にそこまでの知恵はない。細かい戦術を指示をする
レックスは顔をしかめ、そして自身の不覚を悔いていた。
最強を自負する立場として、彼の自責は計り知れないだろう。
「今すぐなら、間に合うかもしれん。お前ら、すぐにフラッチェ追うぞ!」
「は、はい!」
フラッチェの話によると、敵は彼女の身柄を欲しがっていたらしい。もし捕まったまま放置すれば、彼女がどんな目に遭うのか想像もつかない。
そうした焦りから、レックスは剣の束で周囲の壁を叩き始めた。奥に空間があるかどうか確かめるために。拐われた仲間を助け出すために。
────だが。
「いや撤退だレックス。一度町に引き返すぞ」
「……は?」
国軍大将ペニーの決断は、撤退だった。
「修道女カリン。ペディドクタケの解毒薬のストックはあるか?」
「……あらへん。その、洞窟内で毒矢はそこまで想定しとらんかってな。万一飛んできても、解毒呪文で対応するつもりやったし」
「なら解毒呪文、あと何回いける?」
「他に魔法使わないって条件下なら……5回や」
レックスはそれを聞いて顔をしかめる。確かにその回数だと、この先何度も奇襲されることを考えたら不安が大きい。
いや、本当は彼の冷静な部分が気付いていた。解毒方法が無い以上、撤退して出直すべきだと。ただ、フラッチェに対する情がそれを上回っていただけである。
「すまん、ウチの準備不足や……」
「いや、解毒薬はかさばる。前もって情報がない限り、予め用意するのは現実的じゃない。別にカリンのせいじゃねぇよ」
申し訳なさそうに、項垂れるカリン。だが実際、戦闘に使われる毒の種類など無数に存在するし、それら全てにいちいち解毒薬を用意して潜る冒険者など存在しない。
フラッチェは、運が悪かった。冒険者には常に死が付きまとう。ただ、それだけの話である。
「焦るな。俺達がやられたら元も子もないんだレックス。暗視装備と解毒の準備を整えて再び来れば良い」
「フラッチェ、は……」
「聞くところ、かなり彼女は重要視されていたのだろう? 即座に殺されることは無かろう。それに彼女は強い女性だ。どんな苦痛であろうと辱しめであろうと、きっと耐えてくれるさ」
「フラッチェさん……」
彼女の身に降りかかるだろう苦痛を想像し、パーティは暗い顔になった。情報を吐かせるため、激しく拷問されるかもしれない。実験と称して、無惨な姿に切り刻まれるかもしれない。
敵に捕まった女性剣士が、ろくな扱いを受けないのは容易に想像できる。
「何をボサッとしている。彼女を、助け出すのだろう!?」
「クラリスちゃん?」
「こんなとこでウダウダしている暇があれば、疾く駆けよ! 彼女はきっと、今も我等の助けを待っておるぞ!」
「クラリスの言うとおりだ。速やかに引き返して、準備を整えるぞ」
「……分かった。待っててくれ、フラッチェ」
レックスは静かに涙を流す。そして強い決意ともに、外の街へと急いで引き返した。何としても彼女を助けてみせると、そう誓って。
因みにその頃、フラッチェは夢の中でレックスを下し上機嫌で高笑いしていたりする。
「さて、処刑を始める。遺言はあるか、魔導王」
「その前にまずは話を聞かせろ。処刑者は裏切った等とデマカセを言えば、味方を好きなだけ殺して構わん存在なのか?」
で、だ。怨敵ジャリバは、何やら見たことない獣獣しい魔族に追い詰められているわけだが。
この目の前で繰り広げられている仲間割れに対して、俺はどう動くべきだろうか? 俺が味方をするとしたら、手術してくれそうなジャリバだが……。
問題は、素手の俺は全然強くないことだ。剣持ったら何とかなるけれど、素手だと非力なこの肉体ではどうにもならん。で、この部屋を見渡す限り剣の類は無い。
これ、仮に解放されても何も出来んな。俺は関係ないですよ、と言うオーラを出して静かに縛られておこう。
「ああ、簡単な事だよ。魔王様が命令をくだしたから俺はここに来た。そろそろジャリバが裏切る頃だから、仕留めておけと」
「嘘をつくな。この間お会いした時は、魔王様は機嫌良く資金を援助してくださったぞ」
「おうとも。そして、確かに研究成果が纏まったのも確認した。だから、もうお前は用済みなんだよジャリバ」
ほう。アイツ、魔王の命令で動いてるのか。
うーん。魔王ってやつは味方にも厳しいんだな。味方の筈のジャリバを、研究させるだけさせといて成果出したらポイ捨てって酷くね? 俺ならクーデター起こしちゃうね。
「私ほど魔法達者な魔族が居るのか? そんな風に使い捨てられる程、私の価値は低くない筈だ」
「だから魔王様も残念がっていたよ。お前が裏切ってさえいなければ、とね」
と言うか、ジャリバって裏切り者なのか。
魔族の事情には詳しくないが、あのゾンビが何かやらかしたのかもしれない。あ、さては本当にクーデターでも企画したのだろうか?
