テスラシャークvsサイコブッダ
庚乃アラヤ(コウノアラヤ)
第1話
信仰を持つ者にとっては、あらゆる出来事が神話になりえる。幸運に恵まれれば神に感謝し、試練に見舞われれば祈りを捧ぐ。病苦に苛まれれば加護を乞い、背信を見れば我がことのように嘆き恐怖する。
信仰を持つ者は、神を通して世界を視るものだ。
彼らにとって神とは、人生と不可分の存在であり、価値基準の中心であり、畏れの対象でもある。畏れの対象――私にとってのそれはサメだった。
サメと無縁であることが幸福であり、サメとまみえることが不幸だった。
サメは疫病神だ。滅ぶべき異教の神だ。
そう、言うなればこれは神話の始まりと終わり。
神の座に肉薄したサメと、胡散臭い坊主の物語だ。
◆◇◆
一週間前、日本領空で航空自衛隊のF-15J戦闘機が二機撃墜された。一匹のホホジロザメによって。
聞くところによれば、そのサメは音速の五倍以上の速さで宙を駆け、体当たりでもって戦闘機を叩き落とし、最後にはまるで雲か霞のように消えてしまったという。
日本というところは、西側からしょっちゅう飛翔体が降って来る困った国だが、今回のニュースには流石にみな驚いた様子だった。
私が受け持っている日本人学生たちも、隙あらばこの与太話について質問を飛ばしてくる。講義の内容についても、これくらい熱心に聞いてくれれば良いのだが。
「ええ、まず諸君らに伝えたいのは、私は
私が脅かしてみせると、講堂の何カ所かで笑い声が漏れた。冗談じゃないんだぞ。何割かは本気だ。
「では素人考えで恐縮ではありますが、空飛ぶ極超音速ザメについて少し考察してみましょうか。まず前提として、地球上の生物が出せる最高速度というのは数百キロが限界です。陸海空、どこにおいてもそうです。何故だと思いますか?」
問いながら講堂内に視線を巡らせると、学生たちは面白いくらいに顔を伏せる。この国の人々がシャイな国民性であることは知っているが、これは少々寂しいことでもあった。
「――それは“無駄”だからです、カーマン教授」
低く落ち着いていながらも、力強さを帯びた声がどこからか飛んだ。
私がまた辺りをぐるりと見渡すと、齢四十くらいの大柄な男と目が合った。シニア学生にしては若々しく、またリタイアとは無縁そうな鋭い眼光を放っていた。これで単なるもぐりだったら驚きだ。威圧感が強すぎる。
私は気にしていない風を装って、その男の言葉に応えた。
「『その通り!』と言いたいところですが、断言はできません。ですが、無駄であることは確かです。狩るにせよ狩られるにせよ、最高速度数百キロの世界に生きているのですから、超音速なんてのは贅沢品も良いところです。そんなものを欲しがるのは人間くらいだ」
「では、教授はあのサメが人工的に生み出されたものとお考えか」
「……あの与太話が実話だとすれば、という前置きは必要だと思いますがね。生身で極超音速に耐えるにしても、その速さでもって戦闘機と衝突するにしても、普通の生物では生理的限界を超えている。人工物か、あるいは
と言い終えたところで、終鈴のチャイムが構内に響き渡った。また、脇道に逸れた状態で講義が終わってしまったのだ。私は軽い自己嫌悪に陥りながら、生徒たちに向かって声を張り上げる。
「はい、今日はここまで。リアクションペーパーは出入口のトレーに提出するように。それと、間違ってもサメの話でペーパーを埋めないこと。この授業は『魔法・オカルト学』ではありませんからね」
ぞろぞろと、生徒たちが講堂から引き揚げていく。
後に残ったのは私と、あの厳めしい日本人男性だけになった。
「ご迷惑、でしたかな?」
悪びれる様子もなく、男は話し掛けてくる。私はこの時、ある種の予感に囚われていた。厄介ごとに巻き込まれる直前の、根拠のない不安が私の脳内を占め始めていた。
「いえ、ああいうガス抜きも必要でしょう。それより、あなたは……」
「申し遅れました。わたくし、こういうものです」
差し出された名刺には、〈海上自衛隊 横須賀地方総監部 一等海佐
ただのOB訪問だと思いたいところだが、さっきまで話していた自衛隊機撃墜の件がどうにも頭をよぎってしまう。頼むから、OBだと言ってくれ。
「ご用件を伺いましょう、
「井出で結構です。それで私がここに参ったのは、我が国とあなたの祖国――アメリカの総意で、ある作戦への参加を依頼するためです」
「作戦とは?」
「サメですよ、教授。件の超音速ザメ、我々は“テスラシャーク”と呼んでいますが……」
と井出一佐が言いかけたところで、私は慌てて制止を掛けた。これ以上聞いたら有無を言わさず、参加を強要されかねない。彼は口では“依頼”と言ったが、断ればアメリカ政府がどんな強硬手段を使ってくるか分かったものではない。
