第64話 僕「も」一人じゃないんだから

 あの後、ゆっくりと、でも一つづつ丁寧に衝撃を伝えるパンチの模索をしていたのだが、気が付くと日は傾いていて訓練の終了を告げられた。


 集中していたからかアドレナリンが出ていて痛みに鈍感になっていたのか、木人形と周辺の土に血の痕が滲んでいた。


 僕側の木人形の表皮は少し削れていたが、精々その程度。

 血を滲ませ、飛び散らせていても、技術と力が無い僕にはほんの少し皮を削れば良い方……悔しい。


 ミルさんはあたり前の様に力を伝えていたのに…………

 コルハにはあんなにも逞しい身体と強い力があるのに…………

 エレアお姉ちゃんには戦闘センスや感覚的な才能をあれほど持っているのに…………

 ただただ悔しい……! 羨ましい!! 僕も欲しい!!!


 ……………………


 そんな事をきっとみんなも僕に対して思っているんだろうな。


 それでも、やっぱり身体強化が無いと僕は非力で無力だ。

 魔力が無くなればただのそこら辺の子どもと変わらないんだ。


 ……こんな僕を好いてくれる人は居るけれど、彼女達に好かれる資格が僕にあるのか?

 もしも魔力を使い切ってしまった時、僕は僕以外を助ける事が出来るか?


 いや、出来ない…………



 拳から血が滴る感覚が良く分かる。

 その感覚が僕を慰めてくれる。


 僕は努力をしたんだぞと


 僕は血が滲む程に頑張ったんだぞと


 痛みが僕に努力を刻んでくれている。

 そんな思考が頭を過ぎって、もっと悔しくなる。



 もう一度構える。今度は何も使わない。魔力の使用を禁じる。

 息をふっと吐いて踏み込みながら力を伝える様に、でも身体の軸はぶらさないように腹の底に力を込めて、殴打する。


 痛い。衝撃は少しは伝わっている。痛い。木人形の揺れが少しは分かる。痛い。それ以上の変化は無い。痛い…………


 見て盗んだだけの付け焼き刃を用いた訓練だ。それも盗んだその日。形になるわけが無い。習得出来る訳がない。



 僕は…………特別なんかじゃない。



 木人形を殴った。殴って殴って殴った。

 殴って殴って殴って血が飛び散って殴って殴って殴った。


 拳が痛かった。でも拳の痛みは大した事は無い。心の方が痛かった。


 所詮六歳だ。前世がある? それで何が出来る。多少他の子を導けたかもしれない。手を差し伸べてあげる事は出来たかもしれない。それだけだ。たったそれだけだ。


 覚悟? 決意? 笑わせる。そんなもので成長出来たか? 強くなれたか? なる訳ないだろ!!

 そんな強さであの日の絶望を越えられるか? 越えられるわけないだろう!?

 その力で誰を守るんだっけ? 家族? 好いてくれた人達? 友人? 村のみんな? 守れねえよ!!


