ピエロの化粧を剥がす

(俺がブラカイア女の教育係だとッ!? ふざけやがって!!)


 ヘラゲラスは突然自分の部屋に来訪したティモンとレクリナに内心悪態を吐いた。ティモンが用向きを語ったところ、どうやらレクリナに文字の読み書きを教えてほしいということらしい。


「お前は話術師などという下賤の身分の男だが、王都学園を首席で卒業した経歴がある。私にも比肩し得る成績を収めており、レクリナ様の教育係には打ってつけなのだ」


 半ば押しつけられるように命令を下されたヘラゲラスは呆気に取られて口を噤む。だが内心の反発心は膨れ上がるばかりだった。


(クソがッ!! 何でこんなイカレ王に媚びへつらうクロ女に俺が勉強教えてやらねぇといけねぇんだよ!?)


 だがここで断れば、レクリナがカクトに泣きついて、カクトが自分を殺しにくるかもしれない。けっきょく宮廷話術師などといっても最低の身分であることに変わりなかった。下賤者は所詮強い立場の人間に逆らうことができない。


「ではよろしく頼んだ。ここに一通りの教材は置いていくから、レクリナ様に文字の読み書きを教えてくれ」


 ティモンはテーブルに何冊かごく初歩的な文字の教科書を置き、さっさと部屋から出ていった。残されたヘラゲラスの元に、レクリナがトコトコと駆け寄ってくる。


「そういうわけですからヘラゲラス、私に文字を教えてくださいまし! カクトさまへの愛の詩をつづるのでございますわぁ♥」


 浮かれ調子の小娘にヘラゲラスは白眼視する。今にも反吐が出そうなほど鳥肌が立った。だがこのまま追い返すことも出来ず、仕方なくティモンから授かった教科書をパラパラとめくって確かめる。それから最初は簡単な昔話を読み聞かせた。


「まぁ! 冒険者ガロンとは凄い殿方ですわねぇ」


「ええ、彼がこのファース大陸の第一発見者です。それから大陸を開拓して、村を興したのでした」

(ふん、こんな7歳の子供でも知ってる歴史の著名人すら知らないのか)


 ヘラゲラスは真面目に勉強を教えつつも、内心レクリナの学のなさを嘲る。所詮この女も奴隷であり、肉体労働しか能がない。後は男を誑かすことぐらいしか。


「へぇ~! その文字はそうやって読むのですね。初めて知りましたわぁ」


(さっきから初めて初めてって、全部初めてじゃねぇかてめぇ。ああクソ、この分だと完璧に覚えさせるのに苦労するな……)


 そして一通りの授業は終わった。レクリナは大事そうに教科書を抱えると、にこやかな顔をヘラゲラスに見せる。


「ありがとうございますわヘラゲラス。またここに来ますわね」


「ええ、いつでもどうぞ。私にできることがあれば何でも言ってください」

(けっ、何で俺が馬鹿女の勉強ごっこに付き合ってやらねぇといけねぇんだよ)


 ヘラゲラスは表面的には紳士を装うが、内心は罵詈雑言と侮蔑でいっぱいだった。それでもレクリナは明るい声で話を続ける。


「あっ、そうですわ! これから一緒に紅茶にしませんこと? おいしいお茶菓子もございましてよ」


「それは願ってもないご厚意です。では是非ご一緒させていただきましょう」

(アホらし。何で俺がこんなカクトに寄生した奴隷のガキと一緒に茶を飲まねぇといけねぇんだよ)


 やがてレクリナが召使いを呼びつけると、しばらくしてメイドが紅茶のセットを運んできた。レクリナ自らポットを取り、頭上高くまであげてなみなみとティーカップに注ぎ入れる。八分目まで淹れられた飲み物をヘラゲラスの前まで優雅に押し、自らのカップにも紅茶を注いだ。


(ふん、すっかり宮廷の作法にも慣れ切ってる様子だな。だが所詮カクトの権力でのし上がっただけのクロ女。美貌がなけりゃ何の取柄もないクソガキに違いねぇ。俺はてめぇみたいな何の努力もしない癖に身分だけ立派な奴が一番嫌いなんだよ)