話を聞く限り魔王ってなかなか酷い奴だからな。有り得る話かもしれん。
「だから! 私にそんな疑いなど事実無根、身に覚えがないわ!」
「証拠なら、ほれ。そこに居るだろう」
そう言って、魔族は半笑いで俺の方を指差した。え、俺は関係ないでしょ?
むしろ、お前らが研究した成果的な存在だろ。まさか、人間の研究をしたこと自体が反逆だ! みたいな言いがかりなんだろうか。
「そこの人間の姿形が、全てを物語っている。ジャリバ、もう観念しろよ」
「アイツが何だと言うんだ。何が言いたい貴様!」
「懐かしい顔じゃないか。昔、初めてお前に出会った時を思い出す。……その人間の身体は、人間の頃のお前だろう?」
「手頃な素体として、私は自身のクローンを使っただけだ!」
「違うな。ジャリバお前は……、人間に戻るつもりなのだろう?」
狼魔族は、そんな事を意味不明な言い出した。
この俺の身体が、ジャリバのモノ? ……言われてみれば、頬も痩せこけ髪もバサバサになっているが、ジャリバと俺は顔の造りがよく似ている様な。
ちょっと待て。それは一体、どういう事だ。
「お題目は立派だったよ。人間の死体を蘇生できれば、確かに人間は大混乱するだろう。誰が生きた味方で、誰が死んだ敵なのかわからない。九死に一生を得て逃げ帰った兵士は、敵と疑われ殺される。生きていると信じて従っていた指揮官は、我らの手の中」
「実に有効だろう……っ!」
「でもなぁ。それなら、身体を移し替える必要は無いよなぁ? 何故わざわざ、死体の脳味噌を自分のクローンにすげ変えた?」
「敵の死体に、味方のゾンビの脳を移植出来れば絶対に裏切るまい。洗脳より確実だろう?」
「違うな」
何やら顔を青くして(ゾンビジョーク)言い訳を並べるジャリバを、魔族は切って捨てた。
「もし、そんな事が出来てしまえば生者となったゾンビは逃げ出すに決まっているだろう。念願の人間に戻れたのだ、魔王様に従う理由などあるまい」
「……」
「そしてそれは貴様も一緒だった、と言うことか。生前の肉体に戻れさえすれば、後に貴様は人間側の魔導師として厄介な敵となる。ならば今のうちに殺しておけと、魔王様からのお達しさ」
「根も葉もない、推測じゃっ……」
そこまで言い切ると。男は静かに爪を開き、獰猛な笑みを浮かべてジャリバへと迫った。
「懐かしいなぁ、ジャリバよう。初めてお前と会った時も、こんな感じだったなぁ」
「……」
「数百年前の戦争の時。人族の村からたっぷり略奪をしたあとに、宴の余興で俺がお前にゾンビの肉をやったんだ。覚えているか?」
「忘れる、訳がなかろうっ……」
「ゾンビの肉は生者に刷り込むと侵食を始め、苦痛の果てにその体を死に至らしめる。そして、運が良い奴はそのままゾンビとなり、我らの同胞として再び活動を始める」
……。ゾンビってそうやって生まれる魔物なの? ならゾンビって、元々は普通の人間だったのか。
そうか、動く人間の死体の魔物だもんな。そりゃ、元は人間に決まっている。
「面白かったぞ、あの時のお前の声。家族や兄弟が苦しみもがき叫びぬく中、お前だけアンアンと嬌声を上げていたなぁ? ゾンビの肉と、随分相性が良かったのだろう」
「……黙れ」
「家族が断末魔の悲鳴を上げる中、お前は一人だけ愉しみ続けて我等の仲間となった。でも、内心は人間のままが良かったのかな? 数百年の年月をかけ、わざわざ死体に脳を入れて生き返らせる技術をも生み出すとはな」
「……い」
「実に残念だよ。お前の執念は本物だった。魔法の技術も、研究成果も本物だ。だが、魔王様への忠誠だけは……偽物だったのだな」
「何が悪い!!」
その、嘲笑うような魔族の挑発に我慢できなくなったのか。ジャリバは、悲鳴の様な叫び声をあげ立ち上がった。