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…………」



 その日、僕は課された訓練を終える事すら出来なかった。



 血の痕がバレない様に地面は掘って埋めた。血の汚れは【浄化】で落とした。拳は少し時間が掛かったが回復魔法で癒すことが出来た。

 みんなと帰る時にいつも通りに笑えたかは分からない。



 僕はどう足掻いたって転生者だから、普通になる事の方が難しいと思っていた。

 この世界に異世界の価値観を引き継いできた僕が異質でミステリアスで、大人びて見えるのは当然で、小さい内は好意を寄せられる事なんて不思議では無いと思っていた————


 ————はずだった。



 僕の選んだスキルが無ければ僕は普通だった。もしかすると普通以下かもしれない。

 そんな僕を好いてくれただろうか? 分からない。前世があろうと力が無ければ何も出来ない。

 力が無ければ自信も持てない。そしてそんな人間を好く人間がいるとは思えない。



 僕は運が良かった。

 スキルが相乗効果を齎してくれて、非凡な存在として生まれた。

 一度体感した事を全て記憶出来て、魔力が常に浄化されているおかげで質の良い魔力を持っていて、そして魔法に関する才能を持てた。


 僕は……運が良かっただけだ。特別じゃない。

 僕では無い誰かがこのスキルを選んでいたならもっと有意義に使ったかもしれない。もっと効率よく、もっと強く、もっと賢く、もっと! …………。



 気付くと家の前に居た。エレアお姉ちゃんが手を引いてくれていた様だ。


「アッシュ。家の裏のお庭行くよ」


 僕は手を引かれながらエレアお姉ちゃんに付いて行く。


「ここ座って」


 そう言ってエレアお姉ちゃんが指差す場所は、いつも僕らが髪を梳かし合う、僕がいつか作った椅子の上だった。


 返事をする気力も無いので大人しく座る。


 エレアお姉ちゃんは座った僕の後ろに立って、走って家から取ってきた櫛で僕の髪を梳かす。


「……なんで?」

「アッシュの髪がぼさぼさになってたから」

「……休みなよ」

「私よりもアッシュの方が休まないとだよ。へとへとでしょ? いっぱい疲れてる。手もいっぱい傷だらけだよ」


 言われて改めて両手を見てみると、癒したはずの僕の手はボロボロだった。

 傷が治りきっておらず、爪も擦れたり割れていたり。

 握り拳を作ると皮膚が裂けてまた血が出そうだ。


「疲れるとね、嫌な事考えちゃうんだよ? しんどいのに、いっぱい頑張ったのに、嫌だなー、どうしてなのかなーって」

「……お姉ちゃんも?」

「うん。アッシュは何が辛い? 自分が弱い事? それとも……お姉ちゃんに、好かれる事?」


 お姉ちゃんの声が少し震えた。

 血がまた出そうだったのに、思わず強く拳を握ってしまった。


 お姉ちゃんは静かに僕の返答を待っていて、その間も僕の髪を梳いてくれていた。

 気付けば言葉が漏れ出して、止まらなかった。


「……僕はね、特別なのかなって思ってた」

「うん」

「魔法も沢山使えるし、魔力も人より動かせる。魔力があればなんでも出来ると思った」

「うん」

「お姉ちゃんも皆も守って、ずっと楽しく暮らして行けると思ってた」

「うん」

「でも違ったんだ。僕は魔力が無いと何も出来なかった。この間コルハ達に僕の素の力を見せた時、もう隠せないなって思って本当は辛かった。でもあの時お姉ちゃんが泣いてくれて、嬉しかった」

