ヘラゲラスの公演

 ヘラゲラスの部屋に突如黒い靄が出現し、人の手が伸びた。ヘラゲラスは「ヒャアッ!」と悲鳴を上げる。


 だがその腕の袖の服装を見ると、それはティモンであることがわかった。あまりに突然の出来事にバクバクと心臓を鳴らしながらも、ヘラゲラスはティモンの腕を見守る。するとティモンは一通の手紙を床に落とし、そして腕を引っこめて靄ごと消えた。


(ティモン宰相、一体何を考えてるんだ!?)


 ヘラゲラスはドキドキしながら手紙を拾い読み上げる。その文章は簡潔だった。


『カクトを決して外には出さず、魔法を一切使わせないようにしてくれ。今から2時間ほど時間を稼ぐ必要がある。お前の話術に世界の命運がかかっているのだ』


 意味不明な内容だった。何故自分の話術が世界の命運を左右することになるのか皆目見当がつかない。だがヘラゲラスはその筆致から、並々ならぬ気迫を感じた。きっとティモンは今日、カクトを殺すために暗躍しているのだ。


(ああクソっ、ティモン宰相め! いきなりわけのわからねぇこと言いやがって! 俺が失敗したら、俺がカクトに殺されるってことじゃねぇか!)


 その時、扉がノックされた。ヘラゲラスはビクッと肩を震わせる。だが返事をする前に扉が開けられる。そこに立っていたのはレクリナだった。


「ヘラゲラス、カクトさまが玉座の間までお呼びですわぁ。是非今日はあなたの物語をお聞きになりたいのだそうで」


 ニコニコとレクリナは笑う。だがその笑顔は作り物であり、体だって小刻みに震えていた。レクリナには怯えがある。ヘラゲラス自身も震えたくて仕方なかった。


「……レクリナ王妃、手紙を受け取ったのですか?」


「ええ、受け取りましたわよ。敬語も使わない私を呼び捨てにした命令が。しかもあの男を誘惑しろですって!」


 呆れた声の裏側に、それでも覚悟の意志が秘められている。その気丈に振る舞うレクリナを見て、自分も腹をくくらざるを得なかった。


「……わかりました。行きましょう王妃。カクト様を待たせるわけにはいきません」


「ええ、ヘラゲラス。最高の演目を聞かせてくださいまし」


(チッ、この女全部俺に丸投げかよ!)


 ヘラゲラスは内心不平不満を漏らす。だが演目の舞台を整えたのは彼女だということはわかった。ヘラゲラスはすぐに化粧道具を取り出し、ピエロの顔に変貌する。そんなヘラゲラスに、レクリナはそっと歩み寄った。


「ヘラゲラス、これを」


 そしてドレスのポケットからそっと白い布を取り出す。


「返しますわ。さっき洗濯したばかりですから、ずぶ濡れになってますけど」


 確認すると、それは以前レクリナが泣いていた時に渡したハンカチだった。無地のものだったのに、いつの間にか花柄の刺繍が施されている。ヘラゲラスは一瞬きょとんとしたが、やがて静かにハンカチを受け取った。


「……ええ、ありがとうございます。これから先はもうお互いにどうなるかわかりませんがね」


 そして二人は静かに見つめ合い、玉座の間へと向かった。




 玉座の間に到着すると、待ちくたびれた顔をしてカクトが待っていた。


「おせーぞレクリナ。お前からヘラゲラスの物語を聞きたいって言い出した癖に、どんだけ俺を待たせるんだよ?」


「ご、ごめんなさいカクトさまぁ♥ でも私、今日はどうしてもカクトさまに最高の時間を送っていただきたくて、さっきヘラゲラスと今日の演目について打ち合わせしていましたのよ? ヘラゲラス、今日は最高のネタを思いついたって」


(おい小娘! 俺に無茶振りすんじゃねぇよ!)


 ヘラゲラスはピエロの化粧の上で薄ら笑いを浮かべながらも、王妃を恨めしく思った。だがここまで来てもはや断るわけにもいかない。ヘラゲラスも覚悟を決めるしかなかった。


「レクリナぁ、お前も俺の隣に来いよ。わざわざ昼食の時間まで延ばしてるんだからさぁ。まぁ俺は寛大だから、今日は特別ってことにしといてやるよ」


「はい、いま行きますぅカクトさまぁ♥」


 そして隣に用意された王妃の椅子に座り、レクリナはカクトの腕に抱きつく。ドレスの上から自分の胸を押しつける。相変わらず白目を剥きたくなるようなイチャつきぷりだった。だがこの女の媚びへつらいが、本当は自分の命や世界の命運を賭ける覚悟の上でやっているのだと今は理解できた。