「魔王を恨んで何が悪い!」
「ほうら、本性現したな」
「父さんを! 母さんを! 兄さんを! 妹を! あんな酷い方法で殺されて、恨まない筈があるか!!」
「所詮は元人間。ゾンビみたいな下等な魔物は、魔王様の偉大さを理解できるべくもない」
「諦めてたまるかっ、やっと悲願が叶うんだ! このボロボロの醜い身体を捨てて、やっと私は人間に戻れるんだ!」
……ジャリバは、心の底から絶叫している。
そうか。ジャリバが俺の身体を傷付けたがらなかったのはそう言うことか。
この身体か、あるいはまだクローンが有るのかは知らないが。彼女は、必死で人間に戻ろうと研究を続けていたんだ。
ジャリバは、咄嗟に背の杖を振りぬいた。だが、ジャリバと狼の魔族の距離は数メートル。こんな近距離では魔導士にできることなど何もない。
詠唱の言葉をつぶやいた直後、再びジャリバは魔族にタックルを受ける。その勢いのまま壁まで吹っ飛ばされ、ジャリバの腕が嫌な音を立てて千切れ飛ぶ。
不運にも、ジャリバが失った腕は杖を持っていた方の腕だった。
「終わりだな。ジャリバ、お前に魔王様から伝言を預かっている。『貴様の研究は色々と役に立ったよ。裏切って死んだとしてもお前は立派な我らの同胞である』だとさ」
「馬鹿を言えっ……私は、お前らなんかとは違う……。ゾンビに身をやつしても、心は人間だっ……」
「ほう? 以前貴様が人間の里に逃げ延びた時、『魔族』だと迫害され殺されかけたと聞くぞ。まだ、人間に仲間意識を持っているのか?」
「うるさい! この身体さえ入れ替えれれば、私はゾンビでさえなくなれば、また人間の輪に戻れるんだ!」
「お前は今まで何人、人間を殺してきた? 実験材料として何人の人族を、『失敗作』として処分した? そんなお前が、人間に受け入れられるはずが無かろう」
「仕方ないじゃろうが! 魔王が殺せと言ったんだ!! 私に逆らう事が出来るものか! 私は悪くない!」
「はっはっは。おい、そこの人族。お前は意識があるな? この哀れなゾンビをどう思う? 今までたくさんの人間を部下に襲わせ、殺し、自らの欲望のためその死体を弄び続けたこの女を」
その魔族は、いきなり俺に話しかけてきた。それはもう、楽しそうな笑顔で。
俺が、ジャリバを恨んでいないかだと? それは、……それは。境遇には同情するけど。だって、俺は、コイツさえいなければ……
「お前も被害者なのだろう? この女の部下に殺されたのだろう? お前は、ジャリバを恨んでいないのか?」
「……それは」
「ほうら見ろジャリバ。あの人族の怨嗟の表情を。お前はたとえ人間の身体になったって、決してヒトから同胞として受け入れてなんかもらえないんだよ。本当に、愚かな馬鹿よ」
俺の表情を見たジャリバが、絶望に染まる。……この女は、自分が人間になりたいという願いをかなえるため、俺やほかの人間をたくさん殺したのだ。どうしてもそこを許すという選択が、俺にはできなかった。
「さて。死の時間だぞ、ジャリバ。もうお前はゾンビとしてすら活動することが出来ない。物言わぬ肉片となり、脳が腐るか虫に食われるまで動くことすら許されず、ゆっくりと死を待つのだ」
「嫌だ。嫌だ、もうちょっとなんだ。もうちょっと、あと一日あれば、私は」
「自業自得だ。お前が魔王様を裏切り、人間になりたいなどと愚かな欲望を抱いたからこんな結末を迎えたのだ。せいぜい、あの世で悔いろ」
ジャリバは、片手で這うようにして部屋の出口へと逃げ出す。はぁはぁと息を荒げながら、生き残るために必死の形相で。
そんなジャリバを魔族は嘲笑し。ゆっくりと、逃げる彼女の頭蓋目掛けて爪を振り上げた。
「嫌だっ」
……待て。やめろ。
ジャリバのやったことは許せない、けれど彼女の命すら奪うのは違うだろう!?
