第3話
私が
「副長、目標の動きは」
キルゴール艦長の声が飛ぶと、近くに控えていた佐官がそれに答えた。
「対潜哨戒機によれば方位三一〇、距離十六。依然、海面にて旋回行動中です」
「誘っているな。アレにとっては十六マイルなど一瞬で詰まる間合いだ。撃った瞬間、こちらの位置を悟って船体を食いついてくるかも知れん」
「しかし、このままでは……」
「分かっている。だが、どうしろと言うんだ。アレに通常の海戦術が通じると思うか。サメだぞ、サメ。潜られたら、他の水棲生物と見分けがつかん。そうなればもう、なぶり殺しだ。うう、実験艦になんか乗るんじゃなかった……」
キルゴールは泣き言をこぼし始める。
いたたまれなくなって視線を逸らすと、ちょうどこちらを見ていた井出一佐と目が合った。一佐の厳めしい顔は、お前の出番だと言っているような気がした。素人がしゃしゃり出るのはかなり気が引けたが、ことこの場においては致し方あるまい。亡きアランがしたはずのことを、私がやらねばならない。
「あの。素人質問で恐縮ですが、ひとつよろしいでしょうか」
「なんだ、カーマン教授」
「この艦には、気象観測ドローンが多数搭載されていますね? 確か、超光速移動が環境に及ぼす影響を調べるためだとか」
「それが何だ」
キルゴールが爆発一歩手前まで焦れた表情をするので、私は捲し立てるように続けた。
「良いですか。高速移動する物体というのは、通り道に様々な痕跡を残します。衝撃波や熱が代表例ですね。ただ、超光速移動となると話は少し変わります。光速を超えて物体が移動した場合、そこでは粒子が生成と消滅を繰り返し、ガンマ線が発生します。つまり、放射線ですね」
「ドローンの放射線測定機能を使って目標の移動先を割り出し、ワープのインターバルを狙って攻撃すると。そういうことですね、教授?」
ええ、と井出一佐の言葉に頷いて、私は艦長への“質問”を締めくくった。
「テスラシャークのカウンターに合わせて、さらにカウンターを当てていく形になります。それで、いかがでしょうか?」
そこからは即断即決だった。
エンプティネス号は、周辺海域に気象観測ドローンを展開。艦対艦ミサイルの発射準備を整え、補助動力〈りょうかい500〉を始動させた。この機関は、量海禅師が為す超光速航法を人間サイズから艦船サイズにまで拡張する機能を有している。それは裏を返すと、移動の方位や距離、速度、タイミングに至るまで、量海禅師が一人ですべて担うことを意味する。
「用意は良いか、禅師。ここから先、回避行動は君に任せるぞ」
「よい。ここへ参った時から、準備はとうに出来ている」
艦長の言葉に応えながら、量海は両手の指を奇妙な形に組んだ。本人いわく、あの構えは“虚空蔵菩薩”という大宇宙の知恵を司る菩薩の印だそうで、これを形作って“真言”を唱えなければ百パーセントの力が振るえないのだという。どうにも胡散臭い。
「オン バザラ アラタンノウ オンタラク ソワカ」
手錠が数珠のように鳴り、量海の抑揚を抑えた声が指揮所に響く。所内の空気が張り詰めているのは、真言が持つ厳かさのためではなく、純粋にテスラシャークへの恐れのせいだ。痺れを切らしたキルゴール艦長が、井出一佐にこそりと問いかける。
「禅師のインターバルは何秒だ。この調子で大丈夫かね」
「現在はいわば、エンジンに火を入れている段階です。これが済めば定格で十秒間隔、最大稼働で七秒だと本人は言っています」
「テスラシャークのスペックと遜色なければ良いのだがな」
と、その時。不意に真言が止んだ。
格納容器のほうを見やると、量海が閉じていた目をカッと見開いたところだった。
「量子閉域、展開」
彼の言葉とともに、青白い光の膜が〈りょうかい500〉からほとばしった。
光は我々の身体や計器類をすり抜けて、指揮所の外へと拡散していく。動揺の声がそこかしこから上がった。
「何の光!?」
「落ち着いてください。これは、ワープバブルです。超光速移動で発生する衝撃や熱から皆さんを守る防御壁だと考えてください。害はありません」
この慌てぶりを見るに、ここのクルーたちは〈りょうかい500〉の最大稼働を経験したことがないということだろう。私はみなを宥める一方で、一抹の不安を覚えていた。
「艦長、小生はいつでもいける。終点座標は方位一三五、距離六マイル」
「よし。ハープーン攻撃開始」
ランチャーが火を噴いて、対艦ミサイルが空をすっ飛んでいく。ミサイルの最高速度は亜音速にまで達するが、それでも光速の八十八万分の一未満のスピードだ。ワープ中のテスラシャークにとっては、止まって見えるような速さだろう。
しかし、ワープの合間にはそうはいかない。そこにこそ、我々の勝機があった。
「禅師、超光速航行用意」
「承知」
ミサイル発射から五秒が経った。一般的にホホジロザメは視力が弱い生き物と言われているが、テスラシャークにその常識が通用するかは分からない。量海の言うように、
不安感から量海の方に目を向けると、彼は私がそうするのが端から分かっていたかのようにこちらを見据えていた。落ち着き澄ました瞳で彼は言う。
「心配召されるな。戦艦はそう容易く沈まぬ」
「あの、禅師。これは駆逐艦です。戦艦と違って打たれ弱い」
「…………これこのように、小生も全知全能からはほど遠い。あのサメもまた同じであろうさ。そう恐れることはない」
安心して良いのか、微妙に判断に困った。