「では、話術を披露させていただきます」


 ヘラゲラスは玉座の間の中央にまで進み、深々とカクトに向かって礼をする。だがカクトの顔をチラリと覗くと、大して興味なさそうだった。レクリナに言われたから仕方なく付き合っているという感じだった。


(チッ、カクトの野郎冷えてるな。やりにくいったらありゃしない)


 それでもヘラゲラスは話術を始めた。


 カクトが専ら好むような、いつものくだらない馬鹿話。とある『勇者』と呼ばれる冒険者パーティが無能の仲間を追放したけれど、実はそいつは有能だった。その後追放された側はどんどん成り上がって幸せになっていくけれど、勇者パーティはどんどん落ちぶれて不幸になる、という筋書きだった。


 だが話が佳境に入った時、カクトは突然話を遮った。


「あぁ~、もういいよもういいよつまんねぇ。その手の話何回目だよ」


 退屈そうな顔のカクトに、ヘラゲラスの焦りが頂点にまで達する。不味い……カクトが俺の話を飽き始めている……。


「お前の話って何かいつもワンパターンなんだよねぇ。先が読めるっていうか、どっかで聞いた話を焼き増ししてるだけっていうか。別に最後まで聞き終わっても何一つ印象に残らねぇし、お前、何が楽しくて話術師やってんの?」


(それはてめぇがこの手の話しか聞く耳を持たねぇからだろアホがッ!!)


 ヘラゲラスは怒りを胸に宿すが、それでも図星だから何も言い返せない。しばらく場が沈黙すると、カクトはおもむろに玉座から立ちあがり、生あくびをひとつ掻いた。


「あ~あ、つまんねぇ。レクリナが最高のネタだって言ってたからちょっとは期待したけど、けっきょくいつものテンプレクソ物語じゃねぇか。追い出されたほうが女を侍らせて、他人から持て囃されて地位も手に入れて、だから何? って感じ。自分でもない赤の他人がただただ都合の良い目に合ってるだけの話聞かされて何が面白いの? こいつストーリー創るの絶望的に下手だし、そろそろクビでいいかな?」

 

 散々に罵られたヘラゲラスは打ちひしがれる。プライドがズタズタに引き裂かれた。


(俺だって、こんなクソしょうもない話がしたくて話術師になったわけじゃねぇよ……)


 ヘラゲラスの脳裡には自然と今までの記憶が蘇る。


 話術師を始めた頃は、全然客なんてつかなかった。自分が考えた物語など、誰も興味を持たなかった。だからやがて客が興味ありそうな話ばかり追い求めるようになった。城下町で流行っている噂を盗み聞きして、客に媚びを売るような話術ばかり披露した。その結果、何とか日銭ぐらいは稼げるようになり、酒浸りな生活を送るようになった。だがそこにはもう、かつて自分が話術師を目指した時にあった情熱や魂はなくなっていた。


〝自分がやりたかった物語を捨ててまで、俺は一体何のために観衆の前に立っている?〟


 そう自問する日々が、いつまでもずっと絶えることがなかった。ヘラゲラスはすっかり他人を笑わせる裏で、他人に笑われるくだらない人間に成り果てていた。


「んじゃ、そろそろ腹減ったし飯食いに行くか。じゃあなヘラゲラス。明日までに荷物をまとめておけよ」


 やがてカクトは玉座から立つ。ヘラゲラスはもはや悔しさと屈辱で顔を上げることすらもできなかった。だがその時、ふいにカクトの歩みがピタリと止まった。


「お待ちくださいましカクトさま! まだ終わりではありませんわ!」


 カクトは振り返る。レクリナがカクトの腕を引っ張っていた。それを鬱陶しそうに見下ろすカクト。だがレクリナの懸命な言葉は止まらなかった。


「もう一度ヘラゲラスに演目の機会を与えてくださいまし! 今度は必ず、カクトさまがご満足していただける物語を披露しますから!」


 レクリナの瞳が潤み出す。真摯でひたむきな、力強い眼差しだった。それはいつもの媚びへつらった演技ではない。ヘラゲラスの胸には、それがヒシヒシと伝わった。


「ヘラゲラスの実力はこんなものじゃありませんのよ! 私、ヘラゲラスの物語を聞いたからわかるんです! 本当に、本当に、感動しましたのよ! だから、ヘラゲラスの話を聞いてくださいまし!!」


 必死でレクリナは説得を続ける。そんな熱をあげて大声を上げる彼女を見たのは、ヘラゲラスにとって初めてだった。


(レクリナ……お前、そこまで俺のことを買ってくれていたのか?)


