閑話 平民アーサー物語(12)
カランコロンカラン――
喫茶店の扉の上部に設置された、風変わりな音を奏でる鐘が、来客を知らせる仕組みになっている事に、小さな驚きを覚えつつ、私はその店に足を踏み入れた。
少し控え目な魔道ランプの灯りが落ち着いた雰囲気の店内を照らしていた。
天井には回転する羽が、それほど速くない速度で回っている。あれにどの様な効果があるのかは、残念ながら私の知識では計り知れない。
「いらっしゃいませ……」
落ち着いた、それでいて優しい声が私を迎えてくれた。
声が聞こえた方を見れば、黒い翼に黒い髪、そして黒い瞳の天使族の女性が、コーヒーカップの水滴を布巾で丁寧に拭っていた。
白いYシャツに、黒いベストを着たその天使は、私が今まで見て来たどの天使よりも落ち着いて見えた。
ああ、いや。
翼の黒い物は天使ではなく、堕天使と呼ぶのだったか――
先日、ユージーンという平民の乗客が、この店を目的地に指定して来たのだ。
その時に、私は初めてこの喫茶店の存在を知った。
看板には【喫茶・羽休め】と書かれていた。
場所はアーキセル人の平民用の区画である。
殆ど誰も居ないような区画のマンションが立ち並ぶ中にポツンと立つ平屋の建造物、それが妙に私の好奇心をくすぐった。
翌日、つまり今日。
私は昼食をその喫茶店で取ろうと、付近にタクシーを停め、それを次元収納に収めてから、この店に足を踏み入れた――という訳だ。
「どの席になさいますか?」
問われ、私はぐるりと店内を見渡した。
昼食時だと言うのに、客は私1人しか居ない様だ。
……失礼だが、これでやっていけているのだろうか?
とにかく、席は選びたい放題の様だ。
ただ、私は喫茶店という物に、生まれて初めて入った。
マナーやルール、分からないことだらけだ。
出来れば店主に色々と質問をしやすい席が良い。
「カウンター席に座りたいのですが、構いませんか?」
「もちろんです――どうぞ……」
店主がそっと手で、自身の目の前の席を提示する。
どうやらこちらの意図を汲み取ってくれたようだ。
私は提示された席に着く。
椅子は足を延ばして座れるほどに高い。
赤いクッションが敷かれた丸い座席は、意外と座り心地が良かった。
「こちら、メニューになっております……」
そっと差し出されたメニューを受け取る。
黒に近い茶色の表紙は、どこか品を感じた。
パラリと捲ると、中は非常に薄い。
どうやら全6ページしかない様だ。
そのくせ、ドリンク以外の全メニューに写真が添付されている。
品数は決して多くはない様だ。
さて、何にしようか。
聞いた事のないメニューが多数あるが、写真のお陰でイメージは付きやすい。
ただ、味の想像まで出来るかと言われると、私の場合はそうではなかった。
なので、量で決めようと思う。
少々はしたないかも知れないが、体が若返って以降、私の体はかなりの量の食事を欲しがるようになった。
以前は周囲の者に心配される程、食が細かったのだが――……
「このオムハヤシというのを頂けますか?」
「畏まりました――お飲み物は如何致しましょう……」
ふむ……
どの飲み物がこの食事に合うのか、見当もつかない。
「オムハヤシに合う物を見繕って貰えますか?」
「お客様の好みによりますから、少々難しいところですが……珈琲はお好きですか?」
「ええ。紅茶に比べると飲む頻度は少ないですが、それなりに――ですが、あまりに苦すぎる物は苦手ですね」
「畏まりました――では、マイルドな物をご用意させていただきます……」
店主は先ず、やたらと口の細長いケトルに水を入れ、それを火にかけた。
それからコーヒーミルに珈琲豆をセットし、それを挽き始めた。
彼女は随分とゆっくりとハンドルを回している。
私は珈琲の淹れ方等知らないが、そういう物なのだろう。
ケトルが口から湯気を立ち籠らせ始めた瞬間、店主は直ぐにコンロの火を止めた。
挽きたての珈琲をドリッパーの中に入れられた紙のフィルターの中に入れ、そこにゆっくりと湯を注ぐ――
ゆっくりと――ゆっくりと――
コーヒーが数滴ずつ滴っていく。
随分と待たされた気もするし。そんなに長くない時間だった様な気もする。
「どうぞ――……」
出され珈琲は、その香りで直ぐに私の鼻孔を楽しませた。
なんと表現すれば良いだろうか?
深く落ち着く、香ばしいような……
私はそっと一口、それを啜った――
「美味しい……」
苦過ぎず、それでいて甘ったるいわけでもない。かと言って薄いのとも違う。
店主が最初に言っていた、マイルド――その言葉が一番適切だろう。
正直、私が今まで飲んだ事のある珈琲の中で一番美味しいかと問われると、それは少々違うが、一番落ち着く、そんな味わいだった。
「お口に合って良かったです――」
店主は優しく微笑むと、直ぐに調理場へと移動した。
店主は慣れた手つきで料理を始める。
鍋の置いてあるコンロに火を入れ、中火にすると直ぐにそこを離れ、ボールに卵を3つ割り入れると、それを丁寧にかき混ぜていく。
店主は鍋の中の茶色い液体に近い物質を器に盛り付けると、直ぐに次の準備に移っている。
別の五徳にフライパンを置き火をかけ、フライパンの上にバターを入れると、それをクルクルと回し始めた。
バターが溶けた頃合いで、先ほどの溶き卵を一気に流しいれると、菜箸でくるくるとその卵をかき混ぜる。
あっという間にフライパンを火から離すと、それを先ほど茶色い粘り気のあるスープをよそった器の上に移動させた。
フライパンを傾け、卵を滑らせるように器に移すと、メニューにあった写真のそれの完成だ。
始め、それは味わいが複雑過ぎて、私は少々戸惑った。
旨味と酸味、それと多少の苦みが合わさったなんとも言えないバランスを保っていたそれは、けれど確かに美味しかった。
ただ、それと卵を一緒に口に含んだ時の衝撃は、初めの衝撃を軽く上回った。
先ほどの3種の味覚、それらを甘味が優しく包み込んだのだ。
これほど美しい四重奏は、私は知らない。
ごろっと大きな肉は良く煮込まれており、直ぐに口の中でほどけて溶ける。
これはダンジョン肉だろうか?
噛めば、赤ワインだろうか? 仄かな苦みと酸味が私の下を喜ばせてくれた。
……思えば私は、毒殺を気にせずに料理を楽しめると言う事は、それだけで幸せな事だと思い込んでいたのかもしれない……
料理はもっと別の……その味や香り、見た目で楽しむ物なのだろう……
ああ、私は今、幸せだ……
「大変美味しかったです……また来ても良いですか?」
「もちろんです。またのお越しをお待ちしています……」
私は会計を済ませ、美しい店主に見送られながら、喫茶店を後にした。
カランコロンカラン――
外に出ると、日差しが少し熱く感じた。
私は体を伸ばし、それからタクシーを次元収納から取り出した。
これが英気を養う、というヤツなのだろう。
午後からの仕事も頑張ろう。そう思えたのだった――
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