誰か、他の人間に矛先を逸らそう。
「なぜ、私なのですか。私の専門は量子生物学です。害獣駆除の専門家でもなければ、海洋生物学者でもない。相手がサメなら、
「教授、落ち着いて聴いてください。これはご友人の、アラン・ルー氏からのご指名です」
「だったら、アランを呼んでください。見込み違いだと彼に教えてやります」
「ルー氏は亡くなられました。テスラシャークの襲撃によって」
一佐の望みどおり、私は極めて落ち着いた状態になった。というより、突然の訃報に打ちのめされて思考が停止していた。
アラン・ルーが死んだ。二十年来の友人が殺された。訳の分からないサメに食われて。
そして、その亡き友人は己の後任として私を指名したのだと一佐は言う。
「氏を含め、既に複数の人的被害が出ています。私も部下を亡くした」
「気持ちは分かりますが、理解できないことがあります。なぜ、アランがそんな状況に?」
「お答えしても良いのですが、その場合、機密事項に触れることになります」
井出一佐の鋭い視線が私を捉えた。覚悟はあるのかと、彼の眼は問うていた。
無論、そんなものはない。私は荒事とは無縁の人生を歩んできた。生身で戦闘機を撃墜するような化物と相対することなんて、想像したこともない。ただ、私の心には納得がなかった。友人が犠牲になった理由も、私に託そうとしていた仕事も、何もかも知らんぷりをして生きていくことなどできなくなっていたのだ。
私が頷いて見せると、一佐もまた深く頷き返し、それからまた口を開く。
「説明の前に、まず前提知識を確認しましょう。カーマン教授は、フィラデルフィア実験をご存じかな?」
「テスラコイルを使った消磁実験、でしたか」
「そう、護衛駆逐艦エルドリッジとその乗員に対して行われたステルス実験。その結果は、悲惨なものでした。実験艦の瞬間移動に人体発火、それに艦と乗員の物理的融合」
「むう、オカルト雑誌の戯言のようにも聞こえますが」
私の言葉に一佐は苦笑したのち、首を横に振って、
「しかし、事実なのです。まったく、貴国の情報操作には舌を巻きます」
「その実験と例のサメが関わっているというわけですか。サメとテスラコイルが物理的融合を果たしたとか?」
「概ね正解です、教授。実は、件の実験で用いられたテスラコイルというのは謂わばデコイでして、本命は別の装置だったのです。それが、“テスラドライブ”。瞬間移動を実現する、天才ニコラ・テスラの一大発明です」
テスラコイルにテスラタービン、テスラバルブと来て、今度はテスラドライブとは。手あたり次第、自分の名前を付けたがるお人だ。バットマンのガジェットじゃないんだから――とツッコみたくなるのは兎も角として、瞬間移動装置とは驚きだ。
「原理は分かっているのですか?」
「ルー氏いわく、アルクビエレ・ドライブ型の瞬間移動だということだったが」
「知っています。時空歪曲によって、艦船を空間ごと超光速移動させる航法ですね。前方の空間を圧縮しながら、後方の空間を膨張させる――と言うと簡単なようにも聞こえますが、必要なエネルギー量は天文学的な数値になります。瞬間移動装置そのものよりも、それを駆動させうる動力装置の方が現実離れしていますね」
と一息に語ったところで、私はあることに気がついた。
アランの見立て通り、テスラシャークがアルクビエレ式の超光速移動をしているのだとすれば、それは無限にも思えるほどのエネルギー資源を秘めていることになる。もしその存在が公に知れたなら、あるいは一国家がそれを占有してしまったのなら、世界に大きな衝撃が走るだろう。
「なるほど。自衛隊機の撃墜後、こんなにも早くアメリカが介入したのも頷けます」
「さすがに慧眼ですな。そう、米政府はテスラシャークの早期抹殺を望んでいます」
「あるいは秘密裏に回収することを、でしょう?」
私が指摘すると、井出一佐はまた例の苦笑を浮かべて、
「まあ、そう上手くいくとは思えませんがね。なにせ、相手は人智を超えた化物です」
「対抗策はあるのでしょうか? 聞いている限り、通常兵器で歯が立つ相手とは思えない」
ノコノコ出て行って、アランたちの後追いをするというのはぞっとしない展開だ。
それは、井出一佐にしても同じことだろう。
「ご安心ください。我が国にはこういう格言があります」
一佐は落ち着き澄ました声で答える。
彼の表情には、どこかいたずらっぽい雰囲気すらあった。
「――バケモンにはバケモンをぶつけるんです」
(続く)
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