第31話 しっかりしろ、四ツ木世津
長旅の果てに到着した出雲市駅。駅舎はどこか趣きのある造りになっており、風情を感じる。
「あそこね」
八雲が駅から見えるビジネスホテルと自分のスマホを見比べて言った。
先程、車内で八雲と共にネット予約した今日の宿ってのがあれみたいだな。
「思ってる五億倍、駅近だな」
子供みたいな桁の数字で例えると、八雲に呆れた顔をされちまう。
「なんで五億なのよ」
「俺の生涯賃金だ」
「わぁ。めちゃくちゃ優秀ね」
「え、そうなの?」
「日本人の平均生涯賃金は二、三億よ」
「やっば。俺って優秀なんだ」
「ちなみに私の貯金額は──」
言いかけて、キリッと睨みつけてくる。
「ちょっと。そうやって私の貯金額を聞き出すつもりね」
「そんなはずなくない」
「この変態っ!」
どうして俺は罵倒されているのだろうかという謎を残したまま、俺たちは出雲市駅のロータリーを抜けて、ビジネスホテルへと向かう。
ネット予約をしていたおかげで、チェックインはスムーズに済む。
八雲は書き慣れた様子で宿泊者名簿にサインしていく。
二枚のカードキーを受け取り、一枚を俺へと渡してくれる。
「書き慣れていたな」
「まぁね」
「もしかして、男と一緒に何度も泊まっていたとか」
「ばぁか。ライブとかで地方に行くことが多かったからよ」
「ライブって?」
「え……」
驚いたような顔でこちらを見てくるので、すぐに訂正する。
「あ、いや、歌のライブだよな」
なんで俺、そんなこと聞いたんだろう。普通に考えてそれ以外にあり得ないだろうに。一瞬、本当になんのライブかわからなくなっちまってた気がする。疲れてんのかな。
気を取り直し、エレベーターで八階へ。
809号室。それが今回の俺達の部屋だ。
カードキーってどうやって使うんだろうとか不安に思っていると、そんな俺の不安をよそに、八雲が慣れた様子で部屋を開けた。なるほど、ただかざすだけで良いのね。
部屋に入ると、玄関の壁にカードキーを入れるところがあり、そこにカードキーを突っ込む。すると、電気が点いてくれた。
「せまっ」
部屋の中はおだてにも広いとは言えない。
セミダブルのベッドに申し訳程度のテーブルと椅子。その上に小さなテレビがあるだけだ。
「セミダブルの部屋だからこんなものよ」
「ここで俺と八雲が一緒に寝るんだな」
「……この部屋しか空いてなかったから仕方ないわよ」
八雲はベッドにパタンと寝転がった。
疲れてる、よな。
今日だけで色々とあったんだ。
この異常事態に八雲の精神的疲労は限界だと思う。
加えて東京、岡山、出雲。あ、うん。一日で千キロを裕に超えちゃってるね。
まだ午後八時前だというのに、俺にも睡魔がやって来ていた。
「あ……」
なにかを思い出したかのように声を漏らして起き上がった八雲は、自分の下敷きになっていた館内着を手に取り、広げて自分に当てた。
「突発的に来たから着替えとか忘れていたわね」
「あー、着替えね」
「まぁ仕方ないわ。ホテルの中はこれで良いとして、着ていた服と下着はホテルの洗濯機と乾燥機に突っ込みましょうか」
ビジネスホテルには基本的に洗濯機と乾燥機があるみたいで助かるね。お金は取られるだろうけどさ。
「お風呂入る」
「どうぞ。ごゆっくり」
ジトーっと八雲が見てくる。
「覗かないでよ」
「一緒にお風呂という選択は?」
「そんな選択はないわよ。あなたに与えられ選択は、私がお風呂に行っている間に洗濯へ行って来て」
お風呂に入っている間に俺を追い出すのも兼ねて洗濯をさせる。賢いやり方だ。
「しょうがない。ここは八雲の汚れた使用済みパンツを洗濯しに行きますか」
「汚れてなんかないわよ!」
「知っているか。世の中には汚れている方が価値があるとうものもあるんだ。それが八雲のパンツだっ!」
「なんちゅうこと言うのよ、この変態っ!」
うんうん。さっきのロータリーで頂いた変態より、今、言われた変態の方が効くね。
「い、一緒に行きましょう」
「りょーかい」
言われて俺は上着をぬぎぬぎする。
「ちょー! なにしんのよ!」
「え? 一緒にお風呂に行くんだろ?」
「ばかっ! あほっ! 変態っ!」
タオルとタオルとバスタオルが投げれる。
「あで、いで、うでっ」
「世津のばかっ」
最後にもう一度罵ってからバスルームの扉を強く閉めた。
「今の恥じらい方はすげーかわいかったな」
俺は脱いだ服をもう一度着てからそのままベッドに倒れ込む。
シャワーの音が聞こえ始めた。狭い部屋だから明確に聞こえる。
今、八雲がシャワーを浴びている。同級生が壁を隔たてすぐそこで裸なんだ。興奮しちまうねぇ。
しかも、ただの同級生じゃない。
──ただの同級生じゃない、よな?
あれ……。
頭の中になんだかモヤみたいなものがかかっている気がする。
思い出せそうで思い出せない。喉の奥に魚の小骨が刺さったような感覚。もう少しで思い出せそうなんだけど……。
「出雲琴だろうが!」
ガバッと声に出して起き上がる。
「きゃっ」
短い悲鳴が聞こえてきた。
「どうかしたの?」
いつの間にかシャワーを終えた八雲が心配そうに見つめてくる。
「あ、いや、なんでも……。風呂上がったなら次、俺がもらうな」
彼女の返事を聞かずに俺はさっさとバスルームへ入る。中はユニットバスになっており狭い。
トイレ側の床は濡れておらず、浴槽側には水はね防止用のカーテンとシャワーがある。
浴槽の中でカーテンを少し乱暴に閉めるとシャワーを浴びた。
「どうして俺が出雲琴を忘れそうになってんだよ、ちくしょう」
頭をかきむしりながら反省する。
俺だけが……。彼女にとっては俺だけが頼りなんだ。だから決して忘れてはならない。
「次は少しでも忘れんな、四ツ木世津……!」
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