第247話 僕、二回目のただいまを言えた

 恥を上塗りながらもローブとマフラーを身に付けた僕は、やっぱり気配を紛らせながら我が家の前に立ち惚けていた。


 自分でも不思議だ。手が動かない。ドアを少しノックしたいだけなのに、動いてくれない。

 気配は三つちゃんとある。家族はこのたった一枚のドアの先に居るというのに……。


 これを越えればトラウマを塗り替えられる。きっと本当の意味でいつでも帰ってこられる。

 “俺”の両親では無いけれど、“僕”の家族にまた会える。


 ……会えるんだぞ? ……なのになんで、動けないんだ。


 そんな僕を嘲笑うかの様に、ドアは内側から、無常にも、簡単に……開け放たれた。


「にぃ……? にぃ……? いるの?」


 まだ幼く、小さな妹の手によって、僕が触れる事も出来なかったドアが開かれたんだ。


 四ヶ月振りに見たクーアは、暗闇の中を歩く様に僕を呼びながら手を前に出して一人外に出て来た。


 村に居る筈の無い僕が……【存在霧散】をしている僕が……今ここに居るのが分かっているかのように。


「あぁ! クー! 勝手にドアを開けちゃ駄目だよ!」

「ちょっとカル! クーの事見ててって言ったわよね!?」

「ごめん!」


 奥からカル父さんとサフィー母さんの声が聞こえてくる。


 涙と言うのは不思議なもので、堪えられるものと、気付いた時には既に流れているものがあるらしい。


 家族の声が聞こえるだけで、涙が頬を伝って顎から落ち、足元に跡を作った。


 僕よりもずっと身長が低いクーアにはそれがしっかりと目に入ったのだろう。今度はまっすぐにこちらに歩いてくる。


 僕は……クーアを迎える為に膝を突いてしゃがみ、腕を広げる。

 クーアは吸い込まれる様に僕の元へとやって来て、見えない筈の僕の服を掴んだ離さなかった。


「にぃっ。にぃ! いた。やっぱりいた」


 気配や魔力の維持なんて、もう出来なかった。



 この小さな温もりが、“家に残した家族”の温もりが……切なくて、悲しくて、温かくて……優しく、でもしっかりとクーアを抱き留めながら、涙がどんどん、どんどん溢れ出してくる。


「くーあぁ……ただいま……ただいまぁぁっ!」

「にぃ……おかえりなさぃ!」


 あの日言いたかった言葉を、ようやく口に出来た。

 あの日求めたものを、今ようやく手にした。


 ただの帰省なのに。ただの帰郷なのに。十年も掛かってしまった。


 本当に言いたかった人達はこの世界には居ないけれど、今の僕が言いたい人達に言うことは出来たんだ。


「クー! こ、ら……アッシュ……アッシュ!」

「父さん……ただいまっ。ただいまっ」

「…………ああ、おかえり。随分と早い帰りだけれどね?」


 家族と家族になったあの日の様に、涙は中々止まってくれなかった。



 父さんに肩を貸して貰い、僕の涙で髪がべちょべちょになってしまったクーアに怒られながら、僕は家へと帰った。


「アッシュ……貴方は変わらないわね? お母さん、変わらなさ過ぎてちょっとびっくりしてるんだけど?」

「ごめぇぇん……」

「エレアや他の子達は?」

「おうとぉぉ……」

「一人で帰って来たの?」

「ゔん゛……」

「この子は……全くもう……こういう所が可愛いのよね!」

「怒るんじゃないんだね……」


 二人であまあまで助かります。


 深呼吸をして、ようやく落ち着いて来た涙を袖で拭っていると、


「こらぁ! 服で拭かない! 拭く用の布とか持ってないの!?」

「そこは怒るんだ……」

「すみましぇん……」


 なんとも母さんらしいや。

 差し出された布で涙を拭い、横を向いてから鼻を噛む。膝の上にクーアが乗ってるからね。


「ちーん」

「うん。鼻水めっちゃ出た。クーアも見る?」

「みるー!」

「アッシュ? 見せないで頂戴ね?」

「すみましぇん……」

「面白いくらい変わらないね、アッシュは」


 リビングは変わらず、置かれている物も変わらない。父さんも母さんも変わってない。


 唯一変わったのはクーアだ。

 身長が伸びて、髪も伸びて、この子の変化だけが時の流れを感じさせる。


 そんなクーアの髪を『浄化』で綺麗にして、櫛を通してあげていると、父さんが優しい目をこちらに向けながら話しかけて来た。


「それで? いつ王都を出たんだい? 学園は辞めてしまったのかな?」


 ……ん? 