「……うん」

「その後から体術を教えて貰える様になって、少しづつ身につけて行ってる。自分の身体を鍛える事にもなるし、技で非力さをカバー出来るって思ったんだ」

「うん」

「でも、今日の訓練で魔力をなるべく使わない様にしてみてよく分かった。魔力があれば何でも出来る僕は、魔力が無いと何も出来ないんだって。苦しかった。辛かったよ」

「……」

「まだ六歳だからさ、これから身体も成長していくんだろうけど、いつまた霊獣が住処を離れるか分からない中で、何の力も持てていない事が悲しかったんだ……」

「アッシュ……」

「もっと強くなりたいよ……」


 空が波打って滲んでいる。目蓋が熱い。鼻の奥がツンとする。吸いこんだ空気の匂いが少ししょっぱい。


 あーあぁ。また泣くのか僕は。弱いなあ。



 足音が後ろから僕の前に回り込んできて僕を抱きしめる。


 あったかくて、でも少し苦しい。お姉ちゃんも汗をかいてるはずなのに何故か良い匂いがする。

 胸に頭を押し付ける様に抱きしめられているからか、鼓動を感じて少し安心感を覚える。

 でもやっぱり苦しい。


 身体は圧迫されて苦しいけれど、もう少しこうしていて欲しいと思った。



 ようやく僕の情緒が落ち着いた頃、僕を抱きしめたままエレアお姉ちゃんが話しかけてくる。


「アッシュ、特別じゃ無くて良いよ。普通で良いよ。私はねアッシュが好き。強くて弱くて、優しくて意地悪で、我慢強くて泣き虫なアッシュが好きだよ」


 僕には返す言葉が見つからなかった。代わりに嗚咽が間を繋いでいた。


「それにね、アッシュが守れない分は私が守るよ。アッシュが危ない時は私が守るよ。側に居る。側に居たいよ」


 エレアお姉ちゃんの言葉が一つ一つ染み込んでくる。


 そう言えばジュリアにも言われたな……僕を守りたいって。


「それにね? アッシュはみんなを守りたいって思ってるんでしょ? でも、みんなもアッシュを守りたいって思ってるんだよ」

「……待って? 誰から聞いたのそれ?」

「……ジュリアちゃんの事怒らないであげてねっ?」

「あんな綺麗でクールな顔してお喋りさんだったんだ……涙吹き飛んだんだけど?」


 嗚咽はまだ出るけど、精神が辛いとかじゃなくって呆れの方向に飛んで行ってしまった。

 湿っぽい空気が長続きしないな僕。


「とにかくね! アッシュは一人じゃ無いよって言いたいの! アッシュが全部やる事無いんだよ! それにね? 特別じゃ無いって言う割に普通でも無いかも?」

「……まぁね。それは、そうなんだけど。でも今も軽く抱きしめられてるだけでちょっと苦しいし……」

「えっごめんね! えっと、あのね、魔力があればアッシュはきっととってもすごい。それだけでも特別だし、凄いの。だからスゴくて、えっとーあれえ??」


 僕が苦しがってる事を知ると、少しだけ抱擁を緩めたけど決して離さなず、そのまま話を続けているエレアお姉ちゃん。


 言いたい事がまとまらず、凄いが連続で三回も出てきていて面白い。


「あっはは。落ち着いてよ、お姉ちゃん。深呼吸して考えを纏めて? ちゃんと待つから、ね?」


 僕に諭されたのが不満なのかそっぽを向いて深呼吸をしている姿は、先程までの包容力がかき消えて子どもっぽい。


「ふぅー。アッシュは今、悪い所を良くしようと頑張ってるけど、身体が弱くてどうしようも無いなら、今は良い所をもっと伸ばす事に時間を使った方が良いと思うの! 魔力を目一杯使って体術やろ! 魔力を使った体術つくろ! それが出来たらお姉ちゃんにも教えてね!?」


 盲点だった、ハッとさせられた。

 ずっと弱点の克服ばかり考えて、せめて人並みになりたいと足掻いて来たけれど、もうそこは今はすっぱり諦めて今最も伸ばせるところを伸ばす。簡単な事なのに気付けなかった。