「あばよ。無様な裏切り魔族さん」
「私は、人間だ────っ」
そして、ジャリバの頭は。ぐちょ、と不気味な音を立て狼の魔族に叩き潰された。
「……汚ったね。やっぱり、脳みそが腐ってやがる」
ジャリバを仕留めたその魔族は、気持ち悪そうにジャリバの死肉にまみれた手を振った後。ニヤリ、と笑いながら俺の方を見た。
「お。そこの若ジャリバ、お前に良いもんやるよ」
「……俺の事か。何をする気だ」
「知ってるか? 生きた人間にゾンビの肉を刷り込むと、適合すればゾンビになって、適合しなけりゃ死んじまうんだ。……でも安心しろ、お前の身体はジャリバのクローンらしいからな。十中八九適合するさ」
「まさか、まさかお前」
「俺の手、奴の死肉で汚れちゃったんだよね。そんで丁度手を拭くものが欲しかったんだ。なぁ、人間よ」
その腐った血肉がへばりついた腕を、俺に見えやすいように掲げながら。魔族はゆっくり俺の方へと歩み寄って来た。
「お前の身体で手を拭わせてもらうぜ」
そして魔族はゆっくり、俺の首筋へ手を伸ばす。腐った血肉の匂いを振り撒きながら。
「やめ、ろ……」
「心配するな、ゾンビ肉と適合出来れば気持ちいいらしいぞ。そこでくたばったジャリバも、初めての時は何度も絶頂して面白い声を上げてたもんだ。さて、お前はどんな声で鳴くのかな?」
「外道めっ……」
俺の叫びも虚しく。その魔族は底冷えするような笑顔を浮かべて、汚れた爪で俺の首筋をなぞった。
そして、次の瞬間には目の前が真っ白になり。熱い何かが体を焼くように、全身に痛みが走り────
────部屋に、爆音が響き渡った。
目がチカチカする。部屋の先が何も見えない。
「誰だ!」
遠くで、魔族が叫んている声が聞こえた。少しずつ戻ってくる視界に映ったその狼型の魔族は、何やら焼け爛れているように見える。
そう、まるで至近距離で何かが爆発したような。
「────私降臨、ここに天現。偉大なる神の名において、魔を討ち滅ぼす断罪の刃よ」
ふと。洞窟の最奥にある薄暗い部屋には似合わぬ、澄んだ少女の声が響き渡った。
「救いを求める声あれば、万難を排して迎えに行こう。嘆きと絶望の声あれば、大いなる慈悲で包み込もう。世界には、愛が必要なのだ」
俺が吸い込まれるようにその声の方向を見ると、そこには聖女が立っていた。
金糸の如く細やかな髪を靡かせて、無垢な祈りを捧げる所作の小さな聖女。薄暗い部屋の中、彼女の存在は光り輝いていた。
「我が名はクラリス。この国最強の魔導師にして、万人へ捧ぐ慈愛の象徴である」
だが、その目は紅く光っている。爛々とした怒りの感情を持って、クラリスは魔族を睨みつけていた。
────あれは、本当にクラリスちゃんなのか? 彼女からいつもの気さくで愉快な雰囲気は霧散し、まるで本物の神が降臨したかの如く神聖な雰囲気を纏ってそこに立っていた。
「さて。そこの魔族に問おう」
似合わぬ冷酷で険しい形相を浮かべ、杖を血が滲むほどに強く握りしめながら彼女は問うた。神が罪人に、審判を下すが如く。
「魔族よ。……お前に、愛はあるか?」
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