悪役が最強をめざしてなにが悪い? ~理想の仲間を集めてジョブチェンジ、レベル1の悪役貴族からはじめる成長譚~

クロノペンギン

第1話 悪役転生(1)

 子どもの悲鳴で、目が覚める。


 俺は気がつくと、見知らぬ森の中で倒れていた。


 湿った土が口の中まで入り込んでいる。ジャリジャリと舌に感じる苦い味。思わず吐き出そうとするが、高熱で寝込んだ後みたいに口の中が渇き切っていた。


 ここは、どこだ?


 当然の疑問は、次の瞬間、全身の痛みに押し流されてしまう。特に、頭痛が一番ひどい。額を手で押さえ込むと、ぬるりとした感触にギョッとする。


 掌を見れば、ベッタリと血で汚れていた。


 ああ、傑作だ。頭が割れるような痛みだと思っていたが、本当に割れているのは笑えない。そして、頭だけではなかった。


 ボロボロに擦り切れた衣服、身体のあちこちに打ち身が出来ている。どこかの骨にヒビでも入っているのか、ズキズキと痛みが止まらない。交通事故に遭ったか、崖から飛び降りたか、それぐらいの大ケガである。


 だが、まあ――。


 大丈夫だ。この程度では、死なない。


 死ぬほどの痛みならば、すでに経験済みだ。


 まるで他人事のように、この異常事態に向き合っていく。そもそも、俺は現実感を欠いていた。悪い夢を引きずっているように思えてしまう。


 俺の、ボロボロの身体――。


 なぜか、子どもの身体になっている。


 ……いや、どういうことだよ?


 血で汚れた手が、嘘みたいに小さかった。幼い身体は、思うままにちゃんと動いてくれるけれど、それでも成人男性である俺からすれば違和感の塊だ。


 疑問だらけの中、顔を上げる。


 すぐ目の前では、炎上した馬車がひっくり返っていた。……いや、馬車? 現代の日本で? まったく予想外の光景が飛び込んできたことに、思わず目を丸くしてしまう。


 木造の馬車は、大きな炎に包まれている。


 黒い煙が立ち上っていた。


 呆然としていたのは、ほんの一瞬である。燃え盛る光景を見つめていると、モザイクのかかっていたような意識が、徐々にクリアなものとなっていく。


「お兄ちゃん!」


 最後の一押しは、少女の悲鳴交じりの助けを呼ぶ声。


 まるで、頰を打たれたようだった。


 我を取り戻して、俺は必死に立ち上がる。


 ああ、そうだった!


 畜生め!


 歯車がガチッと噛み合ったように、俺は現状を把握する。


 ここは、シーラン森林の中を抜ける小街道の途中である。


 夕方でも真っ暗になるぐらいの鬱蒼とした木々に、ドン詰まりの獣道。貴族の幼い兄妹が乗った馬車を狙って卑劣な罠を仕掛けるには、人気ひとけも少なく絶好のポイントだろう。


 初歩的な罠だが、道案内の看板が途中で向きを変えられていたらしい。馬車の御者が行く先に迷ってスピードを落としたところを襲撃された。


 魔法による爆発。最初に狙われた馬車馬ばしゃうまは黒焦げである。馬車も、その一発で横転させられてしまった。


 地面に投げ出された御者が、ちょうど俺の近くに倒れている。だが、ピクリとも動かない。よく見れば、その首元にはナイフが突き刺さっている。


 ああ、まったく……。吐き気がする。嫌気が差す。それ以上に、怒りがいてくる。平和な日本に暮らす一般人がいきなり放り込まれる状況としてはサプライズが過ぎるだろうが、俺は反射的に、「ユーリ!」と妹の名前を叫んでいた。


 不思議と、何もかも理解できてしまう。このクソったれな状況について、何がどうなっているのか、すべて、大瀑布みたいにドドドと頭の中に流れ込んできていた。


 俺は、公爵家の嫡男である。


 意味がわからないって?


 俺だって、全然わからないさ。


 護衛の騎士が一人だけ、ギリギリ踏みとどまって戦闘を続けていた。先程の御者だけでなく、地面にはもう一人、別の護衛騎士も転がっていた。血だまりが広がっていることから、おそらく生きてはいないだろう。


 敵は、果たして何人いる?


 その答えは、パッと数えられないぐらい。


 野盗と思しき粗野な身なりの男たちが、逃げ場なく周囲を取り囲んでいる。それだけで七人か、八人か。絶望的だった。さらにもう一人、公爵家の令嬢を連れ去らんと拘束している者まで――。


 公爵家の令嬢を。


 俺の、妹を。


「ルールシェイド殿下、あなた様だけでも、どうかお逃げくださ……がっ、ぐあ!」


 最後まで勇敢に戦い続けていた若い騎士が、無残にも力尽きる。鎧の隙間から胴体を串刺しにされた後、ダメ押しのように首を刎ね飛ばされていた。


 目をそむけたくなる光景だったが、俺は逃げなかった。絶叫しながら、まっすぐ目の前に駆け出していた。


 ケガだらけの身体に、激しい感情で鞭を打つ。


 こんなに最悪な気分は、いつ以来だろうか。


 思い出したくもなかった。


 逃げ出したくなる気持ちをへし折るように、俺は叫び続ける。悲鳴みたいな叫び声である。おそらく、一方的になぶり殺すだけのポジションにいる敵たちからすれば、自暴自棄な俺の行動は、さぞかし滑稽なものに見えただろう。


 ああ、知ったことかよ。


 くそ野郎ども。


 俺は、がむしゃらに手を伸ばした。


 首を失い、今まさに崩れ落ちていく騎士の死体から、剣をつかみ取る。

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