 やりたい事もやらなくちゃいけない事もたくさんあって、僕はいつの間にか自分で自分を縛ってたんだ。


「すごいね、お姉ちゃん。敵わないなぁ……いっつも僕が崩れそうな時にはお姉ちゃんが支えてくれて…………お姉ちゃんがいないと駄目になったらどうするの?」

「ん? ずーっと一緒に居るよ! でもきっとアッシュはそうはならないから残念だよ〜」


 うん、これは本心だな。「当たり前でしょ?」って声が聞こえてくる様な口調だった。

 色んな意味で駄目になりそうなので却下です。


「……お姉ちゃんの言う通り、今は僕に出来る事を伸ばす様にしてみる。良い技が出来たら教えるね?」

「……話逸らした? まあ良いけど! 約束だよアッシュ、一緒に強くなろうね!」

「うんっ。…………だからそろそろ抱き締めるのやめて良いよ?」

「んーだめ! お姉ちゃんにいっぱい心配かけた罰です! 今日はずっとこうされてなさーい」

「僕がトイレ行く時は?」

「一緒」

「お姉ちゃんのトイレは?」

「……一緒」

「いや駄目だろ」


 魔力を使ってお姉ちゃんを引き剥がした後は一緒に家に入って父さんと母さんが帰ってくる前に料理を作っておくことにした。


 二人は訓練場で今日の訓練の様子や情報交換をしてから帰って来るので、訓練場での訓練の後はいつもこうなのだ。




 すっかり気分爽快、晴れやかな僕達は夕飯の支度を終えて、準備万端で二人を出迎える。


「「おかえりー!」」

「ただいま〜」

「…………」


 僕らの声に返ってきた声はカル父さんのもの一つだけで、サフィー母さんはズンズンと僕らに歩み寄ってくる。


 僕らと言うか僕だった。


 僕の真ん前で立ち止まった母さんはそのまま膝をついて僕の手を勢いよく取る。


 手を取られた瞬間、僕はミスを悟った。


「アッシュ……これは何?」

「……手だよ?」

「真面目に聞いてるの」

「……時々治してたんだけど、最後の方は夢中になって気が付いたら血が出てて」

「それで?」

「それだけだよ?」


 サフィー母さんの目は真剣だった。真っ直ぐだからこそ目を合わせるのは怖い。

 見透かされてしまいそうで怖い。僕の自傷行為とも言える行動を怒られるのが怖い。


「お母さん、見てたわよ。全部。だから話して」

「…………僕が弱いのが、辛かったから、その……当たってただけ。そしたら自分でも治せないくらい傷ついてました」


 僕がそう告げると今度はサフィー母さんが抱きしめてくる。

 抱きしめながら、小さな消え入りそうな声でごめんなさいを繰り返しているのが聞こえた。


「っ!? 違う、違う!! 違う母さん! 違うよ! 悪く無いから謝らないで! 何も悪く無い! 僕はまだ成長しきってないし! これからも努力するし! もっと、もっと、誇れるくらい強くなるから、泣かないで? お願いだよ母さん……」


 僕を弱い身体で産んでしまったと思ったんだろうサフィー母さんは、僕の言葉を聞いて謝るのはやめても涙は止まらなかった。


「僕は僕を嫌だと思ったことはないよ。僕が嫌なのは僕自身の弱さなんだ。母さんの子どもに生まれて母さんと一緒に居られて幸せだよ……だから、ありがとう。ありがとうなんだよ? だから泣かないで?」


 それでも止まらない母さんの涙に僕の引っ込んだ涙がまた溢れてくる。


 また僕の弱さが招いてしまった。でもそれ以上に母さんが母さんだからこうなったのだろう。


 やっぱり僕は幸せだよ。涙は溢れてくるけど幸せだしありがとうだよ。



 見かねたカル父さんが僕たちの頭を撫でてあやしてくれるまで、母さんと二人で泣いていた。



 空気を変える様に手を叩いたカル父さんが元気な声でご飯を食べようと勧めてくれる。


「折角子ども達が作ってくれたご飯が冷めてしまうよサフィー? 良いのかい?」

「だべる゛!!!」

「じゃあ食べよう! 二人も席について〜サフィーは鼻をかんでおいで」


 やはり大黒柱の存在は大きい。父は偉大だ。


 最近の食卓の並びはカル父さんの横にエレアお姉ちゃん。エレアお姉ちゃんの向かいに僕、僕の隣にサフィー母さんだ。


 僕とお姉ちゃんの二人で作った料理はいつも父さんと母さんがお代わりをしてその日のうちに無くなってしまう。

 今日もいつもより少し多めに作ったのだが、すぐに無くなってしまいそうだ。


 泣きながら食べる母さんと、そんな母さんをあやしながらも手は止めない父さん。

 そんな二人をエレアお姉ちゃんと見ながら、机の下で両足の裏を合わせてハイタッチならぬロータッチをする。



 僕の家はやっぱりいつも賑やかだ。

 この幸せな光景を噛み締める度に強くなりたくなる。


 でも、それで心配をかけてちゃ本末転倒だ。

 だから、今はもう少しゆっくりと強くなろう。


 ただし僕は特別じゃ無い。普通で良い。僕に出来ない事はみんなが、エレアお姉ちゃんがやってくれる。信じよう、頼ろう。


 僕は一人じゃないんだから。

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