 思わず手が止まり、顎を上げて僕を見上げてくるクーアと目を合わせながら考える。


 ……いやそうか。そりゃそうなるか。なるほど。


「辞めてないよ。王都を出たのもつい数時間前。だから明日の早朝には村を出て王都に帰るよ」

「………………ふ〜ぅ」

「………………はぁ〜あ」


 父さんが背もたれに身体を預けて天井を見上げ、母さんは露骨にテンションを下げて、二人共がデカ過ぎるため息を吐き出した。

 そしてクーアは不安そうにまたも見上げてくる。

 

「にぃ、またいくの?」

「そうだけど、いつでもまた帰って来れるんだ」

「……わかった。クー、つよくなってまってる」


 ……はは。思っていたよりもずっと成長して強くなってるみたいだね。泣きもせず、我儘も言わずに、強くなりながら待ってるときた。涙腺というのはこうして緩んでいくんだね?


「うん。がんばれ、クーア。……にぃはもーっと強くなってるけどね!!」

「むっ。まけないもん。クー、もう『みずまほう』つかえる!」


 そう言うとクーアは僕の上から飛び降りて、室内に置かれている、いつかの水瓶の前に立つと無詠唱で水球を生み出し水瓶の中へと放っていた。


「なん、だと……? うちの妹は天才か……?」

「むふん」

「すごっ。流石クーア……自慢の妹だよ……!」

「むふふっ。ままっ! やった!」

「はぁ……うちの子天才でしょ……自慢の娘だわぁ……」

「異論は無いけど……良く似ているよね。誰と誰とは言わないけどさ」


 クーアのむふふって自慢気な笑い方がエレアに似てたね。姉妹で家族だなぁ。


 …………。あぁ……この空間の居心地の良さは駄目になりそうだ。


「……アッシュ、ご飯はどうする? 食べて行くかい? それとも……もう帰る?」

「相変わらず勘が鋭いね、父さん。でも、今から帰っても王都の閉門には間に合わないからさ。……決死の覚悟でご飯を食べて泊まらせて貰います!!」

「うん、それならご飯の準備をしないとね! サフィー? クーはアッシュに預けて用意するよー」

「あと一時間待って〜」


 クーアに頬擦りをかまして離れないサフィー母さん。きっとこれはもう駄目だ。手遅れなんだ。


 仕方無い、僕が手伝うとしようかな。


 エレアが居ない事だけが寂しいけれど、今度はエレアも連れて一緒に帰って来ればいい。

 今の僕なら、放課後直ぐに王都を出て、早朝に村を出れば始業には余裕で間に合うんだから。



 僕は久しぶりの家族との団欒に何度も涙腺を破壊されかけつつ、この宝物の様な時間を【記憶】に大切にしまったのだった。



 翌日の早朝。冬と言うのもあってかまだまだ外は真っ暗。普通に夜としか思えない。


 でも転生して時計やスマホが無い世界で十年も生きていれば、思った通りの時間に起きるなんて朝飯前! 文字通りね!


「うぅっ……」


 ……下らないギャグの所為か身震いしてしまった。

 ともかく、隣で寝ているクーアを起こさないようにベッドから出て、庭で顔を洗い、外の空気を吸い込む。


「すーーー。はーーー……。空気も魔力も美味しい。あっ。今王都に行ったらまた澱みの違和感に慣れないといけないのか……しんど」


 テンションを下げつつも、庭を見渡す。


 僕が作ったいつもエレアの髪を梳かしていた椅子。

 僕が作ったでかいお風呂とその壁。

 僕が作った庇のある洗髪小屋。

 魔法の的や、剣の稽古によって草が生え無い程固められた地面。


 ……うん。庭が狭く感じる! 作りたい放題してしまったな。

 四ヶ月の間に欠けている箇所や汚れている箇所を綺麗にしていると、いつの間にか空が白み始めていた。


 そろそろ出る準備をしないとだ。

 部屋に戻って寝巻きから制服に着替える。


 影皮袋を腰に吊り、マジックバッグを肩から掛けてからローブを着込み、愛情たっぷりマフラーを巻いたら用意は完璧。


 リビングに向かうと、既に父さんと母さんが起きて来ており、クーアも母さんに抱き上げられながら目を擦りつつも起きていた。


「……おはよ。そろそろ行くよ」

「アッシュ、制服、良く似合っているわ。大きくなったわね」

「今度はエレアも連れて帰っておいで。また皆んなでご飯を食べよう」

「んぅ……にぃ。ぃってらしゃぃ……」

「うんっ」


 三人を抱き締めてから、ドアに手を掛け振り返る。

 僕が、ただいまの次に言いたかった言葉……それは二度目の


「行ってきます!」

「「行ってらっしゃい」」「いてらさーぃ……」


 僕は今度こそ、胸を張って家を出た。


 またもう一度帰ってくる為に!



 道に出て『バリア』を展開し、空へと浮いて行く。

 唖然としながらも手を振ってくれる三人に手を振り返し、僕は王都へと戻るのだった。

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