ミサイル発射から、いまや十秒は経過している。正しい回避のタイミングがいつかなんて、本当は誰にも分らないのかも知れない。しかし、分からないなりに決断をしなければならない。その重責は、艦の長たるキルゴール大佐に掛かっていた。
「――いまだ」
艦長が号令を下した瞬間、船体がガタガタと小刻みに揺れ出した。
頭のなかに、エルドリッジ号の悲劇が否応なくよぎった。ワープバブルさえ展開していれば、安全な超光速航行が可能だというのがアランの見解だったが、ぶっつけ本番である以上不安は拭えない。光の波に揺られながら、私は量海に向かって祈った。
「ワープアウト、完了! 成功です!」
指揮所内で小さく歓声が上がる。どうやら、特段の損傷もなく目標座標に移動できたらしい。気を抜くなと檄を飛ばして、キルゴールが砲雷長に問い掛けた。
「テスラシャークは? ミサイルの着弾はまだか?」
「待ってください。着弾まで六、五、四、さ――」
言い掛けたあたりで、ミサイルの反応がレーダーモニターから消失した。
カウントダウンの途中に、だ。
「やったか!」
「いや」
迂闊極まる艦長の問いを切り捨てて、井出一佐は量海禅師に次のワープに備えるよう指示した。テスラシャークは、未だ同じ地点で静止しているというのが彼の見解だった。程なくして、その予測は哨戒機からの無線によって裏付けられることになった。
目標、健在。テスラシャークは、展開したワープバブルによってミサイルを迎撃したとの報が指揮所に届いた。我々は読みを誤ったのだ。やつは躱すまでもなく、ミサイル攻撃を無効化することができる。目標はなおも、ワープする余力を残している。
「艦長、ドローンが線量の急増を探知。本艦直上です!」
「回避、面舵っ」
艦が右方向に転進する中、量海がワープバブルを急速展開させる。この時点で、エンプティネス号はテスラシャーク同様、鉄壁の防御力を得たはずだった。しかし、超光速移動の発動寸前、艦の後部から衝撃音が轟いた。何かに船体を撃ち抜かれたらしい。
「総員、衝撃に備えろ!」
艦長の鋭い号が飛んで、エンプティネス号は三千マイル先の公海上に瞬間移動する。これは、フィラデルフィア実験で報告されている最高記録の約二倍に及ぶ移動距離だ。テスラシャークの索敵範囲から抜け出すため、量海は下限値以下のインターバルで、過去類を見ないほどの大移動を実現した。その代償は、決して小さくなかった。
「副長、被害報告を」
「一番から四番、すべての機関が大破。航行不能です。加えて、量海禅師が……」
副長が言い淀み、全員の視線が自ずと〈りょうかい500〉の格納容器に向かう。喘鳴じみた戦慄き声が、指揮所のあちこちから漏れた。
量海は血みどろであった。どこからどう出血しているのか分からないくらい、徹頭徹尾、朱にまみれていた。熱せられ、霧状になった血や汗が容器の中で朦々と立ち込めている。
「ヤア、面目ない」
凄絶な見かけに反して、あっけらかんとした口調で量海は詫びの言葉を口にした。
呼吸の乱れや舌のもつれもない、滑らかな発音だった。
「アレの方が、数段上手だったということだ。もはや、この艦に勝ち目はあるまい」
「まだだ、まだ火器システムが生きている。修理すれば、もう一戦――」
「しかし、貴殿らにはアルクビエレ砲を撃つ気がないのだろ」
量海がピシャリと言い放つと、艦長は口を開いたまま固まってしまった。図星ということだろう。やはり、この怪僧に隠し事など通用しないのだと私は改めて思った。
「あのサメが持つテスラドライブを無傷で手に入れるのが、貴殿ら、米海軍の任務だ。そして、そこにいる井出一佐はテスラシャークと引き換えに、小生の身柄を引き取る。そうして、日米両国が究極のフリーエネルギーを手に入れるというのが今回の筋書きだ。まあもっとも、それが叶う確率はゼロだが」
「治療を受けろ。最悪、君の身体さえ残っていれば逆転の目はある。テスラドライブの解析さえ済めば、あんなサメは直ぐにも殺れる」
「貴殿らが呑気こいてリバースエンジニアリングがなんのと言っている間にも、大勢の人命が損なわれる。そうならないために、小生はここに来たのだ。だのに、使える武器を使うなと言う。そんなことならば、この艦は小生が貰い受ける」
「……なに?」
指揮所に満ちていた緊張が、別の色に変わるのを私は確かに感じた。
「艦長、今ここで決断されよ。艦を放棄するか、小生に沈められるか。二つにひとつだ」
びりびりと空気が振動して、〈りょうかい500〉の格納容器が静かに溶け落ちた。熱に強いはずのホウケイ酸ガラスが飴細工のように形を失って、指揮所の床を広がっていく。尋常でない熱量が、量海禅師から放射されていた。
一堂がその迫力に気圧される中、キルゴール艦長は深い溜め息を吐いた。
「本国にはこう伝えよう。テスラドライブの力はやはりヒトの手に余る、とな」
「艦長?」
「副長、退艦命令を出せ。防護服着用のうえ脱出艇に乗るよう、全員に徹底させろ。私はここに残る。じき、この艦はサメの餌だろうがな」
感謝する、という禅師の言葉にキルゴールは頭を振った。
「冗談じゃない。お陰で私は懲戒処分だ」
「代わりに英雄になれましょう。ただ、その為にはもう一人助っ人が要る。彼だ」
そう言って、量海禅師が指さしたのは私だった。
井出一佐がすかさず反対したが、私は俄然やる気だった。それは、友人を殺された復讐心から来る感情ではない。
(続く)
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