 あの日の夜を思い出す、物語が終わった後、レクリナはただ涙を流し、何も言わず部屋から出て行ってしまった。最初はやはり自分の話などつまらなかったから、カクトにひどい目にあわされた心の傷がまた蘇り、そんな反応をされたのだと思っていた。けれどそれは違った。レクリナは本当に感動していたからこそ、涙を流してくれたのだ。


(あの時、あいつにはちゃんと俺の物語が届いていたんだ……)


 レクリナが自分の物語に心打たれてくれたのだと気づき、ヘラゲラスは心が突き動かされる。そして過去に捨てたはずのプライドと情熱を思い出した。


「あれぇ? レクリナ、こいつのことそんなに好きだったのぉ? 何かムカつくんだけど?」


 カクトがレクリナを見下げ、不機嫌な声を漏らす。


「ええ、好きですわ。彼の言葉の一言一言が大好きです。私は今、本心を語ることしかできません!」


「あっそ。つまんねぇ」


 カクトはレクリナに掴まれた腕を振り払い、玉座まで戻る。レクリナが座っていた椅子を蹴り飛ばした。もはや王妃が自分の隣に座ることすらも許さない。


「そこまで言うなら一応聞いてやるけどさぁ、もしつまらなかったらどうすんのお前?」


「私の命をカクトさまのご自由になさって構いませんわ」


「あれぇ? そこまで言っちゃう? まぁいいや。俺ももうお前のこと生かすつもりなかったし」


 ひじ掛けに肘をついて、カクトは手の甲に頬を乗せる。


「でも今は殺さないでおいてやるよ。死体の隣で話聞くのも興ざめだし。だけどつまんねぇと思った瞬間お前ら二人ともぶっ殺すから」


 レクリナはカクトから距離を置き、玉座の間の隅にまで移動する。ただ遠くから、ヘラゲラスのことを見守った。


(こんだけお膳立てされて、引き下がれるわけねぇだろクソったれ……ッ!!)


 そしてヘラゲラスは赤いつけっ鼻を投げ捨てた。ポケットから、レクリナから渡された濡れたハンカチを取り出す。乱暴に顔を拭うと、見る見るうちにピエロの化粧が剥がれ落ちていく。やがてヘラゲラスの素顔が露わになった。


「あっ、お前そんな顔してたんだ」


「……はい、今から語る物語は孤独な少女の感動の物語。ピエロの化粧など似合いません」


「まっ、男のすっぴんなんて興味ねぇけどな」


 カクトは期待もせず足を組んで不遜な態度を取る。だがヘラゲラスはもう暴虐の王に怯むこともなかった。ただ今は、自分の言葉をありのままに吐き出したい。だから全身全霊を籠めて、自分が初めて創った物語を語り始めた。


「これは、とある小国の孤児院が舞台の物語です。13歳の少女エルザは、かつて母親から捨てられた孤児でした」


 人の温もりを拒絶する誰からも愛されない少女の物語が幕を開ける。孤児院で新しく入った先生と出会い、最初はその温もりすら受け入れられなかった。だが次第に心を開くようになり、二人は親子のような関係を築く。やがて二人の間には決して切れない絆が育まれ、エルザが孤児院を卒業する時に約束を交わした。


〝エルザのことを、ずっと忘れない〟


 そしてエルザと先生が再会を果たし、同居するようになる。だが先生は記憶を失くしていた。エルザのことも忘れてしまい、そのまま先生の寿命が尽きる日が訪れる。だがその時、先生はか細い声でエルザの名前を口にする。先生は最期の瞬間までエルザとの約束を守り抜いたのだった。


 

 

 世界中の全ての時が止まったように、ヘラゲラスの口は閉ざされる。饒舌に語りすぎて、脳が沸騰するほど熱くなっていた。それでもヘラゲラスは幸福を感じていた。押し殺してきた自分自身を曝け出し、話術師としての魂を取り戻すことができていた。


「……まぁ、そこそこ面白いんじゃね? 暇つぶしぐらいにはなったかな?」


 カクトはたった一言だけ感想を述べる。気が付いたら、もう2時間近く時間が過ぎていた。カクトはひとつあくびをかみ殺すと、玉座から立ちあがる。


「じゃあ、そろそろ俺は飯にするわ。そこのクソ女を処刑するのは明日にする。せっかくのいい気分を台無しにしたくないしな」


 そしてカクトは素顔となったヘラゲラスの横を通りすぎる。やがて階段を降りていく足音だけが遠ざかっていった。


(……ありがとよクソ野郎。俺の演目を最後まで聞いてくれて。てめぇが『クソ女』だと罵った女は絶対に殺させねぇぞ!)

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