 そう思いつつも、飽くまでヘラゲラスは紳士的な態度を取り繕う。とにかく機嫌を損ねてカクトに告げ口されるのだけは避けたかった。


 ふとその時、レクリナがドレスの胸元に指を入れ、小さな包み紙を取り出す。その包み紙をそっとティーカップの上で開くと、さらさらと白い粉が零れ落ちた。


「……ほほう、レクリナ王妃は紅茶に砂糖をお入れになるのですね」


「毒ですわ。飲んだら一瞬で楽になれるんですって」


 予想外な答えにヘラゲラスは思わずむせる。一体何故そんなことをしているのかわからず、王妃まで頭がおかしくなったのではないかとさえ疑う。だがレクリナは飽くまで冷静沈着な様子であり、ヘラゲラスに静かに問いかけた。


「ねぇ、ヘラゲラス。このティーカップをカクトさまの元にお届けすればどうなると思いますか?」


 ヘラゲラスは額に汗を掻きながら、ぎこちない愛想笑いを浮かべる。


「ははは、王妃、何をご冗談を。早まった真似をしてはいけませんぜ?」


「あら、そうかしら? あなたは私が死ぬと思ってますの? ですが私とカクトのどちらが死ぬかはせいぜい50%ぐらいだと思いますわ」


 レクリナが不敵に口元を歪めて笑う。


「……何を仰りたいのです?」


「あなたは王都学園を首席で卒業したほど頭が良いのでしょう? あなたの考えをお聞かせくださいな」


 ヘラゲラスに視線の定まった眼差しで王妃は尋ねる。それに対してヘラゲラスは沈痛な面持ちで考え込む。


「……カクト様は『パーフェクトガード』によって、いかなる危害も己に加えられないと仰ってました。ですので例え毒を盛られたとしても、飲む直前に魔法障壁が発動するのではないでしょうか?」


「なるほど、それは誰しも予想できる可能性ですわね。ですが実際に毒を盛った者は誰もおりません。本当に『パーフェクトガード』についてわかっている事実は、剣や魔法による直接的な攻撃を防ぐということだけですわ」


 ヘラゲラスは王妃の真意を掴みかねる。今まで色んな人間を見てきたが、こんなに腹の底が見えない女ははじめてだった。たまりかねて、ヘラゲラスは口を開く。


「王妃、どうか正直にお答えください。あなたは一体何を企んでいるのです?」


「私は奴隷の身分から解放されたいだけですわ」


 そしてティーカップを手に取り、香りを楽しむ。だが口につけずそのまま皿にカップを戻した。


「ではヘラゲラス、今度はあなたが私の質問に答える番ですわ。あなたは自分の命と自由を賭けたコイントスを挑まれたとして、勝負に乗りますか? 表が命を失くし、裏が自由を与えられる」


 ヘラゲラスはただ沈黙して顔を俯ける。王妃の言葉は、今の自分自身の境遇を突きつける映し鏡だった。だだっ広いだけの部屋に軟禁され、狂人の王に媚びへつらって馬鹿話を続ける無力な道化師。そんな状況を打開したいと望んでいるのか、その真意を問うているのだ。


「私は例え裏の確率が25%だったとしても、例え確率が10%だったとしても勝負に挑みますわ。だって命なんてちっぽけですもの。死んでも転生してやり直せるなんて、そんなもの勝負すら挑んだこともない負け犬の遠吠えですわ。吠えるだけで何もしないぐらいなら、最後まで敵の喉元を食いちぎってやりますわ!」


 レクリナはカップを持ちあげて立ち上がる。そしてカップを傾け、中身を全て床にぶちまけた。きらびやかな絨毯に、血のような赤い染みが広がる。


「まぁ、私もこんなところで犬死にするつもりはありませんから、これを実行するのは最後の時ですわ。なかなか楽しいお茶会でしたわよ? ヘラゲラス」


 そして空になったティーカップをそっと皿の上に置くと、そのまま扉へと向かった。


「ヘラゲラス、またあなたの話術を披露してくださいな。今度は空虚なご機嫌取りのお話ではなく、血の通ったあなた自身のお話を。あなたは素顔のまま物語を披露したほうがきっと素敵ですわ」


 ヘラゲラスは自分の顔を触る。今はピエロの化粧をしていなかった。その様子をにこやかに眺めた王妃は、扉を開けて部屋から消える。


(俺の、本当の物語……)


 ソファーに深く腰かけたヘラゲラスは、あの文字の読み書きすらできなかった女の言葉を何度も反芻した。

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