第8章

第58話:そして、確かめたくなる

 久遠ひさとおの実家がある船橋から、総武線で東京駅へ。

 そこから横須賀線に乗り入れ、小一時間――。


 車窓の向こう、ビル群の合間に海がちらりと見えたころ、俺たちは横浜駅に到着していた。


 表向きの理由は、「帰省ついでに会社への土産を買うため」。

 ……だけど、実際には実家に寄ったわけでもないし、新幹線のルートからわざわざ外れてまで立ち寄る理由としては、あまりに苦しい言い訳だった。


 それでも、「目的」がないと来られないくらいには、怖かった。


 もし、六年前に横浜で偶然出会った“金髪のJK”が――久遠じゃなかったら。


 いや、逆か。  

 金髪のJKなんて、世の中にはいくらでもいる。制服の記憶もあやふやな中、「彼女だった」と言い切れるような確証は、正直ひとつもなかった。


 でも――もし、本当に久遠だったとしたら。


 そんな運命みたいなことが、あるのだとしたら。

 確かめたい衝動は、どうしても消せなかった。


 たとえ違っていたとしても、日常は何も変わらない。

 ただ、――それが万一にでも久遠を傷つけるなんてことだけは、絶対にあっちゃいけない。


 だから、悟られないように。慎重にだ。


「悪いな、こんなところまで付き合わせて」


「いえ。横浜こっちには、あまり来ないですし。なんだか新鮮です。……お土産は、どこで買うんですか?」


 そう言って、久遠が俺を見上げてくる。


 白を基調としたロングコートに、細めのストール。

 派手すぎず、だけどどこか街の空気に映えるその装いは、年末の雑踏の中でも、ふと誰かの視線をさらっていくような佇まいだった。

 

「構内でも買えるけど……せっかくだし、ちょっと歩かないか」


 ――なにが、せっかくなんだか。乾いた笑いがこぼれる中、久遠は「もちろん」と穏やかに笑ってくれた。


 向かったのは、中央改札寄りにある長いエスカレーターへと続く階段。


 六年前、俺が“彼女”を支えた、あの場所だ。


 階段下に立ち、上を見上げた瞬間――胸の奥で、ざわっと古い記憶が揺れた。


「久遠は、ここに来たこと、あるんだよな?」


「ええ、学生のころに何度か。……どうしてですか?」


 “この駅”じゃなくて“ここ”と、あえてそう言ってみた。

 だけど返ってきたのは、どこまでも日常の延長線上にある、飾らない声だった。


 思わず、心の中で小さく肩を落とす。


 ――「この階段で誰かに助けられたことはないか?」


 そんなストレートな聞き方ができるほど、俺も図太くはない。


 どうしたものかと階段を見上げていたら、ジャケットの裾が、くい、と引っ張られる。


「ちょっと、先輩? なにしてるんですか?」


「なにって……べつに……」


 はっとして顔を戻すと、ちょうど目の前を、スカートの短いJKが駆け上がっていくところだった。

 反射的に視線をそらしたものの――手遅れだったらしい。


「……って、ちがうからな? 見てないし、見ようとしたわけでもねえからっ」


「いやいや、角度的に、完全に見てましたよね?」


 じとっとした目が、容赦なく突き刺さる。

 

 たしかに。

 階段下から見上げてるオッサンなんて、はたから見れば完全にアウトでしかないわけで……。


 と……「オッサン」という響きが、ふと懐かしく胸をよぎる。

 あの頃、オッサンぶってた俺も、今じゃもう笑って済ませられない歳になったんだよな。


 彼女だって今頃は――


「あのー、なんだか哀愁を漂わせてますけど。先輩、さっきからちょっと変ですよ?」


「そ、そうか? 悪いっ……なんでもねえよ」

 

 相変わらずの無反応に、また少し肩が落ちる。


 そうだな。もう、やめよう。

 ――これ以上は、久遠に失礼だ。


 そう思って歩き出そうとした、まさにそのとき。


 肩が、誰かとぶつかりかける。


「すみませんっ」


 とっさに顔を上げると、そこに立っていたのは――まさかの人物だった。


「……コウスケ?」


「えっ……って、蓮実はすみか!? お前、なんでこんなとこに」


 お互い目を丸くしたまま見つめ合い、その隣、少し距離を取って立っている女性の姿に気づいた。


 

 ▲▽



 場所は変わって、横浜駅構内の地下一階。


 アーリーアメリカン調の木目が落ち着きを醸すカフェの、少し奥まった席に俺たちは腰を下ろしていた。


 向かいに座るのは、地元の腐れ縁――月島コウスケ。そしてその隣には、彼の婚約者である鬼頭理沙きとうりさの姿がある。


 鬼頭は大学時代、柔道部のマネージャーだった女性で、早々に引退したコウスケとともに部を離れたあとも、ふたりで俺の試合を見に来てくれたことがあった。


 昔から、出しゃばらないけど肝が据わってる、そんなタイプだった。


 誰かの会話を途中で遮ったりはしない。だけど、必要な場面では一言で場を締める。

 コウスケみたいな奔放なやつの隣にいるには、ちょうどいいバランス感覚だったのかもしれない。


 正直、ふたりが婚約したと聞いたときも、「そりゃそうか」とすんなり納得できたのを覚えてる。


 テーブル越しに目が合うと、鬼頭は静かに微笑んだ。


 その目元のやわらかさが、以前とまったく変わっていないことに、少しだけ胸が温かくなる。


 ……それにしても、この店にこの席まで、まるで六年前、“金髪のJK”と一緒にいた場所と同じってのは、さすがに出来すぎてるっつうか……。


 なんだか聖地巡礼でもしているような妙な気分でいると、コウスケが注文を終えた途端、身を乗り出すようにして言ってきた。


「お前、帰ってきてるなら言えよな。びっくりするだろう」


「悪い。……つっても、昨日来たばっかでさ。しかも、もう今から戻るところだったし」


「……ってことは、お前、まさか親御さんに彼女を紹介しに行ったとか?」


 言うや、コウスケの視線が、ちらりと久遠に向かう。


「いや、そうじゃなくてだな――」


 と、そこまで言いかけて気づく。そういえば、まだ久遠をちゃんと紹介してなかった。


 俺の視線を受け取ったのか、隣の久遠がタイミングを合わせるようにすっと背筋を伸ばし、ぱっと花が開くような、よそ行きの微笑みを浮かべる。


 こういう時のこいつは流石というか、その凛とした美しさは、よく知っている俺ですら息を呑むほどのものだ。


 思わず見惚れたコウスケが、はっとしたように目を見開く。が、すぐ隣から感じた無言の圧に気づいたらしい。ばつが悪そうにひとつ咳払いをして姿勢を正した。


「えっと、こっちは……会社の後輩で。俺の彼女でもある――」


「久遠心優みゆです。いつも蓮実はすみくんがお世話になってます」


 さらりと、けれど丁寧に。久遠が自ら名乗ると同時に、俺に涼やかな流し目を寄越してくる。


 言うと思っちゃいたが……堂々と蓮実くんなんて言い慣れない名前を出しやがって。

 その言い方に含まれた“外向けの顔”と同居する“親密さ”に、妙なむずがゆさを覚えた。


 一方、コウスケと鬼頭は「蓮実くん……?」と目を見合わせ、それから同時に俺を見る。


 それもそのはず。夏にコウスケと会ったときは、彼女の“か”の字すら口にしてなかったんだから、こいつらが驚くのも無理はない。


 ――これは、長くなりそうだな。


 そんなことを思いながら、俺はふたりの視線を正面から受け止めるしかなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る